第23話 魔王の都への遠征決定

 グロッソ洞窟に黒衣の監察官がやってくる少し前。洞窟より都市へ帰還した黒髪が、大量の金と降伏の標しを提示したことにより、議会の勇者支持は定まった。戦争をせずして、やっかいな洞窟から金と平和を勝ち取れたのだから、その評価がうなぎのぼりになるのも当然である。この成果を前に、軍事委員会で勇者に対峙した釣り目の僧侶は沈黙を強いられる事となり、これで黒髪には政治的競争者はいなくなった。すなわち、魔王の都モストリアへの遠征が正式に決定したのである。都市は遠征の準備に取り掛かる。


 計画通りに進み安堵する一方、黒髪は猿との折衝の中で懸念に値する事に思い至った。すなわち、都市エローエ付近は怪物世界にとってド辺境であり、魔王は関心を寄せていないらしい、ということだ。確かにトカゲ男、翼男後は強力な怪物は不在だ。時を過ごせば、遠征計画を市民が望まなくなる恐れもあった。故に、黒髪は事を急いで進める。それは、市民たちがみな望んでいるこの時期に、勇者黒髪の支持者の発案で市民が好む政策を提案させ、どんどんと議会の議決を得る、という形をとる。遠征の準備を進めるため、黒髪は権力を求めざるを得なかったが、勇者に生臭い政治権力はいかにも不似合いでもあったが故の配慮である。その為の手段が、とんがりが選択したやり方と同じであるのは皮肉である。それでも、宴会好きであった黒髪は目を付けた有力者や議員とは宴会場ですぐに仲良しになったため、根回しは完璧であったのだ。


 その政策。まず、あらゆる軍役から市民を解放する。傭兵がいるのだから市民の負担は不要、という事であり、武具装備一式を用意する必要がなくなる点では、実質的な減税でもあった。とんがりも同様の政策を定めていたが、それを一層強化したのだ。とはいえ、望めば傭兵と同じ舞台で軍役に就く事も出来るので、自由を失ったわけではない。故に全市民が喝采した。実はこの政策の本音は、戦士ハゲを軍事の舞台から追い出す事にあった。富裕層も望めば参加できるが、下手にしゃしゃり出ると、政治的野心を疑われる。元来裕福で押しも強かった戦士ハゲを嫌う人たちも議会の中には多かったのだ。かつての仲間である黒髪の政治が、全く自分を利するものでないのに、ハゲも苛立ちを強めるしかない。


「俺が強すぎるから、実力に嫉妬していやがるのか、黒髪め」


 次いで、これまで市民兵や傭兵以外は禁止されていた市内における武具携帯の自由化である。黒髪は少しでも多くの人間を自発的に遠征に参加させたかったから、こうして戦場への精神的門戸を開いたのだ。一方、冒険者や用心棒も武装したまま市内に滞留することによる治安の悪化は少なからず発生したが、燃え上がる人類愛の前には問題にはされなかった。


 最後に、通貨政策である。先だって、黒髪はとんがりが定めた伝統的な金利の上限を撤廃する政策を廃止し、全て元通りにした。目的は無論インフレ抑制にあり、違反者には罰則を持って臨む、とも決めさせたが、これは議会の支持を失う危険のある微妙な政策である。勇者黒髪は彼の実績の他、人々の支持によって勇者の地位を維持する事が大であるため、法の厳密な実施までは求める事が出来なかった。だからある意味でその適用を望む者にとって金利の天井は無いままで放置された。追い詰められたとんがりによる金利上限撤廃政策は富裕層の評判が良かったため、彼らを敵に回す事は出来なかった事が最大の理由だ。結果、闇金利を設定する者が後を絶たず、インフレは全く沈静化しなかったのだ。遠征開始日までに、物価上昇を止めなければ、貧乏人の生活だけでなく黒髪の大望まで破壊されてしまう恐れがあった。悩める黒髪だが、名案に至る。


 これまで強力な都市であったためしがないエローエ市は、金貨より貯蓄性に劣り流通性が高い銀貨や銅貨などは常に他国の物を使用してきた。経済規模も小さく、割れた銀貨や削れた銅貨が流通する事が多く、これもまた物価上昇の一因でもあった。とんがりの排除と遠征の公表後も一向に収束しないインフレへの対策を民衆から求められた勇者黒髪は、新通貨の発行を決断する。リモスが金の採掘を行う際、銀も発掘されるが、怪物達は銀の価値を認めず、断じて金を好んだため、銀鉱石は打ち捨てられたままであった。グロッソ洞窟を幾度か訪れていた黒髪は、これに目をつけた。インフレ鎮静のため、都市エローエ独自の銀貨を発行する事を計画したのである。その名も、黒髪の顔を彫ったエロイコ銀貨、純銀である。広く流通する事を期待して、貨幣単位も小さくした。その上で、新銀貨と鐚貨との交換比率を厳密に定め、鐚貨の回収を進めていったこともあり、物価の上昇は抑制されていった。これを見て勇者曰く、


「銀には邪を払う力があると古くから言われ、事実怪物たちも銀を使用しないからそうなのだと思うが、価格に伴う人心の混乱をも鎮める力があるとは知らなかったよ。とんがりも、銀の市場投下をしていれば、命を失う事はなかったかもしれない。それにしても、これでようやく勇者本来の仕事に取り掛かれる」

「というと?」

「怪物退治だよ。今回の規模では、魔王討伐まで行きたいね」


 黒髪はこれを記念して、銀の剣を数本造らせて携帯するようになる。遠征先でも邪悪を払う象徴として振る舞うためだ。


 ところで、都市でグロッソ洞窟の銀が出回り始めても、洞窟内部では相変わらず銀は好まれなかったから、洞窟内の怪物たちの機嫌を損ねる事無く、人間が満足するものが見つかったのだ、とリモス一党の安堵は一入であった。黒髪との銀の取引は、猿やリモスの立場を強化する事になるのだ。


「どうやら戦いは回避されたらしいな」

「とんがりが殺されてからどうなる事かと心配だったが、もう大丈夫だろう」

「猿の奴めもよくやってるな」



 黒髪も勇者を名乗るくらいだから、遠征軍の先頭に立たねばならないが、その間、誰が本国エローエを守るか、という課題があった。それを彼は、議会に占める自派の有力議員らと傭兵東洋人を結び付けて解決するつもりでいた。なぜなら、他に頼りになりそうな戦士ハゲや釣り目の僧侶とは、実質的な独裁権力を握るために袂を分かってしまっていたからである。と言って、独裁権力を放棄して、魔王の都を攻め落とせる道理もないのが人間世界の実情だった。都市の兵は東洋人が募兵したが、遠征に連れて行く場合、その指揮権の分権を受けるか、あるいは取り上げねばならない。だから東洋人が公的な地位や指揮権にこだわるようでは、黒髪はこの人物をも追放せねばならなかった。だが、黒髪に事情を伝えられた東洋人は、あっさりとその希望を承知した。また、特別な地位の要求も無かったから、黒髪はむしろ拍子抜けした。せめて、なにかで補填をしたいのだが、と申し出る勇者に、考えた東洋人傭兵は、この頃、彼は三人の女を囲っていたのであるが、自分の愛人たちのための邸宅を市内に見つけてやって欲しい、と答えた。これには勇者も笑顔で承知した。こうして、数千の傭兵隊は、平和裏に黒髪の指揮下に移った。


 これが済むと、黒髪は珍しくも遠出する。旅の僧侶、つまり黒衣の監察官に教えられた恋に効く神殿に詣でる、というから洞窟が厳しい監察を受けた頃だ。その場所は、黒髪に幾何かの援助をしてくれた河向こうの王国に近く、王国が寄こした御付の騎士たちは遂に婚礼の為に戻るのかと喜んだが、進路が外れて古びた神殿に向かったからがっかりした。この神殿はもはや人々の信仰が薄らぎ、清掃や修繕する人もいない崩落しかけた建物が特徴であったが、それだけに、黒髪は心の深奥にある神秘への憧れをくすぐられたといえるだろう。銀の剣一振りと追い求める女の自分で描いた画像を奉納し、目に見える範囲を清掃補修しただけで引き上げていった。御付の騎士らは何の奉納であるかをしきりに訪ねたが、神への願い事を疎漏しては叶わなくなる、と笑ってごまかすだけであった。このようなイベントから見るに、勇者黒髪は健全な宗教観の持ち主であったと言えるだろう。


 実は、この参拝を黒衣の監察官は覗いていており、奉納物を確認するという暴挙に出た。それが銀の剣と画像一枚であったから、現実的なこの悪魔官僚は頭を捻るばかりであったが、しばらくしてこの画像の女が勇者の恋する女である、という推理にたどり着く。グロッソ洞窟への対処はインポスト氏を篭絡して済んだと思っている監察官は、魔王へ挑戦する勇者を抹殺する事でさらなる出世を目論んでいたから、もう一度旅の僧侶に化けて接触する事を望んでいた。


 ある意味で、黒衣の監察官がとったこの寄り道こそが、リモス一党を救う事になる。監察官が勇者を尾行していたように、猿の命令を受けたモグラの怪物たちが、慎重に偵察活動及びバケツリレー方式で情報伝達を行い、監察官がエローエ方面へ戻り始めた事実を、いち早く捉えていた。

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