第10話 錯綜する情勢

 グロッソ洞窟新道区は拡大を続け、地域における怪物なりの経済・文化が花咲こうとしていた。怪物たちも日が暮れれば家に帰り、飯を食えば休息もし、場合によっては人並みにセックスだってする。子育てもすれば子守唄を歌うし、幼い怪物のため玩具を造りもするのだ。出世を願って根回し工作もするし、逆に足を引っ張ったりもする。要するに、極端に人と生活様式が異なるわけではない。唯一決定的な違いがあるとすれば、怪物が人を喰らうという事くらいだろう。人間は一致団結して都市や軍を造ることで圧倒的なまでに強力になる。グロッソ洞窟では、怪物がそれを行っただけとも言えるのだ。内実はともあれ、怪物が一致団結して見える事は珍しい事であった。


 権力は雪だるま式に大きくなるものである。例え、当の本人がそれを行使する気を持たなくても。人間の都市に代理人を送り込んだリモスの成功は他の怪物達から智謀の冴え、として評価され、その豊かな資金力から「ゴールデン」という渾名が与えられていた。故に、その威明を頼った怪物の洞窟流入が引き続いていた。


 その中には武具を持つ怪物もいるし、服を着る怪物もいる。人間から奪った物もあれば、怪物が営む小規模な家内制手工業により供給されたものもある。洞窟内の怪物頭数が増えれば、物資の必要量も増える。業者の業務量も増え、徐々に効率化が計られる。怪物たちの生活も豊かになっていった。


 この恩恵に与れたのは洞窟の新参者が多かった。いつの間にか、新参者の頭数が旧来者を超え、時代の流れに取り残された層は憎しみを増すばかり。具体的には、第一区、第二区の住民たちだ。彼らの思いが向かった先が、洞窟長インポスト氏であるのは自然の流れであったと言えよう。


 インポスト氏はいつか魔王の都へ帰ることを夢見ている洞窟の管理責任者だが、どうにも積極的な活動はできない性格であるようだ。そして、延々と日々洞窟で不遇を嘆いているのだが、食うには困らない地位を長く占めているだけあって、周囲の怪物たちの心の機微には敏感で、何かをしなければ今度こそ忘れ去られてしまうかもしれない、という危惧を持っていた。口癖であった「どけ!凡夫ども」の文句もしばらくは封印するつもりでいた。謙虚でいる事を強いられた彼が通じておくべき相手は、もはや近隣には翼軍人しかいなかった。


 すでに都市に入っている翼軍人と接触を持つのは大変困難であったはずだが、城壁際で定期的に連絡を取り合うというやり方で、ともかくもインポスト氏は線を繋いだ。親衛隊長として人間相手に権威を振う事で尊敬を受けている翼軍人は境遇に満足してもいたが、いざという時のため、リモスの他に協力する相手が欲しかった。翼軍人が考える変事とは、魔王の都やグロッソ洞窟に限らなくとも政変である。トカゲ軍人ほど露骨ではないが、翼軍人も栄達を望む一人には違いないのだから。幸いにも、彼の上司に当たるとんがりは、翼軍人の自由な活動を全面的に認めていた。


 リモスの他、鉄人形という面倒な競争者も相手にする必要のあったインポスト氏は、粘り強く自身の権威を取り戻す好機を待つ。リモスに比べてこちらは積極的な分、よほど対処しやすかったろう。積極性はともすれば、好戦性にも変わりうる。鉄人形は政治情勢の膠着の中で、どちらかと言えば人間らしくも思える煽動という手を思いつく。



 洞窟の第二区の怪物達では数の上からも質の上からも何もし得ないが、転入してきている新参者を集めれば、何かできるのではないか、と鉄人形は考える。では、何をするのか。やはり人間を襲うのであるが、都市は強力すぎるし今は襲う理由もないから、多少遠出して開拓者の村を襲う事を計画する。


 これまでも怪物たちは個別に道行く人間を襲撃し、勝ったり負けたりしていたが、都市にとんがりが入ったとて、これらが変わるわけではない。この延長線上に、鉄人形は盗賊としての事業を見出し、同時に自らの活路を見据えた。彼の持つ利点は、自身の能力で鉄のハンドアックスを大量に製造できる点にある。武装すれば人間相手の戦いもまた有利になるのだ。こうして、鉄人形の戦いが始まった。都市エローエに関連が無い遠くの村を狙い、襲撃行を繰り返し、物資の略奪、捕虜の誘拐を何度も成し遂げた。誠、怪物らしい怪物となったのだ。


 この略奪経済によって、鉄人形の統治する第二区もまた、豊かになっていった。当然だ。弱い相手だけを狙っているのだから、必勝である。略奪も回数を重ねるごとに、戦利品で満たされていくのだ。リモスの金鉱で働くよりも、こちらの方がよほど苦労が少なく、また破壊欲を満たすという楽しみも多かっただろう。


「最近、第二区の景気が良いようだな」

「なんにせよ、第二区には売春窟がある。遊び行こうよ、せっかくカジノで当てたんだから」

「人間の捕虜もいる。スカッと一発、頭でもかち割に行くか」


 新道区から第二区へ流れる怪物らも増え始めると、鉄人形はさらに知恵を働かせる。第二区への入り口に関所を設けて、第二区に所属する怪物以外からは通行料を取るようにしたのだ。無論、第二区の住民は無料。さらに、鉄人形の担当区には、あの妖精女の仲間たちが住みついて売春窟を形成して長く、ここの常連たちが急いで住居を替え、第二区に入りきれないほどになった。こうして関所を設けた鉄人形への不満が高まるが、非難の矢面に立った張本人は発想の転換をすでに用意していた。それは、新道区の一部エリアを第二区内として接収してしまう、という荒業だ。リモスもここに至って、身の安全を図る動きを始める。しかし、翼軍人は都市へ行ってしまっており、手をこまねいているしかない。そんな困ったリモスの前に、都市戦の参加者で、功績の大きかったあの猿の怪物が協力を申し出てきた。


「リモスよお、新道区が奪われたのは、お前がなんもしなかったからだぞ。お前の至上命題とやらを守りたければ、俺に任せろよ。俺が見るに、将器ではお前に勝る輩はこの洞窟にはいないよ。今は懐かしいあの都市戦でそう思ったね。鉄人形の旦那のやり方は、長続きしない。あれではその内、人間たちがまたやってくるぞ。その時の保険として、俺が一肌脱いでやろう」


 下品で乱暴だが侠気には不足していないこの怪物は、リモスを気の毒に思い、またその才をもったいなくも感じたのだろう。故に、悩める粘液体がうんとも言わぬ内に彼の代理人を名乗り活動を始めた。そして壁登りだけが能ではないことを証明する。彼はトカゲ軍人帰郷後、代わり映えのしなかったリザードカジノの支配人として乗り込み、前任者がやったのと同じ行為、つまり借金のかたに身を固める行為を積極的に行う。その連中を使ってゴールデン党を結成し、新道区においてリモスに関する悪い評判を流す輩をことごとくひっ捕まえて痛めつけるというマフィア的やり口を愛した。とはいえ、鉄人形の専横に腹を立てる連中も多く、この行動によって、猿は一定の支持を得ると同時に、リモスの代理人としての地位を確立した。リモスと仲の良い魔女も、新道区乗っ取りによって住まいを奪われていたから、猿の意趣返しに感謝し、協力を惜しまぬようになる。故に、鉄人形に対する掣肘は為った。こうして、洞窟内では三つ巴勢力の緊張に満ちた均衡が成り立った。



 一方、同時期の都市エローエでは何が起きていたか。


 統領とんがりは、独裁権力こそ握ったが、なるべくそれを使わない方向で統治を行っていた。すなわち、「統領」の決定ではなく「議会」の決定で政治を進め、独裁者との批判から免れようとしていたのである。人間世界で辛酸を嘗め、その悪徳の面を知り尽くし、人間をこれっぽっちも信用していないとんがりらしい配慮ではあった。クーデターからしばらくすると市民も議員も人としての誇りを思い出したのか、統領への怒りを隠さない態度を現す。


「詐欺的手段による政権獲得だったな、あれは」

「殺そう。奴がなんとか一人になった頃合いを見計らって、始末できないものか」

「無茶だよ。常日頃兵士が控えているし、あの親衛隊長は鬼のようだって話だ」


 傭兵隊の編成は、これを見越してのものであり、怒りに殺気立つ市民とはいえ、常に武力に囲まれている統領に手を出せる者は誰もいなかった。心ある市民も、統領暗殺はあきらめざるを得なかった。


 反とんがり派には不幸なことに、この独裁者はリモスからの資金援助があったため、市民に対して重税を課す必要が無かった。よって、都市の税制には手を付けないばかりか、市民生活を律する新たな法律を制定する事も無かったのだ。いや、一つ制定した。それは、市民たちが持ち回りで負担していた城壁の警備を傭兵に委ねて、この任務から市民たちを解放した法律だ。これは「統領」の決定でなされたが、市民たちは心中大喜びしたものだ。独裁者のこの姿勢は市民たちに、自分たちが独裁者に抱いた恐れは杞憂だった、と思わせる事になり、徐々にとんがりへの敵愾心を打ち消す役に立つのだ。


 また、都市の不良住民が傭兵として囲い込まれたことで、実際は市内の治安状態が改善していた事を市民たちが実感しはじめると、消えた敵愾心に変わり、好意が現れるようになる。とんがりは都市エローエに流れ着くまで、数多の犯罪に手を染め指名手配されてきた男だ。彼が犯罪に走らざるを得なかった理由は判らない。元々の気質なのか、その低い生まれや貧困のためなのか。だがともかく、自身と同じような境遇の者たち、無職者に前科者や逃走犯、ごくつぶし、社会の掃き溜めに居る連中に対して、妙に情が深い振る舞いも見せている。その層を傭兵として進んで編成したこともそうだろう。これは治安の改善につながった。


 それになんといっても、リモスから与えられていた資金は、とんがりの立場を強くした。傭兵はやはり金があってこそ動くが、統領は働きの良い兵、忠実な兵には惜しみなく金を与えたから、彼らの実力はともかく士気は常に高かった。自分の地位を保つためにそれが最も安上がりであったとも言えるが、兵たちからの評判は当初から良かったのだ。給与を約束通りに支払う雇用主の元、傭兵らは都市で武具、道具、酒場、賭博と惜しみなく金を使った。


 さらに、とんがりの地位を強化するために送り込まれた怪物、翼軍人は、部下の兵士らに逸脱した放縦を許さなかったから、むしろ市民たちはとんがり独裁政権になってからの秩序だった日々に感謝すらし、独裁政権誕生から半年後、議会は統領に感謝を述べる決議すらしている、それも自主的に。


 都市がこのように上手く回り始めていたため、戦士ハゲ、黒髪、釣り目の僧侶を筆頭とした反とんがり勢力は都市での活動をしばらくあきらめ、打倒とんがりを胸に都市を自主的に去った。統領もかつての仲間たちに対して悪いようにするつもりは全く無かったのだが、かつての仲間たちの側では自分たちを裏切ったとんがりを許すつもりは微塵も無かった。だが、捕虜になったとんがりを誰一人助けようとしなかったことを、彼らは忘れてもいたのだが、彼らの亡命を聞いて、とんがりは翼軍人に愚痴をこぼす。


「怪物の捕虜となったミーを助けてくれたのはリモスだぞ。奴らではない。今更裏切りだと言われても困る……」


 リモスが鉄人形との友情を諦めざるをえなかったが如く、とんがりも今日という日と明日を守る為、仲間たちとの連携を忘れ去るしかなかった。その代償行為だったのか、リモス、とんがり双方取り交わした約束を守り続け、特にとんがりはリモスが送り込んだ翼軍人をずっと親衛隊長から動かさず、都市内外での自由な裁量を認めたのも、彼に友情を求めた一面もあった。加えて言えば、翼軍人の親衛隊長任命は、やはり統領決裁ではなく、議会の「決議」で行っており、このような人事にもとんがりの配慮が垣間見える。とはいえ、自身の安全のために「統領」の権限行使を控えたことは彼の明日を切り開いた要因であるのは間違いのないはずなのに、この先に待つ彼の破滅の原因ともなるのだ。運命の女神は一度はその手に取った彼を、無慈悲にも投げ捨てるのである。


 ともかくも、都市と洞窟の平和が成り立って一年、戦士ハゲたちが都市を離れてからは半年が経過した。危うい均衡だったとは言え、平和と繁栄こそあらゆる政治の目標とするならば、それを現出させた関係者の努力は認められて然るべきであろう。しかし、錯綜しつつも秩序ある情勢を最初に破ったものが居た。今は力のない戦士ハゲらの一党ではない。それはグロッソ洞窟の実力者の一人に伸し上がっていた鉄人形の行いによるものであった。

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