第85話 楽天

 魔王は領域全域へ布告を発した。それはかつてない衝撃を人間怪物問わない世界へ与えるものとなった。それが明確に、魔王との決闘を許可するものであったためだ。魔王打倒を目指す者で、それを望まぬ事はあり得ない。


「類まれな実力と天運を背景に備えし我輩誕生の日には、あまねく生きとし生ける者たちに、あらゆる名誉と思うがままの栄達を手に掴むに値する機会を与える。それはすなわち、我輩の天命に挑み、それに手を掛ける事ができるという特別な時間だ。仮に挑戦者の望みが達せられるのなら、その者はこの世のあらゆる名声と将来を築く命運を一手に握ることができるだろう。挑戦する者の出自や資格は問わない。なぜなら、恐怖をものともせず天運が定めし我輩が前に立つ者は、それだけで他よりも優れた胆力を備えていると判断できるからだ。そのような輩へ、我輩は誰であろうとも種を超えて敬意を表するものである。場所はグロッソ洞窟リザードカジノ内闘技場にて。申請は誕生日一週間前から同地にて。魔王の幸運にあやかりたいという剛の者、我こそはと自信がある命知らずな輩共の名乗り上げを歓迎する」


「陛下、文面はできましたが、これはあまりに危険ではないでしょうか」


 さすがに魔少女が諫言を告げる。


「勇者黒髪の例を待つ事無く、これまでの歴史において、怪物の主君達は難攻不落の地に根拠を築いて繁栄を謳歌したものだが、それが逆に人間たちによる討伐や暗殺を呼び込む結果となっている。見方を変えれば、呑気に構えた状態では、迎え撃つのに十分な体制が構築できないという事だ。我輩はそうではなく、こちらから戦いの場を用意してやる。その上で、怪物打倒の野望に燃える欲深き盲目の狂信人間たちを、我輩のフィールド、我輩の時間の中で撃破する。警備の輩が詰め、衆怪が監視する中、それも原則として一対一でな。人間たちの卑劣な暗殺を封じるという一時でも、有効だということだ」

「陛下がお相手とあっては、名乗り出る人間も現れぬかもしれません」


 暗殺は時に全く予期し得ぬ要素を持って成功してしまうこともあるのではないか。自分たちが、あの勇者黒髪を仕留めることが出来たように。その言葉を口に出すつもりは魔少女にはまだないが、この無謀を止めるために、言葉を探しながら魔少女は諫言を続ける。が、魔王は珍しく魔少女の言葉を退け続ける。


「いや、絶対に現れるさ。先の帆船都市の戦いの詳細について、戦士ともあろう者共は必ず情報に接していると思うからだ。体制を打ち立てた我輩を殺せば、その者は歴史の本道を歩むことになる。その意味では、針使いは実に惜しかったな。この世に生まれて、王侯貴族になることを望む輩共は多いのだ。そしてそういった連中にとってはこの布告、なによりも魅力的に映ることだろうて」

「もしや陛下は、勇者黒髪の残党腹を呼び寄せるおつもりですか」


 魔王は金色の目をパチパチさせて、頷く。


「さすがはそなた。その通りだとも。といっても、それは従たる目的の一つだ。引っかかるとは限らんから。実は他に腕っぷしの強い連中を、まあ人間でも構わないが、雇用したいという気持ちが強くある。我輩らの軍は、魔王兼総司令官である我輩が相変わらず最強の兵でもあり、まあそれはそれで結構なのだが、次席との実力差がありすぎた。例の黒髪のがいこつは、今のところ異形と神官が居なければ強力に動けぬ。これでは十分とは言えないだろう。腕の良い輩をせめてもう一体雇用したい。現状ではどうしても、我輩の不在時に対応しきれない」

「人材登用のためのデスマッチですか」

「人間相手だ。我輩は手加減してやるさ」

「確かに。モグラマッチョは討ち死にしてしまいました。独眼マッチョもよく務めてはいると思いますが……」


 魔少女は魔王の論調に肯定せざるを得ない面に、反駁し得る事象を頭から引き出そうとするが、見つからない。


「そうだ。黒髪がいこつを除いてリザーディアで二番目に腕が立つ独眼マッチョの怪物だが、それでもあの黒髪レベルと対峙していれば負けるだろう。指揮官が敗れれば、戦いはそこでほぼ決まってしまう」


 魔少女はまだ、言葉や事象を探している。


「あの黒髪という人間は一個の傑出した才能だったが、特別な出生を持つわけでもない、普通の生まれであったという。教育については不明だが、才能と切磋琢磨であそこまで腕を上げたとするならば、それは驚異的なことだ。そのような敵が今後現れたとして、いきなり我輩が当たるわけにはいかん。我輩が死ねば、せっかくの体制も崩壊してしまうからな。そのため、次席にはある程度腕の立つ存在が欲しいのだよ。単独で動くことができれば、黒髪がいこつでもよかったのだが」


 魔王から視線を外し、憂慮を込めた口調で魔少女は曰く、


「そういった者が現れたとして、次席が邪念を抱いて陛下の命を狙うかもしれません」


 そんな思いやりを、魔王は豪快に笑い飛ばす。


「その実力者が我輩を殺したとしようか。それならそれで、きっと、我輩の後継者になる可能性もあるだろうとも。が、後継者を我輩はすでに決めている。そなたも感づいている通りだがね」

「陛下、しかしそれは」


 魔王の本心を知っている魔少女は困ってしまい、黙りこんだ。


「まあまあ。だからこれはそなたが我輩の後、万事魔の王国を統治するための国造りの一環であるのだ。わかってくれるね。ここまで万象を主導してきた以上、歩みを止めるわけには行かないのだ。生きとし生ける輩共、歴史の歩みには合わせなければならぬ」

「歴史ですって?歴史とは最高の権力を持った陛下の上にすら立つのですか」

「無論」


 それでも魔少女は、魔王が万象を主導したと言うのなら、歴史とは動きを合わせるものではなく、造るものだと考えた。仮に魔王が殺されれば、それにより形作られた歴史は人間と共に歩みを進めるのではないか。だが、魔王は自分の死後の事を視野に入れている。


「これが王たるものの責任なのか。心強くはある。彼の言う通りにしておけば、心置きなく戦いに身を置くことができるでしょうから」


 魔少女は今一度、なぜ自分がトカゲ軍人をグロッソ洞窟へ招聘し、魔王として仰いだかを思い出していた。洞窟を守るためだ。なぜか。仲間を守るためだ。仲間とは?家族だ。リモスや魔女、妖精女妹。特にリモスが、金鉱の維持を望んでいる。そこから全ては始まっているはずだ。単純化すれば、リモスのために、魔王を拵えたのだ。しかし、今やリモスはいないが、魔王の存在が他の多くの怪物たちの役に立っている。トカゲ軍人も、自分を信頼し父の如き愛情を示してくれ、魔王の役目を全うしてくれている。魔王の思いやりに満ちた振る舞いの中で、時に魔少女は兄弟の如きリモスを忘れている。半ば隠居気味の魔女はそんな魔少女に言う。


「罪悪感を抱く必要はないよ。生きていればそのうち帰ってくるだろう。リモスがあたしたちを裏切ったとは限らないのだから。それに、陛下にたいして過剰に恩義を感じなくてもいい。あれだけ働くのはあんたのためにやっているのだから」

「知っているわ。知っているからこそ、さらに陛下を大切に思うの。このような危険な布告、撤去してしまいたいくらいに」


 魔少女は魔女の達観したような穏やかな目線を感じる。


「陛下はあんたを認め、あんたの依頼を完遂するつもりでいる。その過程でくたばったとしても、それこそあんたは罪悪感を抱かなくても良い。陛下はそういうつもりでいるのではないかね」

「わたしはとんでもなく重いお願いを、陛下にしてしまったのね」

「いやあ、陛下はあんたに完璧な仕事をしてみせいたいのだと思うがね。なぜかって、それは、娘として扱っているあんたが可愛いからさ」


 自分も魔少女を娘の如く愛している魔女には魔王の気持ちが良くわかるのだ。押しつけであっても、親は子のために多くを残してやりたくなるのである。そして、それを敏感に感じ取った子は、親が血を流すのを見ていられないのだ。改めてそう思いなおした魔少女は意を強くして曰く、


「この布告は国造りの一環だと陛下のお言葉よ。覆せぬのなら、陛下が命を落とさぬよう、出来得る以上の準備をするまで」



 発せられた布告を見知った怪物達はもちろん、人間達もびっくり仰天した。


「一体、魔王は何のつもりかな」

「噂によると暗殺騒動があったらしい。それに怒った魔王が、その可能性のある人間をおびき寄せて一網打尽にするつもりではないかな」

「しかし、勇者黒髪以来、その手の英雄はいないという話だぜ。誰がやったんだろう」


 当然、戦士業を生業にしている男達にとっては魅力的な布告だが、彼らもたじろいだ。針使いによる暗殺騒動は、表向きには一切語られてはいないためだ。それでも、東洋人の傭兵に近い同業者筋は、比較的的確な情報に接していたが、やはりおどろきとまどっていることでは変わらない。


「確かに魔王を殺せれば、栄達は思いのままだが……確実な情報では、魔王に毒は利かなかったらしい。毒殺もできないとは、恐ろしい話だ」

「罠にでもはめない限り無理なのではないか。しかし、魔王の弱点、何とか見つけることができないかな」

「弱点がないから魔王なんじゃないか。俺は降りるよ。無意味に殺されるくらいなら、怪物の支配下に甘んじていたい」


 この布告の対象は人間達だけではない。怪物達にも参加が許されている。しかし、


「大恩ある魔王陛下に挑むなんて、無意味だ」


と怪物達は全く参加の意志はない。それどころか、


「陛下の命を狙う人間どもの顔を、絶対に覚えておこう。例え、奴らが命を許されても、我々で殺してやる」

「なんだかんだで陛下には甘いところがある。強者は時に脇が空くというから、参加した人間を殺さずに許すかもな」

「といって、陛下に人間を殺せと強いることもできないしなあ」


 一つの政治的命令が世界を大きく揺るがせる事はままある。小さな例では、統領とんがりの金利上限撤廃は、クーデターを招いたし、大きな例では、勇者黒髪のモストリア遠征は、その後の動乱の基となった。とんがりのそれはともかく、勇者黒髪の政策は人間怪物世界を問わず議論の対象にもなったものだ。訳知り顔の政治家たちは、魔王の布告もそれに値する、と世界のうねりを予言していた。誰もが世界の大変動を予期して、緊張の只中にあったのである。


 その中で一体、魔王だけは泰然自若としているように、大衆の目には写っていた。領域リザーディアの拡大とともに、魔王としての自分、トカゲの誇りは高まり、全てを魔少女に引き継ぐつもりでいる彼を幸福にする。


「決闘許可など危険でも何でもないよ。それとも、お前は我輩の腕を信頼していないのかね」


 魔少女はこの世に確実な事は何も無い、と言いたかった。だが、魔王の自分への深い愛情を知っているだけに、彼の誇りを傷つけるような発言はどうしてもできなかった。


「ラよ、若いお前には難しいかもしれないが、心を絶望で武装するより、楽観安天を片手に置いてた方が、上手くいくことが多いのだ」


 この言葉には、さすがの魔少女も笑った。


「それは陛下が成功者だからですよ。下々はそうはいきませんとも」

「そうか。だとしたら我輩の精進がまだまだ足りん、魔王の影響力もまだまだ大したことはないという事だ」


 余裕の爆笑をかます魔王につられて、魔少女も声をあげて笑った。その場に異形がやってくると、笑う一体と一人を見て彼も顔をくしゃくしゃにして笑った。常に厳格な表情を崩さない神官すら、陽気と笑声に包まれた一角に入るや、表情が緩む。そのはつらつとした明朗なる気がグロッソ洞窟を覆うや、怪物たちの世界に安心が広まっていった。

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