第59話 ゆらゆら
夢衣とも一夜を共にすることになったけれど、特筆すべきことは何もしていない。少々夜更かししておしゃべりに興じた程度。いや、それもまたどきどきな展開だったのだが、昨日の夜更かしもたたり、俺はあっさりと寝落ちしてしまった。
翌朝、夢衣が少々不満そうにしていたし、可愛らしく殴ってもきたけれど、関係が悪化することはなかった。
夢衣は一度家に帰ってから大学に行くというので、早めに家を出ることに。
玄関のドアを開ける前、くるりと振り返った夢衣が言う。
「今更だけど、ちゃんと面と向かって伝えてなかったと思うから、ちゃんと伝えておくね。あたし、燈護君のことが好き。恋人として付き合ってほしいと思うし、将来結婚したいとも思っちゃう。
けど、今はあたしの気持ちに応えてくれなくてもいい。まだ出会って一ヶ月だし、燈護君も簡単には気持ちの整理はつかないと思う。
半端な気持ちで応えて貰うより、きちんと心を決めてから、あたしに告白の答えを聞かせてほしい。
もちろんあたしを選んでほしい。だけど、同情とかでは選んでほしくない。
そのときが来たら、燈護君が一番好きな人の名前を聞かせて」
昨夜、暴走気味にたくさんの言葉を吐き出したときとは打って変わって、夢衣はとても大人びて見える。
可愛さより、綺麗さを強く感じて、心臓が強く鼓動した。
「……うん。わかった。猶予を貰っている間によく考えて、感じて、最後にちゃんと決める。そして、半端なことはしないで、自分の素直な気持ちを伝えるよ」
「うん。ありがとう。……あと、これは、おまけみたいな一言なんだけど」
「うん? なに?」
「あたし、もう恋人代行じゃ嫌だ」
強い瞳に、うっすらと浮かぶ微笑。
何か、やっぱり雰囲気が変わったと思う。
ほんの一瞬でずっと先まで行かれてしまったようで、置いてけぼり感に戸惑う。
「……うん。わかった。もう、恋人代行としては、誘わない」
「うん。あ、でも、またデートには誘ってよ。あたしからも誘う。別にいいよね?」
「……まぁ、俺たちの間では、いいってことにしておこうか」
「ん。恋愛に正しい進め方なんてないんだし、あたしたちがいいって思えば、いいんだよ。それと、あたしとのキスを拒んだんだから、これ以降、誰かとちゃんと付き合い始めるまで、誰ともキスなんてしちゃダメだからね!」
「わかってる。大丈夫だよ」
「……あたしとは、こっそりしてもいいよ? 他の皆には内緒にしてあげるからさ?」
夢衣が唇から舌を覗かせる。
「そういう小狡い誘いはやめなさい。うっかり動揺しちゃうから」
「うっかり今からキスしちゃう?」
「しないよ。ほらほら、早く帰らないと遅刻しちゃうぞ?」
「……このまま昨日と同じ服装で大学行って、昨日何かあったの? って思われるのも悪くないかも……?」
「……その辺は好きにすればいいけどさ」
「む。呆れてるな? 微妙な乙女心をバカにすると、あたしにしかモテないよ!」
「結局夢衣にはモテるのか……」
「あたしに嫌われようと思ったって、そう簡単にはいかないからね! あたしは既に恋は盲目状態なんだから!」
「なんだよその宣言は。嬉しいけど……。ってか、本当にずっとしゃべってて大丈夫?」
「少しでも長く話してたいんだよ! バカ! もう知らない! また来るからね!」
夢衣がドアを開けて、明るい笑顔を残して去っていく。
まだ澄んだ朝の空気の中で、その笑みはいつになく輝いて見えた。
ドアが閉まり、一人取り残されて、俺は長く息を吐く。
「……誰かと長くいると、その人を一番好きになってしまうなぁ。俺、浮気性過ぎるじゃん……」
誰かと付き合い始めたら、浮気なんてするつもりはない。でも、魅力的な女性に囲まれて、全く心を揺らさずに一途でいる自信もない。
情けないけど、仕方ないよね? ちゃんと守るべき一線を守っていれば、大丈夫だよね?
「……とりあえず、今日も学校。そして、夜には今度は流美か……」
なんて贅沢な日々。
だけど、こんな日々が長く続くわけもないのはわかっている。
俺がちょっと下手をすれば、すぐに崩壊してしまうだろうことも。
「……しっかりしなきゃな」
魅力的な女性が、女性に囲まれてのほほんとしているだけの男をずっと好きでいるわけもない。
幸せな日々に溺れず、自分のやるべきことはきちんとやっていこう。
まずは、大学だ。
……そして。
午後三時頃に今日の講義が終了。
流美と会うのは午後六時で、流美の大学の最寄り駅に集合予定。そこから俺の家まで一緒に向かう。
それまでは少し時間が空いてしまった。今後の予定を考えると、他の誰かと過ごす気も起きない。
というわけで、俺は十五分程電車で移動し、都心の駅近くにある大型書店に赴いた。漫画やラノベが好きなので、軽く新刊でも見て回ろうと思ったのだ。
本を買うならネットで済ませればいいのだけれど、書店を見て回るのはまた別の面白さがあるもの。書店を回らなければ知ることもなかった色々な本との出会いもある。
五階建ての書店に入り、漫画やラノベが置いてある四階に向かう。
そして、新刊が平積みされているコーナーに到着すると。
「……あ」
思わず声を出してしまったが、まずかったかもしれない。
俺の声に反応し、近くで新刊を眺めていた女性がこちらを向く。
髪をハーフアップにしているし、縁の丸いメガネもかけている。あのときとは雰囲気が違っていて、清純さよりも大人っぽさが強調されているようにも思う。
けど、間違いなかった。
もう一ヶ月近く前に出会った、桜庭澪だった。
それなりに仲良くなれたとは思っているし、世間話くらいはいいかもとも思う。しかし、お仕事中でないのなら、ここは知らないふりをしておくべきじゃなかろうか。
「あ、すみません、なんでもないです……」
俺がその場を離れようとすると、すっと腕を掴まれた。
「別に避けなくていいよ、燈護。今は、私一人だしさ?」
ふふ、と桜のように綺麗に笑う姿が懐かしい。
あえて引き留めて、声をかけてくれたことも嬉しい。
心臓が高鳴っているのは、思わぬ再会に動揺しているからか、その笑顔に魅了されてしまったからか。
……なんて、ね。答えは、本当はわかっているのだけれど。
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