第62話 さらに破滅するもの一人…

 今やグロッソ洞窟からすらも追いやられた惨めで哀れな難民たちは命からがら怪物衆の追撃を避けながら、なんとか都市エローエに辿り付く事ができた。しかし、武装難民の流入を恐れた市民達によって城門は閉じられていた。戦いに敗れ負傷した難民たちは、またキャンプ生活を強いられる事となったのである。


 それでも惨めな敗北の責任者であるデブの商人は都市内に舞い戻っていた。戦いの前半に獲得した金などを土産に議会を招集、とりあえずの成果を強調したのだ。


「今回、攻め手の弱さ、つまり職業軍人ではない人々による攻撃が原因で完全制覇はならなかったが、洞窟には今なお多くの富が眠っている事が明らかになった」


と。だが議員たち目下の心配は獲得できるかわからぬ財宝ではなく、城壁外に帰ってきてしまった難民勢への対処であった。意外にも、デブの商人を非難する者は、この時点では少なかった。なぜなら、当初の三分の一にまで、難民の数は減少していたからである。議題は難民をどのように遇するか、に集中するが、そこに戦役に参加した二刀流の傭兵が乱入し、デブの商人を激烈に非難する演説を開始した。


 血糊が付いた兜や鎧を外す事無く、神経を高ぶらせたまま傭兵は告発する。


「頭脳明晰な議員諸君。あなたたちは全ての情報を耳にしていないようだから、優れた判断を下すための手伝いを私がしよう。今回の洞窟攻めで制圧に失敗した最大の原因は、強大な怪物があらわれたことによる。聞けばその怪物、数年前に都市の市民部隊が壊滅的被害を受けた時に現れたトカゲの怪物だという。あの洞窟にこれほどの危険がある事を放置したままのこの攻撃。確かに非人道的だが難民問題は彼らを怪物の巣に突き落とす事で解決されよう。だが血に目覚めた怪物を誰が押し留めるのか。野心に駆られた男のケツを、誰が持ってやろうというのか。今回大量の人間がグロッソ洞窟で犠牲になった。もはや他国にもこのことは隠しおおせないだろう。金を狙って諸国の野心も入り乱れてくるはずだ。さて諸君。私が提案するのは、こうしている間にも逃げた我々を追撃してきている怪物の群れに、難民たちを始末させればよい、ということだ。手間が省けて何よりも諸君らの意に叶おう」


 そう発言すると、二刀流の戦士は募兵官東洋人の議席の後に立った。そして斧使いの死を上官に報告した。東洋人の意に沿わぬ出陣であったため無視しても非難されなかっただろうが、彼は斧使いの死を悼んだ。


 不意に為された二刀流による戦況報告によって、議会は沸騰した。難民を犠牲にするのか、放置すれば彼らは怒り狂った怪物の群れによって殺されてしまうだろう。そして都市が怪物に包囲される危険すらあるという。恐怖に我を忘れた議員たちは、デブの商人に食って掛かる。


「難民が減っても怪物が来るのでは意味がないではないか」

「追撃してくる敵の中にトカゲの化け物が居たらどうなる。みな殺されてしまう」

「もう一度城壁に立って演説をするのだ。そして、怪物達に向かって難民を歩ませろ!」


 尻に火が付いた思いの議員たちは、難民の数が減った事などすっかり忘れ、デブの商人に罵声を投げかける。恐怖の洞窟から帰還したばかりで状況をまとめるために良かれと思って、そして勇気を奮って行った議会報告で、このような事になるとは、デブの商人も予想だにしていなかった。デブは東洋人に救いの目を向けるが、


「敵が迫っていると聞く。私はいざという時に備えて部隊の指揮を執りに向かう」


として議場を去っていった。二刀流の戦士もそれについていったが、ここでデブを追い込んだ張本人であるこの人物は、結果的に見殺しになってしまった斧使いの復讐を果たしたのであった。だが、そんな事は百も承知である東洋人は、この混乱を好機に変えるため、神経を研ぎ澄ませていた。


 恐怖に火がついてしまった議員たちに突き出される形で、デブの商人は議場を出た。すると、難民と怪物が迫っているという噂を聞きつけた市民たちが、デブの商人に今一度難民を説得して防衛に奮い立たせるよう迫った。


「難民もやっかいだが、怪物は最も恐ろしい。都市はまた怪物に支配されるのか」

「怪物を不用意に刺激した責任をとれ!」

「元はと言えば、この男は外国人ではないか!疫病神め!」


 そして致命的な一言が飛び交った。


「黒髪と同じように、貴様も怪物と繋がっているのか!」


 高らかに響いたこの言葉によって、デブを囲む人々の間に冷たくも圧倒的な恐慌が瞬時に走ったのである。


「怪物の仲間なら殺せ!」


 群衆がデブの腹に拳を打ち込み始める。


「いや、怪物を説得させるんだ!」


 振り上げられた拳を止めた人々も、デブを城壁まで蹴って追いやろうとする。蹴りがデブの股間にヒットする。うずくまって倒れ込むデブの髪をつかんで引き起こした男は、顔を連打する。


「気付けだ。いいから城壁に立つのだ」


 殴られたり蹴られたり引っ張られたりして、ボロボロになって城壁へ送られていくデブの商人を助けようとするものは誰もいなかった。彼の家人たちは、主人の無残な姿をみて、逃走の準備を開始していた。彼らの多くもまた、都市エローエではなく他国人であったためもある。


 顔面を殴られ歯が折れ、血のあぶくを吐いても助ける者もいない。一方的に追い立てられるデブの商人の脳裏に浮かんだのは、政変で死んだという統領とんがりの事であった。


「他国からこの都市に到達し、洞窟を攻め捕らわれ、支配者として都市に戻ったとんがりは独裁権力を用いて都市を強固にした。だが市民のヒステリーによって殺された。彼も他国人であった。そして私も。私は何をしたか。勇者黒髪に従って、彼の消失とともに美味い果実を味わったのは確かだ。だがその蜜を、この都市にも齎したではないか。私は確かに野心を持ったが、それは都市のためにもなる野心であったはずだ。あのグロッソ洞窟!金だけでなく銀をもため込んだ世紀のゴールドマイン。あの洞窟に深く関わった者は、みなこのような目に遭うのだろうか。そうだ、私が居なければ、都市に銀は入ってこない。それを思い起こさせよう。市民たちにそれを思い起こさせるしか、もはや道は……」


 血に塗れたデブの商人が力を振り絞って、演説のために手を振り上げた。しかし、飛んできたのは無慈悲にも批判者たちの鉄拳であった。


「どっちを向いていやがる!貴様が説得する相手は、城壁外の難民に対してだ!」


 デブの顔面にめり込んだこの鉄拳は、血しぶきと共にその魂を打ち砕いた。そのまま蹴られ、引きずられるまま城壁に立たされたデブの商人は、暴徒たちに支えられ陽の光をバックに屹立した。茜が差すと、彼の体は一色、陽に染まった。


 その神々しい姿を見た難民たちは、何事かと誰もがそちらの方向を見る。彼らの目に入ったのは、先の司令官の血まみれの姿であった。誰もが息を呑んだ時と暴徒たちの手が離れた時が一致した。ぐらりと崩れ落ちたデブの商人はそのまま城壁を落下して、市外地へ墜落した。


 暴徒も難民も、誰もが無言であった。だが一時とはいえ難民の心を捉え指揮をした経験を持つデブの商人が死んだことによって、攻めるにせよ迎え入れるにせよ、城壁外の彼らに影響力を振える人間は消え去ってしまった。


 ほんの数日前には難民問題を解決したと感謝の議決を贈られた男が、無残な死体を城壁の外に晒している。自分たちの司令官の死を嘆き悲しむ難民たちの背後に、前進してくる怪物達が巻き上げた砂埃が巻き上がっていた。かつてない規模で。

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