第14話 恋人代行

 それから。

 デートの終わりまで残り十五分というところで、俺たちはレストランを後にし、二人で手を繋ぎながら夜道を散歩することに。

 街の明かりが、どこかいつもと違って見えた。一人だったらなんとも思わないのに、澪と一緒だとキラキラした尊いものに感じられたのだ。


「……本当に、もうあと少しだね。燈護、何かしておきたいことある?」

「んー……澪とこうして並んで歩けるだけで満足かなー」

「嬉しいけど、ちょっと物足りない返事だなぁ」

「申し訳ない。まぁ、最後にキスしてよ、なんて言えるわけもないから、仕方ないよ」

「……そうだねぇ。それはダメ」

「なら、これ以上望むものはないよ」

「そっか」


 澪が本当の彼女だったらなぁ、と想像してしまう部分はある。

 お互いにもうそれなりの大人なのだから、今夜はうちに泊まっていきなよ、的な展開もありえるのかもしれない。

 しかし、澪は今だけの彼女なので、そんなことはできない。ある意味、それが気が楽でもある。澪と色々したい気持ちはもちろん持ってしまうけれど、いざとなったら緊張しすぎて失敗しそうだ。


「燈護、やらしいこと考えたでしょ?」

「わかる? それだけ澪が魅力的だってことだよ」

「お、開き直った? 今日一日だけで随分とウブさが抜けてしまったなぁ。『そ、そんなことないよ!?』って焦る場面じゃない?」

「澪があまりにも親しみやすいから、いつの間にか変な緊張はしなくなっちゃったな」

「いいことだけど、もったいない気がするなぁ」

「……たぶん、澪以外には、まだまだ不慣れな感じになると思うよ」

「そっかそっか。……私とは、あくまでこういう関係なんだし、早くいい人を見つけなよ」


 ぽつりと呟く声は、少し寂しげに聞こえた。……かな?


「……俺が今日のデートで後悔したことがあるとすれば、澪より素敵な女性を身近に見つけられる気がしなくなった、っていうことかな」

「自分で言うのもなんだけど、今日の私はお仕事モードの私だからね? ただのデートだったら、全力で相手をもてなすようなことはしないよ。もっとだらっとしてて、プランなんて適当で、反応も悪くて、笑顔も少ない。今日の私みたいな態度を、リアルな彼女に求めちゃダメだから」

「わかってる」


 わかっているけど。

 もっとだらっとして、プランなんて適当で、反応も悪くて、笑顔も少ない澪を、見てみたかったかな。


「お笑いの動画投稿、頑張ってね。私、こっそり観てるから」

「うん。頑張る」

「燈護ももっと出演したら? 出てきたとしても、黒子か、本当に数合わせのモブなんだもの。もったいないよ」

「俺は演者に向いてないんだよ……」

「……まぁ、確かに演技が上手いわけでもないし、お笑い的に特徴のあるビジュアルでもない、けどね」

「はっきり言うなぁ」

「それでも、燈護が頑張ってる姿を見ると、私は元気をもらえたよ」

「……そっか」

「無理はしないでね。苦手を克服するより、得意を徹底的に伸ばす方が大事とも言われてるし。燈護のやりたいようにやってくれていい」

「うん……。そうだね」

「燈護が出演してくれたら、私がちょっとだけ嬉しい。それだけ」

「そう……」


 たったそれだけのことが、随分と俺の背中を押してきそう。

 悪いことじゃない。

 きっと。

 少し悩ましさを感じつつ歩いていたら、もう終了一分前になってしまった。


「もう、本当にこれでおしまい。って言っても、また呼んでくれたら会えるけど?」

「お? 急に営業スマイルになった?」

「ふふ? どうしますかお客さん。また次も呼んでくれますか?」

「うん。必ず」

「……そう。ありがとう。また会えるの、楽しみにしてるね」

「俺も。楽しみにしてる」

「……恋人代行としてじゃなく、会えたらなぁ」

「え?」


 澪の声はとても小さくて、きちんと聞き取れた自信はない。今のは俺の妄想か?


「あ、なんでもない。今のは忘れてっ」

「うん……」


 歩道の脇で立ち止まる。人気ひとけの少ない道を選んでいたから、周りに人影はほとんどない。

 数秒、見つめ合う。

 綺麗な人だな、と改めて思う。見た目の話だけじゃなく、内側から滲む温かなものが、澪を一層引き立てているように感じる。

 澪がスマホで時間を確認。二十時を回った。

 澪が、俺の手を離す。恋人終了だ。


「……それじゃ、またね」

「うん。また」


 澪はすぐには離れていかない。まぁ、ここであっさり去っていったら、あまりにもビジネス的過ぎて、男が冷めてしまうもんな。次を期待するなら、余韻を残しておくべきだろう。

 そして、澪がふと何かに気づいた反応。


「あ、なんか髪にほこりついてるよ? ちょっと頭下げて?」

「え? うん」

「もっと。それで、あっち向いて」

「ああ……」


 言われた通り、頭を下げる。

 澪の顔が妙に近づき、それから……何か柔らかいものが、頬に触れた気がした。

 え?

 と驚く間もなく、澪が身を翻して去っていく。


「じゃあね! バイバイ!」


 つかつかと急ぎ足で去っていく澪を、俺は惚けたまま見送った。

 ……今、何かされたのか? でも、何を? いや、なんとなく想像はつくのだけれど、でも……。


「恋人代行って、キスはダメ……なんだろ? なんでそんなこと……?」


 もしかしたら、ただの勘違いかもしれない。

 俺の気のせいかもしれない。

 ……いや、きっと気のせいだ。澪が、お仕事の範囲を逸脱して、キスなんてするわけがない。

 触れたのは、澪の指先とか。そうに違いない。


「……変な期待するなよ。相手は恋人代行なんだから」


 自分に言い聞かせながら、俺も帰路につく。

 澪と、今すぐにでもまた会いたいな、なんてことを考えながら。

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