第32話 当て所なき追撃

 魔少女がリモスの労働復帰のために策動を始めたのは洞窟から金を掘り出し、リモス一党の経済力を高めるためである。彼らの金は人間世界へは都市エローエを仲介して広められたが、怪物の世界では、洞窟と魔王の都を仲介とした。前者は生産地として、後者は上納金の行く先として。


 今や未来都市と名を変えた魔王の都モストリアに、査問官と前洞窟長インポスト氏が到着した。体が頑健な怪物であり、情報収集に熱心でなく、それでいて勇者の遠征軍が出回っていることは把握していたので、怪物の集落もすっ飛ばして到着したのだが、その変わりように査問官ががっくり膝を抱えて落ち込んだのと対照的に、インポスト氏は久々の都にうっとりとした。

 査問官が情報収集をしている間、インポスト氏はニコニコしながら独り言ちた。


「百数十年ぶりに都へ戻れた。実際、都モストリアの空気を吸うと、高貴なるもの、感じるね。ここで我が身の不名誉が偽りであることを証明し、ここに暮らそうととも。」


 心も体も踊るインポスト氏に、戻ってきた査問官が怪物側の現状を伝えた。曰く、魔王とその近衛は宮殿を脱出し現在も逃走中である事、宮殿には英雄隊と称する人間の武装勢力が陣取っている事、魔王の神官率いる魔人隊が勇者黒髪の計略により敗れた事、その勇者黒髪はこのモストリアを拠点に魔王の探索と追撃を続けている事が伝わる。


「我らが魔王の栄府はいずこや。」

「消え失せた。地下へ潜伏したのかもしれないが。」


 衝撃のあまり気絶したインポスト氏を抱えて、査問官は知己を頼りにある邸宅へ向かう。だがそこは既にもぬけの殻で、脱出ないし捕らわれでもしたかのようだった。グレムリンの査問官、インポスト氏に曰く、


「都がこの有様では、本件の報告先も無い、という事になる。よってもはや本件をこれ以上取り扱う部署も消えた、と判断してよいだろう。あなたを解放するから、グロッソ洞窟へ帰るなり、好きにすると良いだろう。」


 意識を取り戻したインポスト氏は、弱々しい顔つきを査問官に向け曰く、


「魔王の都は今後どうなるのか、あなたはこれからどうするのか。」


 査問官はあまり口に出したくもないのだが、と前置きして


「陛下や近衛の方々の行方も知れぬということは、相当の激戦の末の都落ちだろう。幾人かは討ち死にされたのかもしれぬ。私は任地に戻り、新たなる秩序が成立するまで持ち場を死守するつもりだ。」

「待たれよ、その前にせめて、あなたに査問の指示を命じられた方に私も含めた今後の身の振り方を仰ぐべきではないか。死んだとは限らないではないか。」

「それもそうだが、居場所がわからないのでは。」


 するとインポスト氏、いきなり強靭な腕をすさまじい勢いで伸ばし、査問官の口元を麻布で覆いふんじばって鬼の形相に目から火花を散らせながら曰く、


「凡夫め、それならお前が探してくるのだ。この危機にあって、我らが祖国を見捨てるのか。憎き人間たちにやられっぱなしなのはいつもの事としても、都を明け渡すのか。貴様らがわたしのような有能な素材を辺境に置き都モストリアから遠ざけた結果がこれだ。この落城で幾体の輩が死んだかもしれぬ。貴様ら指導層はそれでよいのか。自分から遠い怪物どもの死なら、見て見ぬ振りができるとでもいうのか。明日は我が身であるとなぜわからないのか。この屈辱、貴様にぶつければ晴れるのか!」


 刹那起こった氏の激変に思考力を奪われ、口を封じられて魔術を用いる事も塞がれた査問官は、それは八つ当たりだ、と抗議するが同時にインポスト氏が彼に査問を命じた近衛衆へのどさくさ紛れの復讐を決行する事を警戒した。すると、インポスト氏は査問官の首をさらに絞め上げる。骨が折れそうなほど軋む音が自分の体内から聞こえると、査問官は迫りくる死に怯えた。その表情に対し、インポスト氏は諭すように語る。


「死にたくなければ、私の手足となり、情報収集に努めること、承知できるか。」


 査問官は生と死の狭間で頷くしかない。

 洞窟長として指示を出す事に慣れたインポスト氏はとにかく手足となる怪物が欲しかったのだ。管理職の哀しい性であるが、リモスから巻き上げていた金をグロッソ洞窟の他、モストリアにも投資の形で金を送っていたため、まだ逃走をしていない怪物有力者を脅して正当な手段で軍資金を得るなど、地位に占める働きを行った。モストリアを覆う大混乱の中、このような活動は迷える怪物たちを求心する力になる事に、インポスト氏は気が付いていたのだろうか。恐らく、名誉回復を願う思いにより無自覚的に行ったに違いない。インポスト氏の事務所は、たちまちアンチ・英雄隊の拠点のような賑わいを見せ始める。


 一方の英雄隊による未来都市運営だが、何もかもが上手く行っていなかった。まず、隊の半分近くの連中が、怪物の都市にある財宝、高価な武具・道具、美術品に目をつけるや、それを土産に故郷へ帰る事を求め始めたのだ。勇者は未来都市を拠点に魔王追撃を繰り返していたが、魔王どころかその近衛すら一向に見つからない。もはやここでやる事は無い、と判断した兵たちは、略奪品を台車に乗せて、帰路につき始めた。それも、怪物の襲撃を避けるために、まとまって帰還しはじめると、英雄隊首脳陣の人員は薄くなり始めた。より少ない陣容で人間より怪物の多いこの都を維持しなければならないのだから、それは至難の業であるといえた。さらに、どこからともなく流れ始めた噂が、混乱に拍車をかけた。

 それは、魔王の都にある金塊と、勇者の使用する金塊が全く同じ素材である、というものだった。


「同じ金なのだろう。なら当然ではないかね。」

「交易都市の金貨と都市エローエの金貨を比べてみると、色合いや硬さも違う。交易都市は金貨の強度を強くするため、銀や銅、錫を合金としているのからだが、交易都市純金の金貨ともやはり色合いが違う。金が取れた土地が違うのだろう。だが、勇者殿の金と怪物たちの金は、色合いから素材はまで全く同じように見える。」

「まさか勇者黒髪殿が、怪物からリベートを受けていたとでも。」


 勇者の追撃行は、モストリア領内の征服行でもある。出撃の度に怪物達を殺し、疲労して戻ってきた黒髪の耳に、英雄隊首脳陣による勇者への疑惑が伝えられると、さすがの勇者も怒りを爆発させるところであった。が、なんとしても勇者の戦線離脱を防がねばならない妖精女は、


「この噂、どうやら最前線の王国より流れてきているようです。」


 と黒髪の耳に入れ、怒りの矛先を巧みに変えるテクを見せる。


 この頃、最前線の王国の民から、王家の統治に不満を持つ人々が王位に勇者黒髪を推戴したい、という彼らからの打診があったのだ。不満を持っているのは大多数を占める農民層で、魔王が退治されたというのに、税金が一向に安くならず、減税の依頼も明確な理由なく却下されたことに頭にきての事だという。勇者は反乱の誘いを断ったが、王家でもその動きを把握していたようだ。魔王という危機がなくなったとたん、内乱の気配が漂い始めていた。妖精女はここでも、


「その行方はともかく魔王の存在が希薄になり、人間世界を覆っていた恐怖の蓋がなくなったのです。これから人間同士の争いは増えるでしょうが、勇者様は決して権力闘争に与されぬよう。勇者たる者、外聞が悪い事は避けねばなりません。」


となかなか的確な助言を施している。

 だが、勇者も魔王討伐にほとんど協力しなかった最前線の国の王家へ意趣返しは必要だと考えたらしく、交易都市を牛耳るエローエ市民たちに、この革命話をそれとなく伝えた。その一か月後、最前線の国で下層民主導の暴動が発生し、王家の面々はみな追放されてしまった。勇者黙認による革命の成功により、人々は勇者もまた政治的な存在であることを思い出しただろう。英雄隊はこの追放された王家と親しかったため、彼らはもう勇者を信じようとはしなくなってしまう。敵との前線において、共同歩調を取る事など夢となってしまった。


 それはそれとして、と勇者黒髪も、金の噂を検証する。彼が猿から奪い取った金と、魔王の都に存在していた金、良く見てみれば、色艶、輝きも鑑写しのようではあった。その出所はリモスであったから、当然ではあるのだが、ここに至って、勇者黒髪は自身がハメられていた可能性に思いを致すようになる。例えばグロッソ洞窟の連中に、自分を魔王の都へ遠征に出させなければならない理由があったのだろうか、と。しかし、と黒髪は考える。仮に操られていたとしても、この頂きに到達したことは事実であり、この機会を活用する事は、今の自分にとって必須である、と猿らに対する復讐心はとりあえず置いておくことができた。この件で公式な意見を求められた勇者黒髪は、


「似せたるもの多し。」


 と発言するだけで、二度と話題にはしなかった。


「金の出所などどうでもよい。」


 それどころではないではないか。勇者黒髪は、都市の内外で起こる怪物と人間の衝突を見て痛感する。これまでこの都市は大多数の怪物たちが少数の人間を支配する形で存続していたが、いまやそれがひっくり返った。この革命は人間にも怪物にも多大な犠牲を強いている。どのようにすれば平和が確立するか考えていると、勇者の脳裏にはグロッソ洞窟の存在が思い浮かぶのであった。しかし、苦悩と疲弊が黒髪の頭から十全な思考力を奪いつづける。勇者はまた、追撃行のため、部隊を整え出陣していった。苦労を進んで背負ったこの若者の後姿は、近くに侍る妖精女の目には眩く映った事だろう。この頃は、彼女も追撃行に同行して、勇者の支援活動を手伝っていた。


 そんな事が繰り返されていたある日、妖精女の下にかつての恋人から会いたい、という手紙が届いた。夜、人目を避け、妖精女はかつての恋人に会いに行く。待っていたのはトカゲ軍人その輩であった。互いにとって久々の顔合わせだが、この二人の男女関係は、出世のために有力者の娘との婚姻を必要としたトカゲ軍人の手によって、すでに清算されていた。戦場でお前を目撃したため、手紙をしたためた、と言うトカゲ軍人は、過去を懐かしむ言葉を二三述べただけで、現状の妖精女の立場も知った上で、と前置いてから要求を伝えた。曰く、


「魔王とその近衛は勇者の追撃を巧妙に避けながら反転攻撃の機会を練っている。故に、これ以上のモストリア滞在は、勇者の破滅へとつながるだけである。また、少数の人間に、多数の怪物の統治は不可能である。命あるうちに、祖国へ帰国せよ。」


 であった。

 何度も追撃をかけて一向に魔王を補足できないのは、このトカゲ軍人が恐らく陣頭指揮を執り始めたからだろう。ここで、トカゲ軍人は妖精女にとって重要な情報を伝える。


「グロッソ洞窟でも政変があり、インポスト氏は洞窟長を左遷され、猿も混乱の責任を取らされ、どこにいるかは不明だが今は洞窟にいない。」


と知らされた。妖精女にとってこの情報はありがたい物であった。彼女が洞窟を愛する気持ちは、リモスやその一党を大切に思う気持ちと同じ種類のものであったからだ。そして、猿不在の今、彼女は自らが主導権を握って行動を起こす、と決めた。とりあえず、礼儀を大切にして彼女をここに呼んだトカゲ軍人に対しては、彼女も無礼は控えて、条件を勇者黒髪に伝える、とのみ返しておく。勇者が休息する邸宅に戻る道すがら、彼女は勇者を駆使して困難な運命に立ち向かう、と決心した。トカゲ軍人が相手である以上、勇者を男にしてやらねば、未来は見えなかった。

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