第44話 再び、暗殺戦

 時に彼女が見せる輝ける泣き顔の効果は、身近な輩たちに限定される。スラリとした容貌、気品のある身のこなし、ブロンドの豊かな髪をした美しいバンシー軍人が怪物達の指導者として山を越えた先の帝国を蹂躙する事が出来た最大の理由は、人間に対するその残忍さにある。捕らえた人間についてとりあえず首を撥ね、労働力としての奴隷が必要になればまた町や村を襲撃する、という怪物らしさを誰よりも執拗に繰り返してきた結果が、彼女とその取り巻きが君臨する支配地の形成となった。今や、人間の帝国の外にも、襲撃の幅は広がりつつある。対抗した人間諸国の協同討伐軍が結成され、進軍開始間近であったが、彼女はこれへの対処とその振る舞いを諫めに来た別の集団のリーダーである猿の怪物を、亡き濡らした頬を見せつける事で追い返してしまう。これで、バンシー軍人の集団は人間世界との対決路線で進むことが決定的となる。


「あのクソ女め、人間諸国の軍隊相手に勝てる気でいるのかい。度し難いメス豚だ。それともあの魔性のお顔で配下の怪物たちを全て前線に送り込むつもりか。たまらんぜ」


 この猿と入れ違いのように、勇者黒髪率いる軍がバンシー軍人の拠点に到着した。勇者黒髪は、「モストリア総督」の資格で面会を申し入れた。さすがのバンシー軍人も怪物世界の高位職の来訪に驚いたが、それが人間であり勇者と呼ばれた黒髪である事を知ってさらに驚いた。


「なぜ勇者黒髪がこの地へ?モストリアを捨てたのか?」


 バンシー軍人は、その名の通り美しい妖精の女であると同時に、魔王の宮廷に仕える軍人であった。生まれは良く、軍に占める立場も中堅どころで、トカゲ軍人やゴブリン軍人よりは高く、翼軍人より若干下にあった。しかし、勇者のモストリア攻略時になんら良い所がなく、支配者となった英雄隊の乱脈統治を嫌って逃げ出した一体でもあった。


 その後悔もあったのだろう。人間の集落とみるや手あたり次第に襲撃し、血祭りにあげてきたのは、罪滅ぼしでもあった。この実績にその地位による信頼があるから怪物達も寄ってくる。彼女の新しい国は瞬く間に大きくなり、「魔王」を宣言する事に野心を燃やし始めた。その為には人間の正規軍に対して勝利を得る必要があった。だからこそ、猿の忠告を退けたという一面もあったが、ここに勇者黒髪がやってくる。それも「モストリア総督」の地位を引っ提げて。


 彼女は勇者殺害を決意する。そうすれば、モストリア陥落の当事者を討ち、その名声はさらに巨大なものになる。彼女の立てた作戦は以下のとおりである。


 まず、勇者の面会要請を容れ、彼女の居城に彼とその側近たちを招く。その間、人質として泣き落した高位の怪物数体を、勇者の軍に赴かせる。勇者殺害の後は殺されるだろうが、そんなことはどうでもよかった。そして怪物を潜ませた会談の場で、一網打尽にする、という実にシンプルな内容であった。シンプル故に準備にも時間はかからなかったが、これは魔王や高位の怪物が、時たま現れる人間に対して行ってきた伝統的なやり方でもあった。つまり常套手段なのだ。故に、この暗殺は勇者黒髪側には完全に見抜かれていた。歴戦の怪物とは言えなかった彼女の想像ではそこまで手が届かなかったのか。また、バンシー軍人は、勇者黒髪の経歴を軽く見ていた。怪物世界で勇者黒髪の名はモストリアを落とした軍の指揮者として著名になっていたが、実際は司令官としてはさした才能には恵まれていないのはこれまで見てきた通り。むしろ、戦闘巧者として人間世界で名を挙げたのである。故に、彼を近づけるという行為は、最も危険かつ軽率な振る舞いであったはず。


「いいことみなさま、勇者黒髪を何としても騙し討ちにして殺すのです、わたくしのためにね……」



 バンシー軍人の居城の外にて、面会に応じる、というバンシー軍人からの使者を受けた勇者は人間社会の礼節に沿った応対を返して、自分の他はヴィクトリアと人間の格好をさせた魔人二体を連れて城門をくぐる。四名まで、というのが先方の条件であったからだ。無論、非武装丸腰で望むのであるが、さらに身体チェックもされアクセサリー類も外す事を要求された。差し当たって勇者はへりくだり、バンシー軍人閣下への贈呈品、ということで、金貨の入った袋のみ持ち運ぶことを認められた。位階秩序を形成するなどバンシー閣下は野心的なようですね、というヴィクトリアの意見に笑顔で頷きながら、ゆっくりと応接の間へ向かう。


 この居城は元々が山を越えた先の帝国の離宮であり、豪勢な庭園で飾られていた。魔王の都へ向かう途上、勇者も立ち寄っていたから見覚えがあったが、怪物の支配下にはいってからは処理された人間の骨やガラクタが山と為す無秩序な場所に変わっていた。異臭もする。無知な怪物による支配の現実を再認識する思いであった勇者黒髪は、それなりに秩序だっていたモストリアとの違いに思いを馳せる。このような差は実力ある怪物の趣向によるのだろうか、と。


「もしもそうなら、ここの怪物の指導者は、恐れるに足らない相手だ」


 応接の間は、人間の建物を再利用している。ここだけは清潔に保たれていた。成り上がった怪物達が豪勢な武具を身に着け、整列している。その奥にある玉座に、バンシー軍人がいた。豊かな髪が柔らかく膨らみ、聞きしに勝る美しさだ、と黒髪も感想を持った。しかし、その麗人が、人間世界の地獄を現出しているのだ。遠くの建物から人間たちの悲鳴が聞こえる。処刑されているのか、虐待されているのか、どちらかだろう。黒髪ら四名はモストリア総督の名をもって玉座の主の近くへと進む。周りの怪物達は、機会さえあれば殺してしまおうという殺気に溢れている。美しきバンシー軍人も、余裕に満ちた笑みを浮かべている。この会談に全く恐れを抱いていないのだろう。


「恐れながら」


 勇者は歩み出て曰く、


「この度はモストリア在京の諸侯一同よりその総督職を預かっている私にこの地を制した閣下への挨拶の品を預かりましたので献上に参りました」


 手に持った袋の紐を解き、手を触れずに金貨を示した。すでに怪物の使者が袋の中身を改めているので、中に二千トンガリーノ金貨が入っていることは先方も承知している。それを一瞥した美貌のバンシー軍人が透き通った声をもって、


「大義―」


と黒髪へ向き直った刹那、急に距離を詰めた勇者黒髪は金貨の詰まった袋でバンシー軍人の顔面を強烈に張るという暴挙に出た。何かが折れるような音が、応接の間に響いたという。


 トンガリーノ金貨が一枚約五グラム程度として、二千枚あれば十キログラムの重量のある袋になる。頸椎に大きな損傷を負ったらしいバンシー軍人は、美しい容姿はそのままに、立ち上がることは無かった。


 目前で行われた凶行におどろき、とまどっている怪物たちを前に、勇者黒髪は空いた玉座にどっしりと腰を降ろした。そうして周囲を睥睨して曰く、


「諸君、余はモストリア総督である。そして先の戦いで最後まで立っていた勝利者でもある。お前たちは余に従わねばならない。できなければ殺す。命令は、モストリアへ速やかに帰還することだ。道中、人間に対する略奪は許さない。そのため、現在の地で出来得る限りの食料調達を済ませておくこと。無論、生きている人間への略奪行為は厳禁だ。疎漏なく指示に従うのであれば、モストリアでの栄達の道も拓ける事を約束しよう」


 そして並み居る怪物たちを一体一体、目で射止めながら、


「もしもモストリア総督である余の処置に不満を持つ者がいれば、この場で申告するように。相談に乗らない事も無いからだ。だが、この間を出た以上は命令を承知し、余の職権に従う意思表示と見做す。すなわち、以後これに背けば裏切りの罪を持って即座に殺す。ゆめゆめ忘れない事だ」


 余、という自称からその内容まで勇者のセリフとは思えない、とヴィクトリアも黒髪の変貌に驚いたが、心中の不満はともかく、怪物達も従う様子を見せた。輩の中の誰一体として、戦闘能力で勇者黒髪に勝てる自信のあるものはいなかったからだ。速攻による襲撃は、有効であった。


 こうして勇者黒髪は山を越えた先の帝国領内において最大の規模を誇った怪物の群れを掌握する事になった。怪物たちはモストリア帰還の準備を始める。新たに人間を殺し食料とすることは勇者が決して認めなかったため、すでに死んだ人間の体や残っていた家畜を食料へと加工していくしかなかった。


 この拠点に生存していた人間たちは解放された。彼らはそのお礼を勇者黒髪に述べに行くが、そこで出た言葉は集落の速やかな再建には否定的なものであった。勇者曰く、


「諸国の連合軍が進軍を待っているというから、怪物達が消え去るまでは、そちらに避難しているのが最も安全であろうと思います。少なくとも、この土地からの怪物退去は、私が責任を持って見届けます。諸侯へもそう伝えてください」


 勇者は生存者たちが連合軍の元へたどり着くための道中の安全の保障のため、兵を割かなかった。当たり前である。今彼が率いるのは、魔人と怪物の群れなのだから。だが、生存者たちも怪物が跋扈する地に居続ける気は無かった。彼らは危険を承知で、勇者の忠告に従ったのである。そして、勇者の言葉をそのまま、諸国の指導者たちに伝えた。


 これは黒髪の作戦で、評判が地に堕ち始めているだろう勇者としての名声を、少しでも維持し、人間からの攻撃開始をいくらか遅らせるための物であった。その意図に気が付いたヴィクトリアは勇者黒髪に問う。


「諸国の軍と戦うのですか。紛れもない勇者であるあなた様が」


 勇者は苦い顔をして曰く、


「彼らが僕に剣を向ける可能性は十分にある。なにせ、怪物を率いているのだから。しかし、そうなれば、山を越えた先の帝国に流入した怪物を、除去できる者はいなくなる。流出した怪物をモストリアへ戻す事。それが至上命題だから、場合によっては、ということになる」


 だが、勇者の心配より速く、人間による攻撃が行われる。これもまた黒髪の皮肉な運命を象徴するかのように、その攻撃はかつての仲間によるのであった。

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