第15話 都市の日々

 グロッソ洞窟が様々な事態の急変やそれに伴う構造的変貌を遂げつつあった中、都市エローエはどのような状況にあったのか。統領とんがりの政治はどう推移していたのか、戦士ハゲらによるとんがり暗殺の計画は動いていたのか。


 一言で表せば、統領とんがりの穏健な独裁政治の下、平和を享受していた、になる。それも都市の下水を清掃して、都市地下に巣くうネズミの大群を都市外へ追いやる、という程度の余裕はあったのだ。軍事は傭兵が担っていることもあり、市民たちは心置きなく経済活動に汗を流すことができていた。下水の清掃については、統領とんがりが珍しく統領による「決定」で実施を決めたもので、その結果、都市のあちこちに吹き溜まっていた汚れも一掃され、通りは極めて清潔になりどぶの臭いも無くなったという事で、議会は統領へ「感謝」の意を示す決議をしている。というわけで、彼の地位は盤石なものであり、反対派がつけいる隙は未だ誰にも見えなかった。


 統領とんがりの一日の流れを示すと次のようになる。まず朝、日の出とともに起床、彼は暗殺やクーデターを恐れて市庁舎の最上階を私邸に改造していたから、そこで目を覚ますのだ。顔を洗い、塩で歯を磨き、白く長いあごひげに櫛を入れて整えると、彼お好みの正装に早くも着替える。緑色のとんがり帽子と同色のマントを身に着け、さらにその上から市の統領の証である緋色の外套を羽織る。この装いは市民たちから好評を博していたとはとても言えないが、彼のこだわりであったようだ。その姿で、短く祈りを捧げる。神でも、彼がかつて殺めてきた人々へのものでもなく、昔、愛人が流産した時の胎児へのものだ。彼は全くの冷血漢ではなかった。統領になってからは安全のために稀に見る忍耐力を発揮して女を寄せ付けなかったが、人を愛したこともある男なのだ。だが、定職に就かず流れるまま追われるままに生き、ついには怪物側の一人として都市を支配するに至った。とんがりの暗黒的キャリアは、戦士ハゲなどの反対はによって広く吹聴されたのでこれを知らぬ市民はいなかったため、統領は良いイメージの獲得の機会を大切にした。朝、庁舎の庭園に出でて、統領は事のほか明るく人々へ話しかける。


「ごきげんよう、みなさん、ごきげんよう。今日も町は平和だね。それもこれもみなさんのおかげです」


 しかし、統領の背後に怪物の影を感じてしまうためか、朝の聴聞者の数は極めて少ない。下手に統領へ阿れば、市民たちから怪物の一味かと思われてしまう恐れもあった。だが、庁舎に詰める「庁舎防衛隊」の兵らは、現れた統領にきっちり敬礼をする。雇用主であり、彼らの生活を保障してくれるとんがりに対して、兵からの人気は高かった。「庁舎防衛隊」と「城壁防衛隊」は傭兵たちによる月単位の持ち回り制である。該当しない普段の傭兵は、「都市防衛隊」の一人として、市内で気ままに生活していた。市庁舎敷地内と城壁内を除けば兵舎もない。戦争も遠のいているから、訓練時間以外はかなりの自由が利く。これではとんがりを敬愛しないわけがない。それでも、翼軍人による訓練はかなり厳しいもので、「庁舎防衛隊」に当たる時は、朝からみっちりシゴかれるのだ。統領は毎朝その視察を行い、傭兵らに期待している旨を声かける。


「諸ユーが訓練をする。強兵として名を轟かせる。すると、都市は平和を享受することとなり、市民たちは他国人である諸ユーを同胞と思うように至る。皆のためになる立派なことだ」


 市庁舎に戻る。統領は最上階の下の階にオフィスを設けていたので、そこで政務を行う。都市行政の実務責任者である行政官から上がってきた書類に目を通し、鼻くそをほじりながら承認のつめ印を押す。こちらから上がってくる案件は基本的に些末かつ、秩序維持のためにとんがりが変更しないと決めた諸事だから流し押しだ。五分以内で全ての報告書に印を押せるか毎日挑戦し、押せた日は吉日と決めていた。押せなかった場合は重い案件がある日だからだ。彼が特に気にするのは、裁判所から来る書類で、その中に彼の支持者や傭兵が有罪となる案件があると、重大な殺人や謀反の案件以外は全て撤回させ、重大案件は統領とんがり自身で裁いた。裁判に介入する事で、敵対者を徹底的に追い落とし、支持者を作り出すという手法は独裁者ならではの有効なものであった。とはいえ、追い落としを行う対象には、代表的な例で、戦士ハゲの代理人を務めていた有力市民など、よほどの案件以外では選ばれなかった。とんがりが市民に愛される独裁者を目指したからだろう。そしてそれは、かなりの程度まで成功していた。法律は三種に大別され、傭兵法、要注意人物法、一般法を巧みに使い分けて、いささか恣意的ではあったが、自身に敵対しない限りそれなりに公正と公平な司法は行われていたと見るべきだろう。


 これらの書類の確認でお昼になる。この時間に腹が鳴ってもとんがりは昼食を取らない。毒殺を恐れたから人の作った物を容易に口にしなかったし、自分で調理するには時間が足りなかった。あくびが止まらなくても昼寝もしない。暗殺を恐れたからである。となると、仕事をするしかない。この時間に彼が見るのは都市会計の財務諸表である。彼は会計について詳しい目を持っていたわけではないが、リモスからの金を都市に投資しつづければ、自身の地位は安泰だと判断していた。だから、赤字部門を見つけるとチェックして、リモスからの金を惜しみなく投下するのだ。ただ、どの部門に累計でいくら投資したかは忘れずに記していたため、統領とんがりを金ヅルと見なす不埒な部門にはそれ相応の罰を下した。すなわち予算没収であるが、これも統領による「決定」ではなく、議会の「議決」で行うよう根回しを忘れない。根回しは無論、金による説得と武力による脅しの二本立てで行われる。


 会計関係の書類に目を通し終わると、その頃合いに翼軍人がやってくることが多い。怪物の癖に謹厳実直な彼は、今日の訓練結果と必要物資購入のための資金要求、そして都市巡視による防衛補強の助言などをしてくる。とんがりは、リモスが寄こしてくれて今ではこの上ない相方になっているこの怪物の報告提案を全て誠実に聞き、その要求には出来得る限り応んんじた。翼軍人も、勤務地が人間の都市であることに当初は違和感を持ったというが、根っからの軍人であったようで命令には従うのである。あるいは前任者のトカゲ軍人であれば、鼻っ柱の強いその性格からこう上手くは行かなかっただろう。しかし、食いっぱぐれの傭兵たちは怪物に近い存在で、その首領たるとんがりも同様であった事が、彼が人間風情に従った理由となったのではないか。故に、傭兵に軍事教練を与える事で、彼らが怪物に近い感性を失い遠ざかっていく事にさみしさは感じていたようだった、とはとんがりの言である。


 夕方になると、とんがりの政務も終わる。ようやく都市に出るのだが、身辺警護に必ず翼軍人と傭兵衆を連れて行く。まず食事だ。一日一食のとんがりは、ここぞとばかり食らう。毒殺を恐れているから、有力議員の家に厄介になるのだ。これは各議員持ち回り。毒味役の傭兵が最初に食事を行い、その後全員でようやくご馳走にありつく。仮に、毒味役が倒れれば、その場で皆殺しにするぞ、という心づもりだ。この大胆な防衛策に、議員の誰一人として、毒殺を試みた者はいない。また、馳走費用代わりに、統領から議員へ金が贈呈されるから、損はしないのである。だが一定の我慢は必要だった。酒が入る前から食卓の話題は下ネタ、嘲り、罵倒、色町沙汰で議員を除いて一同大爆笑、常に下卑を極め、ホストを辟易させたという。とんがりは滅法酒に強く深夜まで、場合によっては明け方まで素面でいたというから、議員とはいえ金を貰わなければ、たまったものではなかっただろう。ここでの蕩尽騒ぎが終わると、一日が終わる。翼軍人とともに市庁舎へ戻り、自室に内から鍵をかけて床につくのだ。それを見届けてから、翼軍人は掲揚場にてあぐらをかいて休息をとる。その間も、統領の部屋への警戒は怠らない。徹頭徹尾、暗殺を避けるための配慮である。深酒をした後でも、とんがりは必ず定刻に起床した。朝まで酒に付き合い、さすがに体力が切れかけていた傭兵が、今日くらい休んでも罰はあたらんでしょう、と忠告しても、


「大丈夫、体質かミーは二日酔いにはならないから。それに今日は議会で決めておきたいこともあるしな。ああ、ユーには今日一日、有給休暇をプレゼントするよ。防衛隊長にはミーから伝えておく。朝までごくろうさん」


 都市議会は定例会ではない。議長にのみ議員を招集する権限があり、鐘を打ち鳴らす事でそれを行う事は、リモスの都市占拠戦でみたとおりである。この時、むざむざ怪物の言いなりになった例の議長はさすがに都市に入られなくなり他国へ逃走した。以後、議長の役目は統領が務めていたが、招集する権限だけは議員の一名に認めていた。統領とんがりは何事につけ議会の「議決」を重視しており、さらにすでに裕福であったから買収が利かない相手でもあった。新たな法律を制定しようと目論む者はその議員を口説いて、議会を招集させなければならなかった。統領が招集を「依頼する」事が多いが、稀に自発的に招集が起こることがある。するとこの町では議会は直ちに招集され、人数が開催に足る定員に達し次第開催される。議決もそれに足る定員に達すれば為される。


 非常識な時間に、掲揚場にある鐘を鳴らす場合、その場所を部屋にしている翼軍人に会わねばならないので、それを避けると必然鐘がなるのは日中になる。市庁舎一階の議場に最初に入るのは大体統領とんがりとなる。人を信用しないとんがりは事務仕事の補佐を置かなかったので、その間に決裁は滞る。皆その事情を知っているから、この時の議案は、統領の補佐官を定める、という物だった。


 勇敢なる議員が珍しく自発的に招集した議会だ。打ち合わせが為されていたのか、議員たちは発案者を支援するため、みな馳せ参じる。常にない出席率だ。まず発案者が発言する。


「議員諸君。我らが統領は日頃激務の中で都市の発展に貢献している。今日のように議会が開かれれば、その双肩に圧し掛かっている業務は滞りを見せ、結果統領と市民を害する事になる。しかし、その任務は放棄される事許される類のものではないことは明白である。このような時、我ら議員は如何にするべきか。統領を補佐し、その重圧を軽くする事が必要であれば、その責任を進んで引き受けるべきなのである」


 議員たちは目配せをしあった。本心は、統領とんがりに近づける役職の創設にあるのは明白である。常は挙手によって決を採るが、この時は発案者により重大な案件につき投票とすべし、とされた。議員はみなとんがりを見る。独裁者がどのような判断を下すか固唾をのんで見守ったのだが、予想に反し、独裁者はこれを受け容れた。


 だが投票に入る直前、翼軍人率いる「庁舎防衛隊」が大変な声で雄叫びを挙げ始めた。彼らは市庁舎周辺で日頃訓練をしているから声が聞こえても当然なのだが、その日は通常よりもはるかに実践的かつ実戦的な響きであった。翼軍人の命令下、武具を打ち鳴らし、雄叫び、足音を揃えて行進を繰り返した。その間、統領とんがりは、議長席に座ったまま、柔らかい笑みを浮かべ続けている。この示威行動に、議員たちはみな怯えてしまう。せっかく、投票結果が特定されない投票方式にしたのに、結果、この発案は大差で否決された。投票結果が公開されると、外の「庁舎防衛隊」は一気に勝鬨を挙げた。


 穏健な態度を崩したくないとんがりは、この発案者を殺したりはしなかった。だが、とんがり配下の傭兵たちは、発案者を見つけると歯を剥いて脅し、剣を抜く気配を見せつける。生きた心地のしないこの議員は自発的に亡命するしかなかった。


 以上に見てきたように、とんがりの統治は開明的独裁をもって巧みに進められた。独裁者がその名に相応しい独裁を進めるには意外に苦労が絶えないものなのだ。独裁者側の努力の甲斐あって、とんがりの政治は市民たちに受け入れられつつあったが、この発案者の行動に見られるように潜在的な不安は決して解消しなかった。そして、とんがりの善政を持ってしてもどうにもならない、別の言い方をすれば、その善政を為したからこそ避けられない動きが、とんがり政権の首を絞め上げるという皮肉な現象が起こる。すなわち、欲望のインフレである。

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