第74話 残影の翼端渦

 それなりに情報を重要視する魔王の元には、先般の庶王子による黒髪暗殺の陰謀は伝わっていたが、一方で全く伝わっていない陰謀があった。その差異は、陰謀者が周囲にどれだけの影響力を与えることができるかによるだろう。孤立した集団によって為された殺意には、事が起こされるまで誰も気が付かない。


 勇者黒髪の暗殺を試みた庶王子の死は、未來都市から公表されることはなかったが、彼の行動の目的とする所を知っていた協力者たちによって、帰らぬ結末が何よりの答えとして、その死が人間世界へ広く伝えられていった。


 庶王子の死は、人間世界への脅威である黒髪の存在に一段と焦点を当て、同時に新たなる魔王への対抗手段の挫折にもなった。庶王子は勇者として認知されることなく死んだからである。


「まだ若いのに哀れだ。少数で呪われた地に向かっていった彼こそ真の勇者のようだな」

「しかし黒髪はどういうつもりなのだろう。彼にとっては義理の弟なのに」

「いずれにしても、これで正真正銘、黒髪は勇者とは言えなくなったと、天下に示したな」


 その哀れな死に胸を痛めたのか。河向こうの王国から依頼が発せられたわけでもないのに、黒髪を勇者と認めないという決定が人間世界のあちこちで為された。交易都市でも、帝国内の所領地でも、そして黒髪の出身国である都市エローエでも。エローエでは賛成票を投じた議員がこのように吐き捨てた。


「彼が本当に勇者であるならば、帝国領内に力をつけ始めている新しい魔王の勢力を攻撃するべきなのである」


 それを聞く独裁者東洋人としては微妙な感情であった。同じ帝国から流れてきた難民たちを見殺しどころか犠牲の生贄にしたエローエ市民にそのような事を言う資格はないのでは?とはいえ彼もあえてこの決議に触れるようなことはしなかったが、部下には本音を漏らしている。


「あの議員はかつて勇者党の熱心な一人であったはずなのに。人は遠くにいると、どんなに能力や徳があっても忘れられるもののようだ。我々もせいぜい気をつけような」


 黒髪が死んだ事を、彼は魔王になったトカゲ軍人から聞き及んでいたが、自分から公表する事ではない、と判断していたので、議事進行にツッコむことはなかった。それよりも、黒髪は勇者にあらず、という決議の結果、どのような事態が起こりえるかを冷静に分析していた。そして提案は賛成多数で都市の声明とされた。投票には一切関与する気になれなかった東洋人曰く、


「こうでもしなければ黒髪の出身国民としては安心して眠ることができないってことかな。他国から非難されつづけ、攻められるかもしれないからな」


 むしろ都市にとって潜在的な危険が高いのは、魔王を迎え入れたグロッソ洞窟なのだが、独裁者としては都市に敵対的ではない魔王と殊更争うつもりもない。こうして、都市は平穏であった。



 一方、一連の動きは、未来都市の妖精女にとっては好ましくない結果になった。


「近頃、情報が入って来なくなった。各地域の連絡員はどうしたのだろう」


 以前は、生前の勇者黒髪を良く知る隠然たる支持者たちが庶王子の暗殺計画を伝えてくれたのだが、隠然たる支持者たちのうち半数近くが、この決議の結果、ついに「勇者黒髪」から離れ始めたのである。なぜそれがわかったか。次なる暗殺計画を、未來都市の首脳部は把握することができなかったためだ。


 そしてモストリアに近い交易都市。この都市の支配者たちは都市エローエから発したアントレプレナーたちであったが、黒髪に恩義がある彼らも、黒髪は勇者に非ず、という声明を発した側である。この都市では、勇者黒髪に怨みを抱く戦士ハゲと寝たきりになったバンシー軍人が新しい生活を過ごしていた。そして彼らこそ、勇者黒髪の命を狙う次の刺客だ。



 その数奇な運命によって、戦士ハゲは一目見ただけでバンシー軍人に心を奪われてしまい、勇者黒髪の死のタイミングではしばらく都市エローエにも自身の大農園にも戻らず、帝国領を行きつ戻りつしていた。その原因は、保護しているバンシー軍人の全身不随が一向に回復の徴すら見せていないことで、無計画に遠出する事ができなかった事が最も重要だったが、引き続き野心に萌えるバンシー軍人自身、一度は成功した帝国領付近を離れるのを惜しんでいたという事情がある。


「ああ、戦士殿、あなた。私はこのような不具の身になって全てを失い、涙が止まらない。このままでは終われません」


 かろうじて動かせる首をハゲの顔に向け、復讐と復権を乞うバンシー軍人は、やつれたブロンドの髪に真っ白な皮膚に相応しい静物的な哀しみを、毎日男に向け続けた。ただでさえこの妖精出身の女軍人に参っている戦士ハゲは、勇者黒髪を殺してその首を彼女の前に捧げる事しか、考えられなくなっていた。


 富裕な戦士ハゲには引き続きその忠実な使用人たちが従っていたが、バンシー軍人はあらゆる怪物衆から見捨てられ、怪物衆の指導者として再度君臨するという彼女の野望は、余りにも現実的ではなかった。独善的だが頭は悪くなかった彼女は、その野望を目指す足掛かりとして、戦士ハゲを魅了し続けたというわけだ。


 一方、勇者黒髪が死んだと知らぬ人間たち、勇者に扮する妖精女の暗殺を企む連中は、彼らにとって適地である未来都市に潜む前に、交易都市で準備を整えていたから、その動きを掴んだ戦士ハゲ一行は、帝国領を出て、平原を抜けて、交易都市に入った。その間、バンシー軍人は輿に揺られて運ばれていく。


 戦士ハゲの戦いの腕は相変わらず冴えているから、道中の危険は全くなかった。また本国に広大な農園を持つ彼は、継続的な仕送りを受けており、金銭的にも不足しない。加えて、黒髪派の怪物を討つ、と称して都市周辺の怪物を蹴散らしながら新しい農地を開拓し、交易都市郊外にも農園を所有する身となっていた。本来都市エローエへ強い愛国心を抱く彼が異国の地でこんな事をするのも、保護しているバンシー軍人がそれを望んだためだ。彼は無骨な身に似つかわしくない優しい猫撫で声で最愛の女に語りかける。


「必ず、貴女の望むもの全てを、私の手で叶えてみせましょう」

「貴女の望みはなんでも叶えさせてほしい」

「貴方の最も欲する所、それは復讐ですね。ならばなんとしても我が手で!」


 不自由な体になったバンシー軍人としては、自分に魅了されたこの男は、明日を取り戻すため最後の切り札であっただろう。故に戦士ハゲの心を全身全霊全力を尽くして虜にしたのだ。瞳に哀しみと清らかさを称えた軍人女は、凛と伸びた声で、男の言葉に応える。


「最愛なる同志よ。私の望みは自分の国を持つこと。そして、その地で永遠に貴方と共に日々を過ごすことなのですよ」


 自分の国を持つこと、というのは本心だ。彼女はモストリア時代は冷遇されていたため、出世が困難であった。だが乱世の到来と共に、一時的にだが自分のコロニーを建国することができていた。


 聞けば今、かつて自分より格下のコロニーの主でしかなかった独眼マッチョの怪物が、新しい魔王の後ろ盾で広大なコロニーの支配者となっている。彼女はそれが悔しかった。そして、動かぬ身体が、憎しみを増幅させた。


「勇者黒髪が憎い。なんとしても奴を討ち果たしたい」


 この時点で、怪物世界では普通に知られていた勇者黒髪の死を、彼女は知らなかった。動けぬ体になった彼女を、怪物たちの多くが見離していたためである。そのため、人間世界からの情報しか入ってきていないのだ。


 運命と化した宿命の人からの声を聞いた戦士ハゲは、それだけで心が乱れる。


「黒髪を討ちに行く。そして、貴女ののために新しい王国を作ろう」


と強い決心をした。常にどこか外れている戦士ハゲだが、それからの行動は速かった。


 勇者黒髪は、建設からまだ年若い未來都市を盛り上げるため、関税を極力抑えていたから、行商人たちは多くが都市にやってくる。そして、怪物と商いをしている仲介人に荷を下ろして代金を貰えば彼らの仕事は済む。行商人と仲介人、この二者の役割分担で未来都市の経済は回っていたから、行商人に化ければ誰だって未來都市に入り込めるのだ。戦士ハゲも、庶王子と同じように入国する。


 事前情報がなかったこともあり、未来都市の関所は彼らの通過を許した。そして悪いことに、妖精女はヘルメット魔人とともに、戦場にいた。繰り返すがこれは悪いことであった。


 凶行は白昼堂々と行われた。行政府に戦士ハゲとその一党が突入し、手当たり次第人間も怪物も殺しまくったのである。


「ここにいるやつらはみな、黒髪の与党だ。誰だろうと構わん、皆殺しだ!」


 黒髪とは違った形で戦士としての腕を磨いていたハゲは、やはり強かった。また彼が率いているのは家人たちで、統率も取れている。殺戮は徹底して行われ、行政府には文字通り死体の山が出来上がった。戦士ハゲが、一体一体死体の確認を行ったからである。


「黒髪がいない」

「殿、捕虜を拷問しました。何人かの首脳部は戦場に出ているということです」

「そちらだな、相手が思いがけない攻撃こそが、勝利の秘訣、これはチャンスだ」


 戦士ハゲの隊が進む所、死体が派手に転がっていった。移動の際、ハゲは屈強な人間たちに輿をかつがせている。無論、中にはバンシー軍人が揺られている。もはや戦士は、彼女と一秒たりとも離れてはいられなかった。この執着が、超人的な活躍を彼にもたらした。


 戦場の妖精女とヘルメット魔人らは、モストリアからついに神官を追い払うことに成功して、ホッと一息ついた所だったのに、未来都市での騒動を聞いて全部隊すぐに引き返した。


「追撃すれば、神官を討ち果たせます。せめて部隊を二分割しませんか。」


 こんなとき黒髪ならどうしただろうか。妖精女なりの指導力が発揮されつつある中、ヘルメット魔人は直言を控えた。その結果としての全部隊首府直行であった。


「やっぱり黒髪の後を努めきっているとは言えないな」


 戦士ハゲはやはり戦上手であった。未来都市で待ってはいない。寡兵であるのに、というよりも寡兵だからこそ奇襲を狙ったのだ。輿を中心に円陣を組んで攻めて来たこの突風のような集団は、ヘルメット魔人と首脳が進む部隊を見事に分断した。


「あれだ、黒髪を見つけた!全兵突撃だ、奴を殺せば褒美は思いのままだ!」


 却って兵数が多い分、混乱が大きくなった。また兵たちも疲れていたから、働きが芳しくない。この絶対的危機に、妖精女は逃げなかった。前線で踏ん張って、兵士たちを鼓舞し続けたのである。


「戦士諸君、勇者黒髪の首を、敵に渡して悔しくないのか!」


 それこそ、往年の勇者黒髪の姿そのものであった。だから、戦士ハゲも、彼の配下たちもそれが全く異なる別人だとは考えもしなかったのだ。


「黒髪め、私の前にいつも立ちはだかる。だがそれもここまで。いいか、黒髪一人殺せばいいのだ、肝に命じておけ、ではかかれ!」


 戦士ハゲの合図とともに凄まじい攻防の応酬となった。振り落とされた武具と突き出された武具がぶつかり火花を散らすと、撃音が響き渡る。悲鳴をあげ倒れる兵も、無言で地に沈む兵も、新たな攻撃者たちの踏み台になるばかり。戦いはいつ終わるとも知れなかった。


刹那、横から強引に割って入って来たヘルメット魔人が到着した。その方向を戦士ハゲが大きく向いた。釣られて配下どももそれに続くと、挟撃された恐怖に、みな支配されてしまう。


大きく迂回して来たヘルメット魔人は敵を逃がすつもりは無い。元々狭い路での戦い、見事に戦士ハゲの部隊を分断することに成功したヘルメット魔人は、戦士ハゲを放置して彼の部下たちを皆殺しにするべく、包囲戦を命じた。それでいて、彼自身は戦士ハゲに対して向かっていく。


「お前も初めてでは無いな、暗殺者よ。帝国領での襲撃以来、仕返しをしたかった。未来都市で最高の兵士は俺だ。相手になってやる」

「邪魔をするな!私は黒髪を討つためにここに至ったのだ」


  戦士ハゲは残った部下に輿の死守を命じて、ヘルメット魔人に切り掛かっていった。両者の間で息をつかせぬ攻防が始まる。


 その間に、妖精女の本隊が戦士ハゲの執事率いる分隊に襲いかかっていた。奇襲と都市での狼藉への怒りから、混乱から逃れた側の兵達は、果敢に前進していく。対して、奇襲して分断したはずが、一転分断されてしまった側は陣営を立て直すのに必死。一人、また一人と倒れていった。戦士ハゲの執事は敗北必至と判断し、巧妙に後退を行い戦場離脱の機会を狙うが、勇者黒髪自身である事を示す妖精女は敵を逃さない。自ら最前線に立って兵士を鼓舞した。


「卑劣な敵は目の前、全てが諸君らの獲物だ!」


 振る舞いだけでなく、何やら発言まで勇者黒髪のようであった。その姿を、執事が目撃すると、帝国領で黒髪を襲撃した頃の記憶が急速に蘇って来ていた。


「あれは、勇者黒髪に仕えていた商人の娘ではないか。なぜ、あの娘が勇者の装いで、兵を指揮している」


 ここから、執事の推理は、確信へと向かう。


「計られた!……のではない。誤った。すでに勇者黒髪はこの世の人では無かったのか、なんという事、この戦いは無益なものだ!」


 主人がバンシー軍人に入れ込む事を快く思っていない執事はこの事をなんとか戦士ハゲに伝えようと自分の息子に全てを伝えて、敵中の突破を目論む。目立たないが、戦士ハゲの家にはこのような忠義者が多かったから、彼のこれまでの無謀で困難な行動は持続できていたのだ。


 執事の巧みな指揮によって、この使者はまんまと敵中突破に成功した。その代償として、執事が率いる分隊は全滅した。妖精女がことさらに残酷であったのではない。


「この地はモストリア。悪鬼羅刹の国、捕虜になれば死よりも惨めな最期を強いられる」


 執事は兵士に告げ、その言葉通りに最後まで奮闘して死んでいったのである。執事の死を確認した妖精女は、ヘルメット魔人の戦線へすぐに戻った。



「黒髪には負けたくなかった、勝たねば私の心が哀れすぎる。何故こうなるのだろう」


 戦士ハゲとヘルメット魔人の戦いは、戦士ハゲが片腕を切り落とされる、という結果とで勝負がついていた。ヘルメット魔人は戦士ハゲと戦いながらも、彼が死守を命じた輿を何度も攻め立てたのである。平静さを失った戦士ハゲは、大いに狼狽し、ヘルメット魔人は返す刀でその混乱を切り裂いたのである。


 だが、ヘルメット魔人の足下で倒れているのは、執事の息子であった。彼は命を落とす前に、父からの伝言をしかと主君に伝えることには成功しでいたのだ。


 腕を失い、輿を奪われかけ、さらに生き甲斐であった勇者黒髪の死を知った時の戦士ハゲの落胆は凄まじいものであった。完全に戦意を喪失してしまった彼は地に叩頭き、微動だにしなかった。そして頭上よりヘルメット魔人曰く、


「お前は二度も勇者暗殺を企てた罪人だ。この場で処刑する」


 戦士ハゲ、嗤って曰く、


「おいおい、二度目は別人なのだろう?」

「関係ない」


 剣が振り下ろされた。


 こうして戦士ハゲはモストリアの地に斃された。戦いに敗れたというよりも、怪物への盲目的な恋によって破滅したと言える。


 動かなくなった戦士ハゲの死体を見下ろしながら妖精女曰く、


「この男は黒髪にとってただの仲間の一人では無かった。腕っぷし、経済力、行動力と、大いに頼りにしていた、と聞いたことがある。その人物にして一度でも仲違いをするとこれだ。願わくば、私達は良好な関係に努めたいものね」


 ヘルメット魔人、守る者がいなくなった輿を改めると、そこには儚げな妖精の美女が横たわっていた。妖精は美しい顔だけヘルメット魔人の側へ向けると、何事か言おうとしていた。彼がその話を聞こうと固まった一瞬、背後から突き出された剣が、バンシー軍人の喉を貫いた。女は驚いた顔をしたまま、血の池を作り出して動かなくなった。勇者黒髪の扮装が板について来た妖精女、ヘルメット魔人を一瞥して曰く、


「こういった事が仲違いの原因になるのでしょうね」


 とため息をついた。ヘルメット魔人それに少し抗議して曰く、


「全く。今のは確認作業というものです。男たる者、そのような気があろうとなかろうと、確認作業は怠らないものなのです。それが男が男である所以なのですから」


 庶王子の襲撃に比べ、今回の被害は広範に渡る結果となったが、とりあえずにしても勇者の残党勢力は危機を切り抜けたのである。庶王子、戦士ハゲとバンシー軍人と、二度の暗殺騒動を切り抜けた妖精女は、幸運が巡って来ているのかもしれない、と本気で考え始めていた。

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