第69話 勇者の残影の中で

 トカゲ軍人が魔王を称し始め、河向こうの王国を混乱に陥れた頃、新たなる魔王にとって最大の敵対集団に為りえる可能性を持つ未来都市では何が起こっていたのか。遠いモストリアにあって、勇者黒髪の死をどのように受け止め、行動を行なっていたか。


 黒髪の愛人兼知恵袋であった妖精女と、黒髪が帝国領への遠征中にモストリアの後事を信頼して託した神官との間が一触即発の危機に陥っていた。その原因は、神官の側にあり、きっかけは勇者の死から。征服されたモストリアにあって勇者との折衝に立ち向かった神官は、やり取りを通して彼に心酔していたといってよい。故に、彼が率いてきたその与党にも厚遇を与えていたが、敬愛すべき黒髪亡き後にはその与党は邪魔なだけであった。すでにトカゲ軍人が魔王を名乗っているから、行方不明のままである前任者は前魔王としよう。前魔王が行方知れずになった後、新たなる魔王の候補として神官は勇者黒髪を擁立したいと考えていた。故に、モストリアの総督にするべく運動もし、達成されたときは常に慇懃冷静な神官らしくなく、勇者に破顔したものである。勇者の死後、新たなる魔王が誕生したと聞くと、


「勇者を暗殺したあのトカゲ軍人か。実力は十分でも、怪物たちの上に立つ決定的な要素が不足しているのではないかな」


 神官はそれを畏怖の力だと考える。怪物世界の首府であるモストリアの怪物衆にとって、前魔王の政権を討ち果たした黒髪は恐るべき外敵、驚異的な勇者である。畏怖の効能を活かすのに最も適した有資格者である。しかしトカゲ軍人は、モストリアの怪物たちからすればただの田舎者にすぎなかったのだ。その出身はモストリアではないが魔王に仕えて地道な出世を繰り返した叩き上げの戦士だ。まして、前魔王をその近衛とともに守護奉っておきながら、それに失敗して出奔している。


「放置して良い相手だ」


と神官は目下の宿敵の打破を目指して陰謀を張り巡らせていく。


ところで当の自分に畏怖の力は備わっていたのか、神官は備わっているとは思っていなかった。自分自身では魔王になるつもりがないからそれで良いのだと。しかしこれは魔王への野心の有無ではなく、怪物の面子に関わる才能だ。心構えは顔にもでる。よって妖精女は、


「神官の狂気が去れば、また共に歩めるはず。狂いの中にあっては彼は破滅するだけ。早くそれに気が付いてほしいのだけれど」


と勇者的に考えていた。神官の振る舞いは勇者が死んでしまった事によるショックで起こった混乱をなのだと。妖精女を助ける怪物や人から、


「何故そう思うのですか」


と問われれば簡潔に曰く、


「彼は器ではないから」



 神官から一方的に敵と見做された妖精女は、黒髪の死の時からはだいぶ変わった。事業の継承を決意してからは黒髪を真似た男装の装いをし、喋り方や振る舞い方、考え方まで、思い出の中にある黒髪の姿をなぞり始めたのだ。それを見た連中曰く、


「黒髪に似てるっちゃあ似てるが、似てないといえばまあ。それにしても別嬪だなあ。美形だとは知っていたが、あんなに凛々しかったっけ」

「いや、もっとあだっぽかったはずだ」

「男装すると、女の容姿は二割増になるって言うがな」


 グロッソ洞窟付近の娼婦であったのはもはや遠い過去の事のようだ、と妖精女自身も思っていた。しかし、どうしても模倣できないものもある。黒髪が勇者の名を獲得したのは、戦闘能力と勇気の面からだが、こればかりはどうにもならなかった。また、妖精女の髪の色は亜麻色であるが、生前の黒髪を知っている連中は、どうしても妖精女の行いが滑稽に見えてしまう。それを指摘されるまでもなく自覚していた彼女は、なんと自分の髪を剃って落とし、烏の濡れ羽色のカツラを身につける事までした。


「落髪してヅラにしたって?あたら美女がもったいない。しかし、勇者黒髪に結構似てきたかもな」

「結構どころじゃない、ふと見ると、見紛うぜ」

「勇者黒髪だってあそこまで凛としてはいなかったがな。怪物、復讐を誓うと神々しくなるものなのかな」


 とはいえ彼女のこんな行いも、神官の勘に触るのであった。


「婢の粋がる姿は見苦しい。勇気黒髪を僭称するものはあってはならない。誰もが彼のようにはなれないのだから。許されざる行為である」


 黒髪の遺産を守るために肉体も精神も故人に近づけようとする妖精女と、勇者を崇拝するあまりだれもその高みに近づく事を許さない神官との争いは全くもって不毛であった。そして未来都市は旧魔王の都なのだ。どちらの側にも大義が立ってしまう。火をつける輩がいれば、容易に騒動になってしまう。


 その時は我慢と忍耐の限界に達した時だった。ついに神官はかつての仲間に攻撃を仕掛けた。彼が内乱の火蓋を切ったのである。未来都市内の行政府すなわち旧魔王の宮殿目掛けて、衆に頼んで強襲を掛けた。率いた怪物たちはモストリアの伝統的怪物が多く、腕もまずまずの連中が揃っていたため、妖精女の陣営も大いに押し込まれてしまう。だが、攻め手の士気が高いとは言えなかった。妖精女の側についたのは、人間たち、魔人たち、勇者黒髪の恩顧を受けたことがある怪物たちで、比較的にせよ少数派であった。それでも、最初の衝突は引き分けで終わる。


 こうなるとモストリア領域で両派の争いが頻発するようになる。長期化だ。戦いが続くと双方結束が強まり、相手への憎悪は深まるばかり。内乱は、せっかく勇者が設計整備した未来都市の街並みも荒らし始める。


 未来都市がこの有様なので、もうこのモストリアを捨て新しい魔王が出現した土地へ行こうか、と考える連中も現れ始める。その筆頭が、黒髪にこれまた心酔していた独眼の怪物である。彼は言う。


「やはり黒髪は死んだのだなあ。勇敢で、知略に満ち、時に向こう見ずだが仲間を見捨てない、我らにとっては理想的なモストリア総督であった彼はもうこの世の者ではない。妖精女と神官の醜い争いを見ると、つくづくそう思う」


 かつて帝国領で大きなコロニーを作ったこともある独眼だ。後継者争いを前に、明日を見失ってしまったのだ。独眼は思う。明日。明日をも知れぬのが我々怪物衆の生き方ではなかったか。勇者黒髪と出会って変わったのか。いずれにせよ、すでに得たものを失う事は出来ない、と。


 このような心境によってモストリアを去る輩が続いたのだが、積極的にどちらかに加担しようとする野心的な輩もいる。インポスト氏から重傷を負わされたのちモストリアへ流れていた猿の怪物は、かつての誼もあって、自ら進んで妖精女に加担した。


「とはいえ、俺は戦場では全く役に立たない。だからせめてお前の相談役か使いパシリにはなってやろう。それにしても、敵陣に比べて剛の者が少ない。軍資金も少ない。無い無い尽くしの中だが、さらに悪い知らせだ。河向こうの王国でクーデターが再発して、女王とその側近たちが国を追われたらしい」


 このような情報をいち早くキャッチできるのもも、猿の強みだった。


「あの国にはヘルメット魔人が駐屯していた。彼はどうなったのだろう」

「生死は不明だ。クーデターといっても、裏で糸を引いていたはずの新魔王が前線に立った激戦だったらしい。死んでる可能性もあるが、生きていれば、必ず戻ってくるだろう。俺は面識ないが、あの黒髪の右腕だったのだろう。勇者の仲間たちが帰還するのはこの都市しかないだろ」


 それにしても、と猿は考える。日に日に黒髪に似てくる妖精女だが、肝心の武力は真似できない。黒髪の大事業はやはり戦闘での力に拠っていたのだと。そんな黒髪でも殺された。力だけでは不足で、それを新魔王がはグロッソ洞窟で成し遂げようとしているのではないか。


「そうなるとその内に圧倒的な相手と競う事になる。どちらに転んでもこの戦、負けかな…」


 ところが誰もが予想していなかった事に、神官は妖精女の陣営を攻めあぐねるのだ。理由の一つには、神官にも妖精女のにも与しないで静観を決め込んだ怪物たちも多くいた事で、どちらも決定的な力を持てないでいたことがある。加えて、猿の怪物は帝国領に居た頃、曲がりなりにもコロニーの長を務めていたが、その折りに仲間だった怪物たちが猿への協力を申し出ていた。


「あの困難な時期、世話になった恩を返そう」


 思わぬ援軍に妖精女の陣営も力をづいた。また、神官の陣営は、思ったほど集まらない怪望の見通しの誤りに士気が低下していた。加えて、神官には妖精女の他にも敵がいた。


 かつて黒髪が死んだ直後に神官は、平原の蛮族たちを殺戮虐待して難民の発生を誘発させていたが、混乱を収拾した蛮族たちが意趣返しにと言わんばかりに、モストリアの神官は担当領域に侵入を繰り返していたのである。この野蛮な人間たちは、昼間は攻撃にはでずに、日没後、怪物たちを常に大勢で襲撃して確実に殺害していったから、この方面での損害を神官は無視できなくなる。


「忌ましましい人間どもめ」


 人間にせよ怪物にせよ、同胞の損害を無視してはどのような権能も維持できない。神官は兵力を二分するしかなかった。過去の行いに復讐されたといえる。



 危機を乗り越えることができるかもと見えた妖精女の陣営だが、さらなる試練がやって来る。ここで懐かしい顔が再登場する。かつてグロッソ洞窟の洞窟長であったインポスト氏とその軍門に下り部下に堕した査問官である。


「あの凡夫め、殺してやったと思ったのに生きておったか。モストリアは私のホーム。今度こそ確実に始末してやる」


と猿の怪物への個人的な怨念のみで、神官は陣営への参加を決めた。ここまで彼らは前魔王を捜索するために地下に潜伏していたがまるで手がかりも掴めず、目的を失っていた所に内戦の話を聞いて、俄然やる気を出した。


「ここで成果を上げて、前魔王陛下の陣営を糾合すれば、私は魔王の都に復権できるかもしれない」


しかし、この鬼の貴紳は怒りと屈辱に我を忘れた時、恐るべき戦闘能力を発揮するが、野心に目が眩んでいるときはろくな働きをしなくなるという特徴があった。この時もそうで、神官から預けられた怪物の群れを、その状況判断の甘さから四散するほどの大敗を喫してしまう。しかも、敵は猿の怪物は率いる群れであった。


「凡夫め。片輪のくせに、ゆ、許せん」


 久々に目にする猿の前で頭に血が上った氏は、強烈な攻撃を繰り出したが、敵どころか巻き添えを食った味方の怪物数体がバラバラになって吹き飛んだだけで、戦局全体には影響を与えることができなかった。さらには血圧が下がると危険な戦局に恐れをなし、そそくさと去っていった。それを見た猿は曰く、


「洞窟長は相変わらず変わっていないな。激変する今の時世で、あの安定は貴重だ」


 こうして猿とインポスト組の参加によって、妖精女の陣営は敵の勢いを押し返す事に成功していた。猿は片腕を失っていてもなお指導力を発揮していたが、インポスト氏は味方の足をひっぱるばかりであったからだ。


 そこに、ヘルメット魔人率いる河向こうの王国の残党が、未来都市に帰着したのである。強力な武力であるヘルメット魔人の参加は大きいはずであったが、妖精女の心中は喜び半分困惑半分であった。一緒に避難してきた勇者の正妻、女王の存在が彼女の心を曇らせていた。


 そしてヘルメット魔人と共に、リモスも未来都市の土を踏んだ。彼の到来もまた、運命の方角次第では吉凶いずれにも歩みえる事象であっただろう。

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