第35話 経済危機と暴動

 都市エローエの防衛活動、怪物達からすれば軍事行動なのだが、これが活発になるにつれ、グロッソ洞窟の怪物衆は心配で昼も眠れなくなる。繰り返すが、訓練された人間達よりはよほど弱いのが、この洞窟に群れ棲む怪物達なのである。彼らが襲って安心して勝てるのは一般の旅人や武装が甘い商人などで、軍隊は特に天敵であった。


「洞窟に逃げてきた輩の話だと、人間の国々はどこも軍隊を集め始めているらしい」

「都市の兵も活発に動いている。まだここには向かって来てはいないが」

「リモス一党になんとかしてもらおう。しかし、猿もインポスト氏もいない今……」


 怪物衆は魔女と魔少女に依頼するしかないのだが、連中は依頼したくせにその政治力にあまり期待していなかったらしい。モグラとコウモリの調停を成立させたことだけでは、外敵からの信頼ある防衛体制構築力は証明されなかったというわけだ。


 未だ、ベッドから起き上がれない魔女に代わってこの問題の解決を迫られた魔少女の手元には、かつてリモスが持っていたとんがりのようなカードがない。そこで、都市そのものを弱体化させ、洞窟の安全を計る戦略を取る。人間に化けた怪物を、都市エローエ内部に送り込み、噂を流させ下準備に取り掛かる。魔少女は、都市に経済危機を引き起こしてその機能を弱体化させるつもりでいたのだ。


 彼女がこの戦略を思いついたのは、今や完全に屈服させているコウモリとモグラの斥候らから、河向こうの王国の情報を得た事に発する。それは、王国の庶王女、すなわち勇者の妻が、敵地で奮闘続ける夫に援軍を送る為、四方八方にかけあって部隊を編成した、というもので、実現すれば勇者黒髪を都市から離し続ける、という猿の基本方針を補強するものであった。


 まずこのニュースを利用して、銀貨の価値が下がる工作を行う。都市エローエにある銀貨が徴発され、勇者への援軍が出発間近の河向こうの王国へ軍費として宛がわれる、との噂を流したうえでデブの商人との取引に臨む。勇者黒髪と猿との約束により、グロッソ洞窟は銀鉱石を定期的にデブの商人へ引き渡す事になっているが、この時魔少女は、銀鉱石に似ているが全く銀を含まない「ニタリ」と言われる黄鉄鉱をデブの商人へ引き渡した。ニタリに気が付かなかったデブの商人は鋳造工房からの苦情により、グロッソ洞窟に図られた事を察知し、とはいえ怪物との密かな繋がりが白日の下に晒されるのを嫌ったため、手違い、という事で市議会に銀鉱石調達までしばしの猶予を願うしかなくなった。だが、グロッソ洞窟側はあまりにも似ていて間違えた、と言って逃げをうつ余地がまだあったのだ。


 銀貨徴発の噂に加えて、この不祥事をきっかけに市民達の不安は高まり、市場から銀が姿を消してしまった。都市の経済活動は冷え切ってしまったのである。この策略の為に魔少女は、グロッソ洞窟の猿と都市エローエの勇者黒髪が取り交わした盟約を破ったのであるが、東洋人の部隊も物資補給に時間がかかるようになったため、危険を冒す価値はあったと言えるだろう。


 それでいて、東洋人の傭兵率いる部隊が、都市の領域に侵入した怪物討伐のため出撃する回数も増えてきたことからも怪物の襲撃を恐れる社会不安が広がり、物価上昇が加速していった。純銀に近いエローエ市発行のエロイコ銀貨ではなく他国の銀貨による決済が行われ、それも物価が高いため満足には機能しない。富裕層以外の市民たちが騒然とし始めると、市議会も問題解決のために対策を練るが、デブの商人はどこから銀を得ているかを明かせるはずもなかった。無策のまま時は過ぎ、金利も低下し始める。金利が低下するという事は、金を借りて農業や商業の事業を起すものが減少しつつあるという事だ。勇者黒髪なら無理にでも金を借りて国家事業を起そうとするだろうが、この時期、それだけの実行力を持った人物を都市は欠いていた。勇者党も、デブの商人も、釣り目の僧侶もハゲの戦士も、そこまでのリスクを負って行動する事はできなかった。しかし物価は上昇し続ける。ついに中流・下流の市民たちが市議会前で抗議活動を開始する。生活がもたない、すぐに対策を取れ、と。


 デモが行われた日、東洋人は領域に侵入した怪物を撃退するために出撃した。軍隊の不在はデモの群衆に政府への侮りを与え、それは圧力の好機とみなされた。市議会へ暴徒が突入すると略奪と暴行が始まり、エスカレートすると殺人放火も行われたが、その間市内各所から火の手が上がるのを、偽って出陣した東洋人率いる部隊は城外から眺めていた。彼は、市民の暴動に対して深入りするのを避けたのだ。そして、調停者として動く機会をうかがっていた。暴動により、数多くの富裕市民が殺されたが、勇者党の面々も数多くが犠牲となった。デブの商人は命からがら脱出に成功し、戦士ハゲの農園に向かって逃走していった。釣り目の僧侶は当初、暴動を鎮める側にたって説教をしていたが、火の手が上がるとそれに乗じようとする。混乱を想定してのある意味で賢い行動だったが、暴徒たちは、前のとんがり政権を打倒した時の現場の責任者でもあった釣り目の僧侶の振る舞いを思い出したのである。身のこなしは軽やかだったこの人物は、自分の方にも暴力の矛先が向いたと感じると、殺されない内に都市を脱出していずこかへ身を隠した。


 衝動に身を委ねた暴徒による攻勢が落ち着いた頃、部隊を率いて東洋人が市内へ「帰還」した。そして怪物勢の攻勢の前に市民の結束を呼び掛けたのである。この暴動の主体であった非富裕層階級は、この東洋人を自分たちのリーダーとしてみなす事に異存は無かったため、統領への就任を求めたが、彼は自分が移民であることを理由にそれを断った。代わりに、新政権への協力は惜しまない、と約束したのである。


 こうして、グロッソ洞窟の魔少女による工作は、再び都市エローエに政変をもたらした。これを伝え聞いた怪物達は驚くと同時に快哉の声を上げた。


「なんという神業、これこそ真の魔術だ!」

「魔少女様こそ、我らの指導者には相応しい」


 彼女はくちびるの怪物を洞窟の要所に走らせてこの勝報を吹聴させたから、今や競争者のいないグロッソ洞窟はこの少女の権威の前にまとまりを見せ始めた。


 この時期、彼女はエローエ調略と同時に我らが粘液体リモスの社会復帰のためにある手を打っていた。それは妖精女の妹を招き、リモスの世話をさせる、というものだ。姉妹であるだけに、リモスがぞっこんの妖精女に顔つきから体格まで似ていたから、これならリモスも文句はあるまい、と思ったのだろう。魔少女の招聘におとなしく従う位だからこの妹は、性格は姉よりも大人しく、毒が無かった。故に、リモスも彼女に肉体的な慰めまでは求めなかった。それでも美しい話し相手が出来た事で、リモスの持病である引きこもりは快癒に向かっていった。外に出る事が出来るようになったリモスがやる事と言えば、労働しかない。また金の生産が復活したことで、懐具合の心配がなくなった魔少女は、これまでリモスも猿もインポスト氏も行わなかった事を計画し、実行に移していく事が可能になった。一言でいえばそれは、新しい都の建設であったが、それはなんのために為されるのか。リモスと魔女に問われた魔少女は、全く動揺することなく言い放った。


「この地を、あらゆる厄災から守る為よ。リモスが最初に抱いた志というものから、一歩も外に出ていないわ。猿もそのために頑張っていた。あたしも同じようにするだけね」

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