第106話 背後に道なし
グロッソ洞窟からは遠く離れたモストリアは未來都市の行政府にも、領域リザーディアの後継者についてのニュースが伝わった。ラの後継者指名を知ったリモスと猿は互いに渋い表情をするしかない。
「もう、洞窟の旧友たちは頼れないかな」
肩を落とすリモスに、誰もがその時々の立場に都合があるもんだ、と猿は諭して曰く、
「俺たちはモストリアも平定した。お前も戦い方を習得している。ここは勝負を掛けるべきだ。つまり、魔王と戦うんだ」
鼓舞に対してしかし、リモスは首を振って言う。
「もうグロッソ洞窟は放っておこうよ」
皆、洞窟で幸せをつかんだのだから。魔女も異形も他の輩も、人間であるラすらも、という訳だ。それでも猿は曰く、
「お前は認められず仕舞いだぞ」
「インポスト氏の体を乗っ取って、モストリアを席巻した。武勇伝としてはそれで十分すぎるよ」
「加えて魔王に己を認めさせた、という勲章もお前が生きていく上では必要だと思うがね」
しかし、リモスの言う事も心情として理解できる猿はそれ以上強要もできない。といって、物事が穏健平和に進む保証はないのだ。このことを断言してくれる怪物を、リモスと猿はこの時得ていた。モストリア平定中に遭遇し、鬼のリモスの力で痛めつけ、部下にしていたタコの怪物である。このタコは帆船都市で魔王に敗れてから、モストリアで力を蓄えていたのだが、締め上げられつつもリモスの力と目的を知るや、協力をかってでていたのである。モストリア平定の大きな収穫の一つであった。
市内の秩序を維持しているタコの怪物は、業務の間に戻って来てこの話を聞いて曰く、
「お前達甘いな。魔王は絶対にこの地を支配にやってくるだろうが、戦わずして手を挙げた裏切り野郎を誰が信じるんだ」
「それってボクのことか」
タコが頷いたのと同時に、猿も頷いていた。苦笑する三体。リモスは河向こうの王国を巡る争いに際して、グロッソ洞窟を裏切り勇者の残党側に鞍替えしている。
「そうとも、かつてのお仲間がなんと言おうが、魔王はお前達を絶対に信用しない。絶対に絶対に絶対に。それならば戦うしかないだろう。戦って自分達のとった行動がどのような理由に基づいていたか、魔王に見せつけるしかない。お前達が生き残る唯一の道だな」
「だが、旧友とも戦う事になる。それが嫌なんだ」
「だがね。今この時、味方でなければ、それは敵だよ。容赦する事はない」
強気なタコのアドバイスに感心する二体。
「あんた、色々と助言してくれるなあ。魔王が憎いからかい?」
「まあそうだ。あと、お前達の戦い方なら、あの魔王に一杯食らわせてやることができるかもしれないと思うからさ。ちょっとズルいほど、変わってるよ」
そう言いながら、リモスらとの戦いの時に負傷した箇所をさするタコ。
「なるほど。なら考えてみてくれ。あんたはあの魔王と肉薄できた化け物だ。弱点はないか」
「無いよ」
「ハッキリ言ってくれるね」
「あいつ、弱点無いんだから、本当に。他は一撃一撃が強靭な分、意外と体力が無いかもしれない。また恐るべしはあくまで魔王一体。側近に実力者はいない。その辺りで打開策を練るしかないだろ」
「側近に実力者は居ない……か」
「まあ、俺やお前の旧友なんだ。強い奴がいるはずがない」
未來都市にて対策を考える彼等にとって、時間は最大の味方であったが、魔王はそれを見越していた。具体策を実行に移す間もなく。領域リザーディアの軍がモストリアに迫ってきたのである。
「もう来たのか!いくらなんでも早すぎるだろう」
「おいおいおいおい、お前ら、直接魔王が率いてはいないそうだぜ」
「野郎の代理人は誰だ?」
「東洋人とかいう、なんと人間の野郎だそうだ!都市エローエの独裁者だったとか」
「あいつか!都市もろとも自分自身も魔王の軍門に入ったのか」
「それに怪物だけの軍じゃない。人間の兵もいるよ」
「皮肉だな。勇者黒髪が発明した怪人混成軍を、魔王がなぞるなんてな」
「モストリア遠征も、最初は勇者が始めた事だったね。トカゲの閣下は、勇者を真似ているのかなあ」
「おいおい、おたくら感心している場合か。このままだと、犬死するかもしれん。どうする?」
すでに、最前線の国も魔王陣営に属しているから、相手の補給は揺るがないだろう、という予測は簡単に成り立つ。二体とタコは、対策を考えあぐねてしまう。こういう時は決断と蛮勇が物を言う。そしてこの二つは、猿の専売特許でもあった。
「この場を凌ぐ考えならある。だがそうすると、俺たちは完全に魔王と対決する道を進む事になる」
同時期、戦場を東洋人に任せグロッソ洞窟に残留した魔王は洞窟の出城にあたる工事とともに、洞窟内の拡張工事も手がける多忙な日々を送っていた。
「戦争も建設も漢のロマン。向こうは東洋人がなんとかするだろうよ」
しかし、魔少女の実母の件で魔王に対して怒っていた魔女が、この頃は機嫌もすっかり直していたのだが、魔王の仕事を心配して曰く、
「あの子に計画の確認をとられたとか」
「洞窟内の形についてはラも特別な思いを持っていたからな。だが、それがどうしたのかね、嫗」
「何やら色々な権限をあちこち分与して、まるで隠居でもお考えなのではないかと」
「隠居はまだ先だが、内政は大変だよ。他の有識のわけ知ったり野郎に確認したくなるんだ。我輩も専門じゃないからな。だから独りで決定しなきゃならん戦争のほうが、ずっと楽で良い。魔王となった責任もあるから放り投げるわけにも行かないし。となると、協力してくれる連中を見つけて任せていくしか無い。それでも思い通りに動いてくれるわけではないものだが、ラは別だ。思い通りにならなくとも、満足の行く結果になる。あの子はさすがだな」
いつも通りの魔王の魔少女べた褒めに、魔女はご機嫌になる。
「そういうものなのですねえ」
「無論、他者任せが行き過ぎると、前の魔王の宮廷のようになるんだろうが。まあ、しばらくは心配しなさんな。さあ、あの辺りの輩共を追い散らすぞ」
魔王は強権を振るって、建設計画の線に当たってしまった不運な怪民をどかしていく。仁王立ちし周囲を睥睨しつつ曰く、
「不満があるなら我輩に行ってこい。補償も考えてやらんこともない。しっかりと我輩を説得できるのならな。だがこの工事は洞窟の為なのだ。多少の不便は我慢しろ」
魔王と戦って勝てる自信のある輩などいない。自分達の主君のこれまでの功績を思って、追い散らされながらも我慢するしかないのであった。
拓けた空間に頭巾の怪物の群れが入るや、直ちに工事の手が入る。
「人間の世界には私有財産の保護、という決まりがあるようです」
「おお、我輩も聞いたことがあるぞ。王や集団が財産権の不可侵を保証する、というものだろう」
「左様です」
「怪物の世にはそぐわぬな。我々は欲しいものがあれば戦って奪うべきであるから。だがこれは、魔王による秩序は維持されるべきである、という大前提と矛盾しないと思う。秩序は秩序、生業は生業で別個に取り扱わんと。人間はか弱く戦えぬ者が多いから、血の流れぬ取引売買を活発にするのだろう。裕福な王はそこから税を集め、強くなる。比して魔王たれば、強力な戦士を大勢抱えてこそなのだが、それを思えば我輩は実に貧しい魔王だな」
なかなかインテリらしい事いう魔王に魔女は感心しつつ、
「陛下にはこの洞窟の黄金があります」
「嫗はそう考えているのかね。我輩とは違うようだ。究極的にはどうあれ、仁義の面からみれば、あれは我輩のものではないよ。ラのものさ。我輩はあの子の要請で洞窟に至り、洞窟を守る対価として魔王の地位を受けた。あの子の優しさで金を使わせてもらっているようなものだ。無論、我輩に異存はないがね」
笑う魔王に、さすがに驚いた魔女。
「しかし陛下。その理論では、洞窟の金は、リモスの物、という結論に至るでしょうぞ。金から発するこの洞窟の栄光は、リモスからシッミアーノ、私と流れ、あの子に至ったのです。リモスが栄光を返せ、と言って来た場合、陛下はどうなさるのですか」
「あの弱輩がそんな事を言うのなら、聞いてみたいくらいだがね。栄光ぐらい、幾らでも与えてやるさ。裏切粘液は今頃、モストリアで震えているだろうがな」
「ではリモスが頭を下げて来たら……」
「もちろん、全てを水に流す」
いきなり厠へ行く、と叫んだ魔女は走り去った。その後ろ姿を見て苦笑する魔王は、工事監督の仕事を続ける。
厠へは行かずモグラの伝令を呼んだ魔女は、老いた体に宿る魔力を祈りとともに込めながら、宙に浮かべた筆を繰って魔少女への手紙を流れるように書きあげた。それを感心して見ていたモグラ伝令へ、嫗は急いた声で言ったのだ。
「いいかね。必ずラへ手渡すのだ。そうしなければ、今生の別れが起こるやもしれん。必ずだ。必ずぞ……」
老嬢の気迫にモグラ伝令はコクコク頷き返すしかない。直ぐに穴へ飛び込んで行ったモグラの伝令は、地下の情報網を全速で進んで行く。
未來都市包囲を進める東洋人。傍らで作戦を立案する魔少女と和やかではない会話を展開中であった。
「補給は盤石、兵数は多大、負ける要素の無い戦だね」
普段、感情を露わにするタイプではないにしても、浮かない表情で曰く、
「そのようですね」
魔少女を幼子とはもはや見做していない東洋人は、都市エローエで名を馳せた技術によって、その心に安寧を注ぐべく動き出す。
「なにやら不機嫌な様子だね」
「そんな事はありません。今も戦いを前に、貴官へ提示できる戦術がないか、思案中です」
「なら、敵はどう出るかな」
「このままなら降伏でしょう」
「うーん、他にもあると思う、どうだい?」
「自害……?まさかだけど」
「絶望が深ければそれもある。だが、今回は違うようだね。まずこの未來都市、私も貴女も初めて見るが、城壁がない。都市域も実に広大で、全てを包囲し尽くすのは不可能だ」
「それなら、首脳部の集団逃走かしら。でも……」
「そうだね、集団では簡単に見つかる。バラバラに逃げると行っても、それでも目立つだろう」
「まさか、打開策が他にあるというの?」
東洋人は魔少女の目をじっと見つめる。この人間の男は端正な顔立ちだ、と魔少女も思う。そして、魔王が自分とこの男を番にする事を望んでいるらしい事を、風の噂で知りもしている。魔王の親心は理解しつつも大勢の女を虜にし、自分は見事に破滅したこの男の魅力を、幼い自分はまだ知り尽くすことはできないだろう、とも思う魔少女だった。少女のそんな評価な視線を受け止めつつ、東洋人は静かに語る。
「今の貴女からは積極性が消えているね。昔の友達を、攻めているからかい?都市エローエに経済恐慌を起こしたような発想の冴えを見せてほしいな」
「……」
「今回は思い至らないか。では答えよう。暗殺だ。暗殺だよ。聞こえているよね、暗殺、だろう。常套だがね」
「まさか」
さすがに驚いた魔少女だった。兄の如きリモスが、父の如き魔王を殺す事など、実力的にあり得ない。だが、脳裏に浮かんだその風景は、実に破滅的である。二の句を継げない魔少女へ、東洋人は続ける。
「暗殺のためには、ここを脱しなければならない。だから恐らく、敵首脳は今頃脱出方法を考えているはず。対する我々は敵を包囲しつつ、それを妨害せねばならない。この期に及んでの脱出はどうしたって目立つ。となると、目立たぬやり方で逃げ出そうとするだろう。反して裏をかいてくる事も考えられる。どう思う?」
「つまり我々は……そう、敵が暗殺を決意しているのならば、追い詰められているのは我々も同じ、ということ」
「ご名答だ」
怪物の都なら、地下、上空からも、その気になれば逃げられるだろう。そして、今回、モグラ達はそれほど多く来てはいないから、網は弱い。
「良い策があるのですか」
東洋人は静かに答えて曰く、
「脱出を防ぐのは不可能だ。ならば脱出させ、足跡を追うしかない」
黒髪は率いる全部隊に突撃命令を出す。
「さあ開始だ!目指すは行政府の占拠!だがモストリアの住民は諸君らの同胞でもある!不用意な殺害は禁止する!我々が無闇な殺戮を行わない旨、すでに都市には通知してある!それが周知される時間もとった!道徳的に完璧な魔王の軍は、この都市をついに抑える事で、栄光も完璧になるだろう!」
東洋人は二人の戦士を呼ぶ。交易都市から呼び寄せていた槍使いと鎌使いの戦士だった。そして彼らに命じた。
「すでに話しているがこれは魔王からたっぷり報酬を貰える仕事だ。こちらの魔王のお嬢さんの手となり足となり、グロッソ洞窟に反逆する恐れのある少なくとも三体の怪物を捉えるのだ。粘液体リモス、猿のシッミアーノ、鬼のインポスト氏。特に、インポスト氏というのは見境がなくなると恐ろしい破壊力を発揮するというから気をつけるように」
命令を受けながら、槍使いは嬉しげに語る。
「いつものあんたが戻ってきてくれて嬉しいよ統領。仕事はしっかりとこなすぜ」
鎌使いも初老の表情を昂ぶらせて気合いも乗っている。交易都市はいいのか、と槍使いに問われ、都市の実務は二刀流の戦士がしっかり代役を務めている、とし曰く、
「これで私も安心して、閣下のために働けます」
事情が飲み込めない魔少女は、
「貴官はどういうつもりなの?陛下の命令に、こんな事はなかったはず」
と、やや咎めるように東洋人に迫る。そんな彼女にあくまで優しい態度を崩さない東洋人だった。彼は少女に向かい合うと、他人行儀ではない、心を込めた丁寧な口調で曰く、
「貴女はこのまま、この二人と共にモストリア首脳を追うのですよ。私は生憎、未來都市を制したのち、時を移さずモストリア全域を練り進まなければならない。これは陛下から受けている一番大切な命令です。しかし、暗殺の可能性が強く予見されるんであれば、魔王の片腕である貴女が動かねばならない……貴女が運命を制御しなければならない。私は都市エローエでそれにしくじったが、陛下の厚い温情を受けている。これはなによりも大きな借りで、必ず返さなければならない。だからこの二人が私の代理となって、必ず貴女の助けになる」
女に対して不誠実であったと専らの噂の東洋人のような人格を、簡単に受け入れることのできる魔少女ではなかった。が、その心を説得するのは、フェミニストである東洋人にとっては何よりも重要なことである。東洋人は子供であっても、相手を認めた以上、その背の高さに合わせて無礼に腰をかがめたりは絶対にしない。堂々と立ち振る舞い、一人前の大人として扱う。魔少女の丸い瞳を捉え、心、真っ直ぐに語りかけた。
「陛下が私を貴女の婿に考えているという噂。これは事実です」
いきなりの話題にさすがに頬を染め仰け反った魔少女。東洋人は続ける。
「貴女のような可愛らしく血の熱い魂に寄り添うことができたら、と思わないでもありません。しかし、陛下が望んでいるのは、貴女の杖としての婿だ。その杖が貴女に合っているかまでは、お考えではない。だから、私は貴女の元へ参る事ができないのです。だが大恩ある陛下へは成果を返さねばならない……男として。それが、モストリア征服と、魔王の命の防衛なのです」
風が吹いた。この時、魔少女は東洋人の魂に触れた。そして、数多くの女たちを愛したこの男が、数多くの女たちにもまた愛された理由を知り得た。自然と頷いた魔少女へ笑顔を見せた東洋人は、
「ありがとう」
と少女の頬を暖かく撫でた。
東洋人は軍勢と共に未来都市に入っていった。彼が宣言した通り、ほとんど混乱は起こっていないようであった。
「……彼はもう、グロッソ洞窟には戻らないのね」
そう寂しく呟いた魔少女へ、鎌使いが口を開く。
「人は閣下を色々と言います。女の敵だとか、節操無しの淫魔だとか、独裁権力で女をものにしているとか。全ては力無い者共の悪口に過ぎません。あの方は傭兵です。我々もそうですが、故国を遠く離れ、生まれ出でた地より明るい明日を探し続けるのが、傭兵の生き方です。これは戦士とも移民とも異なります」
槍使いも魔少女へ語る。
「もう統領じゃないが、あの閣下にとってはこの世界に自宅は無いんだ。だからまあ、仁義を通しつつ、好きにやるだろうさ」
魔少女は槍使いを向いて曰く、
「昔、勇者黒髪が言っていたわ。この世界の全ては自分の庭なのだと。本当、対照的だけど……世話になったわ」
静かに、東洋人との思い出を心に仕舞った魔少女は二人の戦士に宣言した。
「その形がどうあれ、今の世界は揺るがない。そして動揺を事とする者は、誰であれ放置はできない。東洋人の言葉にしたがって、私たちはこの世界を護るために、最後の戦いに挑むでしょう。手加減は無用です」
その言葉により、主君への忠誠を顕す敬礼をした二人の戦士たちだった。そこに、モグラの伝令が凄まじい勢いで、地面から飛び出してきた。驚く三人を尻目に伝令はまくし立てて曰く、
「洞窟の魔女様から、至急のご連絡です。何よりも優先して、この手紙を読んでほしい、と」
文を読んだ魔少女は表情に喜色を浮かべた。だが、とも思うのだ。
「私が陛下とリモスの仲立ちをしなければならない。私しか、出来ない。なんとしても間に合わせなければ」
「待機場所をあの丘の上に変えましょう。しばらく時間を見て、それらしき対象が現れなければ、陸路では追跡不能、という判断もできるはずです。相手の身になって、どの逃走経路が最も確実か、探るのです」
魔少女と一行は行動を開始した。
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