第34話 その頃、都市では…

 勇者黒髪の挙げた戦果は、交易都市や遠征軍が道中築いた交易拠点を通して、時間差はありつつも本国エローエにも当然伝わっていた。だが、強い支持を得ている人を取り巻く世評の常でか、交易都市を陥落させる際の不祥事や軍事的苦難については伝わらず、景気の良い話だけが市民たちの間に広まっており、魔王の宮殿を占拠した時にそれは頂点に達した。市民たちは魔王の宮殿陥落を持って人間上位の時代が到来しそれを主導したのがエローエ市民である黒髪である事に強く愛国心を刺激された。勇者が無事帰還したら、統領に選出しようという動きも本格化していたのである。


 だが、魔王追撃戦の長期化と怪物たちの大流出が伝えられると、勇者を称えた同じ市民達が動揺を始めた。


「流出した怪物達によって、交易都市は陥落寸前らしい」

「戦場で敗北した山を越えた先の帝国は、あちこちで寸断されてしまったという」

「勇者黒髪が、諸国を救援できないのは、魔王が未だに踏ん張っているからだというが」


 交易都市の新体制は、エローエ市民によって成立しているから、その一大拠点が危機に陥ると、ついに正確な情報が伝えられ始める。それは、エローエ市民を愕然とさせる内容であった。


 ここに至り、エローエ市議会は、勇者黒髪の下に援軍を派遣するか否か、協議を始める。最大の情報提供者として、勇者の経済的代理人でもあるデブの商人が議会に召還された。裏方仕事が主たるこの男が呼び出されるとは、いかに追い詰められたとはいえ勇者党も愚かだった。議会を占める勇者を支持するこの面々が彼を召喚した理由は、援軍を送るための情報の裏付けを必要としたためだが、ここでこの河向こうの王国出身の商人は、勇者党の意に反する行為を取る。すなわち、流出した怪物の恐怖と危険を全面的に訴えたのである。商人は見切りをつけるのも速いものだ。


「交易都市からの情報によると、魔王の都の治安が崩壊したことにより、そこに住んでいた怪物たちが安全な衣食住を求めて流れ出しています。その流れにぶつかれば、草一本残りません。さらに山を越えた先の帝国では、この流入した怪物たちが住み着いてしまい、逆に人間たちが住みかを追われるというありさまです。怪物達だけではなく、人間の難民も以後、あらゆる都市や城塞に逃げ込んでくることでしょう」


 報告を受けて議会は紛糾したが、これに続いて魔王の都、つまり現未來都市に残留した勇者の部隊が怪物の攻撃を受けて全滅したことが知れると、議会は衝撃と恐怖に襲われる。通夜のような空気が流れ、勇者党の面々も、交易都市に権益を持つ富裕市民も、黙るしかなくなった。


 ここで、勇者と猿の盟約から多額の金銀を管理する立場にあるデブの商人が、議員ではないが情報提供者として発言を求める。曰く、


「全ての人間諸国は祖国防衛の準備に入っています。勇者黒髪の遠征のせいでかかる事態に陥ったか否かを問うべきではありません。今はとりあえず、都市の防衛力を強化する事が何よりも優先するのではないでしょうか。山を越えた先の帝国が敗北した以上、次に襲われるのは河向こうの王国になります。ここがもしも破られれば、次は都市エローエが標的になるのですから」


 議会にも少数派ながら中層下層の市民の代弁者を任じている者もいる。彼らによって、傭兵隊長の東洋人に募兵を行わせる提案が為され、さしたる議論も無く可決された。だが資金を誰が出すのか。ここでもデブの商人が名乗り出たのである。


「この場に勇者黒髪がいれば必ずそうしたはずであり、この種の支出についてその財産を活用する許可を勇者より得ている」


として。


 デブの商人は確かに真実を述べてはいたが、彼のとった行動で市民たちは勇者黒髪に対する一つの疑念を持ったのだ。それは、勇者がたんまりと貯め込んでいるらしい、というものだ。特に、富裕市民がその念を強くしてしまう。まだ口を突いて非難が出てはいないが、今も敵地で戦う勇者の高名に微妙な影が差した。そしてデブの商人はそれを承知で出資を行っていたのである。


「勇者は経済的成功者であってはならない。これは鉄則のはずたがね。破ると、妬まれて足を引っ張られるぞ」


 事態をこう評したのは東洋人である。彼は市議会から命令を受け募兵を開始したが、デブの商人が持つ危うさに盲目ではなかったためか、必要以上の接触は避けている。移民として他国で厳しい視線を受けながらも剣一本生きてきた東洋人には、デブの商人の目指す所が判ったのである。


「それは、かつての統領とんがりのようになることを、目論んでいるのだ。勇者が戻れず、怪物が多発するようになった今、莫大な資金を持つ奴にとってこれは生涯の好機であるというわけだ」


 デブの商人は東洋人に距離を置かれてしまったが、もとより都市の内部では自分と同じ他国人である境遇の彼と手を組むつもりは無かった。エローエ市民であり、実戦経験も豊かな戦士ハゲと協力する事を考えていたのだ。デブの商人の手引きで、戦士ハゲが久々に市内へ住居を移した。この人物はすでに勇者黒髪の味方とは言えなかった。


 デブの商人から話を持ち掛けられた戦士ハゲは、快哉を叫んだという。


「ついに雌伏の時は終わった!」


 腕の良い戦士であると同時に大農場主でもある彼にはそれなりの資金と同時に人脈があった。その一党を募兵された部隊と合わせて用いて、都市周辺の治安を確保する作戦を市議会に提案したのである。


「怪物に攻め込まれるまえに、こちらから敵の拠点を叩くか、拠点となりそうな場所を制圧する。積極戦法こそ、真に平和の基礎となるものである」


 議員たちも戦士ハゲの熱弁についてもっともだと頷く事も多かったのだが、この人物の押しの強さと我の張り具合には良い感情を持たなかった。また、


「山を越えた先の帝国とは逆の方角だが、グロッソ洞窟の怪物達も騒ぎ出すかもしれない。今一度、兵を送り込んで叩くべきである」


と発言したのがまずかった。ここは勇者黒髪の功績により、平和裏に都市に従属しているという形になっている。勇者党の人々にとって戦士ハゲの提案は、勇者の功績と権威を蔑ろにするものに見えただろう。戦士ハゲはこの不遜な態度で好機を逸する事となるし、デブの商人も人を見る目が無かったと言えるだろう。


 議会でそんな睨み合いが続く内に、山を越えた先の帝国を抜け、河向こうの王国をも抜けた怪物の集団が都市エローエの支配領域に入ってきた。当然、道中にある農村や田畑は略奪にぶつかり、その避難民の訴えで事態が判明したのだ。


 迅速に動いたのは募兵官であり傭兵隊長でもある東洋人であった。すぐさま手持ちの兵を率いて出撃し、勇敢にも怪物の群れを直撃した。略奪により腹を満たし休息をとっているところに急な襲撃を受け、怪物達は為すすべなく討ち取られていった。また、浸食した帝国領内で怪物同士の押し合いに敗れてさまよっていた怪物の群れであったためか、弱くもあった。しかし、ほぼ損害なく討ち取ったとはいえ、怪物の死体は二百体以上にも及んだのだ。


「群れは強靭なものではありませんが、我らが強いというよりも食料や休息が不足していて弱体であった事も否めません。怪物の腹を開いてみたところ、胃には多くの食い物がありますが、腸には少なく、この輩の皮膚の色も良くない。我らが騎兵の馬と見比べれば、瞭然たるものがあります。本官の見るところ、競争に敗れた群れが、それも比較的規模の小さくないそれがまた侵入してくるかもしれぬ、という事です。これを警告させていただきます」


 東洋人からこの報告を受けた市議会は震え上がった。もはや怪物の群れの動きは止めようがない、と思うしかなかった。都市に凱旋した東洋人は、その前から女達に人気があり数多くの愛人がいたが、この戦果によりさらにその数が増えた。彼は複数の愛人たちの存在を隠さなかったから都市の男たちからは評判が悪かったのだが、この屈辱を噛みしめて、市議会は東洋人により高い地位を与える事を議論し始めたのである。無論、都市を外敵から守る為である。風向きが変わった事を感じたデブの商人は、戦士ハゲを見捨てて再度東洋人へ阿る。戦士ハゲはどかんと激怒しながら、


「この都市の連中は本当に独裁者が好きなんだな。とんがりに黒髪、次は東洋人か」


と吐き捨てて自身の農園へ引っ込んでしまった。それでも家人を組織しての怪物狩りを開始し、こちらも中々の成果を上げるに至る。協調性はないが、腕は確かなのだ。こうして東洋人の傭兵と戦士ハゲの働きにより、怪物流出があっても都市エローエ領内は平和が護られるようになる。


 打ち破られた怪物達の多くは戦場に屍を晒したが、辛くも逃げ延びる事に成功した輩はどうしたか。彼らは侵入した山を越えた先の帝国からさらに溢れ出されたことから、帰ろうとは思わなかった。都市エローエ領域付近で最も安全だと思われる、グロッソ洞窟へ逃げ込んでいったのである。その数は決して多くないものの、彼らは受け入れられた。そしてその噂は徐々に、怪物間のネットワークに膾炙していくのである。


 この時期のグロッソ洞窟を指揮しているのは、リモス一党の魔少女である。この少女は、猿ならば試みたであろう都市エローエを刺激しない手法にほとんど気を配らなかった。それだけに攻撃的な志向の持ち主なのだが、洞窟内への処置にしても、都市エローエに対する仕掛けにしても、この時期はそれが上手く行ったと言えるだろう。

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