第108話 魔王の鱗を裂く輩

 怪物の群れは、怪物の群れの急な突入におどろきとまどい、グロッソ洞窟内は混沌に陥った。入り口付近で建設工事を担当していた頭巾の怪物たちは、木槌を持ったまま逃げ出した。


「目標は魔王のみ!他には一切構うな!」


 怪物同士の争いとはいえ、攻守それぞれの様相は大分異なる。猿が率いるのはモストリアからやってきた生粋の怪物たちで、能力よりも意識がグロッソ洞窟の怪物衆と大きく異なっていた。すなわち、


「自分たちは怪物世界の中心にいたのに、お前たちが余計な事をしたせいで田舎者に陥落しちまったぜクソ野郎、落とし前をくれてやる」


という事だ。冷酷を承知で、猿はこの手の差別意識をそのままに解き放ったのだ。故に、モストリア衆が魔王のみを狙い他の怪物には手を触れなかったわけではない。そればかりか猿自身、言いたいこともあったのだろう。第一区の水源地に至るや叫んだのだ。


「帰ってきたぞ!怠け者ども!」


 この言葉を吐いた時、目の前にいたのはかつての相棒である魔女だった。死んだと思っていた猿が生きていて、さらに軍勢を持って攻め込んできたのだ。驚きのあまり声も出ない魔女に対し、まずいところを見られたとばかりに猿は一閃、声を張り上げて走り去った。


「すまん、ババァ!」


 猿は軽挙を反省し、魔王のみを攻めるのだ、と考え直すことができたが、魔女は立ち尽くすしかなかった。魔王につくか猿につくか、老嬢の真意は不明だが、仰天して何もできなかったというのが的を得ているのかもしれない。この攻防で、魔女はがいこつ作業員たちを一切統率する事がなかったが、これはリモスらには幸いしたのだ。



 魔王は洞窟内の騒動を感じ取り、来るべき時が来た事を悟った。狂戦士であったことのない魔王だが、


「我輩を殺すためだけに挑んで来た集団か。武名を尊ぶ身には本懐である」


 正義も扇動するものの無い、復讐心のみで向かって来る敵は少なかった。あの勇者黒髪でさえ、正義の使徒であったのだから。


 魔王は既に武装は整えている。愛用している鈍色を放つ銀のサーベル。彼がこの武具を選んでいる理由は、その経済性にある。また、居洞で敵を迎え撃つ魔王として正装は欠かせぬと、漆黒のマントを身にまとった。このように常識的な魔王が最初に対するは、やはりタコの怪物となった。



 グロッソ洞窟攻略は初めてとなるタコは、怪物衆を蹴散らしながらも最も魔王の居場所に近づいていた。故に、魔王の攻撃対象となった。魔王は声をかけたり、ここまでの戦いを称えたりする前に、強襲を持ってその訪問を祝福したのである。


 その時、回転しながら飛んで来たサーベルを誰が知り得ただろうか。轟音とともにタコの足に深々と突き刺さったかと思うと、飛び込んで来た魔王が容赦のない斬撃をタコへ見舞った。本能的に反撃するタコだが、魔王に攻撃は届かず、蹴飛ばされてそのまま水路へ落ちた。


「久しいな、タコの神様。お前がリモスらと組んでいるとは知らなかった。何はともあれ、グロッソ洞窟へようこそ。ここは新たなる魔王となった我輩の城下だ。楽しんでいってほしい」


 主要な足をズタズタにされ、頭部にも負傷したタコは言葉を返すことも出来ない。死を予感した彼は、必殺の攻撃を繰り出した。タコは唾液に毒を含む。体内で墨と水と毒を混合し、水際で自分を眺めている魔王に向かって、強烈に吹き付けたのである。それは毒霧となり、辺り一面、暗黒に包まれた。負傷が酷く動くことも叶わないが、魔王の苦悶の声を聞いたタコはニヤリと笑ったが、無念そうな表情を浮かべて、水の下に沈んでいった。


 リザードカジノの正面で起こったこの衝突は、毒霧攻撃もあったため巻き込まれるもの多数となり、大騒動となった。当然、攻撃側の意識はそちらへ向かう。タコが盾として扱うべし、と指摘していた攻撃側の怪物衆が集まって来る。墨が舞う一角で、彼らの動きは止まったが、魔王は動きを止めていなかった。


「モストリア衆は怪相でわかるのだ」


 標的に対して次々に剣撃をブチ込んでいく魔王。当たれば即死必死であるばかりか、強靭な魔王のみ膂力は弱体な怪物衆を吹き飛ばして止まない。墨の霧が舞う中で、殺戮が繰り広げられた。


 タコ決死の毒霧が止むと、無残な形となった怪物の死骸があちこちに転がっている。溢れる血が、毒霧を上から抑えたのだ。一息ついた魔王だが、足が震えて膝を折ってしまう。毒は魔王の体を強く蝕んでいた。


 その背後より、猿が飛び込んで来たのだ、キメリズムによって生じた粘液の腕を伸ばして、魔王の首を締め上げた。呼吸と僅かな休息を欲していた魔王に、この攻撃は苦しいものとなる、


 怪物界の英雄であるトカゲの魔王と、猿にはほとんど面識は無い。故にそれは、この戦いを見守るギャラリーにとって、奇妙に映った。魔王はこの首絞めの相手を認識できていない。絶好のチャンスだが決定打を持たない猿は、狼狽するしかない。


 一方的な膠着の中、じりじりと向きを変えつつある魔王に、猿は強烈な戦慄を感じる。


「ダメだ!腕が外される!」


 排水溝に沈んだタコは起き上がらない。これでは引き下がるしかないだろう。だが、魔王から逃げきれるだろうか。猿は決断したのである。自身最強の特技である雄弁あるいは度胸で、時間を稼ぐと。


「よう陛下。気分はどうだね?」

「……お前は何奴だ……」

「誰だっていい。陛下、陛下を殺しに来たよ」

「……出来るかね、チンピラ風情に、大それたことが」

「もちろんだ。領域リザーディアが消えて無くなるのは惜しいが、なに、また造ればいいのさ」

「それが目的か?怪物が魔王を殺して、如何せん……?」

「うるせえ、殺したいから始末するんだ。俺たちは人間畜生じゃねえ……そう言えばこの洞窟にはたんまり金があるんだろ。あるよな?なら、金をばら撒いて、世界を欲望に染め上げてやりたいね」

「…そのような事は止せ!領域は安定しているのだぞ……」


 金を流出させることで、領域リザーディアの混乱を宣言する猿だが無論、ハッタリである。が、魔少女の経済攻撃を知る魔王なら脅しとして効果があるだろうと踏んだのだ。


「せっかくの安定を踏みにじるような事は、誰のためにもならない」


 猿はこの段階で、強気が売りの魔王にしては妙だ、と察知した。そしてこの直感が、猿の命を救う事となる。魔王はもがきながらも微妙に距離を詰めていた。すぐに猿に手がかかる距離ではない。だが、トカゲのしっぽを大いに振るって地面を叩いた反動で体当たりを行える程には近づいていたのだった。振り切られ激しく魔王と衝突した猿は、一方的に弾き飛ばされた。


「貴様が猿か。なるほど、ラや媼からの話通り強気な雑魚だな……お前たちの切り札はあのタコの神様なのだろう。以下に妙技を駆使しようと、決定力に欠くのでは最終的な勝利輩にはなりえんぞ」


 しかし不敵な笑みを浮かべる猿。


「タコ野郎が切り札だって?それは陛下、考え違いですよ」


 魔王が問い返そうとした瞬間、魔王の視界に全速力で腕を振るって走り寄ってくる鬼の怪物の姿が見えた。咄嗟に迎撃態勢に入る魔王。


「あれはインポスト氏!こちらが真の切り札か!」


 インポスト氏の惰弱を知っているトカゲの魔王は反撃で対処できると判断したが、


「いや……それも考え違いだ」


 急加速した鬼の体は跳躍したかと思うと体をねじり、スクリュー式ドロップキックを放った。迎撃を打ち破られた魔王は直撃を受け、洞窟の奥へ吹き飛んでいった。


「シッミアーノ、生きているか!」

「リモス!すげえ蹴りだな、大丈夫だ!」

「ボクが想定したルートが一番遠回りになってしまった」

「ああ、タコ野郎は……」

「……そうか」

「だが、タコの死に際の毒攻撃が魔王に通用しているようだ。とことん殺るなら今のうちかもしれん」


 魔王の反撃を想定して構えるリモス操る鬼の体。だが、魔王は現れず、向かってくる気配がない。


「どうしたんだろう」

「気を付けろよリモス。あれでくたばる野郎じゃねえんだ。反撃してくるぞ」

「シッミアーノ」


 猿を背中に担いで魔王が飛んで行った方へ向かう。リモスが正面を、猿が後背を警戒するスタイルだ。だが、魔王は見つからない。戦いを避けて怪物たちも姿を消してしまっているようだった。そこに、心配そうな表情をしたモストリア衆の一体が現れた。


「猿の旦那!」

「おお!だが気を付けろよ、魔王が近くにいるからな」


 猿がそう注意をした瞬間、モストリア衆の体が上下に裂け飛んだ。その陰から、魔王が飛び出してきたのである。ギリギリの呼吸でサーベルを避けたリモスだが、怪物がまき散らした臓腑と血しぶきが地に零れ切るまでに、魔王はまたしても姿を隠した。


 愕然とするリモスと猿。


「まずいな。魔王がゲリラ的な暗殺戦法をとってきてやがる」

「判らない!どこにいるのか、全く判らない!」

「リモス喚くなよ!耳を澄まして、微妙な音でも気配でも探るしかねえ」


 防御の姿勢のまま周囲を警戒し続ける二体。そのまま、二分が経過。


「ああ糞、魔王のくせに、こんな戦法を取っていいのか。正々堂々と正面からこいよ!」


 だが、返事はない。静寂がより一層恐怖を煽った。


「ねえシッミアーノ、とりあえずこのカジノ付近から、第一区の方角へ抜けようか」

「ここよりは見通しが良いからか?それがいいかもだな」


 頷くリモス操る鬼の体。確かに、有効に戦うにはそれしかないのだった。猿は右手の粘液を大いに伸ばして周囲に結界の如く張り巡らせた。おかげで、猿の右手はやせ細ったように見える。


「ここまでしておけば、行動の発端は掴めるだろ」


 恐怖を押し殺し、じりじりと警戒を最大限行いながらゆっくり移動をするリモスと猿。そうして、通路へ滑り込む。広い空間を求めて一気に走り抜ける二体に、やはり逃がすまじと襲い掛かってくる魔王。


「来たぞ!」


 粘液の結界があったため、気配を最初に感じ取ってしまった猿は、リモスにしがみ付いて寸でのところで攻撃が当たらずに済んだ。またまた助かった猿だが、攻撃を避けるたびに心臓が縮み上がり、精神的激痛に苦しむ。


「な、なんて化け物だ。勇者黒髪や妖精女はあんなのとやりあってったのか」

「タコもだよ、そしてみんな死んだ!」

「なんとかしなけりゃ!このままじゃあっという間に終わっちまう!」


 リザードカジノの脇から大通りに出る。頭巾の怪物やその他住民たちがまだ行きかっている。急ぎ後ろを振り返る猿、騒動に慌てる怪物たちの切れ間から、幽鬼のように迫る魔王の姿が見える。


「左右は広い。天井も高い。奥行きもバッチリだ。さあ、ここでどう戦う?」

「住民たちを盾に戦おう……卑劣かな」

「ゲリラ戦法にはゲリラ戦法か……いや、リモスよ。それだ。それで行こう。俺が囮になる。お前から引っ張ったこの腕があれば、一撃くらいは持つだろう。だから隙を見つけて、あの野郎の心臓を抉り出してやれ」


 リモスが猿から離れた。一方の猿は、魔王が近づいてくるまで動かない。魔王の方では、リモスが離れたことをしかと見ていた。その上で、躊躇うことなく摺足で加速しながら前進する。魔王が銀のサーベルを抜いた。その瞬間、どこから飛んできたのか、ナイフが腕に突き刺さった。見ると、猿の伸びた粘液腕があった。これで刺し攻撃のタイミングを外すのに成功した。すると、猿は振り返らずに全力で駆け距離を取る。しばらく走り切り後ろを振り向くと、やはり魔王が視界に入る。同じく幽かな気配とともに。


「野郎、目だけが不気味に光ってやがる。気味が悪い……あれ、いねえ、消えた……ヤバイぞ」


 ややあって、猿は魔王を見失ってしまう。冷汗が止まらない。目が充血し、視界が霞む。恐怖のせいだ。これが魔王の迫力か。リモスとの作戦がキマるまで、生きていられるだろうか。



 攻める魔王は、戦法で幽鬼の如く構えていたわけではない。体内の毒に苦しみ、無駄な行動を控えながら戦っていたのだ。


「毒とはとことん相性が悪いな」


 インポスト氏を操っているように見えるリモスと、片腕が伸びる猿。敵の異能に魔王は驚いてもいた。


「さっきの蹴りからすると、リモスの攻撃が本命か。猿は囮、必ずリモスが再度現れる。その刻が勝負だな」


 それにしても寂寥を覚えないでもない。かつて、名前を呼ぶ気にもなれないほど軽視していた相手になのに、その昔は協力していたというのに、魔王はリモスの事をほとんど知らなかったのだから。リモスが最弱、というのは所詮噂であり魔王自身の評価ではなかったのだ。勝てば勝ったで、魔少女がするだろう寂しげな表情も脳裏に浮かんでしまう。戦いの結末で、愛娘に涙を流させてしまうのだろうか。


「名誉に栄光、そして家族か。父親とは中々に重いものを負うものだ。どれほど戦いに秀でていても、この重さは変わらんのだろう。そして成果があって当たり前。見返りは求めてはサマにならない……魔王とはブルージーな立ち位置だ」


 どうやら猿が自分を見失ったようだった。戦いのセンスのない猿は、せっかくの異能を活かしきれてない。


「経験と鬼才、どちらも欠けている猿は無視だ。経験のみを欠くリモスが決定打を仕掛けてくるはず……それにしてもあやつら、よくもインポスト氏の身体を乗っ取れたものだ」


 気配を殺しながら、群衆の流れに乗り猿に接近する魔王。だがリモスは来ない。鬼の肉体は現れない。怪物達は大勢いる。犬、猫、ムカデ、モグラ、ニワトリ、ワシ、亀、ヤシガニ、頭巾、がいこつ、妖精……怪物世界を彩る多彩な魔が溢れているのに、リモスがいない。今目指す唯一の怪物はリモスのみなのに、見つからない。


「このままでは、猿を先に殺してしまう。しかしノーチョイスだ……」


 魔王の多彩な攻撃パターンの一つで、素早い行動が特徴である剣突き。動転し始めた猿に接近し、魔王は容赦なく武器を突き出した。


 刹那、激しい衝突音が洞窟に響き渡る。身体に穴が空いたのは魔王の方だった。多量の青い血が溢れ出る。心の底から驚きの声を放つ魔王。


「リモス!」


 命拾いした猿の目には、頭巾の怪物を相手に一喝する魔王の姿であった。よくよく見れば、頭巾の奥にある表情は鬼の物であるし、紛れもなく見知った友人の気配がそこにあった。


「化けて、我輩に近づいたな!」


 気合で重傷を頭の傍に置いやった魔王は、もはや猿を相手にせず、リモスのみを追う。無数にも思える剣筋で果敢に攻め立てる魔王を、鬼の身体を操作するリモスが合いの手を入れるが如く叩き落とす。


 それでも、ゲリラ的に攻撃方向を変え、三角飛びを駆使する魔王との戦いは一進一退である。リモスだって、パラサイティズムやキメリズムを駆使しているのだが、どれも奇手である事に違いはなく、敵の胸に穴を開けた以上のヒットを出すことができない。


 嵐の如く吹き荒れる技の応酬。凄まじい戦いの風景を、洞窟の古株の怪物衆がふと洩らす。


「こりゃ奇跡だ、あのインポスト氏が戦っている姿を拝めるとは……」

「ああ、奇跡だ」

「奇跡だとも」


 ギャラリーはインポスト氏の肉体を操る輩がリモスであるとは知らないから、鬼の覚醒かと感心することしきりである。しかし、だ。


「見ろ、あの陛下と完全に互角の戦いを繰り広げているぞ、完全にだ」

「ああ、鬼の閣下に我らを思ってくれる心があれば、あの方も栄光の架け橋を渡ったろうに、今更だよなあ」

「そうだ!陛下の治世を妨害しに来たのか!陛下頑張ってください!鬼よ負けろ!負けて死ね!」


 領域リザーディア万歳の大合唱が起こる。洞窟のギャラリーたちは、ほぼ全員が魔王の勝利を応援し、鬼の敗死を願った。しかし、こんな呪いに負けずにリモスは健闘している。魔王の怪速にも、鬼の体ならついていける。もはや戦いに手を出すことすらできない猿も、自身の博打が上手く行きつつあることに、心の底から歓びを覚えていた。訓練されたリモス、これが、猿の真の勝機であった。


 自分でも驚くほど冷静に戦えているリモスだが、遠くから声が聞こえて来る。それは耳に懐かしい声で、一部ははっきりと聞き取れる。凡夫、と言っているのだ。身体の奥底に抑え付けられているインポスト氏の意識が、激昂しているのだろうか。凡夫の他、何かを言っているようだが、そこまでは解らなかった。


 ふと、魔王が距離をとった。そして戦闘中だというのに息を整えつつ曰く、


「頭から煙が上がっているな」

「えっ」


 リモスも異変を感じ取った。前に検問を抜けるためへし折った角の傷跡から、煙が上がっていた。よく確認すればそれだけではなく、戦いの中でついた微妙な傷からも、煙が上がっていた。短いがこの隙を、魔王は逃さなかった。勢い良く、豪快に振り下ろされたサーベルが、鬼の左腕に深々と斬り埋まった。


 パラサイティズム中のリモス自身には痛みは届かない。だが、リモスの精神には、インポスト氏の痛みに狂う絶叫が聞こえるのである。遠く響く太鼓のようであったが、段々と声が近づいて来ているようであった。心配のあまり猿が叫ぶ。


「リモス!体が動かないのか!」


 ギャラリー達は、一斉に猿を見る。リモスだと、どういうことか、という訳だ。これにリモスは、自身の声で返す。


「閣下の体にダメージが蓄積されてきている!無理をして操縦すると、体が……体が崩れていく!」


 体からあがる煙は崩壊の徴であった。リモスのパラサイティズムは、かつて猿の身体を思うままに操作したように、寄生主の潜在能力を実力以上に引き出すことができる分、それが続くという事は当然、無理を続けているということになるのだ。リモスが左腕に斬り込まれたサーベルを抜き取ろうと力を込めた時、傷口から煙があがるとともに、腕が落ちて燃えた。自前の身体で戦っている魔王は、軽蔑を込めた視線をリモスへ向けて曰く、


「お前の挑戦も、これで終幕だ」


 頭部に向けてサーベルが振り下ろされる。パラサイティズムにおけるリモスが非凡なのは、敵の小さな油断でも即座に見抜く事にある。対ヘルメット魔人戦でも逃走に専念するという選択肢の中でそれは発揮されたが、この時は敵の攻撃を止める、という目的のため、魔王の意識が疎かになっている点を突いた。頭部へ斬撃を行って良い程にはまだ、リモスは弱ってはいなかった。彼は操作する身体の中でいまだ健在である脚部を全力で踏み込んで、サーベルを握る魔王の右手に向けて頭突きを食らわせたのだ。剣の落下より速く、鬼の額は魔王の右手を粉砕した。手の甲の外側に向かって歪に曲がった指から銀のサーベルが落ちた。


 誰もが息を呑む静寂の中、魔王は激痛に耐えた。魔王たるものが臣下を前にして悲鳴をあげる訳にはいかないのだ。顔を歪める事もしない。さも平然と、左手で折れた右手を掌に向けて無理やり押し曲げると、左手でサーベルを持ち直した。


「陛下……!」

「領域リザーディアの絶対君主が、追い詰められているのか」

「公正に見ろ!鬼は左腕が無くなっているんだぞ!体もなんかあちこちから煙が上がっている。陛下が有利だ!陛下!陛下!」


 陛下、陛下、と怪物達の大合唱が起こる。この怪物達の絶対的な支持こそ、トカゲの魔王が勝ち得てきた証である。名誉、称賛、崇拝。怪物世界の守護者として彼が為してきた総ての事績が生み出すエネルギーが、魔王の精神へ流れ込む。


「痛みなど吹き飛んでしまうな」


 思うように身体の操縦が効かなくなったリモスへ、一歩一歩踏みしめるように歩みを重ねる魔王に対して、冷や汗が止まらないリモス。秩序立った歩みの途中、魔王は急に跳躍し、襲いかかってきた。これで決まった、と誰もが考えただろう。だが、果敢にも魔王の前進を妨害する輩が出た。


 土壇場のリモスに加勢する勢力となった彼らは、勇者黒髪のがいこつ、戦士ハゲのがいこつ、つり目の僧侶のがいこつ、魔術師とんがりのがいこつであった。彼ら四体はリモスをかばうかのように、魔王へ躍り掛かっていった。バックステップで妨害を振り払いながら、魔王はギャラリーの方角を向き睨みを走らせて曰く、


「よお、色黒さんや。これはお前の差し金かね」


 群衆が割れると、そこに色黒伝道師が立っていた。決定的勝利の前のちゃちゃ入れに、さすがに目を赫怒させ、殺意をむき出しにする魔王。これを受け流すかの如く、飄々と答えるは知の探究者らしき振舞いである。


「いえ、陛下。違います。これは彼らの自発的な行いです」

「馬鹿な!茶番を辞めさせろ!大体何故、此奴ら彼が我輩を攻撃するのか!それをする理由がどこにあるか!」


 これに、一連の現象を研究するためですので止めません、と断りを入れた上で曰く、


「私にも解らない事だらけの現象なので想像をするしかありませんが……陛下、あなたは何者ですか?魔王でしょう。そして彼らは勇者のパーティです。あんな惨めな形であっても。つまりはそういう事なのではないでしょうか」


 そんなんで解るか!とツッコミを入れる直前、怒鳴り声が喉元まで上がってきていた魔王は、ふと解ってしまった。言われてみれば、魔王に勇者一行が挑むは宿命である、と。立ち止まり、苦笑を漏らして曰く、


「思い返せばそなたには、がいこつに掛かる研究の全権限を許していたな」


 色黒伝道師はニッコリと笑って、頷いた。


「これは宿命か。ならばこれもまた本懐である」


 思い定め直して、がいこつパーティを振り返り、威厳たっぷりに漆黒のマントを払い魔王らしく宣言した。


「勇者達よ!お前達を粉にした時、真魔の時代が来る!人間最後の誇りを胸に、消滅を賭して挑んでこい!」


 勇者黒髪のがいこつが正面より剣を振るう。戦士ハゲのがいこつも脇に回り込んで剣を突き出す。つり目の僧侶のがいこつは、黒髪とハゲを良くサポートし、魔術師とんがりのがいこつは手当たり次第に建物の鍵を開けている。魔王も果敢に戦うが、それぞれ戦いの達人であった黒髪とハゲは強い。そして思い出すのだ。


「ああ、この感じ。一番最初に、グロッソ洞窟を人間の手から守った時と同じものだ。あの時の二人が今や骨に成り果てる。されば我輩もまたいつの日か……」


 生前の黒髪を知り、ハゲも僅かに知っている魔王。戦いに集中する無心の中、生命の儚さ、虚しさに思いを致さざるを得ない。


「それならば勝利も死の前には虚しいだけなのだろうか」


 それも論理的には得心が行くだろう。しかし、こんな時に脳裏に浮かぶ顔を、この魔王はいくつも持っていた。


「いいや違う!生きていればあの子の笑顔を見ることができる!家臣達を豊かにする喜び!領域を広げる名誉!人間どもへの優越感!建築のロマン!全ては勝利あってこそだ!死はただの沈黙!そう、言葉を発することの無いそなたらが如く!哀れなり!」


 途端に士気を爆発的に高めた魔王の剣撃が大回転し、数度にわたり直撃を受けた戦士ハゲのがいこつはバラバラになりながら飛んでいった。続けて尻尾でバランスをとりサーベルの護拳を激しく突き出して、勇者黒髪のがいこつを弾き飛ばした。その衝撃で、黒髪のがいこつも関節の多くが外れた。つり目のがいこつは黒髪とハゲのがいこつに回復の文言を唱える。が、何も起こらない。とんがりのがいこつは心配そうに立ち尽くしているだけだ。もう放っておいて良いだろう、と魔王はリモスに向き直る。


 魔王は中腰態勢をとった。そして、背中に備えていた吹き矢を取り出し、破裂するような呼吸によって毒矢を飛ばした。矢が、鬼の体に深々と突き刺さった。


「何かね、魔王が飛び道具を使ってはならぬという決まりでも、あるのかね?これは人間達から学んだ戦法……」


 パラサイティズム中のリモスに毒の効果は無い。だが、インポスト氏の身体には当然効果がある。毒が操縦を妨害するし、無理矢理操縦をしようと横車を押せば……


「うあっ、足が!」

「お前の異能について、理解が深まってきたぞ。もう一つくれてやろう」


 魔王は再度、吹き矢を飛ばした。鬼の瞬発力で逃れんとしたリモスだが、左腕の切断面に当たってしまう。


「か、体が!」


 守る物があるから強くあらねばならないというのはちと弱かろう。重要な事は、責任感に尽きる。無責任でいられるそなたらには決定的に欠けているものだ。もはや、口には出さないが、そんなメッセージをこめた視線を、リモスに投げる魔王。


 対するリモスも魔王を見る。雄弁家でない粘液体だが、そして視線で語るのだ。貴方の世界は、それは立派な事だろう。でも責任にありつけなかった輩は、劣等感に悩み絶望して生きるしかなくなる。他所で忠誠の対象を見つけ、貴方にお礼参りに行くしかないではありませんか。


 では、蹴散らしてくれよう。魔王は視線を交わし合うまま、不敵に笑った。追い詰められていたリモスにはそんな余裕はない。魔王は歩み始めた。もう、妨害は入るまい、と誰もが安心しきっていた。


 その時、魔王の足を掴む足があった。それは先に敗れたタコのもの。這いつくばりながらも、魔王にその歩みを止めさせると、残り数本の足で魔王の背にしがみ付いた。振り返り嗤う魔王は曰く、


「生きてたか。お前に、とどめを刺す力位は残っているがな」

「道連だ」


 怒りに燃えていたタコはそう呟くと、そのまま地を叩き飛び跳ね、魔王もろとも排水溝へ飛び込んだ。魔王もタコも、その種族から水中での行動の利を継承している。故に水中でも戦いは続くが、その中で異変は起こった。


 シャチが来たのだ。洞窟の水路に棲みつくこの生物は戦いで零れた血の匂いを辿ってきた。巨体を水面から獰猛に跳ねあげると、大量の水しぶきを巻き上げ、さらに加速する。タコと魔王目掛けて急進してきた。開かれた凶悪な死の口が降りかかった。二体の怪物が口の中に消えると、群衆は咀嚼の調を確かに耳にした。悲鳴をあげる怪物衆。


 血みどろの口の中で魔王は死んでいなかった。意地でも捕らえた獲物を離す気の無い相手に、口腔内をサーベルで刺しまくり、斬り裂いた口の隙間からかろうじて脱出したのである。攻撃されることに慣れてないシャチは水面を赤く染め逃げていった。タコはついに還って来なかった。魔王が水面から帰還すると、大歓声と拍手足踏がグロッソ洞窟内に鳴り響いた。


 だが、シャチの鋭い牙が、魔王の右肩から左脇にかけて、腹部を深々と裂いていた。血が溢れ容易には止まらない。ついに苦しく息をきりはじめた魔王。


 戦いを心配して見ていた魔女が、ついに見かねて薬を手に飛び出して来た。が、猿が立ち塞がる。老嬢は涙目で旧友を睨みつけるが、猿は首を振るだけ。魔女のインチキ薬で魔王が死ぬ事を、猿は案じていたのだが、魔女は猿を許せなく思ったのだった。しかし、猿の判断では、ついに勝負はついたのだった。


 身体が崩れつつあるリモスだが、力を振り絞り、立ち上がる事困難な魔王の前に立った。魔王は苦しみに耐え自然治癒を待つが、敵を見上げる事をよしとはしない。


 場を静寂が包み込む。怪物たちも息を呑んで見守る。


 あの魔王が、領域リザーディアの絶対君主が、ついに敵を前にして地に膝をついているのだ。右手は粉砕され、左手は疵口を抑えねばならない。しっぽは健在だが、もはや勝機を見出せずにいた。それでも、打開策を必死に探り続ける魔王。その気配を、リモスは嗅ぎ取ったのだろう。すると鬼の手が、ついに魔王の首に掛かったのだった。魔王は黙っている。リモスも何も喋らない。群衆より一歩前に出ている猿は沈黙により、魔王とリモスの時間を見守っている。



 リモスと猿は、全ての敵対者の上に君臨する魔王に勝利した。この魔王にとどめを刺すのか?それとも命を見逃すのか?あるいは未來都市の金庫に魔王を閉じ込めるか?リモスは時代の岐路に立っていたのではない。時代の流れを決定づける運命そのものを握っていたのである。その大いなる実感は歓喜を与えてくれる。


「これが勝利するということか!」


 魔王の首を握りしめながら、リモスは生の喜びに打ち震えていた。

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