第56話 健気

「ごめんね。あたし、突然やってきて、感情に任せて酷いこと一杯言っちゃった……。自分がこんなに子供っぽいとは思ってなかった……」


 涙の跡の残る顔。充血した瞳。

 そんな夢衣と、ベッドに並んで座っている。

 抱きしめてはいないけれど、夢衣が俺の手を離さないので、そのまま握らせている。


「いや……俺も、ごめん。夢衣の気持ちなんてろくに考えられてないし、俺だって感情のコントロールができてなかったし……」

「……なんか、このままだとお互いにずっと謝るばっかりになりそうだね。あたしからこんなこと言っていいのかわからないけど、謝るのは、もう止めにしよっか」

「……そうだな。こういうの、お互い様って、言うのかもな」

「そういうことにしておこうよ。

 それでえっと……あたし、感情的になってて、燈護君の言ってたこと、全部は理解してないかもしれないんだけど……燈護君、あたしのこと、好きって言ってくれたよね?」

「……そこだけは聞き逃さないわけね」

「うん。あたし、自分に都合の良いところは聞き逃さないから」

「なんだそれ」


 二人でくすくすと笑ってしまう。

 ようやく夢衣の笑い声が聞けて、俺もほっと一息。


「もうしばらくは言わない方がいいのかもって思ってたけど、あたしもちゃんと言葉にするね。

 あたし、燈護君のことが好きだよ。初めて会ったあの日から、もうずっと好き」

「初めて会った日から? 俺、そんな風に思われること、できてたかな?」

「できてたよ。だって燈護君、ありえないくらい優しかったでしょ。初めてで緊張して上手くできてなかったときも、財布落としておろおろしてたときも、帰りの電車で爆睡しちゃってたときも、燈護君、全然怒りもしないし、ずっとあたしを気遣ってくれてた。あんなことされたら、好きになっちゃうよ」

「そうか……。あれくらい、できる人はたくさんいると思うよ」

「……もしかしたら、そうなのかもね。だけど、あんな優しさを見せてくれたのは、燈護君が初めてだった。

 自分で言うのもなんだけど、あたし、チョロインだから。ちょっと優しくされただけで、その人のことあっさり好きになっちゃうの。しょうがないでしょ? 今まで恋人なんていたことなくて、誰かに真剣な優しさを向けられたこともなかったんだから」

「……なんか気恥ずかしい。にしても、チョロインか。この一ヶ月で、他にお仕事で優しい人には会わなかった?」

「優しい人はいたよ。でもね、やっぱり燈護君とは違うんだ。燈護君は、たぶん、あたしにお金を払ってることなんて忘れちゃってたよね?

 これだけ払ってるんだから、その分の元を取らなきゃっていう気持ちは全くなかった。本当に自分の恋人に接するみたいに、あたしに優しくしてくれた。一時間眠り惚けても、疲れてるだろうからって、そっとしておいてくれた。

 そんなことまで普通はしないよ。大金払ってるんだからそれに見合った働きを見せろって気持ちが出てるの。

 優しい人はいても、あくまであたしは恋人代行で、底抜けの優しさを見せるべき相手だなんて思ってくれない。それが自然だと思うから、別に文句はないよ。

 ただ、燈護君はやっぱり特別なんだなって思っただけ」

「そんなもんか……」


 俺の場合、恋愛の勉強のためにレンタル彼女を利用していたというのも大きいとは思う。

 本当の彼女に接するように、夢衣に接するように心がけていた。

 まぁ、そういう意図がなくても、やっぱり一時間夢衣が眠り惚けたとしても、そっとしていたような気もする。

 頑張った後の女性の寝顔を眺められるなんて、それだけで十分な見返りだと思うな。


「ねぇ、燈護君。あたし、七星や流美さんに比べたら、本当にまだまだ子供だなって思う。恋愛経験も、人生経験も、きっと圧倒的に足りてない。みっともないくらいに爆発しちゃうこともあるみたい。……それでも、まだあたしのこと、好きって思ってくれる?」

「うん。俺、夢衣のこと、好きだよ」


 夢衣がさっと顔を赤くする。俺も、すごくストレートに告白していることに気づいて、顔が熱くなった。


「こんなあたしでもいいの? あたし、たぶんすごく面倒くさいよ? きっと、誰よりも一番燈護君を困らせるよ? それでもいいの?」

「今回の件については、俺の態度も問題あったし……。夢衣だって、ずっと今のままじゃないだろ?

 それに……俺だって、できてないところなんていくらでもあるんだ。自分は完璧とはほど遠いのに、他人には完璧を求めるつもりなんてない」

「そう……。燈護君のそういうとこ、やっぱり好きだよ」


 夢衣が俺の肩に頭を乗せ、体を預けてくる。

 やっていることが完璧に恋人同士っぽいのだけれど、これでもまだ友達である。勘違いしてはいけない。うん。


「えっと……」

「あたしたち、相思相愛だよね?」

「あー、その……」

「お互いに好き同士だし、もう恋人同士ってことで、いいんだよね?」

「え、あ、それは……」

「あたし、何か間違ったこと言ってるかな?」

「……えっと、あのね?」

「あたし、これからは燈護君の彼女として精一杯頑張るね! もっともっと成長して、燈護君にもっと好きになってもらうよ!」

「……ちょっと、話を聞いてくれるかい?」

「恋人としての第一歩! 燈護君、ちょっとスマホ貸して? あたし以外の女の子の連絡先なんてもういらないよね? 写真もあたしと燈護君の思い出の分だけがあればいいよね? あ、お互いが今どこにいるかわかるように、位置情報がわかるアプリ入れよっか? 恋人同士で共有できるカレンダーアプリもいいよね! さ、ほら、早くスマホ貸して?」


 こ、これは本気なのかな? 冗談なのかな?

 口調に冗談成分を感じられないのだけれど、夢衣はまだ暴走状態? そして、結構な束縛体質?

 俺が内心恐れおののいていると、夢衣がくすりと笑う。


「嘘。冗談だよ。びっくりした?」

「……うん。ちょっとびびった」


 ふぅ……。夢衣が話のわかる子で良かった。マジで。


「あたしたちがまだ恋人同士じゃないこと、わかってる。もし恋人同士になったとしても、燈護君を変に束縛するつもりはないよ。

 ある程度は恋人として守ってほしいことはあるけど、それは、あたしがいない間に部屋に他の女の子入れないでとか、他の子と二人きりで会わないでとか、それくらい」

「まぁ、それくらいは普通だよな」

「うん。普通のこと、普通にしてくれればいい。あたしと付き合ったからって、他の女の子全部と絶縁する必要もない。全ての関心をあたしに向けてほしいとも言わない」

「うん」

「ただ……好きだよ、とは毎日言ってほしいかも」

「そういう要望があるのなら、そうするよ」

「本当は、何も言わなくてもしてほしいところだけどさ。男の子は、言葉にするより、態度で示したいんでしょ?」

「そうかも。どちらかというと、抱きしめるとかの方がやりやすいかなぁ」

「それも追加で」

「総合すると、毎日、抱きしめながら好きだよと囁く、と」

「うん。それでいい」

「って、恋人になる前にする話じゃないよな」

「なるよ。あたしたち、恋人同士に、なる」

「……そうかもね」


 夢衣は、何かを確信しているような物言い。俺の中では、本当にまだ誰が一番だなんて決められなくて、すごく揺らいでいる。

 贅沢な悩みだし、浮気性だなとも思う。

 けど、そう簡単に選べるもんじゃないだろ? 皆、とても素敵な女性なのだから。

 誰かと付き合い始めるまでは、こんな半端さも許してくれ。

 誰かと付き合い始めたらその人に一途になるつもりだし、最終的に、誰からも愛想を尽かされてしまうかもしれないという覚悟くらい、持ってるからさ。


「燈護君は……今の時点で、この人が一番好きとかいうの、あるの?」

「……一応は」

「そう。聞きたいけど、聞かない方がいいのかな」

「どうだろう」


 夢衣が俺の手をきゅっと握る。それから。


「やっぱりいいや。それは聞かない。あたしは……きっと一番じゃない。わかるけど、明確にはしたくない。これから頑張って、一番になればいい」

「そう。……俺の立場からはなんと言えば良いのやらだけど、その、いざというときには、ちゃんと選ぶよ。選ぶ前に、愛想尽かされて誰も傍にいなくなるかもしれないけど」

「あたしはいるよ。燈護君だって何かやらかしてしまうかもしれないけど、あたしは、それでも燈護君の傍にいる」


 夢衣の手に力が入る。


「……ありがとう。そういうこと言ってもらえると、男としてはとても嬉しい」

「……まぁ、正直言うと、健気を演じてみた感はある」


 正直過ぎる物言いに思わず笑ってしまう。


「それ、本人には隠しといてー」

「でも大丈夫。燈護君は、やっぱり心の澄んだ優しい人だもん。あたしはずっと、燈護君のことが好きだよ」

「……そう。ありがとう」


 安らかな沈黙が流れる。居心地は良い。

 つい最近まで女性とは全く接点がなかったのに、こんなにも好意を向けられるようになるなんて驚きだ。

 変化に戸惑いはある。俺の器量を越えている状況のようにも思う。

 心地良さに酔っている場合ではなくて、人の好意を受けとめるのは少し重たくもある。

 ……誰も傷つけず、綺麗に関係を進めることなんてできないのだろう。そのときは、目一杯、謝るしかないよな。

 夢衣の温もりを感じながら、できる限り未来が良いものになることを願った。

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