第82話 心滅びても尚…

 戦場で負傷した魔王は反旗を翻した帆船都市を包囲して兵糧攻めにする定石は避けた。曰く、


「船乗りたちの都市を封鎖するには、海からもせねば意味を成さない。そして先方にはタコの神さまがついていらっしゃる。意味がないどころか有害な愚は避けるぞ。やはり一点突破しかない。それほど人口の多い都市ではないのだから、それこそが有効なのだ」


 モグラの使者が異形の怪物へ魔王の伝言を届けたのは、それから二日後、旧河向こうの王国領の端から、山を越えた先の帝国領まで、恐るべき速さである。魔王の登場により、訓練した人間たちよりは弱体な怪物たちも勤勉になったのだ。モグラマッチョの死は、魔王の情報網への損害ではなかった。


 この時に異形が担当していた事案は、勇者黒髪のがいこつを動かし、生前のような優れた戦闘能力を発揮させる、というものであった。動かすことについては、魔女や魔少女がいるから問題ない。課題は、魔女や魔少女以外の輩の指示でも十分に動けるように訓練することであった。おしゃべり大好きな異形が黒髪がいこつを前にして思う存分演説をぶつ。


「良いかね。貴骨はもはや生ある身ではない。戦い破れ命を落とし肉を失った時に、心は消滅してしまったのだ。しかし今、骨は動いておる。なぜか。そんなことがなぜおこるのか。それは生前に残した良き思い出を忘れ難いからに他ならないと儂は思う。貴骨は傑出した人間の戦士であった。前魔王の美しき流れを断ち切ったのは、紛れもなく貴骨なのだから。それによって我らが魔王が世に飛躍できたのも事実。魔王になる前の陛下を暗殺しようとした貴骨に礼を言うことはできないが、その勇気に敬意は払おう。そして、モストリアにて新しい世界の創造を着手した。これも偉大なことだと儂は覆う。貴骨の後継者たち、口の悪い奴同は勇者のパーティの残党と言うが、彼らは領域リザーディアの脅威となるだろう。怪物と人間が結束して困難に立ち向かえば、恐らく全ての問題を一挙に解決できるだろうから。だが、それがならぬからこその現世である。いつの日か、貴骨の仲間たちは陛下に挑んでくるに違いない。その時、良き思い出を胸に抱くことで、貴骨はさらに飛躍できる。貴骨にとって、ここはもはや現世ではない。何者かの夢の中かもしれん。であれば、我らと共に歩むのも良いではないか。今の貴骨には、陛下の特別の計らいで、生前の装いをさせている。銀の剣にモストリア総督か、またはそなたが新設した都市長の礼服、そして頭上に映えるは特別設のカツラだ。人間の毛髪を使用している。それも、貴骨にそっくりな人間を探し求め、金を払って毛髪を得たのだ。その人間も最初我々を見て死を覚悟した顔をしていたが、最後には喜んでいたよ。この事は、理想を追い求めていたそなたの姿勢にも適うものだろうと思う。我々は無闇に人間を殺戮したりはしない。勝利者である我々は慈悲深く、そのような振る舞いは慎むべきだと固く陛下のから戒められている。怪物と見れば殺しまくる人間とは大違いだし、それに対抗してきた前魔王の御代とも一線を画するところだ。勇者黒髪よ、こうやってそなたの業績を再確認するのも無益ではないと思う。才能ある冒険者の一人として名を挙げ、今は亡き川向こうの王国で勇者の称号を得て、人間社会をその背にまとめてモストリアを滅ぼし、怪人混合の部隊を編成し、然る後人間世界に溢れ出た怪物達を可能な限り殺さずして帰還させ、貴骨を誤解したまま剣を向けてきた人間諸侯の連合軍を全くの寡兵で打ち破り、内乱の醜き争いから妻の命を救った。そなたは紛れもなく当世一代の英雄だ。人間だけでなく、怪物にも勇気を奮い起させ、常に最前線に身を置いていたのだから。だがそんな貴骨もついに戦いに敗れた。相手が悪かったのだ。我らが魔王も、常に最前線に身を置くお方で、それは貴骨に負けず劣らずだ。陛下は怪物衆に勇気と希望を惜しみなく与えてくださる。人間にも、秩序を守る限りはそうされる。故に、その列に連なれば、生ある身ではない貴骨も同様なのだ。だからさ、儂の願いを叶えてくれ。その手の剣を持って、かつてのような死亡剣舞を見せてくれ。これは陛下の望みでもあるのだから」

「……」

「……どうだ?」

「……」


 黒髪がいこつの動きはさほど優れたものではないままである。説諭や演説の効果は無い様に、異形の目には見えた。


「何度言っても駄目か」

「なにやら苦労しているようだな」

「おやそなた、何用かね。勝手に任地を離れては、陛下は御不興に思われるはずだが」


 異形に話しかけたのは、モストリアから亡命してきた神官である。勇者黒髪を崇拝し、黒髪をなぞった妖精女を憎んだ日は、まだ終わっていない。神官は勇者が配下の怪物達に発行した債権と未来都市の情報を手土産に魔王の下を訪れたが、それほど重宝される事は無かった。魔王が自分の代わりになり得る武力を振るえる怪物を求めていたのに対して、神官はそれほどの強さを持たなかったからである。また、行政をそれほど重視していない魔王は、勇者とは異なり彼を必須の怪材とは捉えなく、参謀も最もお気に入りの魔少女が居る以上、他の入り得る余地はない。さらに言えば、前魔王の宮廷の要人である点や、隠しきれないトカゲ軍人時代を侮る感情を、魔王がよく思っていなかったという事もある。


 冷遇される事に耐えられない神官だが、生まれの良さから来る威厳と品の良さでは他の怪物達より圧倒的に優っており、彼に諮問を受けた怪物達は一様にその丁寧な物腰に感心して、協力を惜しまないのである。神官が求めたのは、今の閉塞を打破し得る情報である。それが、勇者黒髪のがいこつに、かつての武力を取り戻させる、という実験であった。


 神官、異形の問いには答えずに曰く、


「勇者黒髪のがいこつか」

「そなたには関わりがないものだ。早く任地へ帰りたまえ」

「私はかつて、この骨が持った肉体と心の持ち主に仕えていたのだ。遠いモストリアで。あの頃は物資も仲間の数も何もかもが不足していたが、希望と期待だけは、無数に存在していた。この魔王の国で、そう胸を張って言える輩がどれほどいるか」

「何が言いたいのか」

「いや、別に」


 神官は、黒髪がいこつを眺めて、嘆息する。


「今一度、この人物がよみがえるようなことがあれば、世界の姿もまた変わる事だろう。それも良い方向へ」

「そなたはさっきから何を言っているのか。怪物に逆らい盾突く黒髪を討ち滅ぼしたのは、陛下なのだぞ。無礼であろう」

「そう言えば、かつてのパーティの中で黒髪こそが、もっとも貧しかったのではないか。リーダーは辛い、時に仲間を優先して分配しなければならないのだから。しかし新たなる魔王はどうだ。金を配下に分け与えることなく、独占して利用しているのみではないか」

「一体何が言いたいのか」

「聞きたいか、なら言ってやろう。私は勇者黒髪こそ、新たなる魔王に最適だと確信しておった!」

「貴様!不敬だぞ」

「なんであろうとも、全てぶちまけてやる。このお方は生きとし生けるもの全てのチャンピオンに相応しい徳と能力を備えていたのだ」

「ははは、では何故早くも死んでしまったのか。力不足故ではないか」

「貴様らが卑劣な手段で暗殺したためではないか!」

「暗殺ではない、正々堂々たる闘いの結果が勇者黒髪の死、陛下の魔王即位だ」

「そんなわけあるか!」

「今の発言は、陛下に必ず報告するぞ」

「食えない人間は盗賊になる。そしてそれは怪物とて同じと見える、そうであろう!」

「誰の事を言うているのか!」

「己の胸に問うてみるべし!」



 二体の怒鳴り声と罵声が響く中、黒髪がいこつは動き出し、滑らかな動きで抜刀し、目の前に積まれた藁の束、鎧を背負ったカカシなどを次々に切り離していった。その動きについて、


「その剣筋は清流の如く。かつての勇者が眼前に現れたかのようであった」


 と、二体とも目を丸くして驚いた。


「何がきっかけだったのだ。一体何がきっかけだった、何か見てたか」


 だが異形のそんな問いに対して、神官は感涙滂沱して、先ほどまで罵っていた異形の両手をとって我を忘れて感謝していた。


「奇跡、これこそが奇跡だ。ありがとう、ありがとう!おめでとう、おめでとう!」


 握られた手を振られるままの異形も、陛下に良い報告ができると心中から喜びは湧いてきていたが、それでも何がきっかけだったのか、自問自答し続けるのであった。



 勇者黒髪のがいこつが多少の自律性を備えた事実について、誰も合理的な説明ができない中、魔女は一つの仮説を立てた。曰く、


「生前は怪物狩りをして、それで名声を博した人物だ。目前で怪物たちが本気の争いを始めたことで、触発されたのではないだろうか。つまり、前世の記憶に沿って動いているという点ではなんら他のがいこつと変わらず、ただ人間世界屈指の実力者であったからこそ強いのだということ」


 モストリアの未来都市陣営に加担した色黒魔術師の解釈は異なる。


「異形も神官も情熱のこもった論説をそれぞれ展開させ、激論を交わしていたという。これは呪術の一種にもある形式で、さまよえるたましいを招く行為と見做す部族もいる。二体が一触即発になる中、未知なる公式が発動したのだろう。生前の勇者は運でもなかなか剛の者であったというから、骨になってもそれが継続しているのだろう」


 だが神官はこう信じていた。


「やはり、黒髪は魔王にすらなれる才能を持っていたのだ。死してなお、その精神が骨に宿っているとしか考えられないではないか。神々もご照覧ある!」


 猿は以下のように述べたものだ。


「心臓が止まれば精神も止まると思う。だが、体を司る頭脳や心が滅んでも、残された部位は動き得るものなのかもしれない。切断された直後の腕が微妙に動くように。切断されて無くなった腕の先を、幻の中で感じることができるように。幻覚痛は実にリアルだ。痛みを感じる肉がなくなっても、痛みの原因が残っているとしたら、神秘な事が起こりえるのかもしれないがね」


とは言え、上記論説は全て後日の意見であることに留意してほしい。

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