第38話 モストリア総督職

 勇者黒髪は活動の本拠地を神官の地区においている。そこは、モストリア独特の地形であるすり鉢状の窪みの外にある高地だ。ここでは比較的弱く地位も低い怪物たちが群れを成しているが、勇者はこの地区から、魔王を追撃するために、実力のある怪物たちが多く住む窪みの中に向かって繰り返し出撃している。が、その危険を何度か冒しても未だ魔王もその近衛も発見には至っていない。それを彼は怪物たちが匿っているからだと考えていた。故に、魔王の逃避行を主導していると考えられていたトカゲ軍人をその場所で叩く事が出来たのはある意味で偶然の幸運だった。魔王追撃がより容易になる、と考えたためだ。だが、トカゲ軍人撃破後一月立っても、良い結果を得られていなかった。近衛衆すら見つからないのだ。


「なぜだろう。打つべき手は尽くしてきたつもりだったのに」


 勇者に未来都市の市長になる事を勧めた神官は、前にその地位にあった英雄隊に従って、魔王の宮殿から探索をしてみては、と助言した。窪みの中心にある高台はただでさえ目立ち、そこに建設された城壁も宮殿も実に威圧的だ。確かに、都市の異変をいち早く察知するにはこの施設は好都合であったが、この建物に拠点を置く事は、まるで魔王のような振る舞い、として勇者は避けてきたのだ。しかし、魔王追撃に決め手を欠く彼は、結局その助言に従う事になる。だが、この動座は人間社会に対して決定的な疑惑の種を蒔いてしまうのである。



 未来都市に商機を探すために来た商人や僧侶、冒険者たちは、魔王の宮殿で魔人や元魔人、兵隊に指示を下す勇者黒髪を見て、恐怖と幻滅を感じたのだ。未だ安定しない征服地では、独裁的に事を運ばねば物事は進まないが、この事情を知らない新参者たちは、口々に勇者を非難する。


「なんという振る舞いか。たった一人で全てを決めている。酷い独裁だ」

「魔人どもは怪物だった人間だろう。連中に号令をする勇者は魔王そのものではないか」

「勇者黒髪は怪物にも便宜を図っているという。怪物を統治の道具に使役している」


 商人も僧侶も、まだ不安定かつ人間の住民も少ない未来都市では活躍の場が無かったため、無駄足を踏んだ思いがより憎悪を掻き立てたともいえる。そしてこの手の中傷が最も効果を発揮するのは、未来都市に失望した人々が帰国して流す噂となったときだった。人間世界を守る為にも、勇者黒髪はモストリアの怪物達に生活の糧を与えてやらなければならなかったが、事情を知らぬ人間達にはその行為こそが憎しみの的になった。だがこのような心無い批判をする人々は、たとえ責任感の強い勇者黒髪とて、心が傷つかないと思わなかったのだろうか。


「中傷などすぐに止みますよ」


と、ヴィクトリアは慰めてくれたが、その中傷に納得してしまった、腑に落としてしまった人が身近にいた。



 援軍を率いてきていた河向こうの王国の妻の兄、つまり庶王子は物静かな性格で、妹の夫にあたる勇者黒髪に誠心誠意協力するつもりでいた。気の強い妹から、しっかり補佐をするように、と言い含められていたこともある。経験の少ない兵でも、直属部隊を欠くようにまでなった勇者にとって彼はありがたい義弟だった。


 だが庶王子は未来都市に到着して以降、勇者の評判の悪化について悩み続けてきた。勇者に協力する事で、王国において自分だけでなく妹の立場すら危うくしてしまうのではないか。勇者黒髪は、今や繋がりが細くなる一方の本国エローエよりも、河向こうの王国を頼りにする一面もあり、人間世界を守る為にやむを得ない政策だ、と義弟には全てを打ち明けていたが、やはり釈然としないものがあったのだ。そして、勇者黒髪に失望してモストリアを去る人々のうち、勇者に協力する者も人間世界に対する裏切りを為すものだ、との風説を聞くに及び、正義感の強い庶王子は帰国を決断してしまう。こともあろうに、黒髪には無断で。人間に対する観察を怠らなかった神官はこれを察知し、勇者転向の好材料とするための陰謀を巡らせる。それは実に悪魔的であり、勇者に心酔する魔人たちの間に、庶王子が裏切りにより帰国をしようとしている、として身柄確保を扇動したのだ。


「河向こうの王国の王子の動きを監視し、離脱の気配があればすぐに確保せよ。勇者黒髪に対する不穏な動きがある」


 勇者に心酔しはじめている神官は、黒髪を主君とも見做している一方、このような行為に平然と手を染めてしまう癖があった。高位の怪物であったが故の習性だろう。


 勇者がモストリアにて実力をつけ続けるうちに、その直属の兵として魔王時代より待遇が向上していた魔人たちは、この遠征の結果、徐々に勇者黒髪へ感謝を欠かさなくなっていた数少ない層であった。魔王時代も大多数の怪物達から蔑まれていた彼ら魔人衆は、名義だけとはいえ自分たちを地区再建の立役者にしてくれた事が、よほどうれしかったのだろう。故に、勇者に心酔していた彼らがより過激に、裏切り者許すまじ、の一念で、庶王子の隊に襲い掛かったのにも、理はあったのだ。結果、捕獲ではなく殺戮になった。


 援軍で来ていたとはいえ、実戦経験が少ない事から勇者の足を引っ張る事もないではなかった庶王子の隊は、魔人隊に襲われ、脱出を試みるもそれも先回りされるなど、翻弄されるばかりであった。悲しみをそそるのは、庶王子は部下の犠牲の上に脱出に成功し、黒髪に魔人隊の裏切りを伝えるため死ぬ思いで戻ってきたところ、当の勇者が神官及び魔人らと会合をしていたことだ。本当は、勇者は勝手な指示を出した神官に強く苦情を伝えていたのだが、人間が怪物と談合するという風景を見てしまった庶王子はもはや勇者の言葉に耳を貸さなかった。そのまま未来都市を脱出し、最前線の国に入るや勇者の人類社会への裏切り行為を訴える。が、勇者到来以後、かなりの安全を享受していたこの国の人々は、庶王子の言葉に耳を傾けることは無かった。絶望した庶王子は、そのまま交易都市に入り、「勇者の裏切り」を言って回ると、そのまま行方をくらます。


 せっかくの援軍が消滅してしまった事に胸を痛めていた勇者は、神官と二人だけでの話し合いの場を持った。黒髪には、庶王子部隊殺戮について、神官が仕向けた未必の故意に思えてならなかったためだ。


「魔王の神官よ、私は今でも魔王を追跡する者だが、同時にその戦いの余波で人間世界に漏れ零れた怪物衆による被害を抑えるために、この異教の地で日々戦っている。そしてあなたもこの地に平和を取り戻す事に同意をしてくれたからこその、これまでの協同体制があったものだと、確信している。だが、先般起こった我が義弟の悲劇に関して、あなたが免責されるべきだとは思っていない。一体どのようなつもりでいるのか、弁明してほしい」


 来るべき時が来た、と感じた神官は、偽らずに全て堂々と回答する。


「貴君の煽動による遠征軍が、モストリアの前体制を全て破壊したのは見てのとおりです。すでに、魔王とその近衛衆による時代は、前体制になっています。そして、人間の呼称では未來都市ですが、人間を管轄する人間の統治者はいるものの、我らの呼ぶモストリア、これも同じ都市ですが、怪物を管轄する怪物の統治者は不在です。わたしは貴君が目指すものについて、人間と怪物、双方が共に存在する以上、対等な立場がなければ、達成は不可能だと確信します。魔人衆は人間世界と怪物世界の狭間に立つ輩ども。故にその不安定さが、彼らをして残虐行為に走らせたのです。その責任は無論、彼らにもわたしにもありません」


 明言は避けた神官だが、つまり全責任は本来勇者黒髪あなた自身に帰せられるのです、というわけだ。さすがの黒髪も目を怒らせて曰く、


「では誰に責任を問うべきだ」


 神官は勇者の怒気を受け止めながら曰く、


「本件の責を負うべきものがあるとすれば、もはや名義上の統治者でしかない、現在の魔王とその近衛」


 神官の断言に驚きのあまり言葉も無い勇者だが、この怪物側の代弁者はさらに続ける。


「わたしが何を言いたいかはお分かりのはず。魔王不在がこの不祥事の原因であれば、誰かが魔王になり、怪物達に通用する権威と権力を掌握するしかありません。そしてその資格を持つのは、貴君をおいてほかにはない」

「人間世界の勇者であるこの私に、魔王になれ、と言うのか」

「左様です。あなた方人間世界が魔王と呼ぶもの、つまりは怪物世界の王。この地位に就けば、貴君は怪物世界の全てを手に入れる事になります。繰り返しますが、怪物たちはむき出しの力の前にしか膝を屈しません。これは我々怪物世界にとっても好機なのです。新たな覇者が現れれば、怪物世界はほぼ一本にまとまる。そうあってこそ、人間世界も安全を享受できるのではありませんか」


 しばらく無言で考えた勇者が口を動かした。


「あなたは今、詭弁を述べたようだ。人間を喰らう怪物を統べる魔王が居るから、二つの種は争い合うのだ」


 神官は強く異論をはさんだ。


「片方を喰らうのは我らだけではありません。あなた方人間も、我ら怪物世界の住民を喰らったではありませんか」


 この指摘、魔王の宮殿を占拠しつつも補給に苦しみ略奪に耽ることがあった英雄隊の行いを指している。勇者は再び沈黙してしまうが、ここにヴィクトリアが現れる。


「魔王の神官よ、人類世界の希望たる勇者をたぶらかしても無益では?確かに誰かが魔王に即位すれば、怪物世界はまたまとまるでしょう。しかし、未来都市の市長職は人間世界をまとめるには不十分の役職です。結果、人間世界には新たな魔王が一体出現する、ということでしかない」


 ヴィクトリアが実は妖精の女で怪物側の種である事に気が付いている神官だが、それは指摘せずに話を続ける。


「それであれば、未来都市の市長職をこそ人間世界を統べる正統な役職とすればよいのでは」

「人間世界に兵を向けよと言うのか」


 苦悶に顔を覆った勇者に、神官は畳みかけて曰く、


「怪物は人を喰らいます。が喰らう事がある、種族による、という事もあるのです。そして人間も怪物を喰らえる事を、今回あなた方は証明しました。しかし、人間を喰らうのは怪物だけでしょうか。人間が同じ人間を殺す事もあるでしょう。時に食人することも。怪物も同様です。怪物が同じ怪物を殺す事、食することもまたあるのです。しかし、それは主たる行為ではありません。それを止めさせたければ、権威と権力を持って定めた規則に従わせるのが道理ではありませんか。規則と言うものは、このモストリアにもまた存在していたのです。であれば、きっと共存は可能であるはずなのです」


 この時、勇者黒髪は本国エローエにおけるとんがり政権の崩壊を思い出していた。確かにその通りではあるのだ。旗色の悪さにヴィクトリア、彼女は勇者の立場で反論を試みるも、神官に圧されてしまう。


「怪物はむき出しの力に従うでしょう。しかし、人間は……」

「貴女は違うとでもおっしゃるのか。従わぬ交易都市を勇者の旗の下に組み入れたのは軍の力によったはず。故に、時の近衛衆も、あなたたちへ礼状を送ったのです」

「しかし、人間は怪物に支配される事にきっと耐えられないでしょう。力のみに恃む怪物とはそこが違うのです」


 神官は一歩強く踏み出でた。そしてその打音が呼んだ静寂を、神官は厳かに破る。


「やってみなければわかりますまい!」


 沈黙の中、さらにヴィクトリアは反論を試みた。そして神官もそれに応える。二人の応酬を聞きながら、勇者は考え込む。やってみなければわからない、というのは政治ではない。だが、人間世界と怪物世界を統べる存在が一人であれば、よほど統治はしやすいはずであった。これまでの世界の歴史で人類に勇者が、怪物に魔王が出現した真理に、双方がより良い世界を目指したという、誰もが目をそらす事情があったのではないか。それは他方の絶滅を望んだ野心も、共生を目指した妥協もあるいはあったかもしれない。しかし今現在、人間世界と怪物世界が並存している以上、絶滅は為されず、不幸な共生が続いているのである。絶滅が不可能であれば、共生しかない。そして、その共生が幸福な形で進めばあるいは……。


 勇者黒髪は決断の人でもある。魔王の神官とヴィクトリアの意見と属性の狭間で、黒髪は新しい未来を見定める事ができた。今は滅びし英雄隊が名付けた「未來都市」という名も、そう思えばおあつらえ向きである。勇者黒髪は神官に、魔王以外でこの地を統率する役職を訊ねる。勇者の空気が変わった事に気が付いた神官は興奮がちに、それは魔王を除いてこの地の行政職の長である「モストリア総督職」です、と答える。肯いた。勇者黒髪はその地位を掌握する事を神官に誓った。見つめ合う勇者と神官を前に、妖精女は究極的には自身の役割は失敗するかもしれない、と思い始めていた。



 その日、未来都市=モストリアを一つの革命的な発表が疾風の如く駆け抜けた。曰く、


「人間による未来都市の市長である勇者黒髪は、怪物によるモストリアの総督に就任した。以後、未来都市の市長は、モストリアの総督を兼任する。そしてモストリアの総督は、未来都市の市長を兼任する」


 これは既存の世界にとって、革命的人事であった。

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