第33話 流民と化す怪物達

「やはりモストリアは我ら怪物の都と呼ばれるに相応しい」


 もう何度目の出撃になるかわからないが、勇者が隊を率いて魔王の追撃を繰り返す。その都度、多くの怪物衆が戦場の内外で討たれ屍を晒すが、その骸の山に人間のそれが加わらない事も無いのだ。むき出しの力にのみ服従する獣たちは、存分に働く勇者黒髪を見て先のセリフを口々に呟いたものだ。だが、怪物衆が勇者の協力者となる事態には至らなかった。彼ら人間たちは、断固として怪物を差別、区別したからである。


 すでにトカゲ軍人と勇者黒髪との闘いが本格的に始まっていたが、それはかつて両者の間にてグロッソ洞窟で行われた決闘のような戦いには発展せず、互いにさらに大きな軍勢を用いた戦いである。


 妖精女はトカゲ軍人との会話を勇者には話さなかった。そして彼女の中で決意した方針転換を着実に実行していくのだ。すなわち、勇者をグロッソ洞窟から遠ざけて少しでも魔王の都に釘付けにするためではなく、トカゲ軍人に勝利し栄光を手にさせるための助言を開始したのだ。相変わらず、勇者は神の祝福を得た女性ヴィクトリアの含蓄ある言葉をよく信じていた。結果、追撃行もより果敢なものに変わってきたのだ。改めて、敵地にて怪物との戦いに奮闘する勇者黒髪の名望が、人々に語られるようになった。同時に、英雄隊首脳が武勲から遠ざかって居る事も、口の端に上るようになる。


 トカゲ軍人は妖精女との会談の後、モストリア領内だけでなく、最前線の国、交易都市といった周辺の人間諸国の田畑を分散的に襲い始めた。目的は明確で、敵を兵糧攻めにするつもりでいたのである。この直情かつ狡猾な爬虫類の軍人が、なぜこの時期に魔王の部隊の指揮を執るようになったかだが、都落ちしても相変わらず責任のなすり合いをしている近衛衆に愛想が尽きた魔王の官僚たちが、都の危機を聞いて急ぎ帰国したトカゲ軍人に軍事権を委ねたためだ。トカゲ軍人は上層怪物の支持に拠ったのではなく、中流怪物の協力によって立っていた。だが、その作戦は自国も含めた周辺国への焦土作戦であり、酷く辛辣なものではあった。食糧難は人間達だけでなく、怪物をも襲う。すると、空腹に耐えきれなくなった怪物たちは、周辺諸国にも人間を含めた食料調達に出向かざるを得ないのであった。この結果、最前線の国はもちろんの事、交易都市、山を越えた先の帝国にも大量の怪物が流出する事になる。この現象を見て、人間世界は仰天した。


「果たして勇者黒髪の遠征軍は失敗したのだろうか」

「いや、交易都市からの情報では、魔王は逃走し勇者が追いかけまわしているという」

「その情報は嘘だ。本当は、遠征軍は全滅し、魔王が反撃に出てきているのだ。だからこその怪物の侵略だろう」


 モストリアに居る事を断念した怪物たちは、安全な棲みかと食料を探して、新天地目指して出発していたのである。最前線の国はモストリア陥落後、軍事指導者でもあった王家を追放した事を深く後悔し始めていた。重税と命、どちらを取られる方が良いかと言えば、重税の方がまだマシなのである。城や砦に籠って怪物たちの略奪行を指を咥えて見守るしかなかった。 が、この国は運が良かった。追撃行に出ていた勇者が運よく駆けつける事が出来て、市内に居座った怪物の群れを追い払う事に成功したのである。


 だが、勇者の遠征途中にあった交易都市や山を越えた先の帝国などの人間諸国は突然の怪物来襲に全く対処する事が出来なかった。また、動くとなると、怪物達の動きは人間よりも速く長いものになった。頭脳ではともかく、肉体の強さでは怪物の方に分があったためだ。各地で城門が破られ、都市の守備隊は打ち負かされ、人間の住民たちはより安全な都市へ逃げざるをえない。逃走の最中も、怪物の群れに遭遇してしまえば無事では済まない。


 極めつけは、山を越えた先の帝国でこの国の正規軍が怪物の迎撃に出陣したものの、平野部での戦いで完敗を喫してしまった事だろう。帝国という位だから、様々な人種や集団の寄り合いであったこの大国が怪物の前に敗れ去った事実が広まると、流民と化していた怪物たちはみな帝国領を目指して行く。人間が敗れたこの国であれば、彼ら怪物たちの居場所も容易に見つかる事が予想されたからだ。


 こうして、モストリアからあふれ出た怪物の難民たちの動きは帝国領内に吸収される事で、とりあえずの収束を見せたのだ。これは勇者黒髪や交易都市のエローエ市民にとっては非常にまずい事態であった。本国エローエへ帰還するための道が下手をすると断たれてしまうのだから。



 怪物世界は同胞の怪物の命をそれほど大切にしない事がその特徴であったが、トカゲ軍人はその特徴を並ぶもの無き利点として活かしきったのである。そして別の視点から見れば、魔王の権威と財力の下に結集していた怪物たちを解き放ったとも言える。トカゲ軍人の当面の目標は、勇者黒髪一人であっただろうし、この焦土作戦も黒髪を追い詰めるためだけに為されたことだ。有能で発想力の豊かな怪物であったと言うしかない。


 対する勇者黒髪は、最前線の国を守る事には成功したが、同胞であるエローエ市民が支配する交易都市から矢の催促があった防衛依頼には応える事が出来なかった。何もかもが欠乏する中、勇者黒髪一人で全てをこなす事はできなかったのである。交易都市に踏ん張ったエローエ市民からの怒りの手紙に対して、本国エローエに居る傭兵隊長の東洋人を呼び寄せてはどうか、と助言をしたが、返事は帰ってこなかった。そして、支援物資の運搬も途絶えてしまった。交易都市は全滅はしなかったものの、なんとか怪物を市外へ追い払った後、自衛のための活動で手いっぱいであったからである。


 この期に及んでは勇者の取るべき道は一刻も早く魔王を見つけ出して殺す事しかないが、魔王一行を守護するトカゲ軍人は徹底したゲリラ戦法を崩さない。助言を求められた妖精女も、この事態にはさすがに案の浮かびようも無かった。


「魔王の追撃を開始してから、後手後手に回ってしまっている。果たして魔王をおびき出せるだろうか」

「彼らは隠れている事で最大の利益を得ています。おいそれとは現れないでしょう」

「交易都市からの支援が途絶えてしまい、最前線の国も怪物の流出の被害で農地がかなり損害を受けている。このままでは敵の城を落としたまま、飢えてしまう恐れもある」

「本国エローエから補給物資を送ってもらうというのは」

「補給線が長くなりすぎるし、流れ出た怪物たちに襲われる可能性の方が今は大きいだろう。現実的ではないようだ。……ここはもう、撤退するしかないのだろうか」

「勇者様、何度も申し上げましたが、撤退をすれば、それは黒髪様が勇者として得てきた名声が全て消え去る結果になります。食料であれば、怪物達を殺してその肉を食べれば解決するのではありませんか」

「貴女はまるで怪物のような発想をするんだね。だがこの怪物の地、連中の言葉ではモストリアというらしいが、この地に生きていくにはそういった覚悟も必要なのかもしれない」

「考え方を変え、現在、山を越えた先の帝国を中心に諸国を襲っている怪物禍を先に討ち、その後軍勢を整えて改めて魔王を討つ、というのはいかがでしょうか。この未来都市は英雄隊が守備していることもあり、ある程度は任せても良いのでは」

「いや、それはダメだ。まずもって人は目に見える成果を重視するし、今の怪物禍だって僕のせいだと言いたてるに違いない。厄介者扱いされるのが落ちだよ。それに交易都市のエローエ市民も支援物資を送ってくれないところを見ると、かなりの損害を受けたのだろう。もう僕の言う事に耳を貸してくれないかもしれない」

「最前線の国の人々は貴方様にひとかたならぬ感謝の念を持っているので、しばらくの補給の目途は立ちます。が、それ以上の事を考えるのなら、一度交易都市に戻って体制を立て直す必要があります。それこそ、指示に従わねば市外へ追放する位の気合で」

「だが、魔王の追撃を継続しないわけにはいかない」

「追撃行だけなら、人に任せる事も可能ではありませんか」


 勇者黒髪にとって、ヴィクトリアの言う事はいちいちもっともなことではあった。そこで、黒髪が統領とんがりを打倒すると決めた時から彼の支持者であった、河向こうの王国が付けてくれた騎士を、自身の代理として追撃行を任せて、彼自身と妖精女、そして少数の兵は補給体制の再構築のために交易都市へと向かった。この騎士は長く勇者を助けているだけあって信頼が置けたし、戦闘の腕も中々の物があった、と勇者は見ていた。


 残念ながら、この選択は勇者黒髪にとって致命的ともいえる失策になってしまう。そして、モストリアに並び立つ登場人物たちの中で、最も情報を大切にし、その収拾に努力を惜しまなかったものは、トカゲ軍人あったというしかない。



 勇者黒髪が最前線の国をも越えた事を把握したトカゲ軍人は、魔王が騎士の率いる部隊の近くに居る、という虚報を流す。長く続く戦に疲労した兵を統率するのは容易ではない。そして、楽な方向へ流れてしまう動きを精査し見直すのも指揮官の任務である。人格及び戦闘能力では申し分ないこの川向こうの王国の騎士も、この種類の経験と能力には欠けていた。これまで全て、勇者が行ってきたことだからだ。故に、トカゲ軍人の流した虚報にいとも容易く乗ってしまう。気が付くと、多数の怪物達に包囲されていたこの部隊は、剣が折れる程の激戦を戦い、ただの一人も残らず戦死した。騎士はこの失態の責任を悟り、トカゲ軍人目掛けて切りかかっていったが、腕に自信のあるトカゲ軍人が挑戦に応えてくれた結果、華々しく討ち死にした。この我慢比べ、トカゲ軍人の勝利であった。


 未来都市を押さえる英雄隊がこの全滅を知ったのは数日後であったが、彼らも自分たちの事で手いっぱいであった事に加え、勇者をライバル視していたため、最前線の国や交易都市に使者を送らなかった。その為、勇者黒髪がこの悲劇を知るのは、なんとか補給物資調達の目途をつけて未来都市に戻ってきた二週間後の事となる。

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