第20話 お化け屋敷

 昼食を摂ったら、俺たちは絶叫系以外のアトラクションを順に回っていった。

 鏡の家、占い館、ゴーカート、シューティング、マジシャンハウス……。

 絶叫系は寿命が縮む思いだったが、このラインナップは単純に楽しむことができた。一人だったら物足りないようなものでも、隣に璃奈がいると全然印象が変わり、女性の力は偉大なり、なんてことも思った。

 そして、午後三時を回ったところで。


「……あの、怖いなら止めてもいいんだよ?」

「い、行く! こういう定番を避けて、『彼女』は勤まらないから!」


 お化け屋敷を前にして、璃奈が決死の表情を浮かべている。

 絶叫系は平気な璃奈だけれど、どうやらお化け屋敷は苦手らしい。

 逆に、俺はホラー系が平気。お化け屋敷で震える女の子をエスコートする、っていうのをやってみたくてここに誘ったのは確か。しかし、本気で怖がっている璃奈を、無理矢理お化け屋敷に連れ込みたいとは思わない。


「ホラー系が苦手なら、無理することはないような……」

「いいの! 平気だから! ホラー映画とかは描写がリアル過ぎて怖いけど、お化け屋敷はたかが知れてるもん! 絶対大丈夫!」

「ならいいけど……」


 既に璃奈の手が震えている。本当に無理しなくていいのだけれど、ここで中止するのも璃奈の決意を無駄にしちゃうかな……。


「じゃあ、行こうか」

「うんっ」


 璃奈の手に力が籠もる。

 微笑ましいとは思いながら、璃奈を引き連れてお化け屋敷内部へ。

 入場者は五分ずつ間隔を置いて入るので、周りには俺と璃奈しかいない。

 屋敷内は照明が落とされており、いかにもという雰囲気が出ている。

 そして、これまたいかにもな悲鳴が急に聞こえ始めると。

 ビックゥッ!

 と音がしそうなくらいに璃奈が驚いて、とっさに俺にしがみついてくる。微妙に胸が……当たりそうで当たらない。


「……まだ入り口付近だし、引き返してもいいんだよ?」

「へ、平気だから! 今のはちょっと驚いただけ!」

「そっかー……」


 お化けとは違うところでドキドキしながら、俺は璃奈を引き連れて歩みを進める。

 廃校をモチーフにしているのだが、内装は想像していたよりも凝っている。火事にでもあったかのように壁がくすんでいたり、血痕が付着していたり、窓に一瞬人影が浮かんだり、単なる置物と思っていた人形が不意に動き出したり。

 俺はアトラクションとして楽しんでいたのだけれど。

 ひゃうああ!?

 わぁあ!?

 きゃあ!?

 ひぐぅっ!?

 ひぃっ!?

 ……お隣の璃奈は、制作者が怖がってほしいだろう箇所の全てで、気持ちいいくらいに恐れおののいている。

 女性が怖がってる姿って可愛いなぁ……とかいけない感覚に目覚めそうになる。

 それに、ときに璃奈が力を入れすぎて、左腕にふにゃんと柔らかいものが当たることも。

 お化け屋敷、グッジョブ!

 口には出さないけれど、制作者と運営者にこっそりと感謝をした。

 ゆっくり歩いて、十分ほど経過。規模的に、たぶんもう半分以上は進んだだろうところで。


「……な、なんかいるぅ」


 璃奈が、廊下の片隅に佇んでいる人体模型にびくつく。

 学校モチーフだし、定番と言えば定番かな。


「大丈夫だよ。あれ、たぶん動くけど、こっちを攻撃してくることはない」

「で、でも、人体模型とか気持ち悪いし!」

「まぁねぇ」


 お化けが怖い、というより、単純に人体模型のグロテスクな見た目が苦手なようだ。半分は人間、半分は内蔵……うん、改めて考えると、ものすごく気持ち悪い。この付近は理科室仕様になっているようだが、苦手な人のための配慮も欲しいもの……。


「あ、そうだ。璃奈。怖かったら、目を閉じてていいよ。俺が手を引くから、ついてきて」

「え、あ、けど……と、途中で置いてったりしない!? あの模型の前で置き去りにして、あたしが身動きとれなくなるのを優雅に眺めたりしない!?」

「どんだけ性格悪いと思われてるんだ……。そんなことしないよ……」

「本当!? 嘘吐いたら針千本飲ますよ!?」

「懐かしい台詞……。大丈夫。嘘だったら、針でも刃でもなんでも飲み干すから」

「わ、わかった……。お願い……」


 璃奈がおとなしく目を閉じて、俺の手をぎゅっと握ってくる。絶対離すまいとしているのか、かなり力が込められている。

 そんなに怖いの苦手なら、無理しなくて良かったのに……。

 そう思うけれど、口にしても璃奈は納得しないのだろう。負けん気が強いというか、意地っ張りというか……。


「ゆっくり歩くから、ついてきて」

「うん……っ」 


 人体模型までの距離は五メートルほど。

 普通に歩けば十秒の距離だったけれど、璃奈がおっかなびっくり進むものだから、かなり時間がかかってしまう。

 そして、予想通りではあるのだが、人体模型が緩慢な動作で動き始める。

 近くに行くと、その外観はよくできている。顔も、無機的な表情ではなく、げっそりとしたおどろおどろしいもの。

 人体模型の中に人が入っているのは明白だが、そいつは俺が特に怖がらないのを見て、ターゲットを璃奈に移す。決して触れはしないのだけれど、近くに行き、わざとらしく呼吸音を響かせたり、足音を立てたりする。ちょっと変質者っぽいと思い、笑いそうになったのを必死に堪える。


「な、なんかいる! なんか近くにいる!」

「気のせい気のせい。あの人体模型、実はやっぱりただの置物だったみたいで、全然動かなかったよ。俺は何も感じないけどなぁ」


 ちょっと意地悪な気持ちが出て、すっとぼけてみせた。


「嘘だよね! 嘘だよね!? なんか近くで音がするもん!」


 恐がりすぎた璃奈が、手を繋ぐだけじゃなく、俺の腕に必死にしがみついてくる。

 あの、その……俺はいいんだよ? そのふにゅふにゅした感じを押しつけられれば、内心で喜んでしまうよ? でも、璃奈としては……ねぇ?

 まぁ、あえて指摘はしないけれど。

 俺はただ、怯える璃奈を支えてやりたいだけなのである。


「いや……俺には、何も感じない……。え? 璃奈、何か感じるの?」

「燈護君、絶対とぼけてるよね!? あたしだけが何か変な気配を感じてるとか、ありえないよね!?」

「ごめん、なんのことだか……」


 人体模型が、相変わらず璃奈の近くで怪しい動きをしている。ぎりぎり触れないけど、確実に気配を感じる距離感。


「と、燈護君……本当のことを言って。あたしの近くに、あれ、いるよね……?」


 璃奈の声がマジである。本気で怖いらしい。歩くのにも支障を来すようになってきた。

 これ以上は流石にな……。


「まぁ、うん。ごめん。例の人体模型が、がっつり近くを歩いてる」

「やっぱりぃいいい! っていうかそれも怖いんだけどおおおお!」

「……怖いところ、早く抜けよう」

「うぅ……」


 璃奈を導き、歩みを進める。

 やがて、理科室ゾーンを抜けて、人体模型が俺たちを追いかけて来なくなった。


「ほら、もう大丈夫。人体模型は去ったよ」

「……嘘だ。燈護君、平気で嘘吐くもん。そんなこと言って、目を開けた瞬間に人体模型が目の前にいるんだ……」

「そんなことないってば……」


 俺の信頼は、人体模型によって失われてしまったらしい。参ったね。


「お化け屋敷出るまで、絶対目を開けない……」

「それはいいけど、お化け屋敷を出たと告げたところで、まだお化け屋敷を出ていない、というトラップも……」

「最低! 燈護君、最低だよ!」

「まぁ、そんなことしないけど……おっと?」


 璃奈が無闇に俺を引っ張るものだから、バランスを崩して倒れてしまう。

 俺にしがみついていた璃奈も引きずられて倒れてしまい、俺はとっさに璃奈を守る。具体的には、璃奈の下敷きになる。


「うっ」

「わったぁ!?」


 璃奈が俺の上に乗っかる。俺は背中を軽く打ったけれど、大したことはない。それよりも、華奢な璃奈の体を全身で感じてしまい、妙な気分になる。体温も、柔らかさも、何かの香水の匂いも……。

 いやしかし、そんなことを考えている場合ではない。


「ごめん、璃奈。大丈夫だった?」


 璃奈が流石に目を開く。そして、至近距離で、俺と目があった。

 ともすれば、このままキスでもできてしまいそうな距離。

 璃奈は目を見開き、慌ててすぐに立ち上がる。


「ご、ごめん! やっぱりいつまでも目を閉じてちゃダメだよね! 怪我してない? 今、痛そうな声出してたよ?」

「平気平気。軽く背中を打っただけ」


 問題ないよ! とアピールするために、すんなりと立ち上がる。う……ちょっと背中が痛むけど、大丈夫な顔をする。


「本当? ごめんね……。あたしがバカなことしてたから……」

「大丈夫だって。全然平気。まぁ、転んじゃったけど、楽しかったしさ。ほら、璃奈の苦手な場所は、早く抜けてしまおう。いざとなったら、また目を閉じてくれても構わないからさ」

「……大丈夫。お化けより、燈護君が怪我する方が怖いよ……」

「そっか。気遣いありがとう。優しいね」

「……燈護君ほどじゃないよ」


 残りの道のりを、二人で手を繋ぎながら歩く。璃奈は相変わらずおっかなびっくりだったし、無理をしている風だったが、どうにか踏破できた。

 お化け屋敷を出ると、まだ明るい日差しが目を焼いた。


「これでお化け屋敷も終わり。ごめん、怖いのに付き合わせちゃって」

「へ、平気だし! 全然怖くなかったし!」

「そっかそっかぁ」

「あ、笑うわないでよ! 本当なんだから! 怖くなかったんだから!」


 やべ、にやにやが止まらん。

 璃奈は不機嫌そうに鼻を鳴らし、俺の手を無言でぎゅっと握りしめる。

 可愛らしい攻撃に、ますますにやけそうになってしまったのは言うまでもない。

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