第3話 政治工作

 四度目の戦いにして初めて資産の防衛に成功した粘液体リモスは、洞窟内の住民たちの損害を余所に、その名声を大いに高めていた。グロッソ洞窟はこの戦いで人間を、しかも戦いを職業としている者を一体討ち取ったのである。これは快挙で、この辺境地域では格好の評判となり、広く噂された。しかし噂には、これは人間たちのさらなる復讐を呼ぶのではないか、との懸念も加わってもいた。


 だが、これは杞憂に終わる。洞窟近くに人間の都市があるが、三つ編みは移民であり、その都市の市民権を持っていなかったという。故に、人間社会からの反撃は全く発生しなかった。これは、リモスを金ヅルとみなし始めた森の魔女から提供された情報である。この情報が洞窟に伝わるや、放置された三つ編みの死体はようやく分割され怪物たちの胃袋へ収まった。


 しかし、とリモスにも分け与えられた三つ編みの肋骨をしゃぶりながら彼は考える。「黒髪」「ハゲ」「釣り目」は、亡き仲間が市民権を持っていなかったとはいえ、仇討ちで攻め込んでくる恐れもあるだろう、と。それに、目前で逃した宝を獲得するために、開錠の作戦を立てて、再度攻め込んでくる可能性の方が大きいのではないか。であれば、勝利に浮かれている余裕はなかった。


「準備は速い方が良い」


 従来のグロッソ洞窟は、入口から怪物の居住区までほぼ一本道であったが、リモスが坑道を掘り進み始めてから大きく二つのエリアに分かれている。その中間に位置する場所で、リモスは道行く人々に、今後起こり得る危機について訴えかけた。怪物衆にしたって、三編みの殺害は拾った勝利であったことは承知していたからリモスの説得にも耳を傾ける余地があったのだ。リモスのこの注意喚起の結果、同胞の多くを討ち取られた怪物たちはこの辺境の洞窟を守るために、今度こそ、という熱意を持って防衛体制の構築を希望しはじめる。その声に押しだされた、という体で、リモスは洞窟長インポスト氏に面会を求めた。さすがに今回は面会の許可が下り、この頼りにならぬ鬼の上直に危機を訴える。


「この洞窟に金鉱があるという事が、あの人間たちに知られているかはわかりません。しかし、私がここで財産を形成する以上、人間たちはいずれこの洞窟を占拠しようとするでしょう。ここは魔王の都へ援軍を要請するべきです」


 魔王の都、と聞いて洞窟長は目を怒らせて反論する。


「魔王へ援軍など要請すれば、私が責任を問われる事になる。そんな事をしてみろ、貴様をこの手で握りつぶすぞ」


 巨大な手をにぎにぎさせ、威張るだけで結果何もしないのがインポスト氏である。怠惰で無責任なこの人物を密かに軽蔑していたリモスだが、それを悟られぬよう別の提案を試みる。洞窟長が魔王の援軍到来を歓迎しない以上、援軍要請の了承など絶対にしないだろう。しかし、地位はともかくも血統はそこそこのインポスト氏だから名誉には貪欲なはずだ。粘液体は、気を落ち着かせ冷静に諭す。


「閣下。洞窟長閣下、援軍と申しても、魔王軍を呼ぶのではなく、ここであの人間たちに立ち向かう部隊を構成してくれる軍事教官の派遣を依頼するのでは如何でしょうか。教えを乞う形であれば閣下の名誉は守られ、上手くいけば、実質的な効果も期待できます」


 予想外にも穏健な提案に興味を示した氏だが、リモスから視線を外して曰く、


「だが、魔王軍に軍事指導を依頼するとなると、手間暇以外に金もかかる。必要経費というやつだが、これを一体誰が負担するのかね」


 ここで二の句を継がせないよう、力強く一歩踏み出たリモスは言い切った。


「無論、私が負担いたします」


 互いに知っているのである。グロッソ洞窟内でそんな金を払えるのは、金鉱を進む特殊技能を持つリモスか、怪物衆からみかじめ料を巻き上げているインポスト氏しかいないのだということを。それでも一連の会話が必要になるのは、言わば儀礼的手続きというものなのだ。なにより、魔王近くへのコネクションは、この洞窟では左遷されて長いがこの鬼しか持っていないのだから。


「では、先方への手続きは私が万事取り計らってあげよう。請求書が来たら君の住まいに送るので適切に処理しておくように。あと、手付金として、今ある金の半分で良いから早速供出しなさい」


 洞窟の怪物たちは口々に言う。


「魔王の都への上申など、身分をわきまえない恐るべきこと」

「よくもまあ、あの恐ろしい洞窟長様に殺されずに済んだものだ」

「しかしこれをすることで、お前は何を得ようとしているのかね。財産を守ることだけではあるまい」


 リモスにとり、これらの工作の全ては自身の財産と職場を守ることでから始まっている。多くの怪物衆は、人間や得物を狩る労働により生きるが、狩以外の労働で生きる怪物衆もいるのだ。ここではリモスやインポスト氏がそれであり、究極的に言えば、魔王ですら最高に近い権威と権力を用いる労働をしているのだ、とリモスは考える。そして、この種の労働は、それに従事する者の地位を高める事もあるのだと。故に、自身を活かす労働に汗するのは当然であるし、もっと言えば、リモスにとって金鉱探掘の仕事は生きる理由、これが奪われれば、生きる望みを失う事になるのだ。他の怪物衆だって何らかの小さな労働に多くの関りを持つが、意識が希薄で忘れているだけに過ぎない。怪物であろうと、人間であろうと、虫けらであろうとみな等しく、仕事をする事で余所からみればきっとちっぽけな存在意義を死守しているのだ。


 さらにリモスは思い至る。悲しいほどに弱体な怪物衆をも、洞窟防衛という労働の炉の中に組み入れる事ができたならば、さらに大きな権威と権力を生み出すことができるのではないか。そしてそれは、何物にも勝る、盤石な防衛体制である。


 今日起こったことを交え、妖精女の膝の上で喜々として熱弁を振うリモスに、彼女はややあきれたように言う。


「あなたの言う事は正しいと思うけれど、そんな得体のしれない炉に入りたくない怪物もたくさんいるものでしょうよ」

「自由でいたいのだろう」

「そう。肉を食べて酒を飲んで好きなだけ騒いで寝て…。誰も無理強いはできないでしょう」

「金だ。金で彼らにやる気を起こさせる」

「金などいらない、という連中には?」

「それは志が低いのだ。しかし貴女はそうではあるまい。きっとこの金が好きなはずだ」


 そう言い切り金の詰まった袋を一瞥したリモスに対し、妖精女は何も言わずに粘液をなぞり続けた。

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