第58話 妄想
午後十時過ぎ。
二人とも入浴はとっくに終えていて、ネット配信されているお笑い番組を観終えたところ。
俺が好きなシリーズだったけれど、夢衣も気に入ってくれたようで、終始楽しい雰囲気を味わうことができた。
まだ寝るには少し早いし、また別のを観ようかとも思ったが。
「……ねぇ、もう動画はいいよ。お話、したいな」
「そう? わかった」
夢衣の言葉に従い、静かな室内でおしゃべりをすることに。
なお、座布団を敷いて二人並んで座り、手を繋いでいる状況だ。俺としてはあまり良くないと思ったのだが、夢衣がどうしてもと言って聞かなかった。……なんて、言い訳ばかりするのは情けないかな。
「燈護君は、本当にお笑いが好きなんだね。あたしが全く知らないマイナーな芸人さんの名前とかも詳しい」
「昔は特に好きでもなかったんだけどね。今は、好きかな」
「……あたしとどっちが好き?」
「えー……夢衣の方が、好きだよ」
「じゃあ、あたしがお笑いやめてって言ったら、やめる?」
「そういう質問やめてー。やめるつもりはないけど、だからって『さっき言ったことと違うじゃん』とか言われるのも困るー。そっと抱きしめるのも違うしさー」
夢衣がくすくすと笑う。気の利いた答えは期待していなかったようだ。
「変なこと訊いてごめんね。ちょっと困らせたかっただけ。お笑いやめてほしいなんて思ってないから、安心して」
「うん……。まぁ、いつまで猿荻や猫屋敷と一緒にやれるかわからないけど、続けられる限り続けるつもり」
「頑張ってね。ちなみに、燈護君にとってのお笑いの魅力ってなぁに?」
「笑っていたら、もうそれだけで人って幸せな気分になれるだろ? 落ち込んだときも、悲しいときも、大笑いしたら、もうそれで気持ちが晴れてくることもある。笑いって、すごい力だと思うんだ。だから、お笑いが好きなんだよ」
「そっかぁ。笑っただけで、もう全部許せちゃうときもあるもんね」
「うん。それにさ、お笑いって、相手を笑わせたら勝ち、ってところもあると思うんだ」
「うん? まぁ、そうだね」
「誰かを励ましたいとき、言葉を尽くしたとしても、『お前に何がわかる』とか『お前に言われても説得力ない』とか言われることもある。
俺は俺のことしかわからないし、経験も足りない。言葉に説得力がないって言うのも、そうだと思う。
けど、お笑いは、そういうの関係ないんだ。俺の未熟さとか無関係で、とにかく相手を笑わせたら勝ち。いかに俺が相手の気持ちを理解できていなかろうと、相手が笑ったらそれで良くて、反論の余地は何もない。『今私は確かに笑ったが、ネタを書いた者の未熟さ故に気持ちは逆に暗くなった』とか言う人はいない。
笑わせたら勝ち。このシンプルさが、俺が自分でもお笑いを作っていきたいと思う理由の一つかな」
始めからこんなことを考えていたわけではないけれど。今の気持ちで言うなら、だけど。
「なるほど……。燈護君にとっては、お笑いはただ面白いことをしたいっていうだけじゃないんだね。根っこの部分に人を想う気持ちがあって、だから、燈護君はとても温かいんだ」
「温かい、かな? 普通じゃない?」
「普通じゃないよ。全然。あー……やっぱり好きだなぁ。燈護君」
「……ありがとう」
「むぅ。好きだって言う度に困った顔するところは嫌」
「状況的に仕方ないだろ?」
「もうあたしと付き合っちゃえばいいのに」
「……浮気性な俺は、そう簡単に相手を決められないんだ」
「ふん。まぁいいよ。燈護君はそういう人だよ。嫌いだけど、好き」
「どっちだ」
「聞きたい?」
「……いえ、聞かなくてもわかるので」
「燈護君、急に察しが良くなった? 今まで全然だったのに?」
「流石に今ならわかるよ」
相手が自分を好きだという前提で考えれば、見えてくるものもある。
好きなわけないと思っていたから、見えなかったことがたくさんあったのだ。
「っていうか、夢衣としては、どうなの? 俺みたいに半端なことしてる奴、女性からしたら嫌じゃない?」
「ん……半端だけど、色んな人に言い寄られて、誰と付き合うか迷う気持ちはわかる。まだ知り合ってそう時間も経ってないし、延々と結論を先延ばしにするのでなければいいと思う。それに、ぎりぎり一線も守ってるから、不誠実とまでは思わない、かな。
あとはまぁ、こんな関係嫌だよって離れたら、他の誰かに盗られちゃうのも目に見えてる。今引き下がる気にはならない」
「気になる相手が複数いるってだけでアウトじゃない?」
「アウトだと思う人もいるよ。あたしだっていい気分じゃないよ。けど……ただひたすら一途な男の人はいないって理解はしてるから、仕方ないのかなって」
「……そっか」
「それにさ、誰だって、ある程度の浮気心は持ってるんじゃない? 特定の恋人がいたとしても、アイドルとか俳優とかアニメキャラに関心を持つ人はいる。燈護君が、誰と付き合うって決めた後にも他の女性と遊んでたら幻滅だけど、今は、それでいいよ」
「うん……」
「ねぇ、燈護君」
「ん?」
「結婚したら、子供は何人欲しい?」
急な話題の転換に、一瞬思考停止。思わず夢衣の方を向くと、ふふん? と強気の笑顔を見せるのみ。
「その話は早くない?」
「じゃあ、マイホーム派? 賃貸派?」
「それも早いと思うよ!?」
「あたし、犬を飼ってみたいんだぁ。今までペットを飼ったことなくて、憧れてるの」
「夢衣の脳内で、既に家庭が築かれてない?」
「ペット可の賃貸物件、あんまり多くはないよね。やっぱりマイホーム? マイホームなら、二階建ての家がいいな。マンション暮らしだから、家の中に階段があるのも憧れちゃう。そして、子供部屋は二階、あたしたちは一階、かな?」
「どんどん話が進んでる……?」
「あたし、子供には何か楽器を習わせてみたいな。ピアノなんかいいと思う」
「……えっと、夢衣には何が見えているの?」
「子供は、勉強が苦手でも、秀でた何かがなくても、幸せになってくれればいいと思うんだ。
……ただ、現実的に考えると、幸せに暮らすためにはお金が必要で、お金を稼ぐには何か秀でたものがないといけないんだよね。平々凡々な暮らしの中で、本当に幸せになれるかっていうと怪しい……」
「まるで子供が目の前にいるかのように、子供の将来を心配し始めた?」
「……あんまり厳しい親にはなりたくないけど、本当に子供のことを考えるなら、ちゃんと生きていける力を身につけさせないといけないんだよね。二人で頑張っていこうね。もし燈護君が子供に嫌われちゃっても、あたしはずっと燈護君のことが好きだよ」
「まだ気が早い心配だと思うよ!? まずはせめて俺たちの就職とかの心配をしよう!?」
「あ、子供の入学式のときの写真だ。懐かしいね。あれからもう十三年。ようやく子供が成人かぁ……」
「子供が俺たちの年齢を越えてるから! ちょっとストップ!」
「ん? どうしたの、あなた」
「完全に夫婦じゃん! 呼び方が親密すぎる!」
果たしてこれはいつまで続くのか。俺はどう反応すれば良いのか。
夢衣がくすくすと笑い出したことで、区切りがついたことを知る。
「燈護君と一緒にいる未来を想像するの、楽しいな」
「……ちょっとやりすぎだよ」
「子供の名前、何にする?」
「まだやるか。気が早い」
「女の子だったらアカリ。男の子だったらマモルにしよっか」
「俺の名前だけ使うなよ。そういう付け方なら、夢衣の名前も入ってないと」
「それもそうだね。あーあ、早く結婚したいなぁ」
「……もう、好きなだけ続けてくれ」
夢衣の妄想を止めることは、俺にはできないらしい。
こんな話も、嫌なわけじゃない。ただ、夢衣を選ばない未来もありうるわけで、それを考えると気まずい。
……それが狙いか。俺が他の誰かを選ぶことに罪悪感を覚えるようにしているのか。
そうだとしたら、したたかな話である。
返事に困りながら、その後も夢衣の妄想に付き合うことに。
だんだん俺もそういう未来を具体的に思い描いてしまっていたけれど……今はまだ、ただの妄想にすぎない。
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