第93話 擬勇者、発つ
今回の出発、未來都市が相手であるとわかると、元々予定になかった神官はぜひとも参陣したい、と珍しく我を張り、残留してくれという他の意見を聞かなかった。
「私と異形がいなければ、黒髪のがいこつは満足のいく働きは見せません。今回、万全の布陣で臨むのであれば、私も連れていかれるべきです」
この熱心な売り込みに、魔王もついに従軍を許可した。そして、魔少女に零すのだ。
「神官は未來都市の勢力に、自分の手で引導を、と考えているのだろうか」
魔少女は分かっている、という風に笑みを向ける。
「陛下のおっしゃる通りでしょう。洞窟の防衛に不安は残るかもしれません。私が残留しましょうか」
「いや、それはできない。未來都市の勢力が相手であれば、そなたを連れていかないという選択肢はない。結局、グロッソ洞窟の防衛は、施設任せになってしまうな……築城を行うか」
「洞窟防衛の要塞建築案ですね。ですが、相応しい輩が見つかりません」
「その後、媼の具合はどうかね」
「日に日に、良くなっています」
「どうだろう。媼が指揮を執り、その下で媼の甥とニヤケ面に采配させるというのは」
「……」
魔王のこの案は、魔少女が賛成しなかった事もあり、この時は実施されることは無かった。築城のような大規模工事を行うには、魔少女、異形、神官の誰かが残らねばならなかったが、それに専念するには、領域リザーディアは広く拡大しすぎていた。魔王は幹部の不足の解消方法を思案しながら、一行を引き連れて北西へ向かう。
魔王の極秘出陣以前に、未來都市勢は怒涛の勢いで進軍していた。その軍勢には、魔人や人間だけでなく、怪物も含まれている。それにしてもなぜこの期に、激発したかのように軍事行動を開始したのか。魔少女の誘導により交易都市の集団が南東へ向かった事がその大きな理由だが、一体なぜか。世間一般は、領域リザーディアを支配する魔王の暴虐を食い止めるため、と考えていたが、重大かつ切実な未來都市の事情に拠っていたのである。それは、焦りであった。
この頃、未來都市の幹部が頭を悩ませていた事象に、モストリアから領域リザーディアへの怪物の流出現象があった。モストリアでは怪物衆とて気にくわない人間どもと共存しなければならないが、力ある魔王が支配することで快適になった領域リザーディアでは、その不愉快を耐える必要が無い、という噂が怪物の間で広まっていたのである。彼らが理想を目指すのは、確かに心情に叶っていた。
そして、モストリアの統一から領域リザーディア拡大までの間、その勢いは強くなる一方であった。事態を重く見たヘルメット魔人は、妖精女に忠告する。
「このままでは、未來都市が辺境の一勢力に過ぎなくなるのは目に見えている。手を打った方が良い」
「しかし、怪物を余りに優遇すれば、人間が去ってしまいます」
だが、人間の流入も思ったほどに伸びない。初老の紳士曰く、
「領域リザーディアの統治が思いのほか怪物的ではない。つまり人間的らしい。だから、人間たちも魔王の統治に恭順の意を示し始めているそうな」
「だが、怪物が統治しているのですよ」
「そう、人間が統治していた方が、よほど怪物的であったという事なのだろう。リザーディアの範囲に入れば、他国に襲われる心配はなくなる。戦争が無くなれば、平和がやってくる。怪物たちの統制も、かつてよりははるかに為されているから治安も良い。怪物に殺される者もいるだろうが、人間が人間を殺す数に比べれば少ないのだという。また怪物たちから見れば、彼らの世界の治安も良くなっているのだろうな。人は入らず、怪物は出ていく。このままではモストリアは……」
沈痛な面持ちで俯く名士だが、ヘルメット魔人は腰に下げた剣をパン、と叩く。戦闘の準備はできている、という事だ。これまで力を蓄え続けてきた妖精女だがこの事情を目の当たりにするに至り、
「そうなる前に、討って出るしかないでしょう」
と決断した。交易都市の南進は好機にも見えた事だろう。これ以上の好機を待つことが、勢力の減退に繋がってはどうしようもないのだから、と。未來都市でも過激かつ好戦的な連中は、この方針を歓迎する。その筆頭である、最精鋭の魔人の部隊はヘルメット魔人が率いて先頭を走り、怪物衆はその群の中心に、勇者に擬した妖精女が座する。
妖精女は、最前線の国で補給を行わなかった。交易都市を、完全に討ち亡ぼすつもりでいたから、一分一秒を惜しんだのであるが、仮に敗北した時、未來都市を守る盾として、この国の国力を維持しておきたかったという事情もある。それにこれまでの準備から、万全の態勢によって未來都市を出発していたという自信もあった。
「この峠を越えれば交易都市が見える。いいか、モストリア総督閣下により用意は万全に整えられている。勝利への下準備は終わっているのだ。後は戦って、勝つのみ。最初から突撃だ!」
ヘルメット魔人の合図とともに、未來都市軍は凄まじい勢いで、交易都市の城壁に襲い掛かっていった。かつて勇者黒髪の攻撃と、流出怪物の通過によって荒廃していた交易都市の城壁は朽ち果てたまま放置されていたが、都市内部に築かれていた内壁が侵入者を防ぐ。しかし、城壁の上から迎撃する者も少なく、交易都市内部は大混乱に陥った。
勇者黒髪の遠征以来、都市エローエの上流市民によって占拠され、運営されてきたこの都市は、黒髪亡き未來都市には面従腹背で臨んでいた。その行いが、どれほど勇者の残党勢力の恨みを買っていたか、彼らは気がついていなかった。それでいて、征服者として容赦のない身分制度を引いて、都市を強圧的に支配していたから、内政の手法としては母国である都市エローエの政府となんら変わるところがなかった。裏を返せば、それは孤立無援であるということだった。
交易都市首脳陣は急の敵襲を受けて、都市南部から脱出を計る。準備を進めていた人々だが、南の平原を見て、あっと叫んで一様に固まってしまった。蛮族平原に跋扈する、蛮族諸勢力の群れが、彼らの退路を塞ぐように布陣していたのを見たためだ。
妖精女は、その特殊技能を買って行政府幹部に引き上げていた色黒伝道師の伝手で、既に蛮族勢力と結んでいたのだ。蛮族平原出身の人間である色黒伝道師の部族は、未來都市と共同で動いてくれた。その代償は、平原での部族の優位を認めてくれることに尽きる。蛮族の布陣が予定通りに進んだ事を見た妖精女は、謝意を伝える。笑顔を絶やさぬ色黒伝道師曰く、
「作戦は万全です。連中はよほど恨みを買っていたようなのでね」
「貴方の能力を頼りにしていますよ」
「それにしても閣下は魔王の金庫の中身ががっかりでも気にすることは無かったのですな。近くにあったこの都市から富の全てを巻き上げれば、いくらかの足しにはなるでしょうから」
「そう、それもありますが、この都市の攻略は私の復讐を遂げる意味もあるのですよ。平原の彼らだけでなく、私もこの都市を恨んでいた」
「と、おっしゃると?」
「勇者黒髪亡き後、その遺産に対して彼らが為してきた忘恩ですよ」
色黒伝道師、慨嘆して曰く、
「思えばこの都市も勇者黒髪の遺産の一つでしたね……」
退路をふさがれたことを知った城壁から絶望の悲鳴が漏れ聞こえてくる。それを聞いたヘルメット魔人は、背後の部下たちに向かって叫んだ。
「敵の士気は死んだ!モストリア総督閣下は、この都市は全て我らの物だと確約された!生かして売るも、殺して奪うも、思いのまま、思う存分に行くがいい!」
内壁を軽く突破した人間兵、魔人兵、怪物兵は、その言葉通りに振舞った。それは残忍を極め、狡猾かつ貪欲に財産も尊厳も奪い去った。妖精女からしたら恩義ある黒髪に対して礼を極めて失していたこの都市の連中には、生きる資格は無かったのだ。そして黒髪の仇を取りたいと願う意味では、ヘルメット魔人やその人怪問わぬ配下らも同じであったのだ。ついに交易都市は完全な廃墟となった。
左に色黒伝道師、右に初老の名士を引き連れた妖精女は、蛮族の長と面会する。要請に応じてくれた事への礼と、その報酬の確約についてだった。すでに色黒から蛮族の要望を聞き及んでいた妖精女に、やや意外な言葉が告げられた。
「勇者黒髪よ。我らはかつてそなたに戦場で見事に敗れた。だがあれは、節度に沿った敗北であったと考えている。その後我らを襲った運命はしかし、そうではない。魔王の神官に無限に続くとも思われるほどに苦しめられ、逃げた帝国領国境で怪物たちに壊滅的なまでに打ち破られた。だが、我らの復讐の向かう先は帝国だ。あの国の運営者たちを皆殺しにしたい」
「救援を求めた貴方たちを騙したからですね?」
「いかにも。我らが望んでいたのは避難のための通過であった。だが、応えは一向に無く、それは多くの家族が皆殺しにされたあとも無かった。復讐をしたい」
「結構。しかし、山を越えた先の帝国首脳部は、すでにトカゲの魔王によって壊滅状態です。なにを狙うのですか?」
「我らの情報網を甘く見てもらっては困るな。あの時我らの退路を塞いだ国境の城、あそこに魔王の攻撃を逃れた最後の首脳陣たちが集っている。我らがあの城を血で染め上げるのを、許可してほしい」
「いいでしょう」
「感謝する」
妖精女は、この供物を蛮族たちに平然と捧げた。進軍路の邪魔者を排除出来て、同時に同盟相手の満足も得られる。上等のマキャベリズムであったが、傍に控えていた初老の名士は嘆いた。
「これは、勇者黒髪のやり方ではあるまい」
しかし、事象を思いのままに操ったことで、指揮者としての妖精女に強い勢いがついたことは間違いない。蛮族勢力は、帝国最後の拠点を貪欲に飲み尽くし、そこにいた人々を皆殺しにすることで復讐をやり遂げたのである。山を越えた先の帝国は、実質的には魔王率いる領域リザーディアによってほとんど滅亡していたのは間違いない。だが、その息の根を止めたのは、妖精女その輩であった。
蛮族によって凄惨な人間バーベキューが展開される横を、未來都市軍は通過していく。もはや蛮族勢は妖精女らと行程を共にしない。略奪暴行の範囲を徐々に広げ、虐げられていた弱者から強制する強者へと変貌を遂げていくのだ。馬に乗って進軍する妖精女の横に、同じく馬上の老人が近づいた。
その初老の名士は諫言する。
「これは勇者黒髪なら絶対にしなかったことだ。なぜあんなことを許した?」
「私は勇者黒髪になろうと努力してきました。その中で確信を得たものがあります」
「それは一体?」
「どう足掻いても、あの方のようにはなれないということ。高貴な理念も、見合った実力も、他者を魅了する素質も。それならば、あの方を模した私にできることは何か。考え抜いた結果がこれなのです」
「復讐か」
「その通り。今、私は勇者が遺した理念を体現するために歩んでいるのではない。勇者を害し奉った関係者共を処刑するために、歩んでいるのです」
「シュタールは知っているのか」
シュタールとはヘルメット魔人の名である。
「彼も同意してくれました。最も彼は戦士です。私とは異なって、魔王と対峙してみたいという男の願望があるのでしょうが、目的は同じです。あなたはどうですか?」
質問を返されてしまった初老の名士は、妖精女の冷たい瞳の中に燃え盛る一念、復讐を、言葉ではなくその姿から腑に落とした気がした。もはや何を言っても無駄だろう。最後の反論を試みる。
「勇者黒髪の理念が立派だったのは、人怪融和が世界の安定に寄与する、という確信に拠っていたからだと、私は考える。どのような侵略も、それを正当化する理由が欠かせない。それが無ければ、夜盗の群れになり果ててしまうからだが、そなたが復讐を遂げたのち、勇者黒髪の理念に立ち返ってくれると信じるしかあるまい」
手綱を繰って去ろうとする初老の名士は、妖精女に腕を強く掴まれ驚き振り返った。
「理念、理由、確信!そういったものが、あの方を死に追いやったのよ!」
妖精女のあまりの剣幕に、初老の名士も激発する。
「リーダーだけがそれに耐える義務を負うのだ!黒髪の死は、特別な事ではない!」
「あの方の死を、正当化するのか!」
「今お前が行っていることは、黒髪の遺産に泥を塗る行為だとわからんのか!」
狂乱する妖精女を叱りつけた初老の名士の言葉は正論であったに違いない。だが復讐に猛り立つ炎を鎮める役には立たなかった。老人は胸を衝かれ、そのまま首から地面へ落馬した。もんどりうって目を開いたそこには、迫りくる馬蹄が映っていた。
大きな木の実が割れたような音が響く。
妖精女はそのまま振り返ることなく、馬を進める。決して、振り返らなかった。
事件を知ったヘルメット魔人は、急ぎ後方まで馬を駆って進む。無残に踏みつぶされ横たわる幕僚の死骸を見て、無言で先を進む妖精女を臨んだ。そして哀しく呟いた。
「……勇者黒髪の偉名に押しつぶされた、か」
初老の名士が代表する最前線の国は、前魔王の脅威から勇者黒髪が解放した、正真正銘人間のみの国である。終始目立たないこの老人だが、勇者黒髪の忠実な協力者でありつづけた人物だ。その人を殺したということは、勇者黒髪の人間世界とのつながりを断ってしまった、ということだ。
勇者黒髪のように振舞うことを目指した妖精女の悲劇であった。結局、彼女は彼女以外の何者でもない実質のまま、トカゲの魔王に立ち向かうことになるのだから。
ヘルメット魔人はその場に急拵えの墓を造り、初老の名士を葬った。それはまるで、勇者黒髪の人間部分の負担を自分が担う、とでもいう決心の拠っていたかのようだった。急ぎ馬をかけさせたヘルメット魔人は、妖精女に追いつく。そして曰く、
「この先にある魔王のコロニーは独眼の怪物が支配しているという。攻略に際して、良い作戦があるのだが、モストリア総督閣下、関心はあるかね」
妖精女は晴れ晴れとした表情を向けて破顔した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます