第57話 連鎖遊戯

 未來都市において実務の決定力を持つ一者二体は結束して勇者の遺産の運営に当たっていたが、開始から一か月しか立たないのに不協和音が目立ち始めた。魔王の神官が、配下の怪物達の放縦の制御を、理由をつけて放棄しはじめたのである。


 この都市における怪物と人間の比重は圧倒的に怪物側に傾いている。故に、初老の名士は何も言わない。この老人の不安と苦悩をくみ取って、妖精女が魔王の神官に注文を付けるのである。


「モストリア領域外への怪物出没の噂がある。貴方にはこれまで通り、怪物衆の引き締めをお願いしたい。これは勇者黒髪の遺志でもあるのだから」


 だが魔王の神官はにべもなく答える。


「勇敢さが高い集団が、それが低い集団、すなわち怠惰と怯懦に染まった集団へ襲い掛かるのは当然のこと。水の流れる方向と同じでしょう」


 この意見が正しいかはともかく、


「勇者黒髪が生存していれば私の指示も行き届いたのだが……」


 勇者が死んで、未來都市の市長の座は空いたままだ。だが、まるでそこに勇者がいるかのように、妖精女が振る舞っているのを、魔王の神官は好まないのである。そして、怪物達の放縦も、代理人の力が不足だからだ、と明確に言い放って止まない。


「これではいずれ、魔王の神官は勇者の遺産から分離してしまうかもしれない。手を打たないと」


 妖精女の心配に対し、初老の名士は首を振る。


「手を打つとしても、どのように?彼を説得するのか、あるいは排除するのか。モストリア最大の武力集団である怪物衆は、魔王の神官の与党です。そうだと断言できないのは唯一、勇者殿に心酔していたヘルメット魔人くらいですが、彼があなたに従うかはまた別の問題でしょう。貴女が力無い人間側に立ってくれるのならば、今は決して対立してはなりません」


 だがトカゲ軍人への復讐を遂げるまでは全力で走り切ってやる、と決意している妖精女である。未來都市における自分の仲間を探し求め始めた。それは必然的に、旧知の猿の怪物になる。この輩が都市に来ている事を、彼女は密かに伝え聞いていたからだ。


 妖精女は、隠し事は疑心の素、という初老の名士の言葉に従って、堂々と、猿を宮殿に招いた。そして打診したのだ。自分の右腕にならないか、と。これに猿の怪物曰く、


「なあ、妖精女よ。お前には肩書が無いじゃないか。それじゃ、怪物達は誰も従わないぜ。今お前がこの宮殿で命令を下せるのも、勇者黒髪が役職に任命していた魔王の神官と初老の名士を通しているからだ。悪いことは言わんから、こいつらと仲良くして置いた方がいい」


 確かに、勇者黒髪は密かな愛人であり、実は怪物でもある妖精女を、相談役としてしか世間に明らかにしていなかった。猿は辛辣に言う。


「本来なら勇者黒髪が死んだ時点で、お前はお役御免の筈だった。それがなぜ、今もここにいる事が出来ているか。そのヘルメット魔人ってやつが、『一者二体』宛てに使者を寄こしたからだ。少なくとも、そのヘルメット野郎はお前の中に都市の公的な立場を認めているのだからな。まあ今は我慢の時だよ。それにきっとすぐ、また動乱がやってくるぜ」

「動乱ですって?」

「この未來都市の怪物世界にも、色々と不穏要素があるってことだ。その最大の輩は、勇者が死んで正気を失った魔王の神官殿だろうよ。また相談には来てやる。昔の誼でな」


 動乱の報告は直ぐに未來都市にも伝わってきた。かつて、黒髪が遠征途中で二度戦った平原の蛮族たちが、山を越えた先にある帝国領に侵入を開始したのだ。モストリア領内の怪物達が、平原に侵入し活発な活動を開始していた事が原因で、つまりは押し出されたのだ。魔王の神官は、すっかり手綱を離しているようだった。この怪物達が欲したのは自由に食料を得る機会である。目下のところ、食料となるのは蛮族であるとはいえ人間であるものたちだ。黒髪が死去してから人間との融和を目指す方針を、魔王の神官はその影響下にある怪物達に我慢させることを止めており、解き放たれた怪物達の襲撃の動機等は、


「生前、モストリア総督閣下と良好な関係になかったあの野蛮人どもであれば、どれだけ襲ったところで人間世界から苦情はくるまい」

「それもそうだ。ところで、あの『蛮族』というカテゴリの人間達は、どれほどのものかね。あの、縦長の仮面と腰巻、骨でできた首飾りに槍が基本装備でみんな統一されている。強いのかな」

「勇者の遠征軍や帝国の兵士らに比べると、簡単に死ぬが、死を恐れぬところがある。こちらが集団で襲い掛かればまず勝てるだろう」


というものであった。モストリア総督閣下とは、勇者黒髪の事でもある。怪物たちの遠征が続いたが、それが移住になるのに時間はかからなかった。


 魔王の影響下に入っていなかった領域を含めるとモストリアも広大だが、隣りあわせでもある蛮族らが跋扈する平原もまた広いのだ。襲撃の度に一々モストリアまで帰宅するのは面倒だ、ということで、平原に怪物らの拠点が築かれた。そこでは捕らわれた人間たちが、その部位ごとに解体される食料工場が盛大に営まれる。苦みと甘みがクセになるらしい脳みそが好きな怪物もいれば、筋っぽいが食べ応えのあるらしい太ももを好む輩もいる。肉片が付いた骨は乾燥させた後、携行食として加工されるのだ。


 このまま平原に残っていては殺されて食われてしまう、となると蛮族たちはモストリアとは反対の東へ向かって逃走を繰り返すしかない。それを追撃する怪物達もいるが、蛮族たちは輩共のとある行動パターンに気が付いた。怪物達は、平原に隣接する山を越えた先の帝国領内へは足を踏み入れない。魔王の神官が、


「人間の帝国領には決して足を踏み入れるな。破った輩は死刑……!」


とこれだけは厳命を下していたからである。


 蛮族たちも噂をしあう。


「聞けば、今の帝国を治めている人物は、勇者黒髪によって擁立されたらしいじゃないか。つまり、我々も帝国領内に逃げ込めば、これ以上食料にならずに済むかもしれん」


 噂をしあいながらも、哀れな逃避行は続いている。蛮族の群れはとりあえず命からがら帝国領内へ逃げ込んだ。平原から帝国に至る交通の主要地に、帝国政府は関所を兼ねた要塞を建設しており、兵士たちも数多く詰めていた。故に、帝国の軍隊に監視されながら、の当座の安全を確保した上で、帝国政府に移住の許可を乞う使者を送り出したのである。


 蛮族からの要望を聞いた帝国政府は仰天した。


「せっかく国の復興が進み始めたというのに、なんということだ。連中は移住を求めているというぞ」

「連中を食わせる食料も田畑も、今の帝国には無い。連中に鋤鍬持たせて、開墾させようか」

「絶対に上手くいかないぞ。あいつらは原則肉食なのだ。直に市町村を襲い家畜を奪い始めるに決まっている」


 帝国政府の腹は決まった。関所を閉鎖し、兵士たちによってガッチリと国境を固めさせたのである。そして、下手をすれば暴動に発展しかねないこの状況を打開するために、怪物達を利用するとも決めた。怪物達による帝国領占拠時代に、怪物側と好を通じた人間たちもいた。怪物による乱脈統治の協力者でもあったのだが、国家復興の中で冷遇されていたこの人々が、平原に居座った怪物の群れに、使者として送り出されたのである。無論、蛮族の集団の居場所を教えるためだ。意外に情に熱く、情に脆い怪物衆は、懐かしい異属の友を迎えて情報提供を受けると、裏切りを嘲笑するよりも有益な話を教えてくれた事へ感謝を示すほどであった。


 関所要塞の前で難民キャンプを設営していた蛮族たちは、すでに周辺の住人達と諍いを起こし始めていた。やれところかまわず排泄をして不衛生だとか、やれニワトリを盗んだとかの騒動だが、これらの話が事実かどうかはともかく、住人達も文化文明の異なる野蛮人たちを、怪物並みに毛嫌いしていた事は間違いない。文明人たちは、野蛮人に迷惑をかけられるくらいなら、同じ人間であっても連中の死を望むものなのだ。対する蛮族らだが、今は手続きの最中でそのうち領内への移住が許可される、との虚報を信じ続けていた。哀れなものである。


 そしてやって来たのは、運命の日。許可が下りる望みを持ちながらも、許可の遅さにイライラ待っていた蛮族の背後に怪物の群れが迫り、容赦のない襲撃が加えられたのである。関所を守る兵士たちは息を呑みながら眼前で繰り広げられる一方的な殺戮を凝視し続けていた。彼らとて恐怖とは無縁ではない。血に飢えた怪物達がもしも矛先を転じてきたら、命がけで国境を死守しなければならないのである。門を開けてくれと城壁に迫る人間を無視しなければならないのだから、相手が蛮族とはいえキツイ仕事であっただろう。難民キャンプの蛮族たちは、尽く怪物によって殺され、その食料となった。死体の数が余りにも多いため、二日に渡って怪物はその地に留まり続けた。人間の解体作業と食料加工が盛大に繰り広げられた。


「負傷しながらも生きている蛮族は、父、母、兄弟姉妹、子供や孫、友人同胞が生きながら食品加工されるのを見続ける。悲鳴を聞き続けるのだ。自分の番がやってくるまで」


 幸運にも逃げ延びることに成功した少数の蛮族らは、平原の蛮族仲間にそう伝えたという。


 地獄のような光景を前に、卒倒し、泣き出してしまう国境守備の兵士もいたが、怪物の群れは帝国政府との約束は守ったのである。コントロールしていたのは魔王の神官配下の怪物だが、なかなかの統率力を示していた。蛮族たちの加工が終わると、怪物の群れは大量のソーセージを担いで西北へ引き返していった。関所の前では、その後幾日も死臭が漂っていたというが。


 だが、悲惨極まりないこの事件は人間諸国の間では大した話題にはならなかった。犠牲になったのが蛮族たちであるためで、文明人らは彼らの運命にさして関心がなかった、という事情もあったが、諸国はいまだ政情不安が続いており他人の事に構っている余裕はなかったのだ。しかし、蛮族たちは帝国政府の仕打ちにやはり怒ったのだ。そして平原に居続けていれば、やはり殺されてしまうだろう。彼らは関所を避け、厳しい自然が壁になっている国境から帝国領内への侵入を目指す事になる。そして、侵入後は容赦なく、帝国の領民たちを襲うようになった。見殺しにされた復讐であった。


 この事態を未來都市で伝え聞いた魔王の神官は満足げに頷いて語った。


「やはり帝国政府は対応を誤ったな。薄汚い統治者には相応の報いがあるだろう。しかし、思った以上に美しく決まったものだ。達成感があるよ」


 こうして再び動乱に見舞われた帝国領を、ある程度のまとまった数の人間たちが見捨て始めた。彼らは故郷を棄ててどこに行くのか。やはり、隣国の河向こうの王国しかない。この王国は内乱を早々に収拾して、平和の発端にたどり着いていたから、安全であり豊かでもあったのだ。怪物に突き出された蛮族が帝国を攻め、蛮族に突き出された帝国領民が河向こうの王国に逃げ込み始めた。河向こうの王国の王宮よりこの動きを眺めていたヘルメット魔人は、アイロニーを込めて女王に話しかける。


「陛下、革命の波がついにこの王国に到達するかも、ですぞ」

「あなたは帝国からの避難民たちが革命を起こすと考えているのですか」

「避難民共か、あるいは連中に我慢できなくなった王国の民か、どちらかでしょう。避難民が市内に侵攻する前に、軍を送って撃破する、という手段もあります」

「それでは他国から軽蔑されてしまいますし、亡き夫の意志にもそぐわないでしょう」

「それはそうですが、では受け入れるのですか。善意だけで連中の悲惨を受け入れては、返って地獄を見ることになりますぞ」

「彼ら自身に国を造らせて自活してもらう方法はないものでしょうか」

「金があればある程度の準備はしてやれるでしょうが、今の連中が求めているのは身の安全と自分の命ですからな。それこそ命がけで逃げてきたのだろうから、ああ、あの集団を見てください。畑を荒らして大根を食っていますよ。腹が減っているのだろうなあ」

「! 妙案を思いつきましたよ、太尉」


 この王国で、ヘルメット魔人は軍事長官のような地位にいる。


「陛下の表情からすると相当素晴らしい案のように見受けられますな。伺いましょう」

「彼らを都市エローエへ送り込むのです。片道を進むに十分な食料を与えて」


 女王の明るい声を聴いて何かと思ったヘルメット魔人はあきれ顔で、


「それは随分と素晴らしい案ですが、勇者黒髪が聞けばがっかりするんじゃないですか」

「まあ聞いてください。私たちはまだエローエ市に対する復讐を果たしておりません。それはすなわち、我が父を匿い、王国の内乱に画策しようとした罪に対する復讐です。これを自然に行うために、王国に入り込んだ最初の三千名の難民に関しては、特別に我が国の臣民としましょう。後続の人々には、エローエに向かってもらうのです。次は彼らが受け入れてくれるはずだ、と。そうすれば、幾万の難民に対し、我らは三千を養うだけで済むのです。さらに太尉にお願いしたいのは、その三千の中から壮健な男たちを選抜して、軍を再編すること。その軍は、勇者黒髪の敵を討つためのものです」


 女王の話をあきれながらも心中感心しつつ聞いていたヘルメット魔人は不敵に笑って曰く、


「了解しました。きっと陛下の案は上手く行く事でしょう。辛辣な分……」


 黒髪の死によって愛人だった妖精女も復讐の鬼と化していたが、正妻であった女王も恨みの炎を燃やし滾らせていたのである。女王の策は直ちに実施され、最初に到達した難民の内、三千人までは受け入れられた。後続の、王都に向かっていた難民たちはしばしの休息とエローエに到着するまでに必要な食料を得ると、方角を変えて動きだした。これは、黒髪の死にエローエ市民だって責任を負うはずだ、と考えていた女王による都市エローエへの間接攻撃でもあった。


 あまり褒められない手腕で難民の群れを追い払った河向こうの王国に対して、結論から言えば都市エローエはなんとも不思議な手腕によって、この問題を一挙に解決してしまうのである。最終的にこれは、募兵官東洋人の名声を一躍高める結果にもつながるのだ。魔術師とんがり、勇者黒髪に代わる、都市エローエの新たなる英雄として、東洋人傭兵は名乗りを上げる事になる。

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