第14話 …失われた権威は回復しない

 インポスト氏は自分を通さずに何かが為される事を極度に嫌っており、それが自身の魔王の都への帰還を遅らせる結果になる行為だと考えていたため、酷く神経質になってもいた。故に、魔王の都への各種申請報告の任務だけは、真面目に取り組んでいた。氏は取り巻きに愚痴る。


「洞窟長とは読んで字のごとく、このグロッソ洞窟の長である、ということだ。だのになぜ、新道区の連中は私に一切の伺いを立てないのだろうか」

「それはたぶん、新道区をお認めにならなかったからでは」

「あいわかった。では、新道区を正式な区として認めよう。ただ広範であるから、第三、第四、第五の三つの区に分割して、逐一行動を私に報告するようにせよ」


 鉄人形の死の時、インポスト氏は、新道区の管理をリモスに委託している。形式でしかないが、それをさらに三つに分割したのだ。区割りの根拠詳細は不明だった。自分の目で見る事少ない洞窟長にも不明であっただろう。彼の宣言は何の効果も生まずに空しく響くだけだ。


 その直後に、猿が魔王の都へ使者を送ったという事を伝え聞いたのであるから、氏は屈辱による憤激で気絶する寸前であった。これまで猿は巧みにインポスト氏との衝突を避け続けていたから、氏も猿の敵意が無い事を理解はしていたが、ついに敬意まで無い事を理解した。当然、氏は猿に対して俄然硬化した。


 それでも、インポスト氏は、取り巻きの家臣を猿の邸宅に送って真意を確認させようとしたが、猿曰く、本件は極めて個人的な事情、ということで、使者の送り先もその目的も明かさなかったから、不信感は募るばかり。鉄人形を始末した時の血の気が鎮まっていなかったのかもしれない。再び、例の笑顔を持って、猿を始末するために出かけた。


 だが、普段、新道区には足も踏み入れない氏が来たことで、住民たちはみなびっくりしたのだ。直ちに猿へ通報が入り、姿を隠すよう、そして猿の居場所を誰も知らないととぼけるように口裏が合わせられた。この成果は、猿が指導力を発揮した末に得た果実である。最初は笑顔で新道区に入ったインポスト氏だが、歩けど探せど猿を見つける事ができない。最後は怒りを隠さず、


「凡夫ども!今日のうちに、凡猿に私の邸宅に出頭するよう、よくよく伝えておけ!」


と激憤の叫びをまき散らし、第一区に帰っていった。


 インポスト氏の戦闘能力が頭抜けているという事が分かっている以上、対面するのはただ危険でしかない。それより衆目の中に紛れ隠れてやり過ごす方が確かに賢明であった。よって、猿はその三日後にインポスト邸へ赴いたのだが、コケにされたと思い知った氏によって、もはや会うには及ばぬ、と追い返されてしまう。以後、氏は猿に対してもまた面会謝絶となった。


「面会謝絶という事なら仕方がないな。しかし、これは便利な言葉だ。俺も鬼さんに対してせいぜい活用することとしよう」



 同時期、都市エローエでは統領とんがりの肝いりで下水の清掃が行われ、都市からネズミが大量に逃げ出すという事があった。このネズミの集団はよくよく情報に通じていたようで、近隣にある生物密集地、すなわちグロッソ洞窟を目指した。


 後ろに道がもうないネズミたちの攻撃は激烈だった。怪物相手に恐れる事無く飛びかかり噛みつき、保管されていた穀物を食い荒らし、その管理人である乾燥人間も重傷を負った。貪欲な食事は活発な排便を促進し、それは水源をも汚染していく。洞窟内で、ネズミの攻撃を免れる事ができた場所は存在しなかった。ネズミが入れるような小さな出口は幾らかあるのだろうが、グロッソ洞窟は基本、入口と地下の排水穴しかない。さらに、ネズミの肉が美味であることを猫の怪物が吹聴しはじめるや、追い詰められたネズミたちは当初防戦一方であった怪物たちに捕まりかみ殺され、次々とそのエサになっていき、鼠害は収束を迎えていったかに見えた。


 だが、ネズミの持ち込んだ病によって高熱や体の痛みで倒れる輩が多数出た。この手の病の治療に打ってつけなのは、やはり魔女であろう。この老嬢は、次々に怪しげな薬を調合し、患者へ売りつける事でようやく経済的な成功にありつけた。しかしこの薬が効かない者がいた。リモスの家で下女をしている人間の少女である。この子は家の掃除中に噛まれたのだが、しばらくして高熱を出して倒れた。猿はリモスへ下女をかしずかせ気分を直せ、と言ったが、逆にリモスがこの子の看病をするハメとなる。なぜ魔女の薬が効かないかだが、それがインチキ薬品であったからに他ならない。体力的に頑健な怪物たちは、最初の症状にやられても、実は多少の病気ではビクともしないのだが、人間の少女ではそうはいかない。インチキが露呈する事を恐れた魔女はリモスと共に、誠心誠意看病に精を出す。後に老嬢は猿に曰く、


「まさかこの年になって、人間の子を看病する事になるとは思わなんだ。リモスもあの子を気に入っているようだし、精神力は取り戻したようだ。あとは例のきっかけだけあれば良いのだがね」


 猿は笑って答えた。


「そのきっかけだが、首尾は上々だ。すでに対象は確保できたと、つい先ほど連絡が来たよ」


 魔女も破顔し二体で良かった良かったと、明るい兆候を寿ぎあった。これは魔王の都へ送った使者の件についての事で、猿と魔女の目論見は後日大当たりするのだ。



 リモスの幸運は、それが彼が特に気に掛ける何に由来しているかは別として、リモスの徳と能力を評価し、気にかけてくれる輩共に不足しなかった事だ。少なくともリモスは、ここまで彼を盛り立ててくれている猿と魔女に対しては大いなる負債がある、と思わねばならなかった。


 猿はこの直後にまたまた発生したトラブルの対処で出動を迫られる。この問題もまた、人間が起こしたものではなく、怪物によるものであったのが、皮肉であった。


 新道区の水源地、これは猿によって『リモスの水源』と名付けられていたが、ある日、水を汲んでいたい売春窟の妖精三体が、地響きと共に水面下から飛び出してきた怪物によって瞬時に食い殺された。その後、現場確認に来た猿も急に現れたその怪物に襲われ、危うく死にかける。正体はシャチだった。


「なぜ海に生きるシャチが淡水の中にいるのだ」


 驚き腰を抜かす怪物衆に海を知るヤシガニの怪物曰く、


「シャチは海獣だけんども、淡水でも活動可能だ。もしかすると、この水源はどこかで海に繋がっているのかも」


 猿は洞窟内では新参者に当たるこのヤシガニに追跡を依頼するが、とても勝ち目はないから、と命乞いをされてしまう。大きさも相当なシャチの出現中は地響きと湧出量の急増という前兆があるだけで、全く対策が立てられない。洞窟の怪物たちは主に陸上怪物なのであるから、追跡も困難だ。


 このような異常事態、猿はインポスト氏に相談しても良かったのだが、洞窟長からの殺意に鈍感でなかった猿はそれを控えた。また魔女も有効な対策は思いつかず、海と繋がっている個所を探して鉄の鎖で入り口を塞ぐ、などという案を出す始末だ。他の水源を探して使用する、という考えも、その水源がシャチの通り道と繋がっていないとは誰にも保障できないのであった。


 誰もが逡巡している時に、勇敢な怪物が現れる。やはり新参者にあたる亀の怪物で、きっとシャチの入り口を見つけて報告をする、という豪の輩であった。ヤシガニが逃げたこともあり、猿も無理をしなくても、と言うが、野心的な亀の怪物はぜひとも自分に、とかって出て、演説を行う。演説、それは力なき怪物たちがそのコミュニティで頭一つ抜け出るための、常套手段ではあった。


「怪物諸君。私は安全かつ快適なこのグロッソ洞窟で生活できることを大変な幸運と考えている。そして私のような木っ端怪物にとって、良い上司に巡り合う事はそれ以上の幸運だ。それはリモス氏とシッミアーノ氏(猿の本名)だ。おかげで私は住まいを保ち、日々の糧にも事欠かない。水が有料になる、という息の根を抑えられそうなときも、両氏は我々の利益を一生懸命守ってくれた。では今こそ我々の中で動ける輩がそうするべきなのである。幸いにも私は水の中が得意とは言えないが好きではある。潜水時間もこれまでの経験では最大で四日間は連続して可能だ。私の能力を信じてほしい。そして、その調査の結果に基づいて、実施計画を立案し、両氏の判断に拠って実行に移せば、きっと洞窟に住む我ら怪物衆のために最良の結果がもたらされると信じるものである」


 見事な演説を打ち、大喝采を浴びながら、亀の怪物は水源に飛び込んでいった。リモスや猿は、自分自身のためではなく、他の輩のために働いてきた実績を持つ。このエピソードは、その行為に感化される怪物たちも少なくない数がいただろうという事を示している。怪物も恩を忘れない事がある生き物なのだ。そして時は流れ、新道区に住む怪物たちは今でも亀の帰りを首を長くして待っている。

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