第37話 暗殺戦

「集落は焼き尽くせ、穴蔵は潰せ。全ては勇者黒髪からの攻勢に、対応するためである。勇者はモストリアにいる。ということは、その後背地は碌な守りもされていないだろう。お前達はそこで日々の糧を得れば良い。そして落ち着いたらまた、魔王陛下の威光を頼りに戻ってこい」


 この無責任発言を行い、怪物の流入を促している怪物は、嘘も平気でつけるトカゲ軍人その輩である。人間世界への怪物の流出は、勇者の遠征軍によって征服された魔王の都を解放するためにトカゲ軍人が打った戦術だ。怪物の群れに襲われる人間世界を守る為に勇者黒髪や遠征軍は退却をするだろう、という予測の下に行われたが、未だに勇者黒髪はモストリアの地に留まったままだ。魔王とその近衛を守護しながらモストリアの地を常に移動し、人間軍のかく乱を続けていたトカゲ軍人にとっては、モストリア解放まであと一歩、という所であった。


 妬みや憎しみによる足の引っ張り合いは人間世界の専売特許ではない。下位の生まれから実力で現状の魔王の宮廷を指揮するトカゲ軍人は、特に近衛衆から憎まれていた。勇者の遠征軍が損害を受け、英雄隊も消え、もはや勇者個人が残るのみとなった時点で、魔王の近衛たちはトカゲ軍人の放逐を決める。後は選ばれた怪物存在で決着をつける、と言わんばかりに移動を続ける宮廷を、トカゲ軍人は追われた。


「これまでどうもご苦労。後は我々が引き続から、貴官はゆっくりと休養を」

「御意……ちぇっ、やってられんなあ」


 神官は、怪物世界はむき出しの力が全てを決める、と勇者に語ったが、それ以外の権威というものもやはりあった。このあまりにも無体な仕打ちにトカゲ軍人やその部下たちは激怒するが、権威への礼節を捨てきれないこの怪物は恭しく命令を受け容れて、その指揮権を返上した。だが、近衛衆の実力を疑っていたこの輩は、上司を気の毒に思う部下たちに何も言わず、モストリア領内にしばらく残る事もまた決めていたのだ。だが、警護する輩の数も減っていた。勇者によるトカゲ軍人襲撃は、その折に発生した。黒髪にとっては幸運であったというしかない。問題は、彼がその運のよさを活かしきれるか、にかかっていた。


 魔王陣営の事情を知らない勇者黒髪は、近衛らと離れ独自の行動を取るトカゲ軍人をついにモストリアの市内で見つけだした。一度、グロッソ洞窟にて対戦経験のある黒髪は、策を用いずに、偶然発見した幸運を最大限生かすため、魔人たちに逃走経路を塞がせて、自ら体当たりの攻撃を仕掛ける。すなわち、暗殺である。音もたてずにトカゲ軍人に忍び近づいて体当たりをすることに成功。この時、黒髪は扱いやすい両刃の短剣を用いており、トカゲ軍人の背に深々と突き刺さった。突然の奇襲に驚愕したトカゲ軍人が反撃をしかけるまで、黒髪はさらに短剣を下半身に向けて押し切って、重傷を与えた。しかし、奇襲をもってこの怪物を殺しきれなかったため、死闘が始まった。今や、勇者の指揮下にある魔人たちだが、退路を塞ぎつつも勇者に加勢したりはしない。暗殺の場に居合わせた怪物たちも、死闘を見守るのみだ。


 攻撃を受けて自身が重傷を負った事を悟ったトカゲ軍人は、生き残る為に全力で反撃を仕掛ける。腰に下げた銀のサーベルを掴むや、周囲の全てを対象になぎ払い、振り回し続ける。このトカゲ軍人の攻撃は苛烈で、黒髪は回避し続けるので精一杯。追い詰められながらも、優勢なのは先手をとった自分だ、と思い直し、積極的に攻撃を繰り出す。周辺諸国での怪物討伐の経験が、この時に活きた。かつてグロッソ洞窟で全く対処できなかった格上のトカゲ軍人に対して、互角以上の攻防戦を繰り広げる。トカゲ軍人も、前線で刀を振るうより指揮を執る事のほうが多かったためか、その動きは多少鈍かったのかもしれない。双方決め手に欠く中、繰り広げられた撃剣が一瞬止まり、両者間合いを広げた。その瞬間、放たれた矢がトカゲ軍人の胸元を覆う厚い鱗に突き刺さった。更なる増援を警戒したトカゲ軍人は、勇者に向けてサーベルを全力で投げつけて、その隙に逃げ出した。全身をバネのようにしならせ、三角飛びを繰り返しながら。さすがの勇者黒髪も、逃げに掛かったこの怪物を追跡する事は出来なかった。


 モストリア市内に静寂が訪れた。勇者とトカゲ軍人の間では会話も無く闘いが終わり、勇者の下へ魔人たちが戻ってくる。怪物たちは声も無く、この闘いの勝者である黒髪を見守っている。怪物たちの最前線の指揮官であるトカゲ軍人を打ち破ったこの人間が、次はどのような暴力をふるってくるのか、固唾をのんで警戒していたのである。が、勇者は武具を収め、そのまま堂々と引き上げていった。見たところ勇者の負傷は軽微なものであった。


 トカゲ軍人に矢を放ったのは、機会を伺っていた妖精女である。彼女にとってトカゲ軍人は前の前の情夫である。だが、この二体の関係は、トカゲ軍人が栄達を続ける最中、妖精女が忘れられ捨てられる形で決着していた。妖精女も姿を見られないに越したことは無く、影から一矢打ち込む好機を狙っていたのである。黒髪はヴィクトリアのこの援護射撃に感謝した。勇者もトカゲ軍人を追い詰めていたが、勝ち切れる保証は無かったからだ。ヴィクトリアに対して懇ろに礼を述べた勇者だが、妖精女がかつての愛人をも救いたい気持ちで、矢を放っていたことまでは分からなかっただろう。妖精女は、これでトカゲ軍人との縁を完全に吹っ切れたのだ。彼女の密かな感謝は、例え彼が知り得なくとも勇者黒髪に捧げられた。



 勇者の隊は神官の地区に引き上げていった。勇者は、そんな自分を眺める魔人や怪物たちの視線の変化には、まだ気が付いていなかった。この輩どもは、怪物並みに怪物的な闘いを行った勇者黒髪を、改めて見直していたのである。そして黒髪は怪物衆に余計な危害を加えなかった。英雄隊から虐待的な扱いを受け続けてきた怪物たちが、武装し訓練された人間とは言え勇者黒髪なら命までは取らないだろう、という思いを抱いたのだ。


 モストリアの怪物達の心境が変化したことを最初に察知したのは今や勇者の相談役に収まっていた神官である。闘いの数日後、トカゲ軍人の追跡には失敗した勇者が帰還した時に、彼は勇者へ進言した。


「この地区が貴君の実力で守られていることを知らぬ怪物はもはやこの地にはおりません。つまり、この地区は、魔王の権威に従う者にとっては裏切りの町と言えます。そこで勇者黒髪よ、貴君がトカゲ軍人や近衛衆の追跡を続けるにせよ、引き続きこの町で休息や補給を行う必要があるのなら、この地にて人間たちのリーダーになるべきでしょう。今、この町で怪物衆と人間は敵対していません。あくまで、勇者と魔王が敵対しているのです。乱虐な支配者であった英雄隊が去った今、貴君がこの地における人間のチャンピオンとなれば、貴君の活躍に感化され人間に復帰した元魔人たちもその生活が安定するはずです。怪物側の統制は、引き続き私が行いましょう」


 この提案にヴィクトリアも賛成した。勇者黒髪は人間はほとんどいない未來都市、旧魔王の都にて、臨時だが市長になる事を人間世界に発表した。未來都市には人間に復帰した元魔人を除いて、人間は庶王女の援軍の数百名しかいなかった。それでも遠征軍を率いた勇者が征服地の行政責任者になったということで、人間たちはその威望を頼りに流入してくる、という目論見があり、それは的中した。また、これも黒髪の目論見通りだが、トカゲ軍人を叩いた事で怪物達の流出が止まったのだ。一方の、やり手のトカゲ軍人を追い出してしまった魔王の近衛衆は、勇者追放の好機を活かす事無く、逃亡の生活を続行せざるを得なくなった。

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