第43話 勇者逆進

 勇者黒髪は、かつては仲間でも敵でもあった統領とんがりが最期の瞬間に口にした、


「結局、人間と怪物は相いれない存在である、という決まりきった事実らしき常識を強化するために、ミーは死ぬのだ」


と言う言葉を深く噛みしめていた。そして、自分はそれを打破しなければならない、と痛感していただろう。この常識を破棄せねばならないと。信念や思いからではなく、必要に迫られてだが、どれほどの勇気が必要であっただろうか。人間と怪物が存在する以上、いずれは歩み寄りは不可欠であった。そしてそれのみが、世界を真に救う唯一の手段であるとすれば、その決定的な一歩を踏み出した黒髪は、誠に勇者の名に相応しい。


 人間世界の安定のために未来都市で為し得る事は、とりあえず終えていた。差し当たり怪物たちの流出は終わったように見え、魔王とその近衛衆のみ未発見だが、噂に近い情報ではモストリア領域から去ったらしいという事だった。追撃が不可能な以上、外に為すべきことが山積していた。


 怪物世界には、税の概念がない。故に、税金の無い社会体制であるとも言えるが、かつてリモスが諸事を取り図ってもらうためにインポスト氏へ渡した各種賄賂は、どのような形をとってにせよ幾分かモストリアへ送られていた。税は無くとも、上直や強者に便宜を図ってもらう際には、必ずこの種の費用が発生した。これはインポスト氏やトカゲ軍人のような立場でも変わりない。全ては魔王とその近衛の元に集中集約されていくのである。


「逃げ続ける魔王とその近衛がなかなか復権できない事情の一つに、この金不足があるのかもしれません。彼らは魔王の宮殿を逃げ出すときに、魔王の金庫の鍵を持って逃げました。と言う事は、手元に金は無い、と見るべきでしょう。怪物世界をも統治せんとするならば、貴君はこの金庫を全力で守らねばなりません」


 そう忠告する神官に対して、勇者黒髪曰く、


「金が必要なのは、当座の金の不足している私も同じだ。なんとかあけられないものかい」


 神官は首を振って、


「英雄隊も金庫の開錠にだいぶ労力を割いていましたが、達することがありませんでした。力任せにこじ開ける事は、期待できないでしょう」


 こんな話もあって黒髪は鍵開けの名人とんがりを思い出していたのだが、ふと思いつく。


「怪物世界には死体を蘇らせる秘術があるだろう。例えばある鍵開けの名人を復活させた場合、その人物は生前の技術を使用できるだろうか」

「それこそやってみなければわかりますまい……貴君は生けるがいこつをご覧になった事があるのですね。あれは魔術魔法というよりも技術で、それにさほど難しいものではありません。私だって施術できます。が、施術者も蘇ったがいこつも怪物世界では尊敬を得る事ができません。その理由ですが、死んでも働かされるという点で、我々の文明ではがいこつ化は重罪を犯した者に科せられる刑罰であるためです。人間に対し積極的に施す事もありませんでした。奴隷労働力としての人間、すなわち魔人には不足しませんし、人間に怪物世界の刑罰を与える事は、互いの分を越えた過ぎたりし事なのです。この魔王の都にがいこつが少ないのは、そのような理由によります」

「魔王の金庫を開く一つの案として検討してほしい。ところで、金庫の中にはいくら入っているのか」

「一年前に見た時は、仮に貴君の祖国が鋳造したトンガリーノ金貨に換算すると四百万枚程度になる程度の分量がありました。これだけあれば、人間の国が買えるでしょう」


 これは二十トンもの重さに匹敵する、凄まじい量である。


「仮にその金を人間社会に放出したら、凄まじいインフレが起こる。身分制度が根強い人間社会は血で血を洗う大混乱になるだろう……それはともかく、魔王の金庫がその内に開くだろう事を期待して、証券を発行しよう」

「証券?」

「将来換金を約束する紙切れだ。これで兵を編成する」


 こうして勇者は魔人の部隊を自ら再編成する。さらに怪物衆からなる輜重・補給部隊も新設する。この二つの部隊を用いて、山を越えた先の帝国で継続中の人間世界と怪物世界の紛争に片を付けるつもりでいた。魔人はともかく、怪物衆は勇者の指示に従うのか危ぶむ声もあったが、旧モストリア全域を支配下に置いた勇者は圧倒的な強者である事は間違いない。そのお零れに与ろうという怪物が実に多く、神官曰く、


「貴君が勝ち続ける間は、信頼してよいでしょう。それはこの証券の未来を信じる事ができるからでもあります。貴君が新秩序を打ち立てるまで、未来都市を一時お預かりします」


 未来都市を出発した勇者の軍は、魔人三百体、怪物二百体の合計五百体の数で、最前線の国を通過。ここで食料を補給する。勇者が未来都市を押さえ、今や怪物を率いて再出撃している姿を見てこの国の人々は吃驚したが、なんにせよ、現状ではモストリアからの度重なる略奪は完全に停止していたため、彼らは勇者に深く感謝を示し、幾人か国の名士を協力者として同行させた。食料も相場の価格よりは多少安くだが、彼らに損害が及ばない金額で買い上げた。その上で、勇者は最前線の国の有力者たちを前にして、自らの理念を告げた。


「この国は人間世界と怪物世界の狭間にあるため戦乱が絶えず、不幸な日々が続いた。それを断ち切るためには、共に生きていく道を造るしかない。その為に、山を越えた先の帝国に居ついた怪物達と和睦しに行く」

「和睦―」


 彼らは多少の驚きをもって顔を見合わせた。その名士の一人は勇者に語った。


「勇者様、この国に残った者は、人間世界と怪物世界の争いの結果としての厳しい現実を嫌と言うほど知り尽くしています。誰も数多の怪物が棲む魔王の都を滅ぼそうとは思いもしなかったのです。今、そこからの攻撃が止んだ以上、我々にも異存はありません。誰もが貴方様の意見に従える、とは言い切れませんが、それも今後次第でしょう。差し当たりこの国は、勇者様に従います。補給についても、出来得る限りの協力はします」


 これに黒髪は感謝の言葉で返し、進軍を再開する。次に通る場所は交易都市である。


 交易と商業で未曽有の繁栄を遂げていたこの都市に、いまやかつての面影は無い。まず勇者とエローエ市民の攻撃により市内は略奪にさらされ、次いで流出した怪物たちの攻撃によって北側の城壁は脆くも崩れ去り、街には略奪の跡が残されている。それでも都市内に残ったエローエ市民を中心に防衛体制が再構築され、バリケードや瓦礫を壁として、市民生活は再開されつつあった。そこに、黒髪が戻ってきたのである。魔王の都陥落後、魔王を追撃するための補給を勇者に依頼され、エローエ市民達もその体制構築に尽力した経緯がある。それが今、怪物を率いて城下に迫っているのである。交易都市内部は一気に殺気立った。


「魔王討ち死にの知らせも無いのに、黒髪が怪物を率いているとは、敵に取り込まれたか」

「さほどの大群ではないが、相手は戦争上手、我々に勝ち目はあるだろうか」

「それにしても、勇者と呼ばれた男がこの振る舞い。何か気に障る事を、我らしたかな」


 だが、市民たちの懸念に反して、黒髪は単身非武装で状況説明に現れたのである。ハッキリと同士である彼らに対しては、彼の考えを明快にするべきである、と考えたのだろうか。引き続き勇者の側近くに仕えるヴィクトリアは、明快にするべきだ、と提案する。しかし、黒髪は珍しく彼女の言葉を退け、曖昧かつ全てを明かさなかった。すなわち、


「今回の軍旅は、山を越えた先の帝国に居座った怪物達の討伐を目的とする。この輩を打ち倒すか、または降伏させて未来都市の方角へ強制的に帰し、人間世界に秩序を取り戻すためだ。そのため、引き続き補給の協力をお願いしたい」


 最前線の国で語ったような、彼個人の理念には一切触れていない。話をしても伝わらないと確信していたためである。またこうも付け加える。


「山を越えた先の帝国、すでにこの国の政府は瓦解していると伝わっている。中央政府の助けを受ける事が出来ない地方の有力者たちが個別に隊怪物の防衛に立ち、犠牲になり続けている。この怪物たちが帝国を食い尽くした後、彼らの意思でこちらに戻ってこないとは誰も言えない」


 だからこそ、帰宅を強制させるのだ、と勇者は語るのだ。不信は不穏は残るが、こうまで言われては、交易都市政府は勇者に協力せざるを得なかった。だが、市内での募兵は認めなかった。都市を守る兵士を一人でも欲していた事もあるが、早い所、この軍にお引き取り願いたかったのである。この情報はいち早く、本国エローエへ伝えられる事になる。そしてその時に、エローエにおける勇者の政治的生命は死を迎えるのである。さらに言えばエローエの富裕層たちが勇者を見限った以上、この階層が支配する交易都市もまた、勇者とは袂を分かつ事になるのだ。ヴィクトリアはこの危険を勇者に指摘したが、彼は悲し気に首を振るだけであった。


「今の私に与することは、極めてリスキーな行為だ。犠牲を担う事を強いるなら、自身が率先してこそ。勇者を名乗り続けるためには、そうしなくては」


 交易都市を東に進むと平原が広がる。行きでは蛮族たちに襲われ会戦にまでなった地域で、都市や町は少ないものの、怪物達の焼き討ちを免れた所はない。荒廃の度合いが進んでおり、自分の起こした戦争の結果とはいえ、さすがの勇者も胸が痛む。


 しかし、草原に跳梁する蛮族たちは健在であった。最初は人間怪物混成の軍を遠巻きに眺めるだけであったが、補給物資を持っている事を知ると、人間怪物問わず闘った相手の首を手斧で狩る部族、怪しげな仮面を身に不気味な言葉をつぶやきながら迫りくる部族等、平原に悪名跋扈する数多くの蛮族たちが集まり、部隊の数も多くない勇者の軍はすぐに遠包囲されてしまった。勇者は戦いを決意する。こうして勇者はまたしても、怪物より先に人間と戦うハメになった。



 訓練された人間個人は時に怪物を圧倒し、それが集団を為した軍隊であればなおさらであったが、それよりも恐ろしいものが怪物の集団であった。山を越えた先の帝国はその群れによって崩壊しつつある。勇者はこの怪物の群れを、例えば人間が明確な目的の下で指揮をしたらどのような結果になるのかを、この平原の戦いで如何なく明白にするのである。


 無秩序に迫りくる蛮族の騎兵を、魔人たちが武器を持って丁寧に応戦する。勇者黒髪はその間に、輜重隊に偽装していた怪物隊を、蛮族の兵が密集している場所に突撃させたのである。怪物の持つ牙、爪、人間離れした腕力が才能全開に発揮された。その攻撃が当たれば、人間の首や手足は容易にひしゃげ、もぎれ飛ぶのである。そして怪物の群れを目の当たりにした人間たちは、逃げる、という一つの事しか考えられなくなる。彼らは仲間も死体も武具も予備の馬も全てを捨てて、戦場を離脱した。


 勇者個人としては、魔王の都への遠征を最初にくじいたこの連中へ恨みも持っていたが、主目的のため今回はそれを忘れる事にし、追撃を控えた。得たものの確保が優先したからである。この戦いで、勇者の軍は全く損害を出す事無く勝利し、蛮族の死体は千体を越えた。勇者は、この新鮮な蛮族の死体を敢闘した怪物達に食料として下げ渡す。人間である勇者による自分たちへの処遇に懐疑的であった怪物連中だが、これには大喜びで死体をグリルし始める。人肉は日持ちがしないからと、塩漬けにして補給物資とする猛者もでる始末。さすがに生物的には人間である魔人たちはこれを食べたりはしないが、モストリアで育ったり生活していた彼らだ。今更さしたる嫌悪感を発する事も無かった。勇者は種を超越した寛容な態度によって、配下の怪物衆の好意を得る事にまず成功する。


 逃げ延びた蛮族たちも、もはや勇者の軍を攻撃する勇気など持てなかった。仲間の死体を放置して逃げた事を後悔した蛮族兵が勇者らが去った地に戻って来てみたものは、いくつかの調理された後の骨であった。勇者は塚を造らせて埋葬までしたのだが、中から出てきたのは食い散らかされたかつて人間であった物なのだ。さすがの蛮族らも腰を抜かすが、この話はあっという間に人間文明の拠点たる都市部や農村にも広まっていく。この戦い以後、勇者の軍に付いたあだ名は『食人鬼の群れ』となる。



 自らの理想のために怪物にも譲歩し歩み寄りを欠かさなかった勇者だが、少しずつ人間のための人間であることを止め始めていたのである。そしてこの無自覚かつ無言のメッセージを、人間社会は敏感に感じ取っていたのだ。


 勇者を支え続けるヴィクトリアも、黒髪が人間世界の真の『勇者』として凱旋する事はもう不可能なのではないか、と考え始めていた。だがそれならそれで都合が良いのかもしれない。ヴィクトリア、すなわち妖精女は本来怪物世界こそ肌に合い、元々グロッソ洞窟から危機を遠ざけるために勇者に付いたのだから。だが、黒髪と対して見れば年上の女である彼女は、未来都市の主人にまでした自分の男の密かな願望である人間社会からの名声への渇望を叶えさせてやりたくもあった。その為、以後もヴィクトリアは勇者の側を離れずに、人間世界との融和を勧め続けるのである。情愛深い妖精女であった。


 蛮族との戦いの後、勇者の軍―他称『食人鬼の群れ』はさしたる障害に会う事も無く、山を越えた先の帝国の領域に侵入した。彼が向かったのは、帝国領に住み着いた怪物達の中で人間に最も恐れられていた怪物、バンシー軍人の拠点である。

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