第40話 グロッソ洞窟の大工事

 グロッソ洞窟はそれなりに古い洞窟であるが、それは第一区と第二区に限った事で、リモスが切り開いた新道区については歴史が浅い。そもそもが金鉱を掘り進む為の道なので、落盤を防止する程度の石柱や排水路があるだけなのだが、怪口集中の他、道中新しい水源や温泉が発見されたりして、構造上の劣化が急速に始まっていた。


 猿が新道区における執政を握っていた時は、彼の当て感に近い投げやりさでその手の補強作業は行われていたが、無計画とはいえそれなりに効果があったようだ。しかし猿が去り、リモスが引きこもった時、誰もその重要性を思い出さなかった間にも、次々と怪物達が洞窟に流入する。彼らは勝手に住家を決めてしまうため、新道区の秩序も滅茶苦茶になった。魔少女が自称魔王を二体屈服させたとき、完全に飽和状態になってしまっていた。


 陸送隊員を家族に持っていただけあって、洞窟の怪物たちよりはよほど都市について見識があったのだろう。手足を伴う権能者となってから、魔少女は洞窟に都市計画を持ち込み、実行に移し始める。それには用地買収が必要で、これは強権を振うしか成し遂げられないものであった。その為の後ろ盾の確保にも余念がなく、今や洞窟のご意見番として自他ともに認めているゴブリン軍人に利益誘導と引き換えに不穏分子への睨みをお願いしたのだ。が、このご意見番は相手の足元を見るので有名だったので、幼い自身だけでは不安があった彼女は一体怪物を連れて行った。


「ゴブリン軍人の懐柔を?儂にお任せあれ」


 前にリモスと猿の工事を横暴だと言って妨害した異形の怪物である。弁舌巧みなこの怪物を魔少女は自分の側近にすることで懐柔し、要点以外の話は全て任せたのだ。額に皺を寄せて杖を振って唾を飛ばすこの怪物に対してゴブリン軍人曰く、


「聞くところによると、お前は工事に反対した事があるそうだけど、今その時と反対の事を言っているんじゃないのかね」

「閣下、時代が変わったのです」


と、なかなか痛い指摘にもたったの一言で話を流す臆面の無さ。異形は引き続き魔少女の後ろ盾となる理を熱弁した。相手の厚顔ぶりに苦笑を隠せないゴブリン軍人だが話は聞き続ける。虚栄と物欲の塊である相手にとっては、表では理を、裏では利を喰らわせるのが一番であり、双方が要求するものが合致する事は、やはり明確であった。納得してくれたこの後見人からの要望は、彼の敷地に生け簀を造るための水を回す事。相変わらず彼は美食家であったようだ。


 用地買収は異形の弁論とゴブリン軍人の威圧で順調に進む。工事をスタートするや、主たる担い手のがいこつ作業員の他にも魔少女は暇な怪物達に声をかけて、巻き込んでいった。彼ら短期労働輩の間を金が乱れ飛ぶ。それはかつてない程の連係を示し、普段は特に怠惰な怪物衆もまあまあ働くのだ。


「あんな幼い子に言われてはしょうがない」

「子供が正しい事を言うとは怖いね。放置でもすれば罪悪感が湧いてくるよ」

「実際工事をする必要もあるのだし、今回は真面目に働いてやろうか」


 魔少女が人間の子であるという事は新参者の怪物の間ではあまり知られていないが、幼子に率いられ、怪物達はみな幸せそうであった。



 この動きから忘れ去られていたのはリモスただ一人である。この工事が進行している間、リモスは仕事が無くなってしまった。それに自分と猿のときは全く協力的でなかった怪物達への恨み節もあったのだ。元々無趣味かつ、付き合いの悪い性格が災いして友もなく、魔少女は多忙、魔女は退屈、妖精女の妹にも飽きて、リザードカジノへ入り浸るようになるが、粘液体でもお堅い彼は手堅い賭け方から一歩も出ない。これではシビれる筈もなく、ギャンブルすら楽しむ事も出来ずに珍しくも酒を飲む日々となった。リモスには金は呻るほどある、仲間もいる。しかし、生涯の伴侶が居ない。


 彼が伴侶に望む輩は妖精女だが、一年近く帰ってこないのだ。妖精女の妹は、世間の治安悪化のせいで、おいそれとは帰ってこれないのだ、と話すが、どうにも信じがたい。しかし事実を明らかにする勇気も持てない彼は酒に溺れるしかない。酒を飲んで酔っ払っている間は、快楽に身を委ね、無為に流れる日々の苦痛を忘れる事が出来る。この逃避行はかつて、彼自身が軽蔑していた弱く哀れな洞窟の怪物達が行っていた物と同種である。リモスは酔い、嘆きながら、吐しゃ物に塗れる。そこまで落ちて明らかになった事は、彼にとっては仕事だけが全てであった、という事。


 猿に代わる指導者として能力を発揮していた魔少女だが、この手の配慮が不得手であった。幼いから、というのは理由にはならないだろう。思いやりや優しさを生まれ持って備えているか否かによるのである。しかし、現場監督も含めて多忙な彼女は、リモス邸にも戻らず、不眠不休で怪物たちを指揮し続けているのも事実であった。家とカジノの道中、はしはしと動いている三角帽子が見えるのだが、リモスは面と向かって何も言ったりはしない。ただ、彼が様々な遠回りをしてきたのも、全ては職を守る為であり、それだけが彼の存在意義であったのだ。今やそれが、彼からすれば保護してやっている人間の童によって脅かされている。このような不満を抱くリモスの惨めな心は、洞窟の誰であれ知る輩もない。


 工事が完了に近づくと、洞窟に住む輩共は感嘆なしにその成果を見る事は出来なかった。新しい大きく堅固な通路、勢いよく流れる排水溝、温泉前の広々とした空間、拡張された食糧庫、清潔かつ厳かになった霊廟周囲、そしてこの工事がもたらした最大の成果は、第一区、第二区、新道区をより多くのわかりやすい通路でつないだことだ。これまで個別に存在しがちであったこの三つの区は、この時を持って一つになったと言える。怪物たちは自分たちが成し遂げた事業の偉大さを想い、高らかに凱歌を挙げた。


 より能率良く、より快適になったグロッソ洞窟だが、魔少女の考えではまだ不完全であった。それは、この都市化為った洞窟が、相変わらず一つの出入り口しか持たないという事だった。しかしこの問題に手を付けると、防衛と安全の問題から洞窟の根幹が揺らいでしまう可能性もあることを、即断即決型の魔少女とて理解していたから、魔女に相談する。ようやく体調が回復し、自分の事は済ませるようになってきた老嬢曰く、


「それを何のために行うか、だろうね。以前、粛清された鉄人形は人間農場用の通用口を持っていたが、インポスト氏との争いの結果塞がれている。洞窟の怪物たちは本能的にもう一つの入口には疑惑の目を向けるのだろうよ。対人間の防衛策が十分であれば、みんな納得するんじゃないかね」


 大改造を行うには自分が強い権限を振えている今が好機と思わないでもなかった魔少女だが、猶予無く、その権能が崩れ去るような危機が到来する。それは、先に記した勇者黒髪のジレンマとも関連が深い事情をはらんでいたのだが、久方ぶりの人間軍の攻撃であった。敵の指揮官は釣り目の僧侶である。

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