第70話 勇者の正妻と愛人、他

「相変わらずいかにもお育ちの良さそうなお顔だ。まあ私の方が勇者の趣味に適っているかな」

「扮装しているけれど、端正な目鼻立ち。この地で苦労してきているようね」


 対面して心の声を封じたこの二人が顔を合わせるのは初めてではない。二度目だ。黒髪が魔王の都への遠征を決めた時点での双方の立場は、妖精女は勇者の従者として、女王は花嫁として。その時は二人とも勇者黒髪への好意はまだ大きいものではなかったため、その傍にいる、あるいは公式な立場を得る相手への関心は低かった。だからこれが実質的な初対面だ。


 妖精女自身、勇者の死はこの正妻救出作戦の延長線上にあると考えている。自分が愛する勇者は死体すら帰ってこないのに、その正妻は負傷しながらも自分を頼って目の前にいる。心中穏やかではいられなかった。しかし、女王が戦いの中で負傷していること。また女王が対等な立場で首を垂れたことで、とりあえずにしても激情は治まっていた。未亡人は遠慮がちに口を開いた。


「今の私にはどんな力もありません。相続するべき一片の土地も、親族の力を借りることも、今の私にはできません。夫との間に子もありません」


 妖精女はダシをとりきった煮干しのような存在を連れてきたヘルメット魔人を詰りたくなったが、勇者黒髪であればこのような境遇にある者を見捨てたりはしないだろう、とも思う。それに勇者の死の成果が、この女性であったのだから、女王を守る事は自身の立場の強化にもつながるだろう。


「勇者黒髪の行いに従おう。幸いにも、彼の死は人間世界にはバレていない。事跡をなぞる事が、私の務めだ」



 というわけで、女王を厚遇することに決める。当の女王も今や行く場所なく、王国を取り戻す算段もたたない。敵は実父だけでなく、彼が手を結んだ魔王、こちらのが余りに手強かった。


 無論、勇者付きの婢女に頭を下げた女王も忍耐の辛苦を味わっていた。心中では、夫黒髪の愛人である女に縋るのは気が重く、逃亡先の帝国領で自害しようかとも考えたが、逃走行を同行したヘルメット魔人の強い励ましによって、気を持ち直したのである。しかしいざ会話をしてみれば、夫の装いを真似ているその愛人に対して、強い嫌悪が湧いてきた。そも正妻でもないくせに、なによりも悪趣味である。今や唯一の庇護者であるヘルメット魔人が、


「あれは世間に対しての擬装だから、気にするには及ばないです、はい」


と言っても、心に残るものはあった。故か、二人が会って会話をするのは、間にヘルメット魔人が入った時だけである。とても仲が良好であったとは言えなかった。幸いなのは、妖精女も気配りはしたし、負傷の治療に専念する女王も差し出口を一切しなかったことだろう。稀に見る幸運な、正妻と愛人の関係であった。


 そんな女王を庇護するつもりで単身王国に残留しておきながら、無様にも防衛に失敗したヘルメット魔人への風当たりは強かったが、外聞に気を病む質でもなかったため、誰もが嫌がるこのような調整役を行うことで、勇者残党陣営の中で、改めて頼りにされていく。特に、この元奴隷戦士が前線に出てくると、その抜群の戦闘能力を持って、部隊が活気付くのである。これを見た猿曰く、


「妬ましい程に生き生きしているな。勇者はこんな人材をモストリアをで得ていたのか」


と、今後の先行きにも願い得る展望が射し始めていた。



 ヘルメット魔人は、戦場での活躍と二人の女の仲裁の間に、捕虜にした、というよりも同行を希望したリモスと会話をする事が多かった。グロッソ洞窟内の事情と情報を得るためである。これに無視されないことに飢えていたリモスはなんでも喋った。家族である魔女と魔少女、そして妖精女妹以外の事を。この恥知らずな裏切り行為にヘルメット魔人は隠してはいたが、呆れてもいた。が、道中、負傷した女王の看病も進んで行った粘液体に、貢献を認める気にもなっていた。長く共に旅をすれば、心もつながるだろう。だからか、ヘルメット魔人は、


「なあリモスよ、あんた勇者黒髪を見知っているのかね、聞かせろよ」


と、粘液体を名前で呼んだ。勇者黒髪を数回だが見た事がある、ということも、ヘルメット魔人がリモスに好感情を抱くに役立った。同時に、洞窟の金の全てを知るこの怪物こそが、全ての動乱の原初なのではないかとも感じていた。


 このように、戦闘一本槍の一人と、ちっとも社交的でないはずの一体の出会いは良好なものである。



 そして。帰還したヘルメット魔人一行をまず出迎えたのが猿であった事は誰にとっても幸運であったかもしれない。旧知の仲である猿とリモスは、旧魔王の都という意外な場所での再会を寿ぎあった。猿はヘルメット魔人と女王を妖精女の下へ案内すると、自分はリモスと二人きりになった。


「本当に生きていて良かった」

「インポスト氏は俺を殺しきることもできない出来だったってことだよ。そしてここモストリアでもまた、氏は俺がいる陣営に敵対しているのだ」

「そうか、彼の方はモストリアに召喚されたんだったね」

「俺もお前に再開できて嬉しいが、なぜ未來都市に?あのヘルメット野郎に捕まったのか」

「形式的には。実際は、魔王になったトカゲの閣下に従うのが嫌になったんだよ」

「俺はそのトカゲとは面識がないから何も言えねえが、結局グロッソ洞窟と敵対するのか?お前の至上命題はどうするんだ」

「敵対はしたくない。魔女やあの子は閣下に従っているし…そうなんだよ、驚いた顔しているけど、あの子は今やがいこつ集団を率いる魔王陛下の良き片腕だよ。ところで君は?」

「時代は進んでいるんだな。俺は勇者黒髪の陣営で働いているよ。目下のところ、モストリアは内乱中だからな。勝つ方に乗っかってるんだよ」

「勇者黒髪?彼は死んだはずだが……」

「そうだったな。グロッソ洞窟の連中はみんな知っていることだったな。正確には勇者黒髪の意志を継ごうと奮闘している奴がいて、そいつに協力している。お前も会えば吃驚するはずだぜ」

「いや、僕はあまり役に立たないと思うからやめとくよ。君も覚えているかな、その死んだ勇者黒髪が洞窟を脅しに来たあの頃にいた妖精の女。いつの間にか居なくなった彼女を探しにでも行こうと思う」

「……それは何処へ?」

「それはわからないけれど。人間の帝国領付近に住んでいる友人に会いに行ったって話だ。彼女はボクの愛人だったから。?如何したの君、そんなに難しい顔して」

「リモスよ、お前は運命に翻弄される運命にあるようだ。だが、運命なんてものは、従わせなければ、いつまでたっても俺たちを虐待しつづけるぜ。やられっぱなしだ……決めたぞ、よし決めたぞ。とにかくこっちに来てくれ」


 猿の案内で執政室に連れられたリモスは、そこで再開した者の顔を見て愕然とする。作り物のような黒い髪、いつでも戦いや旅に飛び出していけるような装いをした者は、しかし明らかに勇者黒髪ではない。思い出の中では見慣れた妖精女であったのである。


 妖精女も驚いていた。


「仲間が捕虜でない捕虜と同行した、と言っていたけれど、あなたのことだったのね。お久しぶり、本当に」


 驚くリモスに懐かしむ妖精女。猿は部屋には入ってこなかったので、二体きりである。衝撃から立ち直ったリモスの頭にはすぐ血が上り始める。粘液体は妖精女を非難し始めた。それは長きに渡る不在について。


「連絡の一つもなかった」


 その言葉へ率直に詫びる妖精女であった。しかし、彼女は自分の身の上は語らない。優しい言葉を受けたら過去も恥も忘れて日常に回帰したがるリモスの性質を良く承知していた妖精女は、懐かしい声に対して詫び続けるのであった。復縁を誘う言葉を封じるために。かつての愛人の狙った通りに、君とやり直したい、とどうしてもリモスは言えなかった。そのうちに非難の言葉も終わってしまう。


 リモスは威厳ある部屋に勇者の姿をして立つかつての愛人を見て、何か大きな事業を彼女がしていることには気がついていた。だがそれへの協力すら求められないのだ。新しい傷心を胸に、部屋を退出するしかなかった。


 リモスが去った後、かつての情夫の一人である彼が自分の過去を暴露するのではないか、その事が頭にちらつき始めた妖精女の前に、猿が入って来た。


「あなたは友達思いなのね」


 険のある言葉を受け猿は、


「この二体の関係はこちらにも問題がありそうだ」


 と感じた。


「リモスをどうするね」

「未来都市の秩序を乱す恐れがあれば、退去してもらうつもり」


 予想通りの返事が来た、と思った猿曰く、


「あの勇者黒髪ではであれば、どうするだろう」

「彼はあまり恋愛には興味がなかったみたいだけど」

「そうではない。仲間、同志、パーティとしてだよ」

「リモスは戦闘向きの怪物ではないわ、あなた以上にね」

「だが金採掘の能力に長けている。恐らくどの怪物たちよりも。リーダーの素質だってないわけではない。都市エローエに代理人を送り込んだあの戦いは、リモスが真の企画立案実働担当だった。」

「でも精神状態は不安定すぎる」

「それも自分自身に自信が持てないからだ。上司や仲間に認められないためだ」

「情婦にすら、が抜けているようね」

「おい、お前ともあろうものが、下らない感情でみすみす異才を追放するのか。だから言ったんだよ、勇者黒髪ならどうするだろうかと」

「あなたはどうすると思うの」

「俺が黒髪とあったのは全部で三回だ。それでも無駄の少ない男だったと思う。人間の癖に怪物と盟約を結ぶなど困難なことを秘密裏にとはいえ、やってのけたのだ。奴には洞察力も欠けていなかった。問題視したのは洞窟の金で、脅迫と懐柔の両方を使ってそれを自分のものにしてしまった。…お前が勇者黒髪の事績をなぞるなら、リモスに対してもそうしなきゃな。それにリモスは使える奴だ。使う側にその気さえあれば。まして相手の弱みに付け込んで卑劣な行いをするタイプじゃない」

「それはそうかも。あなたはかなり、彼を評価しているようだけど」

「孤独を愛するリモスだが、無視されるのは許せない、という性格には問題はあるさ。しかし洞窟と都市とモストリアと勇者、そして新しい魔王は、リモスの金発掘がなければ今の様子とは違った形になっていたはずだよ。お前、そう思わないのか」

「それは認めます。しかし、この運命、走り出したら止まる事はないでしょう。その妨害をする輩は許す事はできない。例えそれが、かつての仲間であっても」

「ならばなにも問題はない。それでもリモスはお前に惚れているから。絶対に裏切らないよ」

「グロッソ洞窟を出て来たのでしょう。彼にとっての母国を裏切っていると言えないかしら」

「奴が愛していたのは自分の職場であり存在意義だ。奴は至上命題なんて宣っているがね。洞窟それ自体には、前からあまり思い入れはなかったように思えるよ。だが、お前には思い入れがある。ここに来た当初、お前を探しに出る、なんていうくらいに」

「そう……哀れね」

「そう思うのならば、奴をお前の手で存分に使ってやってほしい。裏切りはない。俺が保証する。」

「わかったわ。彼の未来都市居住を認めましょう。但し、条件を。私が与える彼への任務は、必ずあなたが側で支援し続ける事、どう?」

「いいだろう。戦いの場はあのヘルメットがいればもう大丈夫だ」

「それでもあなたにはいろいろと相談するわ。さっきのあなたの言葉に従えば、私がここにいるのは間違いなくあなたの命令が発端なのだから」

「そうとも!そして結果的にどうあれ、勇者黒髪はグロッソ洞窟には二度と攻め込んで来なかった。俺は、お前を黒髪の側に送り込んだ事は成功したと思っているよ。今のお前の姿を見れば、それこそなおさらそう思う」

「私の望みは勇者の仇を討つこと。そして彼が望んだ世界をこの未来都市で実現させること。あなたは夢も理想も持たないでしょ。私に協力しない理由はないわね」

「はっはっはっ、そうとも」


 このように猿の懸命の説得が功を奏して、妖精女はリモスを受け容れた。それもリモスをに相応しい任務を見つけて。



 その日、リモスと猿は行政府が置かれた建物の一角に呼ばれる。そこにはその分厚さよりも圧倒的な威圧感と冷涼感で印象的な扉があった。


「これは魔王の宮殿の金庫。この中には前の魔王が人間たちから巻き上げた金銀財宝が納められているという話です。かつて勇者黒髪の遠征時に、最初に都市を占拠した英雄隊というあらくれが開錠を狙ったものの、何をやっても開かなかった。その後の勇者黒髪も同じ。」

「勇者も開けることができなかったのか。そんなものを、どうしようと?」

「あなたたちに、この扉を開錠してもらいたい。どのような手段を用いてでも結構よ

中にある財宝は、未来都市のためになるのだから」

「鍵の在り処について、情報はないのか」

「魔王が都落ちするときにその近衛たちが持って行ったという話だけれど、その行方は全く掴めていないわ」

「もうのたれ死んでいるという噂もあるくらいだしな」

「グロッソ洞窟でのあなたの腕前を、ここでもぜひ見せてもらいたいところね。……では、私はこれから戦場に出ます。良い案が浮かんだら教えてね」


 妖精女が去ると、リモスと猿は思案を開始する。

「おれたちに破壊する事はできないぜ」

「いや、それ以外にいい案があるよ」

「ほう、それは?」

「かつて魔術師とんがりは、僕の前で宝箱の鍵をどんどん開けていった。あの技術があれば、これもいけるんじゃないだろうか」

「死んだとんがりと同じ技術を備えた奴をを探すのか」

「いや、とんがりのがいこつをここに連れてくる。」

「なるほど。しかし、魔女がいなければ、がいこつは動かないんじゃないか。魔女も一緒に連れてくるのか」

「魔女に聞いた話だと、命令を受けないがいこつは、生前に好んだ行動を静かに繰り返すだけで時を過ごすらしい。とんがりは鍵あけの名人で、その腕で黒髪の仲間に招かれた、と彼自身で言っていたよ。」

「とんがりは生粋の盗賊だったというわけか」


 このような不確実な案、人間であれば取り上げずに却下してしまうだろう。しかし彼らは怪物であり、彼らの短慮は美徳でもあった。言い換えれば行動力である。思い立てば速いのだ。


「よし、それでいこうか。失敗したら……いいや、知らねえ」


 妖精女が戦場から戻ってくると、二体はこの案で行く旨を伝えた。実現性はともあれ、妖精女はリモスが未来都市から離れてくれる事を心中では望んでいたため、これを二つ返事で受け入れた。


「頑張ってね」


 この言葉でだけで洞察力のある猿は妖精女の本心を悟った。気をつけて行ってきてね、でも、無事に戻ってきてね、でもないのか、と。だが、リモスは彼女から前向きな声をかけられた事で舞い上がっていた。


 道中、二体の怪物が護衛に従った。一体は主にニワトリの怪物で、甲高い声で妖精女の指示で護衛役を命令されたと告げた。もう一体は主にワシの怪物で、これは帝国領で活動していた頃の猿の仲間の一体だ。当時の恩義に報いるために、と協力を買って出てきた。


「お前達は俺たちを背中に乗せられるか」

「そこまで体が強くないからムリです……そちらの粘液体であれば軽いから良いですよ」


 新たなるリモス一行はこうしてグロッソ洞窟への家路を急いだ。

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