第56話 勇者は死に、仲間は残った。そしてまた敵も

「戦いの中、ついに勇者黒髪をこの手で討った!これで怪物世界は我輩のものだ!」


 グロッソ洞窟に戻ったトカゲ軍人は、黒髪の首を示しながら、怪物大衆に向かって叫んでいた。割れんばかりの大歓声が上がり、黒髪によって苦しめられていた怪物達はみな、一様にトカゲ軍人への感謝の意を伝えていた。出世への渇望と復讐の一念を執念的に追い続けたトカゲ軍人の手によって、黒髪の一生は終わった。人間世界では勇者の称号を受け、怪物世界では破壊と再生の象徴としてみなされていたこの若者の死は、全方面に様々な影響を与えざるを得ない。



 生き残った魔人たちから銀の剣を渡され、事態を伝えられたヘルメット魔人は、無念で一切の言葉がでなかったという。涙を堪えて空を仰ぎつつも、黒髪の遺言となってしまった命令を達成するために動き出した。つまり、人質としている王を抱えたまま、河向こうの王国へ向かったのだ。道中、東洋人の放った追撃隊を確認したヘルメット魔人だが、敵を皆殺しにしたい衝動を抑えて、身バレしないように危地を抜けて、無事に河向こうの王国へたどり着いた。そして、人間ではあるが勇者の公式の妻であった庶王女には、事実を伝えたのである。勇者黒髪は、都市エローエでの戦闘で死んだ、と。


 ヘルメット魔人後日妖精女に報告して曰く、


「庶王女の表情は全く凍り付いたように真っ白になった。まるで断崖絶壁を前にした敗残兵のように。だが、彼女はさすが勇者が認めただけの女だった。呆然自失は一瞬のことだけで、勇者の勧めた指示通りに動いていったのだ。並の精神力では逃げ出していただろうに」


 すなわち、捕虜として戻ってきた父王を改めて幽閉し、国民に王の帰還とそれによる正式な譲位が為されたことを発表した。もちろん、本当は王位譲位の同意などあるはずもなく、女王となった庶王女は夫の死の原因を作った父親を憎悪していたから、ここに親子間の関係改善などありえなかった。こと人間関係については黒髪が思い描いたような形にはならずとも、河向こうの王国は新しい女王の下にまとまったのである。生前の黒髪が見込んだ通り、これで内乱は封じられたはずであった。王の取り巻きたちも、その誘拐を防げなかった事でみな四散し、二度と現れなかったのだから。結果として、河向こうの王国は魔少女がばら撒いた金による国家的混乱を最初に抜け出せた国となった。


「しかし」


と女王はヘルメット魔人に伝える。彼女は亡き勇者とは言わず、


「亡き夫が指し示した道は、この世に遍く生きとし生けるものどもで、歩んでいかねばならないと思います。それは、人間世界と怪物世界を一つにする事。真の平和と秩序のためにそれが必要だと、紛れもなく勇者であったあの人は確信していました。私は、夫が私に残してくれたこの国を、その目的のために使いましょう。ですが、勇者がこの世にないことは、手をかけた怪物達が口にしない限り人間世界は知り得ないことだと思います。故に、対外的には『勇者』である黒髪は生きている。亡き夫の名声を最大限活かすためにも、黒髪の幕僚たちはその様に動くべきだと考えます」


 彼女の意見に全く異存はなかったヘルメット魔人は、部下を全速力で奔らせ未來都市に残存した仲間に伝えさせる。ヘルメット魔人は、生前黒髪が心配していた、河向こうの王国への他国の攻撃に備える為、側近たちは未來都市へ戻し、僅かな部隊兵とともに王国に残留した。魔人たちは、姿かたちは人間と変わらない為、この女王の新体制が怪物と繋がっていると噂される心配は少なかった。しかし、ヘルメット魔人の真の狙いは、黒髪の死を知っている数少ない部隊兵を前線から遠ざけないところにあった。つまり、情報を散らす可能性があれば直ちに殺す、ということだ。


「この国の防衛はお任せあれ。ですがあなたは苦難の道を歩むというのですな。なぜなら、対外的に勇者黒髪が生きているという事になると、あなたはいつまでたっても再婚できない」


 女王はこれから頼りにしなければならない亡き夫の片腕の軽口を聞いて微かに笑った。が、シニカルだが実力は黒髪も認めていたこの男は悲しみをふと口に出しもした事を聞き逃さなかった。


「そう、葬式だって……」


 悲しみを堪える武人の顔を見た女王は、ついに涙を我慢できなくなり、妻は夫の死に、声をあげて涙を流す。



 黒髪の死を知らされた未來都市の人々は限られている。相談役兼愛人であった妖精女ヴィクトリア、そして怪物世界側の利益主張者である魔王の神官と、人間側のそれである初老の名士だ。一者二体は呆然とするしかない。ヴィクトリアは誰が、それを実際に確認したのか、と尋ねると、連絡を伝えに来た魔人曰く、


「この私もその一人です……申し訳ありませんでした」


 誰も一言も無かった。使者となった魔人が形見である銀の剣とともにヘルメット魔人からの「提案」を伝える。すなわち、黒髪の死を可能な限り伏せて、残されたメンバーの手で黒髪が目指した路線を踏襲する。勇者の意志を継ぐというものである。


「それがいいのだろうけれど……」


 衝撃が大きすぎた一者と二体はすぐには答えが出せなかったのである。初老の名士の、二時間、いや一時間で良いので考える時間が欲しい、という発言によって、それぞれが自室へ戻っていった。会議室には、ヘルメット魔人へ意見を持って帰る為に、使者だけが残された。使者は、机に置かれた銀の剣を目に、


「なぜあの時、手助けができなかったのだろうか。せめてこの命と引き換えにでも」


と嘆きを深くする。未來都市の権力者一者二体がこれほどまでに動揺するのだ。黒髪という人間が如何に代替が利かない存在であったのか、目の前で何もできなかったこの魔人は痛感していたのである。



「おお、黒髪様!私から離れた遠い地で死んでしまうとは、なんてかわいそうに」


 妖精女は、遠い地で死んだ黒髪を想って声も無く啼いた。同時に、最愛の黒髪を殺害したかつての愛人であるトカゲ軍人へ、憎しみを強く燃やす。


「どうか待っていてください。あなた様の仇は必ずとってみせます」


 彼女はトカゲ軍人だけではない。新たに王となった女王へも感情を悪化させていた。黒髪の今回のお忍び行動は、そもそもが河向こうの王国に捕らわれていた庶王女を救出するための目的があったためだが、復讐のため、結果的に勇者が命を懸けて守った女王の存在すら利用してやる、という心境に至っていたのだ。



「若者め、老いぼれに夢希望を与えた上で死んでしまうとは……仕方のない人だ」


 初老の名士は、黒髪が最前線の国にやって来た当初から、故人と大小の付き合いがあった。遠征の目的のこと、部隊の分裂のこと、人間世界の安全を目指していること、治安のこと、魔王の都陥落後は怪物世界との共存のこと……そして長年生きた経験から、黒髪の指示した道は唯一救いがある事を、肌で感じてもいた。黒髪に請われて、自由都市における人間世界の代表の地位にある彼は、自分を認めてくれて仕事を委ねてくれた黒髪に深い敬意を持っていたため、自分よりはるかに若い上司の死、死んだ若者の志を守るべく、信念を強くしていた。



 ただ一体、黒髪の死で動揺をひた隠しにしていたのは魔王の神官である。


「あなたこそ、モストリアの新たなる統治者、真の魔王として適任だと思っていたのに……それをよくも。聞いているか、黒髪よ!死んでしまうとはふがいないぞ!」


 妖精女も黒髪を大切に思っていたが、ここには男女の関係が介在していた。一方、黒髪と神官は、勝者と敗者であり、それが協力者同士となるに至って、最も同胞としての感情が強く働いたのだ。任務柄目立たないが、黒髪のモストリア征服後はその秩序維持に最も貢献し、黒髪遠征中も彼の依頼を瑕疵なくこなしてきた自負もあっただろう。勇者に人怪共存を訴えたのも、神官なのだ。勇者黒髪は敗者のそんな意見を容れてくれた。自分の才能と価値を認めてくれた黒髪に対する、種族を越えた敬愛の念が、黒髪亡きあとの神官を狂わせることになる。


 結局は、大いなる失望と呆然自失を乗り越え、一者二体ともに、ヘルメット魔人からの提案を受け入れる事には同意したのである。差し当たり、勇者黒髪が生存しているように振る舞わねばならない。それはこれまで通り、日常を継続させ、黒髪の施策を実施し続ける事であった。未來都市と変わった事が定着し始めていた魔王の都モストリアは、相変わらず怪物と人間で頭数の均衡がとれていないが、人間の人口も増え始めていた。旧魔王の都は今や、人間勢力未踏の地であった新しい世界でもあるのだ。勇者の意志を継ぐのであれば、この都市を成長させ続けねばならなかった。


 一者二体が一つの事を最優先事項とした。だが後日必ず処理する、と決めた事がある。それは、黒髪を殺害したトカゲ軍人を、全力を持って追跡し、抹殺する事である。その任務に、一者二体は眼前にいる魔人を充てる。ヴィクトリアは諭す。


「お前は黒髪の命を助ける事は確かにできなかった。だが、それは黒髪を慕う者全員の罪です。最も、目の前で彼を死なせてしまったお前の心の傷は誰よりも深いかもしれない。ではどうする。仇討ちしかない。敵は条件を味方につけたとはいえ、あの黒髪を打ち破った相手だ。暗殺には最善の準備を整えねばならない。お前はトカゲ軍人を探し、その動向を徹底して探れ。そしてそれを、ヘルメット魔人や未來都市へ伝えるのだ。形見である銀の剣に誓って、命を懸けて……!」


 拝命したこの魔人は、以後、黒装束を身に着けてトカゲ軍人とその一般追跡を事とするようになる。黒装束魔人は、未來都市で定まった事を、ヘルメット魔人へ伝えるために出立した。


 これからは厳しい偽装の日々が始まる。妖精女は、黒髪との間に子供を為して置けばよかった、と強く後悔した。黒装束魔人の報告では、黒髪を襲った集団の中に、がいこつの群れが居たという。かなりの確率で、グロッソ洞窟の魔女が絡んでもいるだろう、と妖精女は考える。かつての仲間たちと抜き差しならぬ関係になった不幸を嘆いた妖精女だが、頭は怒りで冴えわたっていた。それは出立前に、黒装束魔人に彼女が知り得るトカゲ軍人追跡の材料を全て伝えた事からも明らかだ。仇討ちに燃える妖精女のパトスが乗り移った黒装束魔人は早速、トカゲ軍人の所在をグロッソ洞窟に突き止める事に成功するのだ。



 その洞窟では、大歓声を浴び続けるトカゲ軍人を、これまた冷徹な目で見続ける魔少女がいた。勇者黒髪の死を知ったグロッソ洞窟の輩たちは、口々に語る。


「勇者はこの洞窟の宿敵だった。それをあの憎い都市の中で始末するとは、トカゲの閣下はさすがだな」

「この洞窟にもかつて魔王を名乗った連中がいたが、比べられないほど、閣下はすごいな。なにがって、戦いの腕だよ」

「閣下がこの洞窟に居続ける以上、我々も安穏とした日々を楽しめるというものだな」


 一般怪物の輩の意見は、リモスらのそれと違ってはいない。勇者の死を聞いたリモスは笑顔を顔に浮かべて、


「これで仕事を妨害する邪魔者が消えてくれたね。僕の至上命題も、より完璧になったというわけだ。閣下にはどれだけ感謝すればよいかわからないよ」

「結果的に、黒髪を魔王の都へ向かわせたのは猿の度胸だった。奴も草葉の陰で喜んでいるだろうよ」


 猿はすでに死んだと聞いている魔女は、自分と二人三脚でリモスを支えていた猿が勇者と関連していた因縁を想い、目頭が熱くなる。しかし、そんな二体の言葉を背後で聞く魔少女は、


「グロッソ洞窟の防備を完璧にするために、ようやくスタート地点に立っただけ」


とトカゲ軍人にのみ打ち明けていた。


「この洞窟は人間世界、怪物世界双方にとって辺境にある。だから、新たなる都を造る場所としてはおあつらえ向きです。閣下は、リモスが造ったこの大洞窟を、新たなる都にしてください。そしてその為には、怪物世界へ向けた宣言が必要です」


 トカゲ軍人はそれに応えて曰く、


「すなわち、勇者黒髪を討ったのは我輩で、その証拠は我と共にあり、という事か」


 魔少女は頷く。


「このグロッソ洞窟は勇者の墓場になってしまいますが、それも良いではありませんか。怪物達の仰ぎ従う新たなる魔王の都が勇者の屍の上に成るとは。歴代の魔王たちが閣下をうらやむ事でしょう」


 そのためにも、トカゲ軍人は黒髪を討ったことを大いにPRしていた。もはや、グロッソ洞窟周辺に住む怪物達でそれを知らない輩は居ない。怪物達がトカゲ軍人を『新しい魔王』と噂し始めるのに、時間はかからなかった。魔少女の計算通りとなったが、この少女はもう一歩、同時に古い魔王の都であるモストリアを従わせなければ、完全な形にはならない、とも考えていたのだ。


「閣下、戦争の準備をしましょう」


 魔少女にそう話しかけられたトカゲ軍人は、勇者を抹殺したことによって、より一層大いなる気迫を身に着けていたようであった。溢れ出る自信と達成感によって、そのウロコが金色に輝いているようにも見えるのだ。『魔王』と噂されるようになったトカゲ軍人とその忠実な参謀である魔少女は、未來都市攻略のための緻密な立案を練り始めた。


 こうして、都市エローエにて勇者黒髪がトカゲ軍人の強襲を受け、戦いに敗北して死んてから、一か月が経過した。

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