第94話 金庫倒置

 未來都市の住民たちはこの頃、安定した生活を過ごしていた。それは、人間は人間の、怪物は怪物の分断された日々であったが、唯一会話の接点があったとすれば、未來都市の軍隊の捷報についてだ。


「おい人間ども、我らが総督閣下の軍は交易都市を抜いたらしいな」

「ああそうらしいぜこの怪物野郎。蛮族どもも参加していたらしいから、この辺りの勢力がひとまとまりになったって話だ」

「我らの仲間も総督の軍に参加している」

「俺たち人間の仲間もそうだぜ」

「今の所は上手くやってけそうだな」

「違いねえ」



「見てよ、あれを。戦争が人間と怪物を融和に導いている。すなわち、戦場で倒れた死者たちの命を生贄にな。時代を動かすのは、常に尊い犠牲のみなのかもしれない」


 内気な性格を反映して叙情的な台詞を口にするリモス。並んで歩くインポスト氏、それを聞いて曰く、


「凡夫にも学なり易し。立派なことを口にするではないか」

「あと付け加えるならば、金だな」


 同じタイミングでより大きな声で喋った猿が、氏の感想を搔き消した。途端に不機嫌になるインポスト氏だが、今この状況で、猿とリモスを切る事はできないと承知はしていた。



 主力部隊が抜けて防衛が疎かになっていた未來都市に、リモス、猿、インポスト氏のパーティが入っていた。妖精女やヘルメット魔人が居なくても、僅かな残留部隊はいるのだが、そういった連中にバレないように行政府へ侵入した三体は確固たる目的を持っていた。それを前にして、インポスト氏は嬉しげである。


「私の言葉を重視する凡夫どもには、きっと天啓があるに違いないぞ」

「まあ、閣下の記憶が仮に正しくても、確認してみないことには始まらないからな」

「仮に、だと。凡猿よ……言葉には気をつけてもらいたい。うっかり貴様を殺してしまうかもしれない」

「まあまあ……リモスは金を敏感に察知できますから、噂の魔王の金庫とやらを、今一度改めてみましょうや」


 猿とリモスが魔王の金庫の有様をインポスト氏に話した折、怪物にとっての大都会モストリアに恋い焦がれる氏は嘆息して曰く、


「魔王の金庫だぞ。それは特殊な仕掛けがあるのだ。堅固なハコモノに金銀財宝を入れて安穏としているなど、人間のやる事だ、愚かなり愚かなり」

「なら、妖精女はなぜ気がつかなかったのかな」

「凡猿よ、決まっているぞ。解説してやる。すなわち出生卑しく貧乏、つまりは育ちが悪いから、我ら上流怪物の立派な風習を知らぬのさ」


 そう言い放ったインポスト氏を横目で眺める二体だが、魔王の金庫の中身がまだあるとすれば、リザーディアにも未來都市にも付かない彼らの生き方により豊かな選択肢が与えられるというものだ、という期待では一致していた。



 もはや番人もいない金庫の前に立つ三体。扉をあけて中に入るのは、三体とも初だ。


「前は妖精女の取り巻きに全て任せていたが、この管理は酷いな。開け放たれたまんまだ」

「誰もいないよ、間違いなく」

「凡夫ども、我が歩みに続け」


 胸を張り背筋を伸ばした氏が先を進む。大きな空間になっている金庫の中には今は何もない。重要書類が収められていたタンスや箱は、妖精女の指示で全て外に出されているからだ。だが、そこまであらためて探しても何も出なかったからこそ、未來都市勢は交易都市を攻め落とす事に躊躇をしなかったのだ。


「閣下、やはり見た感じ何もありませんぜ」

「黙っていろ凡猿」


 鋭く一喝された猿は首をすくめ、リモスを見る。リモスはインポスト氏の動きを見つめている。氏は、金庫内部の壁を丹念に調べ始めた。黒い鉄の壁が続くのみだが、とある場所の前でなにやら喋り始めた。


「私は大辺境方面担当グロッソ洞窟長インポストである。聞こえているか。魔王陛下の忠実なしもべで、モストリアが大混乱の内に陥落した後もその復権のために身命をかけている忠義者だ。勇者のパーティ相手によくぞ持ち場を死守してくれた。この扉をあけてくれ。そしてその財物を、魔王陛下の御動座のためにこそ用いさせて欲しいのだ」



 しかし、何も起こらなかった。


 それでもまた、同じことを繰り返すインポスト氏を見て、猿はやっぱりな、と痰を吐き捨て、リモスとひそひそ話し合う。


「ヤツめ、発狂でもしたのか」

「あの場所に、誰かいるのかな」

「いないだろう。精神状態がおかしくなると、見えないものやありもしないものに反応したりするそうだが」


 同じことを繰り返すインポスト氏を、漫然と眺め続けるリモスと猿。そこに、金庫のある部屋へ魔人が一人、入ってきた。


「見回りか」


 その魔人は周囲を見回しながら、金庫の中に入ってきた。手には食料が掴まれており、どうやら巡視業務をサボって息抜きしているようであった。油断しきっており、さらに、先客らには気がつかない。


「そうだ」


 何かを思い出したようなインポスト氏は、恐るべき速度で飛び掛かりその魔人を捕まえると、驚いた魔人が悲鳴をあげると同時に、首を捻り折った。ゴキン、ボキン、ぎゃっ!、ぐふっ、と音が庫内に響く。


「うわっ」


 驚愕するリモスと猿を尻目に、折れた首をさらに捻り続け、ついに首を捻り切ってしまった。すると、その生首を片手に、先ほどの台詞をブツブツと繰り返す。


 しばらくすると、リモスも猿も、インポスト氏は腐っても上級の怪物社会出身の輩だと思い知る。


 何もない鉄の壁が開き、道ができたのである。そしてひそひそ声が響く。


「大辺境方面担当グロッソ洞窟長インポストとは知らぬ役職及び名だが、他に漏らすことを固く禁じられた庫との通じ方を知っているとは、紛れもなくモストリア貴族の証。魔王陛下の御代が破られた事は知っている。野蛮なる人間が支配者として居座っていることも知っている。それを覆すためというのなら、庫内の財物を思いのままに用いる事を許可する」

「おお、偉大なる魔王陛下の御代に感謝いたしまする」


感激して庫床に額を擦り付けて額ずくインポスト氏は、猿とリモスにも、同じようにせよ、と目で叱る。ちょっとインポスト氏を見直していた二体は、遅れて同じようにする。再び、庫内に声が響く。


「良い心がけである。そなたらが中に入り、退出した時、また扉は閉ざされる。再び中に入る場合は、同様に人間の生き血を奉ずるように。分量に不足があっては、庫は目を覚まさぬであろうから、注意せよ」



三体で持てる限りの黄金を麻袋に収納し、ひとまず行政府を出た三体は、笑顔で成功を祝いあう。


「まさか、魔王の金庫そのものが怪物であったとは知らなかった!」

「そうだね、驚きだね!」


 この喜びに、インポスト氏はまさかの水を差す。


「この事実は、魔王陛下の建国偉業に功のあった一門衆のみしか知ってはならぬ事。本来、下衆の分際でそれを知ったお前達を、私は殺害せねばならぬ」


物事を深く考えない氏の衝動的な殺戮癖を目の当たりにしてきた二体は、戦慄するが、


「ただし、魔王陛下の御為である。モストリアを解放し、黒髪残党と僭称輩を滅ぼし全てが終わった後に、恩賞と引き換えに命一等だけは助けるよう、我輩が届け出てやろう」


口には出さないが、二体とも安心した。勇者の残党と新魔王の勢力が、一朝一夕で亡び去るはずが無い、と考えた為である。元気を取り戻した猿は、今後の計画を語る。



「この金があれば、数多くの怪物達を糾合できる。だが、未來都市内部の怪物達は止めよう。都市外に住む、あまり勇者黒髪の影響を受けていない連中に声をかけるのだ」


同意する二体。


「凡猿よ。決起する行う場合、未來都市にいる人間達……商人や魔人達も平気で殺戮できる連中でないといけないぞ」

「無論ですな」


うんうん、と頬を染めて頷くインポスト氏にそう返した猿だが、妖精女と交渉を持つ線を切らぬ為、全く別のことを考えてもいた。そしてリモスに話しかける。


「これからモストリア内を駆け回ることになる。金を採掘できるような場所を探してくれ。だがお前はあくまで目印をつけるだけだ。採掘は別の連中にやらせる」


怪訝な顔をするリモスに、猿は自身の再生した腕を示し、豪快に笑って言う。


「地味な仕事は他の輩にやらせればいいんだよ。お前にはお前だけの特別な技能があるだろうが」


そう言われ、喜色満面となったリモス。猿がリモスに示したその役割は、インポスト氏とともに集団の音頭を取る、というものであった。猿はインポスト氏が黄金を見つめ悦に浸っているのを確認すると、


「俺は都市エローエを占拠した時の、お前の冴えを忘れていない。真にお前にしかできないこととは、それだ。大きい声じゃ言えないが、洞窟長は洞窟長止まりの輩だよ。だが、お前は違う」


 体が高揚していくのを心地よく感じているリモスに、猿は曰く、


「安心しろ、俺がバッチリ支えてやる。さあ、いくぞ」



 こうして、一見何事もないように、未來都市の平和は過ぎていく。遠い戦場では、指導者たちの運命を決し得る戦いが繰り広げられようとしていたとしても。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る