第68話 魔王の藩国第一号

「我輩はあの老人を騙してはいないと思うのだが、そなたどう思うね」


 魔少女は頷いて答えた。


「私も同感です、陛下」

「そうだな。人間相手には約束通りに行こうとも。支配を広めるには信頼を得ないとな」


 人間である自らの懐刀がニッコリ笑って肯定したことで、魔王は安心した。


 河向こうの王国の国政は復帰した前王が掌握する運びとなった。形だけは。つまり実質的には魔王の極めて強い影響下にある結果となったのだが、その張本人としては王もさぞや自分を恨んでいるだろう、と異種族相手でも多少の哀れみが心にあったのだ。


 政権交代がなされて多くのことが変わった。まず、勇者の妻でもあった女王とヘルメット魔人が主導して行ってきたいくつかの改革について、これらは全てが白紙に戻された。これを見てヘルメット魔人に育てられ、心酔して付いてきていた兵たちの多くが、この国を去った。軍制改革は特に大きい変革であったから、失望もまた大きくなったのだ。無論、税制も再検討にかけるとして、女王以前の形に直された。さらに、魔王は王国領の農地から上がる収穫物を提供するように「進言」したため、その農地の所有者であった人々から見れば、これは税の上乗せ、結果的には重税となった。


 女王の政治は新味に溢れ、一定数の自由を愛する国民層から好まれていたが、内乱と戦争、二度にわたる騒乱は、河向こうの王国をあまりにも疲弊させてしまい、何事かを為す国力そのものがやせ細ってしまう。まず、王国から知識人や技術者が去り始めた。若者も死んだり移住したりして、兵隊の担い手も減少。魔王は王へ軍隊を持つな、とは一言も言わなかった。行政に明るいとは言えない魔王の目にも、強力な軍隊を備える余地など消え去っているように映っていたからである。骨肉の争いを制していざ、実権を取り戻してみれば、出来ることなど限られてしまっている現実に、王の視界は暗雲絶望となった。側近たちや宮廷を養う金も無いのだ。やはり、魔王に相談するしかなかった。一度関係ができると、たとえ相手が人間でなくても相談しやすくなるのだ。追い詰められた人間は、容易にその餌に食らいつく。


 魔王は、この貧しい王宮を操るために故事に倣う。すなわち、かつてリモスが魔術師とんがりを都市に送り込んだように、勇者黒髪がデブの商人に洞窟との折衝を任せたように。折衝役の命が下ったのは、洞窟のカジノで身辺を固められた人間の男だ。この男は直前の戦いでも、くちびるお化けとともに行動し、その戦略の一翼を担っていた。人間のくせに怪物の洞窟に入り込んでまでカジノにはまり、破産して身を持ち崩した正真正銘人間のクズであるが、それでも全く悪びれないところが魔王の気に入ったのかもしれない。またいつもニヤケ面をしており、人怪問わず真面目な相手を良く激怒させた。魔王はこの男に金塊を見せて曰く、


「お前のような社会のゴミは人間世界よりもこちらの方でこそ、活躍できるはずだ」


 ニヤケ面はにやにやしながら左様で、と吐き捨てる。魔王は気分を害すことなく、相手のにやけに釣られて一緒ににやにやしながら曰く、


「この金を全てお前に託す。追加の必要があれば申し出よ。世に名も聞こえたアルディラ王国を洞窟のために操ってこい」


 一瞬驚いた顔をしたニヤケ面だが、大仰に手を振ってご案じなくお任せあれ、とうそぶいて見せた。


 魔王は、河向こうの王への回答として、資金援助の条件としてニヤケ面に爵位を与えることと王の内閣に加えることの二つを提示した。王はその人物が山を越えた先の帝国の出身者であると知り疑念を深めたが、実際にあってとんでもないろくでなしである事を認識し、よりいっそう疑念を深めた。


「魔王は何のために、この男をよこしたのか。こんなやつに代理人が務まるのか」


 だが務まったのである。内閣の一員となって彼が行った事は、派手に黄金をばらまく事であった。曰く、


「貴族衆に農地を再分配したため、破損した城壁の修繕費分はとても見込めない」

「麻呂が出資しましょう。法定利子で結構です」

「貴族衆の宮廷出仕時の給金を改革したぞ。数字が足りんから王都内の清掃費を削ろう」

「それも麻呂が出資しましょう。法定利子でいいですとも」

「女王が没収した貴族衆の財産を元の持ち主に返還したから国庫が空になった。これが臣民に知れたらインフレになるかもしれん」

「麻呂が国庫を預かります。で、この国の法定利子っていくらなの?」

「昨日の宴会の費用をどの費目から出そうか。会議費か、やはり交際費か?」

「費目なんぞどうでもいい。どの口座から出すかが問題だろうが」

「まあまあ、それも麻呂の口座から出しましょう。法定利子は……くそ資料がねえ、もう知らねえ」


 このようにして、女王の失脚に伴って復帰した貴族たちはみなニヤケ面に借金をして我が世の春を謳歌していた。腐敗に次ぐ腐敗に、さすがの王も心配になる。


「未来ある貴族たちの身を借金で固めて、この王国を乗っ取る気か」


 だがそんな事は考えもしないのがニヤケ面の持つ、怪物により近い特質だ。ある会議の日、あまりにも冷え込んだのでみな厚着をしてきたが、ニヤケ面だけは一斗缶で何かを燃やして暖を取っている。腐敗貴族たちがのぞき込むと、いつもの通りにやにやしながら借金の証書を燃やしているのであった。貴族たちはみな、こいつはバカなのだろうか、と大いにニヤケ面を侮る事になる。だがこの頃になると、王だけは、魔王がなぜこの常識破綻者を送り込んできたか、承知していた。


 これはこの男を介した賄賂なのだ。怪物の金が、このニヤケ面の男を通過することで、人間の世界へ流れても問題がないよう浄化されるのである。魔王の深謀に恐怖を抱きながらも、王はニヤケ面を厚遇しないわけにはいかなかった。


 しかし、筋金入りの放蕩者であるニヤケ面は自分をカモっているつもりの貴族たちを次々と宴会、博打、買春騒ぎに連れ出したから、王宮はすっかり堕落してしまった。それを危惧する王一人身を正していても、


「王が柄にもないことをやっているぜ」

「娘と争ったことが心の傷になって、おかしくなったのかもしれん」

「王に何を言われたって、クーデター時の損失分を挽回するぞ」


と、当の貴族衆から相手にされなかったから悲劇だ。だが、臣民への福祉にも金は支出されたから、臣民たちもとりあえず反乱を起こす気配はないのであった。



 このように河向こうの王国を掌中に収めた魔王は、グロッソ洞窟に戻っていた。川向こうの王にはモストリアを目指すと宣言したが、あれは大嘘である。彼はグロッソ洞窟を中心に覇を唱えるつもりでいたのだ。ところで、王国の処理を終えて洞窟に戻った時に初めて、魔王とその家臣たちはリモスが行方不明になっていることに気が付いた。


「リモスがいない」

「いつからだ」

「先の戦いで彼が女王に刃を突き付けたあとから、見かけません」

「我輩があの女子の胸から引き剥がした後か」

「もしかして、あのヘルメット戦士の捕虜になっているのでは?」

「誰も気が付かなかったのですか」

「いけない。リモスがいなければ、新しい金鉱を見つけるのが容易ではありません。彼は金を探し当てる天賦の才があるのです」

「他の粘液体連中ではだめなのか」

「ウーズは無能、バヴァリアンも無能、アポキシーは何言っているかわからないし、ザブロブは狂暴なだけ。とても金鉱のありかなど」

「普段、そいつら何をしているのだ。リモスから何も学ばなかったのか」


 これが魔王がトカゲ軍人時代も含めて、リモスの名を呼んだ初めである。


「早く救出に行かねば」

「しかし、敵は陛下と互角に戦った相手なのだろう。誰がまともに戦える?」

「…」

「…」

「陛下しかいないのは事実。しかし、この大切な時期に陛下が行方知れずのヘルメット戦士追跡をしては、時を逸することになります」

「あの小さいリモスの救出は、盗んでくる感覚で成功するだろうか」

「洞窟に黒三太という盗賊が住んでいます。手癖の悪さでは一番評判の悪い怪物ですから、腕は良いはずです。奴はどうでしょうか」

「よし、リモス捜索はそいつにやらせよう。あと金の在庫はどのくらいだ。すでにニヤケ面にかなりの金を委ねてしまっている」

「カジノとアイテム交換所の収益があるので、三ヶ月位なら金は持ちます」

「よし、歩みを止めるのは我輩の性に合わない。征服とリモス探索は同時並行でいく」

「山を越えた先の帝国の征服になりますか」

「魔女の報告によるとあの帝国を構成する人間どもはバラバラでまとまっていないから、征服するのは時間がかかる。それよりも、腕の良い怪物をリクルートして怪物の集落を造らせる。だから、征服ではなく建国になるだろう。そうすれば、グロッソ洞窟の盾となるアルディラ王国と、さらにその盾になる国が並び立ち、洞窟の防衛はより堅固になるというわけだ」


 この提案を聞いて、異形やモグラは、


「さすがは陛下」


と感激してやまない。一方の魔少女はどうしてもリモスの行方が気になり、魔王の覇権維持のためにも、そちらを何よりも優先すべきではないかと考えていた。それにしてもリモスの不服もこれでは大いに根拠を持っていたとしか言いようがないだろう。

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