第84話 崩れ行く確証バイアス

 黒髪がいこつが帆船都市を取り巻く戦場へ到着した後、展開は速かった。


 負傷により、命の安全のために後方最前線で待機する魔王を尻目に、戦線へ送り込まれた黒髪がいこつはタコ相手に素晴らしい戦いを展開したのである。そのがいこつ兵が黒髪であることを知るのは、一部の怪物たちだけだから、戦いを眺める怪物たちは、大いに感心したもので、怪物たちが漏らす感嘆の声を聴き、すっかり面目を果たした異形と神官は胸を張る。


「あのがいこつ兵の働きは凄いもんだ」

「外部からの不意打ちがあったとはいえ、陛下を苦戦させたあのタコの怪物相手にああも善戦するとは!」

「それにしても、妙な骸骨だな。ヅラをつけていやがる」


 黒髪がいこつが鋭い攻撃を繰り出すたびに、戦いを観戦している帆船都市の城壁から悲鳴があがる。


「どういうことだ、我々の神が追い詰められている」

「あのがいこつはいったいなんなんだ」

「仮に神が破れ、あのがいこつが内部に侵入してきた時、対等に戦える兵はいるのか」


 タコの怪物も、腕に自信があるからこそ魔王の都を目指した過去もあるのだが、その自信を打ち砕くほど、黒髪がいこつは強かった。戦いを眺める魔王は、あれは往事の勢いそのままのようだ、と深い感慨とともに思って曰く、


「このままの勢いでいけば、間違いなく勝てる」


と誰に言うでもなく述べた。


 タコの生来の強靭な一撃も、当たらねば意味が無い。骨になり身軽な黒髪がいこつは渾身の攻撃を尽く交わし続け、ついにその顔面へ剣を打ち込んだ。強烈な一撃に、怯んだタコは思わず墨を吐いてしまう。さらに一撃が加えられ、たまらずタコは戦線を離脱し、堀の海水から、海へ逃げていってしまった。それを見た魔王は大声を張り上げる。


「怪物諸君、望んだ頃がついにやってきた!もはや都市を塞ぐものは城壁のみだ!」


 褒美と出世を望む怪物衆は命知らずにも突撃を仕掛けていく。神と崇めて頼りにしていたタコの遁走に、信仰心が甚く揺らいでしまった叛逆者たち。


「どうしよう」

「相手は魔王だぞ。皆殺しになるかもしれない」

「降伏しよう。受け入れられるかは判らないが」


 帆船都市は、このような時に市長が居る、という見本のような行動を選択する。すなわち、都市で最も煌びやかで華麗な衣装を着けて敗者として万人の前で身を投げ出し、勝者の温情にすがるという手だ。


 怪物が城壁に取り付き始めると高らかにラッパが吹き鳴らされ、何事か、と怪物たちがしばらく様子を見ていると、城壁が厳かに開き、鳥の羽根やら鹿の角やらド派手な衣装で着飾った帆船都市の代表者である市長が歩み出た。怪物たちもこれが使者である事はすぐに察し、攻撃を控える。魔王の意に背くことは恐ろしくてできないのは、怪物たちも同じである。市長の後ろには尻尾のように長いマントを後ろで持ちつつ身を屈めて進む少年三名が続く。彼らは魔王の陣営目指して歩み始めた。


 使者が近づいてくるのを見た魔王は、傍らの異形と神官に曰く、


「黒髪のがいこつが止まったぞ。つまりこれは、降伏する、ということか。人間世界の風習というべきものなのだな」


 神官曰く、


「その通りです。我々には無い奇妙な風習ですな」


 一方の異形は心配して、


「東洋人配下の傭兵の例もあります。あまりお近づけにならないほうがよろしいでしょう」


 だが魔王はそれを退ける。


「いや、あれは特殊な例だろう。あのど派手な衣装の男はおとりで、後ろの子供たちがナイフを隠し持っている、という可能性も考えられるが、ここで我輩を殺しても、残る怪物たちが略奪を欲するだろう事は目に見えている。となると、我輩に許しを請うしかあるまい」


 それは復讐の一念で、と言おうとした異形だが、確かにこのあたりの怪物たちはそれほど魔王への忠誠心は強くないのかもしれない、と思い直した。そして、この魔王は閣下と呼ばれていたトカゲ軍人時代から、現実感覚が鋭い、とも。上に立てば下位からの忠誠を過剰に期待してしまうものなのに。



 近くまで来た市長は跪いて許しを乞うた。


「我々は降伏します。命じられればどのような賠償も行います。しかし、市民の命だけは何卒お助けください」

「結構、いいだろう」


 魔王の即答に市長は呆気に取られたが、安堵の為、怪物たちの目の前だというのにとてつもなく深いため息をついた。だが、このため息はすぐに引っ込むことになる。続けて魔王曰く、


「その条件とは、市長、そなたには我輩の近くに出仕して頂くということだ。このままな。家に戻る必要もない。我輩と共にグロッソ洞窟へ来てくれれば良い。我輩の領国は数多の人間どもを抱えているため、連中の代弁者を置かなければうまくないとは思っていたのだ。これが助命の条件だ」


 絶叫しそうな声で、市長は抗弁する。


「しかし、私が都市へ戻らねば、市民たちが要らぬ誤解をするかもしれません」

「後ろの童たちに伝言させればいいだろう。無論、断れるはずはないな、市長」



 一時は長期化するかとも噂された帆船都市での戦いは魔王側の勝利、人間側の降伏で決着となった。大方の予想通りの結果となっあこの戦いで、魔王が得たものは多かった。一つ、自身の代役を任せえる突出した戦闘力を持つ黒髪がいこつの使用、魔王はこれにて自分がグロッソ洞窟にいても、異なる戦場を任せる部下を持ったという事になる。以後の魔王の進出速度が劇的に増した大きな要因となった。一つ、『魔王』という言葉に人間が抱いていた容赦のない敵対者、残酷な殺人鬼、交渉の余地のない怪物、永久に対立が続く存在、という歩み寄りようのない印象が、降伏の申し入れを受け入れた事で薄まったことだ。帆船都市の市民は全員許された。その市長は才能ではなく家柄で高い地位にあった人物であったが、グロッソ洞窟で人間世界からの陳情のまとめ役を強制的に任せられ、虐待されたり命を奪われたりすることは無かった。その魔王の行いを、人間たちは自分たちと照らし合わせて見ざるを得なかったため、


「なんという事だろう。勇者黒髪は交易都市を落とした時、略奪を許した。諸国の連合軍は、助けに行った帝国領で略奪を働いた。なのに魔王は反逆者たちを助命したぞ」

「いまや人間世界は武力で魔王に敗北したのではなく、仁義や寛容の面でも取り返しがつかない程の差を付けられたのではないか」

「領域リザーディアに属する集団は増加するばかりだ。ああ、我々を救う勇者は現れないのだろうか、だって?一体我々は何から救われる必要があるのか。確かに怪物たちは人間を食らうが、王侯貴族が行ってきた殺人の数と同じ程度だぜ。結局は何も変わっていないどころか、ちょっと良い時代になっているのかもしれない」


という風評が流れるに至る。


 引き続き魔少女の手によって密かに引き起こされた金融危機が、当の魔王の手によって大々的に解決される、という事案が続き、既存の支配層の評価が下がる一方、領域リザーディアの経済的安定寄与への評価はうなぎ上りであった。


 一方、怪物たちはどうか。まず帆船都市の略奪は許可されなかった怪物たちだが、参陣の褒美に金や食料を得る事となり、彼らは満足であった。さらに、怪物世界に現れた新たなる魔王の威厳の高まりに、やはりそれだけで嬉しいのだ、彼らは感謝こそすれ、不満など抱かなかった。この面でも、魔王の治世はいよいよ安定の方向へ向かい始めていた。



 魔少女、異形、神官といった、魔王近臣衆がグロッソ洞窟にて魔王の統治を称える。


「陛下、お帰りなさい。領域リザーディアは今日も順調に影響力を拡大させていますわ」

「もはや旧王国領内と現帝国領内で、表立って陛下にたて突く者はおりません。陛下の天下がご招来……!」

「それもこれも、黒髪がいこつの強力な助力があればこそですな」


 一体、調子の異なる神官を冷たく眺める魔少女と異形であったが、魔王は共通する懸念も持っていたのである。そして配下へと曰く、


「神官の言う通り、強力な戦士を得た以上、騎士道的戦いの場面では、我輩たちは大いに優位に立つだろう。しかし、良い事ばかりではない。帆船都市の戦いの中で、都市エローエの東洋人配下の戦士に暗殺され掛け、危うかったことを忘れてはならないだろう。我輩がこれまで受けた暗殺は二回、一度目はモストリアにて勇者黒髪に背後から刃を突き立てられたとき、この時もやや危なかったが、生来の膂力をもって危機を脱した。しかし今回、針使いが用いた毒によるそれは、本当に危ういところだった。助かったのは運も大きい所だ。つまり、騎士道的戦いの場面で、策をとことん弄すれば、我輩とて凶刃の前に命を落とす事も大いにあり得ると悟った。世界に散らばる人間の、いやタコの怪物も含めればそれに止まらぬ戦士たちこそ、我輩の敵ということになるだろう。次はこれを沈黙させたい。皆殺しにする必要はない、覇気を奪えればよいのだ。さあ諸君、妙案はあるかな?」


 一人と二体は思わず互いに顔を見合わせた。その様子が可笑しかったのか、魔王は笑って曰く、


「いいぞ諸君。我輩の意見に肯首するだけではつまらぬし、異分子が入れば面白くないのも当然。であるが、諸君らは息が合っているようだ。かつて前魔王の宮廷では、力も知恵もない血筋の怪物たちが右顧左眄の中で無駄に時を逸してばかりいた。それに比べれば、我輩らは圧倒的に優れている。分業というのは実に大切な実務だ。これを極めれば、不可能は無いのだ。知恵を担当する諸君ら、武力を担当する我輩や黒髪がいこつ。領域リザーディアは上手く回っている。これを繋ぎ留めるものは精神の領域にあるだろう。忠誠や尊敬、友情、同胞愛……いずれも重要なものだ。これが欠けては何事も始まらない。神官よ、中途で頭を下げてきたそなたは異形と共に功績をあげたからここに居る。異形は、グロッソ洞窟の古株で危険な扇動役、ラはその優れた胆力と心を持って、我輩からの尊敬を勝ち得ている。互いの絆を強くせよ。結びつきが強まれば、危険な裏切りは怒らないだろう。そうは、思わないかね、市長殿」


 魔王の後ろで人間相手の書類を一生懸命処理している帆船都市の市長は、恐怖に滲んだ目で御意、と甲高く叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る