第60話 怪訝

「えっと、じゃあ……とりあえず、なんて呼べばいいですか?」

「そんな堅くならなくていいよ。もっと気楽にね? 呼び方は……とりあえず前と同じでいいか。澪って呼んでよ」

「わかった。澪」


 これもまた懐かしい響き。初めて恋人代行を利用したあの日のことがすっと思い出される。


「うん、それでよし。それにしても奇遇だね、本屋で偶然会っちゃうなんて」

「本当にね。たまたま寄ってみて、澪に会うとは思わなかった」

「これって、やっぱり運命かな?」


 にゅふふ? といたずらっ子のような笑み。


「そうだね。俺たち、やっぱり巡り会う運命だっただね」

「もう、どんな過酷な試練でさえ、私たちを引き裂くことはできないね」

「たとえ神様であっても、俺たちの行く手を阻むことはできないよ」

「……あ、そろそろ先が思いつかない」


 なんとなくノリで盛り上げようとしたのに、澪のギブアップは早かった。


「早っ。まだ始めたばっかりなのに!?」

「ちょっと気持ちが追いつかなくて……。沸き上がる感情を言葉にすると、燈護が一緒だと流石にあの漫画は買えないな、今日は諦めるか……にしかならなくて」

「ごめんね! 俺がこんなところに居合わせちゃって! 先に帰るから澪の好きな本を買ってくれていいよ!」


 俺がこの場を後にしようとすると、澪は再び俺の腕を引っ張る。


「うそうそ! 燈護の目を気にしなきゃいけない本を買う予定はなかったから、気にしないで! ハードなBLものでも、私は平気で買えるから!」

「それはむしろ俺の見ていないところで買ってくれ……。反応に困る」

「そう? BLコーナーまでついてきてくれたら、軽く猥談でもしてあげるよ? 女性と猥談したくない?」

「女性との猥談には興味あるけど、BLにまつわる猥談はちょっと……」

「尻の穴の小さい男ね」

「話の流れ的に変な想像するからやめてくれ!」

「ははっ。まぁ冗談はさておき、燈護、もう今日はフリー?」

「ああ、うん。もう講義はなし」

「そっかそっか。私もフリーなんだよね。……ちなみに、燈護はこの後何か予定でも?」

「えっと、うん。あるよ」

「ほほぉ、予定があるんだ。そう言えば、土曜日のデートには女友達を連れてくるって言ってたよね? その子たちのうちの誰かと?」

「うん。そういうこと」

「へぇー……。そっかそっか。詳細は聞いてなかったけど、燈護、女友達ができただけじゃなくてもう一対一で会うまでになってるの?」

「……うん」


 会うどころか、泊まりに来るよ。

 とは、言って良いのかどうか。

 隠しても土曜日辺りに七星が言い出しそうではある。隠しても無駄か。


「そっかー。私の知らない一ヶ月の間に、燈護は随分と大人の階段を上ってしまったのね」

「かなー……」

「ちなみに、何時から?」

「えっと、六時頃に会う予定」

「六時頃……。ってことは、ディナーでも食べちゃう感じ?」

「うん……まぁ」

「もしかして、ディナーだけじゃ終わらない感じ?」

「うーん……ある意味そうではある」

「え、本当に? ねぇ、ちょっと待って。今、燈護の女性関係ってどうなってるの?」


 心底不思議そうに澪が怪訝そうな顔をする。三夜連続で、友達の女性が代わる代わる泊まりに来てる……と言って信じてもらえるだろうか。


「……話すと長くなるから、どこか落ち着ける場所に行かない?」

「長くなるのか……。わかった。買うもの買って、カフェでも行こうか。あ、今日は私が奢るよ。この前は散々ご馳走して貰ったからね」

「いいの? あのときは状況的にそれが当然だっただけで……」

「いいからいいから! どうせ週末にはまた奢って貰うんだし!」

「澪がそう言うなら……」


 正直助かるし、澪が良いというならお言葉に甘えよう。


「あ、そう言えば、右手怪我したの? 痛む?」

「平気。一応湿布は貼ってるけど、軽く捻っただけで、今は痛みもほとんどない」

 

 何もしなければ、ね。


「そう。良かった。それじゃあ、行こうか」


 そして、俺たちは先に買い物を済ませる。澪は漫画とラノベを数冊購入。ラノベのうちの二冊分について、「これ、大学の友達が書いてるんだよね」と言っていた。

 ラノベ作家と大学の友達が上手く結びつかなかったけれど、どうやら本当に友達が書いたものであるらしい。大学生で既に作家デビューなんてすごいと感心してしまった。

 俺も漫画とラノベを数冊購入し、二人で近所にあるカフェへ。特に畏まった場所ではないし、チェーン店なのだけれど、少々お値段が高くて普段は入らない場所だ。

 俺はホットの抹茶ラテ、澪はメロンのフラペチーノを注文し、二階の窓際二人席へ。あまり人がいない時間帯なのか、他に客も少なく、ゆっくり話ができそうだった。

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