第89話 はぐれ衆

 未来都市を西に抜けて、どれだけ進んで来ただろうか。リモスは隠れて休息を取るにうってつけの洞窟を見つけて、そこに身を横たえた。血を失った時はとにかく食事をすることだと、怪物の勘で知っていたリモスは、虫や灰汁抜きしていない木の実など、どんどん猿の口に放り込んでいく、気絶したままの猿は味を知らぬままで幸運だったろう。


 リモスはふと猿の腕からの離脱を試みる。しかし、離れない。傷が完全には塞がっていないからだろうか、とも考えたが永遠にこのまま癒着したままというのも不都合があると思わざるを得ない。


「猿が用を足したらボクが後始末をしてやらにゃいけないのか。あーあ」


 慨嘆していると、洞窟の奥から暗がりを物ともせず、何者かが現れた。


「凡夫…?」


 この懐かしい言葉で、それがかつてグロッソ洞窟の長だったインポスト氏と判ったリモスは、敬意を払って会釈する。後日、猿曰く、


「あの場面で警戒しない所が、リモスらしい。相手があの無能野郎でほんとうによかった」


ということ。見るからに警戒心の無いリモスの姿に氏も心を開いたのだろう。


「これは洞窟長閣下、お久しぶりです。お元気でしたか」

「凡夫よ、なぜここにいる。それより、凡猿のこの様はなんだ。もう一つの腕が……どうなっている?」


 リモスは、洞窟長は敬意に不足しなければ話を聞いてくれる、という魔女の言葉を思い出し、ここまでの経緯を丁寧に、熱心に伝えた。危機にあってインポスト氏の協力を当てにしたからである。


 腕組みして真剣に話を聞いてくれたインポスト氏だが、話にいちいち頷きながらもリモスが喋り終えると言い放った。


「凡夫よ、私のために金を掘れ。そしてモストリアを奪回するために戦うのだ。お前は金を掘り当てる才能だけは天下一品であったから」


 予想しないでも無かったが、あまりの唯我独尊ぶりに言葉を失ったリモスは、返事ができなかった。だが、この場限りの美辞であったとしても、インポスト氏はリモスの能力を認めているようだ。


 しかし、期待に満ちた目を輝かせて返事を待つ鬼の怪物を見て、リモスは呆れた。このお方は洞窟に居た頃となに一つ変わっていないのだ、と。だが、この線で話を進めるしかない。リモスは頷く事に条件を出した。赫赫のお願い事が御座います、という程で。曰く、


リモスと猿を匿ってくれること。

怨讐を超え、猿を寛恕すること(つまり和解すること)

その証として、猿には満足のいく休養を与えること。

そして、リモスと猿に公的な地位を与えること。


 最後は妖精女に裏切られリモスも胆に命じていた事柄であった。実力上位の怪物社会であっても、地位が無ければ身を守る事もできないのだ。これにインポスト氏は気前良く口約束を与える。


「よいよい、全て凡夫の望み通りにしようとも。私がモストリアを奪取できたらな。それまでは牛馬の如く働いてもらうぞ」

「私は構いませんが、シッミアーノは重体の身です。何卒休ませてください」

「まあ怪我が治るまでは致し方あるまい。だが口先ばかりの凡夫よ、貴様はすぐに働く必要があるのだ。魔王陛下は行方知らず、今やトカゲの凡夫が魔王を僭称し、モストリアはその凡夫の前の情婦だった婢女が支配している。この理不尽、が、我慢ならん。一日も速く、この状況を打破せねばならん。休息など僅かでよいのだ」

「では、洞窟長閣下はなにをなさるので?」

「知れた事、兵数が整い次第、未来都市に攻め込むのだ」


 リモスの呆れ顔が、表情に強く出てしまう。


「凡夫!なんだその顔は」


 やや捨て鉢になっているリモスは、この時は遠慮せずに考えの不備を指摘する。曰く、


「洞窟長閣下は未来都市の勢力に挑んで、一度ならず敗北を喫しておられる。次回も同じ様になるのでは」


 インポスト氏は激怒して真っ赤になって叫んだ。


「何を申すか!必勝の気概が無くして、どうして回天が望めよう!」


 だが、リモスも負けない。


「閣下、私が都市エローエを占拠した時は、内部情報、相手の考えの裏をかく作戦がありました。必勝の気概は、この二つが無ければ生まれなかったでしょう。あのトカゲの魔王、常勝の彼も、意表の裏を突く事を怠っておりません。そのような妙案はおわりですか」

「凡夫!僭称奴と呼べ、魔王と呼んではいかん、僭称奴だ!妙案か……そうさな、そう……まあ、誰かが見つけ出すはずだ!」

「そんな閣下、誰かって誰ですか、誰かいるんですか。いたら紹介してくださいよ……」

「ぼ、凡夫め!先程からその口の利き方はなんなのだ!」

「いるんですか、いないんですか!」


 リモスの捨て鉢に押され気味のインポスト氏は、彼自身が秘めたる計画を打ち明ける。


「……私の副官が怪材を探し求めてモストリアを駆け回っている」


 副官とはあの査問官のことだが、リモスはまだ知らない。故に、適当な返事になる。


「ああ、そうですか。ではその間、私は金を探して集めることにしましょう。グロッソ洞窟ほどではありませんが、ここにも幾らかの金の反応があります」


 移動しようとするリモスだが、猿の右腕から離れることができない。雑魚の生意気に当てられ怒りと忍耐に震えるインポスト氏それを見て曰く、


「猿とくっついては金の採掘も精錬もできまいが。どれ、凡猿と切り離してやろう」


 そう言って、悪意いっぱいに手刀を叩き落とし、リモスと猿を分断せんとする。だが、切れなかった。それでも嗤うインポスト氏だ。この笑いはリモスを馬鹿にする文言が思いついたからである。曰く、


「ぼ、凡夫よ、女には何度も捨てられるくせに、この凡猿とは手が切れんようだな」


 鬼のげらげら声を聞きながら、リモスはぼんやり考える。確かに、猿とは都市攻略からの付き合いで長い関係だ、と。かつて、これ程長く怪物関係を維持した相手はいない。鉄人形も、魔女も、あの妖精女だって関係が切れている期間が長かったのだ。そう考えると、ここで離れるのも惜しい気がする。粘液と肉の癒着が、二体の友情を象徴しているようにも思えたからだ。


「なぜ切れなかったのだろう。一度はこやつの腕を吹っ飛ばしたことがあるのに。ああ、そう言えば鉄人形の心臓を抉り出した時、

凡夫もいたのだったな」

「何故かはわかりませんが……」

「あまり手ごたえはなかったぞ。では凡猿の肉体部分から切り離すか」

「シッミアーノが死ねば、私は閣下にの下から去ります。そもそも、閣下、本気でなさいましたか」

「凡夫!無礼であろ!」


 リモスの無思慮な発言によってまた頭に血が上った氏の無遠慮な一撃が無造作に繰り出された。しかし、やはり癒着部は切れなかった。


 こうなれば、とインポスト氏は引っ張り伸ばしするが、やはり切れなかった。また、リモスにも痛みはない。リモスの思うに、そのうちなんとかなるだろうから、まあいいか。


 思い通りに行かない事が多く、リモスに背を向けてしまう氏。リモスはやむなく猿の体を操り、移動する。


 それを見た洞窟長はゴクリと息をのみ曰く、


「不思議な光景ぞかし」


と感心することひとしきりでない様子。そんな事をしていると、猿が目を覚ました。朧げな意識ながら、受け答えも出来る。

「……リモスよお、ここは?」


 答えにくくもあるが、正直に言うリモス。


「モストリアの小さな洞窟だよ。あの、グロッソ洞窟の洞窟長閣下が、対未来都市のために拵えた拠点だって」

「未来都市だけではない。僭称奴もだ」


 後ろから指摘するインポスト氏。その声を聞いた猿曰く、


「そうか。俺の命を拾ったお前がそれが正しいと思うのなら、それでいいさ」

「ボクの命を助けてくれたのは君だよ」

「無論そうだ。鬼の閣下に言っておいてくれ。リモスを救ってくれたら俺様の左腕を千切った過去は水に流してやるってな……」


 そう言って猿は再び眠りについた。それを確認した氏曰く、


「何か、貴様ら凡夫どもはできているのかね」

「いいえ、彼は私の親友なのです」


 それに少しイラついたようにインポスト氏曰く、


「貧しき者どもには相応しい間柄だな。私のような高貴な存在には友はいない。尊ぶべき主君か、卑しい家臣か、ただそれだけだ」

「しかし閣下、シッミアーノは協力輩にはなるでしょうが、閣下の家臣にはならないでしょう」

「凡猿の意識は問題ではない。実質的な価値について、私は述べているのだ。それに、お前は私の家臣になるのだろう」


 やや頬を染めて得意げであるインポスト氏をみて、リモスは否定する気も起きない。リモスは話を変える。


「閣下、現在の魔王陛下は何処へ?」

「心当たりは全て探したのだが、見当がつかない」

「勇者黒髪に討たれてしまった可能性は」

「陛下の宮廷にはモストリア屈指の魔卿達が付いていたのだ。そのようなことはありえない」


 リモス、我慢強く面倒さを隠して子供に問うように曰く、


「では何処へ、何を目的とされて、今、いるのでしょうか」

「……」


 自身、答えがないインポスト氏は黙りこくる。ふと、リモスは現魔王の発言を思い出して、なぞり述べる。


「確か……魔王の宮廷では本当に苦労した。あの差別感、冷遇感、そして何もできない連中に頭を下げなければならない無力感……惨めさとはあれをこそ言うのだ、か」


 どうしても魔王のやり方になじめないリモスなのに、その言葉を思い出し自嘲してしまう。何のことは無い、トカゲの魔王は旧魔王の宮廷にうんざりして、自分は洞窟長の相変わらずさにため息をついている。ところがこれを耳にしたインポスト氏は、仰天した。


「き、貴様のような凡夫に近衛の何が分かるか!」

「いえ、これはトカゲの魔王が言っていた言葉です」

「汚らわしい!二度と口にしてはいかん!」


 その絶叫ににわかに目を覚ました猿が、インポスト氏の無能と不手際の結果としての不忠を、静かに訥々と指摘する。そのしっかりとした弛まぬ語り口に、リモスもインポスト氏も心を奪われる。


「……インポスト閣下こそ、魔王が批判して止まない側のお方ですよ。自堕落、無能、有害という点では、旧魔王の宮廷衆こそ、最たるものだったのでしょうぜ。魔王の都としてのモストリアが滅びた事がそれを証明している。なによりも、なによりも、なによりも。インポスト閣下は、なのにまたその亡霊を復活させようとしているのか。リモスはどう言うか知らんが、俺に限って言えばそんなものごめんだね。別に前魔王の存在が憎いわけじゃないが、我ら一般の怪物達にとっては、空気のような存在だった。モストリアの領域以外では統治はなく、助けもなく、たまに命令してくるくらいの存在だったから。それに比べて、今の魔王は怪物世界だけでなく人間世界にも強い統制をかけている。この相手に、あんたがたが勝てる道理が無い。モストリアを奪回するというのは、やりようによってはできるかもしれん。が、トカゲの魔王を打倒するなど、あんたの言う凡猿凡夫衆なら、夢でも見てるのかどひゃーって言って終わりだぜ。正気の沙汰ではないってね。いい加減恥を知れ……」


 覚醒と失神を繰り返す猿の発言が小気味好く途切れたタイミングで、インポスト氏の忍耐の糸が切れた。能面のような顔になった氏は、真っ白い顔色のまま、尋常ならざる速度で突きを繰り出した。標的は無論、猿だ。それはかつて鉄人形を屠り、猿の腕を吹き飛ばした鬼の剛腕撃である。


 猿の肉体を最大限操れるこの時のリモスには、攻撃を交わすことができた。自らの身体をひたすら伸ばす事で誘導を行い、叫んで曰く、


「閣下、お気を確かに!」


 そう言っておいて、背後では猿の体を全力で走らせ、インポスト氏から遠ざけた。攻撃が当たらぬ以上、怒りも冷めやらぬインポスト氏は、次いでリモスに照準を合わせた。その攻撃をもリモスは避け続ける。猿の右腕とリモスの体は縄のようになった粘液に繋がるが、回避行動は続く。


 この時リモスの心に芽生えたのは、インポスト氏を殺害する事であった。当座は自分と猿の身の安全が第一なのだから。しかし、この鬼の化け物を殺すとして、如何にして?二人の力を合わせることが出来たとしても、とても太刀打ちできないだろう。せめて、激怒して思考が停止した洞窟長の行動を止めることができれば……猿の体が離れるにつれ、リモスの回避力も落ちてきた。これではその内、鬼の攻撃を受けてしまうかもしれない。そう考えざるを得ないリモスだったが、幸いにも杞憂となる。回避を繰り返し気が付けば、自身の伸びた体で、洞窟長の体を緊縛していたからである。行動を封じられた鬼は苦し気に抵抗するが、縛られれば行動は適わず、そのまま地面に突っ伏した。


―自分の体に何か変化が起きている。


 思えば、魔女も、黒髪も、トカゲ軍人も、妖精女も、逆境にあって身体能力や特技を伸ばし、性格も深化していたのではないか。勇者黒髪を失い極端に走った妖精女、その彼女に殺されそうになった己もまた、変化を遂げる資格があるのではないか。


 常に戦闘では役に立たない己を恥じてきたリモスにとって、この変化は歓迎して然るべきものである。どのような結果が待っているかは誰にもわからないだろう。その一念で、リモスはインポスト氏を縛り上げ続けた。

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