第52話 勇者は妻から

 帝国領における戦いから三か月後、黒髪は帰還した未來都市にあって、『未來都市の市長』と『モストリア総督』の二つの役職を持って政治を開始していた。これは法律を定め税制を整え、日々発生するトラブルに裁定を下し、都市の生活上の不便を解消していくという終わりのない仕事だ。戦争や戦闘とは異なる重圧に加え、未來都市は人間世界と怪物世界が混じり合った勇者の理念が体現されたこれまでにない国であるため、失敗は許されない、という責任感も黒髪を消耗させていた。


 まだ頭数構成比でも怪物九割、人間一割の状態だから、困難は少ないが、これが均衡に向かえばどれほどの問題が多発するだろうか。想像し頭を振って不吉を追い払う黒髪の傍らには二体の側近が居る。


 まずは魔王の神官だ。彼は勇者の遠征中も、モストリアを良く統率し怪物ながら勇者黒髪から絶大な信頼を勝ち得ていた。彼は怪物世界を統治するために必要と思われる風習風俗、伝統、流行の数々を黒髪に伝え、その上で案を提示し、決裁を得る方法で良好な関係を構築していた。微細な事は伝えず、重要かつ勇者が関心を持つだろう事を上手く伝えたから、勇者曰く、


「あなたは人間世界でもきっと出世しただろうと思う」


とその才能を高く評価していた。


 税の概念の無い怪物世界では、力が数多くの物事を決するため、モストリア最強の武力集団である『勇者の宮廷』が下した裁定に多くの連中は従ったし、不服も持たない。不服があれば怪物らしく逆らうからだが、この国で反逆はすなわち死である。勇者が手を下すまでもなく、リンチでなぶり殺しになるのがオチなのだ。それが判っているから、裁定不服の反乱は滅多にないし、あれば不服者は殺されて食料になるだけであった。


 対する人間世界はそうはいかない。人間は共食いする事は無いし、恨みは長く持ち続けるから裁定の結果を飲み込むのにも時間がかかる。人間世界に対する自分の代理人を、勇者黒髪は最前線の国の名士に求めた。逆遠征中も、勇者部隊の人間に対する折衝で多くの根まわしをしてくれた事を、黒髪は忘れていなかったのだ。この初老の名士は魔王の神官ともしっかり連携してくれたから、多忙はそのままに、勇者黒髪の新国家は回転を始めていた。


 未來都市内の人間世界に対する権限を預かった初老の名士が気にかかることは、難民の流入による都市人口の増加であった。これを黒髪に報告すると、


「何者かの動きによって、人間世界に混沌が生じている。難民の流入は政治紛争と物価の混乱が原因だが、誰がこのようなことをしたのか」

「この未來都市にも、閣下を非難する書簡が届き始めていますが気になる文言も。この神聖系の王国からのものには『金を用いて人間世界の離反を企むなど、悪魔の所業だ』との一文が」

「帝国での決戦前に、人間世界に金がばら撒かれた、という噂がある。その事を指しているのだろうか」

「金をバラまくなど、普通の国には不可能。やった国は限られてきますか」

「いや、グロッソ洞窟の連中なら、それだけの金を持っているのではないだろうか」


 確証も無かったが、帝国で会った猿の言う通りグロッソ洞窟の運営が刷新されているのであればそれもありえる話だと、勇者は考える。


 ヘルメット魔人がやって来た。


「閣下が気にされていた河向こうの王国に関する情報です。今や王国は二つに割れ、反乱を起こしていた有力貴族が王を名乗り始め、旧王と新王が並立しています。優勢なのは新王ですが、旧王によって捕らわれていた閣下の奥方、すなわち旧王の庶王女様が軟禁から監置へと待遇が悪化しているということです。この方は魔王の都遠征中の閣下を助けるために私財を投げうって援軍を編成までした方。閣下は、このまま見捨てるのですか。それも良いでしょうが、それでは閣下の名声に傷がつき、勇者業にも差し障るはずです」


 シニカルさを隠さないヘルメット魔人の言葉に、勇者は気合を入れなおして曰く、


「無論、助けに行こうとも。大きな軍の動員は不要だ。少数の部隊で迅速さを第一に河向こうの王国へ向かう。急げば半月で到着できるだろう。君もついてくるか」


 問われたヘルメット魔人は待ってましたと言わんばかりに頷く。


「今回、人間の内乱に介入する形になりますから、怪物然とした風体の兵は馬の怪物位にして、あとは控えた方がよいでしょう」


 二人のやり取りを横で聞いていた妖精女は、黒髪の公式な妻である庶王女救出については個人的な感情は脇に置いて、人道的には異存は無かった。腕っぷしには定評のある勇者とヘルメット魔人が出動すれば、作戦はまず成功だろう。だが、それだけで終わらせるには、もったいない事象でもある。勇者黒髪と人間世界の和解の糸口を造れるのではないか、と。


「閣下」


 この頃は、人前であればヴィクトリアも黒髪を閣下、と呼んでいたが、彼女は一つの計画を勇者に献じる。それを実施するか否かは、閣下次第、という内容のものだ。策を聞いた勇者黒髪は驚いて曰く、


「庶王女は承知するかな」


と心配を覗かせるが、


「財産や使用人を処分してまで兵隊を作り上げた度胸のあるお方です。そしてこのままでは破滅するだけ、となれば、みすみす好機を逃したりはしないでしょう」


 こうして、虐待されている公式な妻を救出に、勇者は未來都市を極秘の下に出発した。



 勇者討伐に敗れた河向こうの王国では、王権を巡る内乱が進行中であり、戦闘の度合いは日を追うごとに激しさを増していた。さらに経済不安が庶民の生活を破壊していたため、勇者一行は全く怪しまれる事無く城下に侵入を果たした。


 この王都は五つの丘を中心に都市計画が為されている。最も高い丘に王城が置かれ、その下に各丘の中に収まるように町が広がる。西北側の三つの丘には城塞が置かれ、通常であれば王都を守護している。が、内乱ともなればこの城塞は反逆者たちの拠点として機能する。勇者に対する敵対姿勢を国内の貴族たちに示す必要があった父国王の手によって、この一棟に監禁された庶王女は、王の叔父にあたる反逆者の手に落ち、より劣悪な待遇の中で屈辱を舐めさせられていた。救いは、獄吏のサディズムの餌食になる直前に、夫黒髪の手によって救出された事だ。


「まるで夢のような出来事ですが勇者黒髪、我が夫よ、私は国を棄てるというこれ以上の不名誉には耐えられません」


 黒髪は庶王女にマントをかけ、その目を見つめ微笑んで曰く、


「ご安心を。私のせいで貴女の手から失われた名声と力を、お返しします。全力を持って」


 そう言ってヘルメットを深くかぶった黒髪は、ヘルメット魔人と別れて少数の魔人兵とともに王城へ向かう。


「二手に分かれるのですか」

「今、貴女を救出に来た私の部隊は極めて少数です。ならば一緒に行動するより、分かれて行動した方がむしろ都合が良いのです」

「この奇襲、貴方はこの国を押さえるつもりですか」

「その通りです。貴女の指揮で戦う傭兵としての姿勢を見せつけてやらねばなりません」


 黒髪は傍らに庶王女を立たせたまま、配下の兵と共に王城へ進む。いくつかの白兵戦で城門を突破すると、何よりも優先して王の確保に向かう。


 先の戦いで勇者に敗れ、強者の存在に恐れを抱くようになっていた王は、数多くの疑心暗鬼によって、近くに侍る者も少なくなっていた。そこに飛び込んできたのは、兵を率いた幽閉しているはずの娘であったから、衝撃は大きかった。そしてその内の兵の一人が、ヘルメットを外して現れた勇者の素顔を見るに及んで。


 勇者は短く通告した。


「陛下。この場で我が傍らの妻に王権を譲渡してください。そうすれば、御身と退去の安全を完全に保障します」


 王は抗うことができなかった。侍女たちに脇を支えられ、城下へ去った。同時に、王城に対面していた反乱軍の指導者である王の叔父も降伏し、辺りに布告官の良く通る大声が響き渡る。


「布告官の言を聞け!アルディラ国の王は本日を持って退位し、王権はその姫である王女ハーラに与えられた。臣民は祝福すべし!」


 アルディラとは河向こうの王国の意味で、ハーラとは庶王女の本名である。占拠した王城の高欄より、女王となった庶王女は独り、急遽招集された臣民らに向かい姿を見せた。勇者黒髪がここにいる事は、王を脅すため以外では極秘にしておかねばならない。急ぎで集められたにしては、王国の民衆は王女の女王即位を歓迎した。決着のつかない内乱にうんざりしていたからである。女王は、首尾よく降伏させる事が出来た王と叔父の財産を没収したとき、特に二人の金庫の中に魔少女がばら撒いたリモスの金が残っていたことを発見。この金を根拠に、税の未納分の帳消しと、向こう半年間、即位を祝す意味で税の徴収を行わないと宣言。王国の新政府は、とりあえず民衆を味方につける事には成功する。これは、女王の人気取りに加え、税収が無ければ政府支出も自然と押さえられて物価の上昇にも歯止めが掛かるだろうという、勇者の予測による施策だ。内乱とリモスの金の流出が、民衆の生活を脅かしていた元凶なのだから。


「貴女にはこの国の女王の地位に即位していただく。私の掲げる理想と、目指す目標のために。真に人間の指導者に相応しい君主になってほしい」


 健気にも庶王女は夫の願いを生き容れたのだ。彼女は妖精女が見通した通りの心の動きを一片の違いも無く示した。夜明けとともにその日、黒髪と庶王女は久々に二人だけの時間を過ごす事ができた。


 こうして河向こうの王国は、勇者の妻の支配に帰する事になった。妖精女が意図した所はここにあり、隠然と勇者黒髪を支援する人間の国が欲しかったのだ。二人の間に子供が生まれれば、勇者側の王権はより一層強固になる……その方針に、胸焼かれぬでもない、と感情を鎮める妖精女だが、この怪物は決して勇者を裏切らない。人間世界と怪物世界の双方に君臨する存在を育てるという喜びがあったからだ。


 彼女はグロッソ洞窟に居た頃の自分を思い出す。湿った谷で貧しい客相手に仕事をし、金ヅルのリモスを食い物にしていた。トカゲ軍人が赴任してくれば、好を通じて魔王の都までついていき、捨てられた。そんな彼女を再び受け入れてくれたリモス、家族のような付き合いだった魔女、猿、下女。そこにも幸福はあっただろうが、創造する喜びの境地にまで自分を引き上げてくれた黒髪を助ける行為が与えてくれる高揚感は、グロッソ洞窟ではきっと味わえなかっただろう。


 そして競争者である人間たちも、一筋縄ではいかない。それもまた血がたぎるではないか。都市エローエに逃げ出した王家の人々は、果敢に反撃に出てくる。それは勇者黒髪にとって、精神的に強烈な打撃となる、人間の心の機微を良く捉えたと言える一撃となった。

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