第70話 といれ

 なかなか寝付けなかったのは予想通りだけれど、体感的に一時間もすれば眠気を感じた。

 とっくに子守歌も終わっていて、俺はそのまま眠りに落ちた。

 そして、嬉しさと気恥ずかしさが折り混ざることではあるが、夢で流美と遭遇。出てきただけではなく、夢の中で男女的なあれこれを致してしまった。

 結果。


「……う」


 まだ日も昇らない早朝。俺は下半身の気持ち悪さと共に目を覚ました。

 手を繋いでいただけだったはずの流美は、しがみつくように俺を抱きしめて眠っている。当たるものが当たっているし、素足が俺の足に絡みついてもいる。俺は抱き枕にされていたようだ。

 眠れないと言っていたが、とにかくちゃんと眠れているのは良いことさ……。


「それはそうとして……」


 一度ベッドを抜け出し、汚れた下着を処理したり、下着を着替えたりする必要がある。

 一人だったらさっさと済ませてしまうのだが、こうして抱き枕にされていると対処は容易ではない。無理矢理引きはがすと目を覚ましてしまいそうだ。このな場面は、たぶん見られない方がいい。


「起きるなよ……?」


 ゆっくりゆっくり、流美の絡みつく腕と脚を解いていく。


「ん……? どうしました……?」


 無理だった。もはや初手で目を覚ますとは思わなかったよ。


「あ……ごめん。ちょっと、トイレに……」

「ああ、ごめんなさい。……ちなみに、ただトイレに行きたいだけですか?」


 流美としては冗談のつもりだったのだろうけれど、俺はすぐに返事ができなかった。そこで、流美が何かを察したらしい。


「え? あ、もしかして……本当に……? あ、あまり詳しくはわからないのですが……夢精、という奴ですか?」

「……そんなことないよ?」

「ちょっと、下着を確かめさせていただいても?」

「ごめんなさい。嘘吐いたって認めるので大人しく解放してください」

「へぇ……へぇ……? そうですか。なるほどぉ……」


 気恥ずかしくて顔が見られない。しかし、流美はおそらくにやにやと笑っている。


「わたしの夢、でしたか?」

「……まぁ、ね。何の夢だったか、もう詳しく思い出せないけど」

「ふぅん。気持ち良かったですか?」

「……まぁ、うん。だから、ちょっと離してくれない?」

「お手伝いしましょうか?」

「一人で大丈夫。流美は寝てて」

「わたしのせいなんですから、遠慮しなくていいんですよ?」

「遠慮するから。こういうのは一人で勝手にやっておくよ」

「むしろ、お手伝いしてみたいんですけど……?」

「だ、ダメだって。もう……」

「ふふ。仕方ありませんね。わかりました。わたしは後ろを向いていますから、遠慮なく処理してください」

「……どうも」


 流美がこちらに背を向け、壁の方を向く。その姿勢のままでいてくれたら、何も見られることはないだろう。

 ベッドを抜け出し、替えの下着を持って一度トイレへ。

 それから諸々の処理をして、浴室で下着を一旦水洗いし、あとは洗濯機に放り込む。

 ふぅ……。女性のいる部屋でこんなことをするのは本当に気恥ずかしい。こういうのはもうなしにしてほしいぞ、俺の体よ。

 俺がベッドに戻ると、流美がこちらを向く。


「終わりました?」

「……うん」

「ちなみに、夢の中ではどこまでしたんですか? わたしたち、結ばれましたか?」

「……一瞬だけ」

「へぇ……。そうですか。なら、もうわたしたちはそういう関係ですね?」

「違うから。夢の中の話だから」

「少なくとも、燈護さんはわたしとしたいっていう気持ちはあるんですよね?」

「……否定はしない」

「ふぅん。なるほどなるほど。……して、みますか?」

「……しないから」

「むぅ。燈護さんだけずるいですよ? わたしだってスケベな夢見たかったのに、うとうとしてたら起こされてしまいました」

「寝てなかったのか……」

「ようやく眠れそうだったところでした。……わたしの悶々とした気持ち、どうしてくれます? 責任取ってくれないんですか?」

「……ダメだって」

「強情ですね。……仕方ありません。抱き枕になってくれたら、今回は許します」

「……はいはい。もう、好きにしてくれ」

「そこまで言われると、もっとすごいことをしたくなりますよ?」

「せめて抱き枕までで……」

「わかりました」


 流美がひしと抱きついてくる。眠る前からこんなことされたら、到底寝付くことなんてできそうにない。

 服越しでも伝わる弾力、柔らかな肌、絡みつく脚。

 流美を意識せざるを得ない。


「おやすみなさい、燈護さん。まだ四時半ですから、眠っていいですよ?」

「……うん」


 目を閉じる。眠気はやってこない。

 変に目が覚めてしまって、もう朝まで眠れなさそうだ。

 仕方ないと諦め、体力の回復にだけ努める。明日……いや、今日の講義は睡魔との戦いになりそうだ。

 ……そして、やはり上手く寝付くことができず、午前七時。

 俺と流美は半身を起こし、顔を見合わせる。


「おはよ……」

「おはようございます。初夜を越えた夫婦のような朝ですね?」

「それは言い過ぎだから……」

「ああ、でもやっぱり燈護さんはずるいですよね。一人だけ楽しんでしまうんですから」

「それは夢の中の話だから……」

「今夜も泊まりに来ていいですか?」

「……それは、なしで。今夜は一人でゆっくりするよ」

「むぅ……。仕方ありませんね。あまり無茶をさせて、体調を崩されても困ります」

「配慮に感謝」


 二人ともベッドから抜け出し、朝の準備をする。

 相変わらずシャツだけを来た流美は目のやり場に困る可愛さだったが、極力意識しないことにした。


「じろじろ見すぎですよ?」


 意識していないつもりが、全くそうでもなかった。流美はにやにやしていた。

 さて、朝食を摂ったり着替えたり、それぞれ準備を整えたところで、流美が俺に向き直る。


「楽しい時間をありがとうございました。まだ恋人にはなれないもどかしい距離感ですけど、これもまた面白いですね。

 そして、改めて言います。

 わたし、燈護さんが好きです。

 燈護さんが誰かを選ぶにはまだ時間がかかると思いますが、わたしを選んでもらえるように頑張りますね」

「好意を持ってもらえるのは、本当に嬉しい。ありがとう。俺は自分の気持ちもあやふやで、いつ見限れらるかわからないけど、ちゃんと選ぶべきときには選んでみせるよ」

「はい。お願いします。今はもういいですけど、付き合い始めた後の浮気は許しませんからね?」

「それは、もちろん」


 それから、不意に流美が俺に抱きついてくる。避ける暇などなかった。


「いつでも、好きなときにこうできる関係に、早くなりたいですね……」


 俺からは抱き返すわけにもいかないと思い、棒立ちになる。

 流美は不満そうに見上げてきたが、これが俺の限界なのだ。


「まぁ、いいです。本当のハグは、付き合ってからのお楽しみですね。それでは、また今夜」

「待って。今夜泊まりにくることは認めてない」

「いえ、よく考えると、怪我で生活に支障をきたしている燈護さんをサポートするのが、元々の言い訳でした。ご飯だけでも作りに来ますよ」

「いや、だから……怪我なんて大したことないよ。ご飯の準備くらいできる」

「……むぅ。仕方ないですね。じゃあ、次は、あの桜庭さんとのデートでお会いしましょう」


 ふわりと軽やかに笑って、流美が俺の部屋を後にする。

 一人取り残されたら、急に寂しさを感じてしまった。流美の温もりが恋しい。


「……ったく、誰かが帰る度にこんなことを考えてるなぁ。浮気性が酷すぎる……」


 自分に呆れながら、深い溜息を吐いた。 

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恋愛の勉強で恋人代行を利用しまくっていたら、何故かキャストたちから言い寄られ始めた? 俺、なんかやっちゃった?? 春一 @natsuame

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