第57話 悶々

 午後七時を回った頃、夢衣と一緒に晩ご飯を食べた。

 食材の準備などは何もしていなかったのだけれど、夢衣が冷蔵庫の残り物でオムライスを作ってくれた。

 夢衣は一人暮らしをしており、料理も日頃からしているらしい。特別な料理は作れないけれど、簡単な料理は問題なく作れるようだ。


「同じ大学に通ってたら、お弁当とか作ってあげられるんだけどね」


 夢衣がそんな可愛らしいことを言ってくれたのは嬉しい。

 ただ、ずっと相手に負担をかけ続けるのは心苦しいから、やっぱりお弁当は作ってもらえなくて良かったかな。


「一緒に暮らしたら、お弁当も作ってあげられるよ?」


 そんな追撃もあって大変気恥ずかしいかったのだけれど、同棲とかは、するとしてもきっと当分先の話。

 夕食を終えたら、俺は一度流美と連絡を取った。

 流美も七星から色々と事情は聞いているらしく、七星を敵視する言葉を口にしていた。

 また、今日は夢衣が泊まりに来ていると伝えると。


「わかりました。では、明日はわたしが泊まりに行きます」


 そう言っていた。

 えっと、日替わりで女性が泊まりに来るの? 俺、そのうち誰かから刺されない?

 ……本当に刺されるかもなぁ。流石に死にたくはないぞ? 腹に雑誌でも仕込むか?

 さておき。

 七星にも、夢衣が泊まりに来たことを伝えた。七星としては予想通りだったらしく、特に気にした様子はない。ただし、一応の念押しはされた。


「あたしと何もしなかったんだから、ここで夢衣とヤっちゃうとかやめてよね。恋人未満として夢衣と一夜を過ごすのは構わないけど、あたしも納得できる進め方をしてもらわないと困る」


 とのこと。

 元々夢衣と何かするつもりはないし、男の欲望には席を外しておいて貰う所存。


「ねぇ、二人に連絡終わったなら……一緒にお風呂入らない?」


 夢衣が突然そんなことを言い出して、早速欲望君が戻ってきてしまう。


「な、何を言ってるんだよ! 入らないよ!」


 心臓どきどきさせながら、慌てふためく俺。

 夢衣はベッドに腰掛ける俺にピタリと体を寄せてきて、さらに囁く。


「……なんで、ダメなの? 別に、やらしいことするつもりはないよ?」

「一緒にお風呂に入ること自体がやらしいことだから! そんなハレンチなことはできないの!」

「燈護君がやらしいと思うからやらしいんだよ。あ、そうだ。燈護君が目隠しでもすればいいんじゃないかな?」

「そういう特殊なプレイを提案するのはやめなさい! とにかくお風呂は一人ではいること!」

「ちぇ。七星とはキスしたくせ、あたしと一緒にお風呂入るのは嫌なんだ」

「それとこれとは別だから!」

「じゃあ、あたしともキスしてよ」

「キスもダメだって。俺たち、付き合ってるわけじゃないだから」

「付き合ってないのに、七星とはキスしたじゃん」

「あれは、したと言うか、されたと言うか」

「……わかった。燈護君がそういうなら、仕方ないね」

「……うん」

「あたしが無理矢理キスするから、燈護君は、あたしに無理矢理されただけだって、言い訳してくれればいいよ」


 夢衣の手が俺の顔に添えられる。意外と強い力で、強引に夢衣の方を向けさせられ、至近距離で見つめ合う形に。

 夢衣の顔が熱病にでもかかったみたいに赤い。キスしようとしている女性って、すごく可愛い。……じゃなくて。


「ま、待って」

「……目、閉じてて。恥ずかしい」

「夢衣、落ち着こう」

「本気で嫌なら、力であたしを押し返したらいい」

「あのな……」

「あたし、初めてだから。上手くできなかったら、ごめんね」


 目を閉じた夢衣の顔が近づく。

 このままキスしてしまいたい気持ちはある。

 でも、それじゃあ昨日と同じ。

 相手の強引さに引きずられるまま、自分の意志で行動できなかった。

 嫌なわけじゃない。嫌なわけじゃ、ないけれど。


「……ごめん」

「んむっ」


 唇同士が触れ合う前に、俺は手のひらを滑り込ませた。

 夢衣の唇が、俺の指先に触れた。夢衣が目を開いて、不満げに俺を睨む。


「……七星とはキスしたくせに」

「その……ごめん」

「あたしとはキスしたくないんだ」

「そうじゃない」

「あたしより七星の方が好きなんだ」

「違うって」


 あ、違うわけじゃないのか? まぁいい。


「ふん。燈護君のバカ」


 夢衣が俺の手を取り、指先にかじり付いてきた。

 甘噛みだから痛くない。むしろ、細くて長いものを口に含む女性は……いや、なんでもない。


「ちょ、ちょっと」

「とうふぉふんのふぁーは」

「……何を言ってるのやら。っていうか、指、離して……」

「やら」

「もう……」


 強引にでも引き離すべきとまでは思えず、夢衣がしばしがじがじしているのを放置する他なかった。これで満足してくれるなら、それでいいか……。

 それから数十秒、夢衣の好きにさせていたら、ようやく解放してくれた。

 ほっと一息吐いたところで。


「えいっ」


 夢衣が、さっきまで齧っていた俺の指を俺の唇に押し当てる。

 何を!? と混乱していたら。


「へへ、間接キス」

「か、間接キスって……」


 間接キス感より、自分の指感の方が強い。

 でも、確かに間接キスでもあるのか……。油断した。


「今日はそれで許してあげる! あたし、お風呂入るから、覗きたかったら覗いてね!」

「覗かないよ……」

「じゃあ……せめて、あたしのことを想像して、どきどきしててよ」

「……今も十分してるよ」

「良かった。あたしも、すっごいどきどきしてるの」

「……そうか」

「うん。あ、着替え借りていい? 何も持ってきてなくて……」

「ああ、うん。わかった」

「あと、下着も洗わせてほしいかな……。とりあえず手荒いする。ドライヤーある?」

「あるよ。好きに使って」

「ありがと」


 諸々の準備をして、夢衣をお風呂場に送り出す。

 夢衣がいないうちに色々と発散させておきたいところだけれど……後ろめたい気持ちも持ってしまうな。

 結局、ただただ悶々としながら、夢衣の入浴が終わるのを待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る