第59話 八度目の侵攻

「金鉱はもう目前らしいが、多少の長期化があるかもしれない」


 新道区にて残る怪物衆がガッチリ防衛体制を構築した事を知った難民たちは、幾らかの金が発見されたこともあって士気は維持されていたが、安心したのか油断したのか、怪物を攻める以外の事にも手を出していたのである。すわなち、人間から怪物へ加えられた数限りない暴行である。


 味方の勢いが少し弱まったか、と感じたデブの商人が最前線を離れて占領地を見てみると、その地では難民たちによる怪物への凄まじいとしか言いようのない暴行が繰り広げられていたのだ。難民たちは庶民である。軍隊でないため、軍律や司令官の統率を受けない。故に復讐心や暴行への衝動に駆られやすく、相手が人間でなければなおさらの事、拷問殺戮の嵐が逃げ遅れた怪物達の身の上に降りかかった。


 まとまった暴行がまず、カジノに加えられる。金や宝石の集積地の一つでもあったため、全てが人間側の手によって奪い去られる。そして施設の破壊も行われた。入り浸っていた怪物達は人間の侵攻を知らなかったため、捕らわれるやサイコロの目次第では助けてやる、などと言われ徹底的に虐待された。だが、カジノ内で生き残った怪物は一体といえどもいない。みな、ギャンブル的に殺されていったのである。下層民ほど賭博を楽しむのは人間も怪物も違いが無く、征服者たちは怪物達のカジノ道具を奪ってサイコロ、ルーレット、大小を大いに楽しんでいた。


 カジノには妖精らの運営による売春窟があったが、怪物の女たちも逃げられなかった輩の一角を占める。


「怪物の世界にも売春があるとは」


と人間たちは彼女たちを捉えて嘲笑ったが、誰も見ていない時、特に女子供が見ていない隙を狙って、難民の男たちは見目麗しい妖精の娼婦たちを辱めた。征服者の数に比して娼婦たちの数は少なかったため、体の休まる暇が無かったという。さらに、夫や息子が目を盗んで怪物の女を抱きに行っている事を知った妻や母たちは、日頃の鬱憤を妖精たちに暴行を加える事で晴らしていく。殺された妖精娼婦たちの多くは、男達の暴行の最中に命を失ったのではなく、行為が済んだのちに女達によって殺されたケースが圧倒的に多かった。そして死んだ妖精の体内には宝石がある、という噂が立つと、彼女らの死体は無残にも切り裂かれていった。これは人間達に貴金属等、リモスに預ける類のものでない財産を奪われることを危惧した女たちが、宝石類を飲み込んだ事に発していた。つまり、勝手な略奪は横行していたということだ。妖精の腹を切り裂いたこの事件は、怪物世界には遍く知られる事となり、妖精の女たちが人間達を特に警戒する原因の一つにもなる。


 また、第一区のコウモリの怪物達が食料として処理されていったように、ウサギ、牛、馬、豚やイノシシ、鳥といった怪物達は捕らわれるやどんどん解体調理されていった。中にはカエルやイモムシ、キノコの怪物を調理して食べる猛者もいた。かつて、都市から洞窟に襲来したネズミの群れの退治に活躍した猫の怪物が食われた時は、さすがにかわいそうだ、と猫好きからの声もあがったが、難民たちがグロッソ洞窟へたどり着くまでに払った犠牲の程が忍ばれる。彼ら難民最大の敵は、もはや怪物の群れではなく空腹なのだ。


「無理して怪物どもを食べることは無い。食料は用意してあるのだから、安心してほしい」


 そう言って、デブの商人はゴブリン軍人の館に大量の穀物を運ばせたが、効果は無かった。食料にされる怪物達の断末魔の絶叫がグロッソ洞窟に響き渡った。この事実はデブの商人にとっては不名誉なもので、人間世界が怪物世界を軽蔑し恐れていた理由の一つに、怪物の輩が人間を食する事があったのに、今や人間側が対立する怪物達と同じような行為に走ってしまっている。自身の評判に傷がつく事を恐れるデブの商人はなんとかやめさせようと注意して回るが、まるで効果が無かった。人間、飢えを知るや変わるのだ。


 デブの商人は焦り始める。軍律は無く、敵を食料とする事でモラルが壊れ始めていた。金の略奪が目的なのだから何をいまさら、というところだが、デブの商人の本音は洞窟の金を独占することにある。難民たちが洞窟を征服したのち、彼らに金を渡さずに差し押さえる必要があるのに、難民たちは指示に従わない。東洋人傭兵に助けを求める使者を矢のように送るが、返事もない。それでいてこの攻撃の責任者は彼という事になっているのだ。


「このままではまずい、だが新道区を突破しなければ話にもならない」


と彼も前線に立って、武器を持った難民を叱咤し続けていた。道を塞いでいるがいこつの群れを、難民の群れはどうしても退ける事ができないでいた。魔女が死ぬ思いでがいこつたちを統率していた事もあるが、老嬢がとんがり政権崩壊時の政変で死んだ傭兵の死体から生まれたがいこつ兵、つまり最も戦闘訓練を積んだ最良のカードを惜しみなく切っていた事も要因だ。難民たちにも犠牲者が数多く出始めていた。そうして数日が経過する。



 東洋人配下の斧使いの戦士と二刀流の戦士がやってきた。彼らは戦士ハゲの怪物討伐に従った二人であったが、東洋人によって退けられ続けていたデブの商人の救援要請を見捨てる事が出来ずに、無断で洞窟にやって来ていたのである。率いる兵は五十名程度で、しかも東洋人編成の兵ではなく、流れの傭兵達であった。それでも難民よりはマシだとデブの商人は大いに喜び、途方もない額の報酬を要求されたがそれも受け入れた。そして、この二人が来たことによって、戦線の様子が様変わりしたのだ。ベテランの戦士であり、特に斧使いは壮年期まで戦場で過ごした生粋の武人でもあったから、難民兵たちをすぐさま統率下において、効果的な攻撃を繰り出すようになる。人間側の圧倒的優勢が固まりつつあった。


 敵の攻撃を支え続ける魔女の髪は、黒いものも混じっていたのに今や過労で真っ白になってしまっていた。そんな魔女を見てリモスは、


「これまで三度連続で金の防衛に成功してきたのに、連勝記録に泥をつけるわけにはいかない。だが、婆さんそろそろ限界だな」


と茶をすすりながらまるで他人ごとである。これを聞いた妖精女妹はさすがに窘める。

「あんたは最低。なんとか戦ってこようとは思わないわけ?」


 しかしリモスは平然と言い放つ。


「僕は肉体労働は厭わないけれど、戦闘向きではないんだ。仮に僕が戦場に出て、何かの役に立つとでも?」

「金さえ無事なら、なにもかもそれでいいわけ?」

「違う。金と金鉱が無事ならばそれでいいのだ。幸い、鉄人形の錠前が金庫はバッチリ守ってくれる。唯一、鍵を開けられるとんがりは死んでしまった。速く戦闘が終われば、また働きに出られる、とは思っているよ」


 あきれ果てた妖精女妹は、


「お姉ちゃんが出て行った気持ちが、なんだか理解できるわ」


 リモスと妖精女妹は愛人関係にはないが、達観したように言う。


「僕のような存在が君の姉さんのような滅法グラマーな女と過ごすには金の豊かさは必須だと思う。しかし、出ていったまま帰らないとなると、何が彼女の心を捉えたのだろうか。いや、彼女が生きていると仮定してね」


 リモスは帰らぬ愛人を、心のどこかで不慮の事故で死んだものと思っていた。一方の妖精女妹は、定期的に偽名で届く姉からの連絡で、彼女が別の世界で生きている事を知っており、


「最低な最弱野郎とでは見れない夢を追っているのよ、きっと」


 と吐き捨てた。多少イラついたリモスが


「ところで、そんな君は武器を取って防衛に立たないのか?」


とやり返すと、うんざりした妖精女妹は出て行ってしまった。建物の外で繰り広げられている戦いに関与することもできない自分自身について複雑な言い訳を考えながらも、


「彼女には姉がいる。親もいるのだろう。ラは婆さんの養子だけど、人間の親がいる。何時から生きているか知らない僕ら粘液体には親兄弟はいない。あるいは他の粘液体が全て親であり兄弟であるのだろうか。そもそも僕は男なのか女なのか。性別が無ければ、親も子も無いのか。」


など根源について考える始末であった。戦端が開けば、彼にできる事は何もない。それは心中深き悩みではあった。ちなみに、ラ、とは魔少女の名である。


 八度目になるこの侵攻が一日で終わる事など、デブの商人は当初から考えていなかった。だが、戦争の指揮は初めてとなる彼は、本来予想された長期化を前に焦り始める。五日目に入る頃に東洋人配下の戦士の救援があったが、七日目に入っても、洞窟側には混乱や飢えの兆候が見えなかった。焦るデブを落ち着かせるように、斧使い曰く、


「前線で戦っているのはほとんど飲み食いしないがいこつどもばかりだ。この通路の奥に棲む怪物達はのんびり食料を食っているんだろうな、と思うよ」


と予想。つまり籠城戦ではいつまでたっても事態は進展しない、という指摘だが、人の良い斧使いは、群れの責任者であるデブの商人にいくらか同情もしていたらしく、気前の良い所も見せる。


「まあ焦らず堅実に攻めて行けば突破は確実だ。難民どもが手こずるような怪物は、俺たちが相手をしてやるから。あんたは俺たちに対する支払の心配だけしていれば何の懸念もないはずだぜ」


 斧使いの見立ては当たっており、事実、新道区にある食糧倉庫は管理人である乾燥人間によって完璧に維持管理されており、食料に困った怪物達ならば誰でも補給を受ける事が出来た。籠城開始当初は、怪物でない人間の管理者に不安を感じる輩もいたが、


「猿の旦那の指示を守るのが俺の仕事だ」


と、皮膚の粉と体のひび割れから漏れる血の臭いをまき散らしながら、誰にも職権を妨害させなかった。事実、この男が居ないと、倉庫の湿度は上がり続け食料が傷んでしまう恐れがあった。この話を聞いたリモスは、怪物として生きる乾燥人間にシンパシーを強く感じたという。


 他にはできる事もなかったからだが、籠城しているというのに乾燥人間の仕事ぶりをただ感心するだけのリモスには、身近の心配事もあった。慣れない奮闘によって日々やつれていく魔女にさすがに同情を禁じえなかった。そして、老嬢の日頃の強欲さにも目を瞑り、


「空気を確保して排水路に飛び込めば、外に出られるかもしれない、運が良ければだけど」


と戦線離脱を勧める。過労によりほぼ白髪だけになったざんばら髪に三角帽子をかぶりなおした老嬢曰く、


「この老いた体でそんなことしたら、溺死するだけだ。それにがいこつどもは、指揮する者が居なければ良い働きはしないのだよ」


 そして短い休憩を終え、また前線に出る、と言い、


「望みはトカゲの閣下たちが一時でも早く帰って来てくれることだよ。そうすれば人間どもも逃げ散っていくだろう。それまではなんとか踏ん張らんと」


 それでもリモスは留めようと試みるが、魔女は首を振って曰く、


「この洞窟に長く棲んで愛着が付きすぎた。見捨てて逃げる事はもうできないよ」


 確かにこの洞窟は怪物達の楽園だ。金が豊富で強い経済力がある。水も豊富だし、異なる水脈から温泉だって湧く。人間世界との極秘取引も行えて、十分な食料もある。戦場に再度向かった老嬢の背中を見たリモスの胸に、かつてない誇りが去来した。この洞窟を運営してきたのは、自分たちなのだと。そして他の輩は彼らをリモス一党、と呼ぶ。自分が掘る金から全てが始まっているからだ。これまでこの戦役に対し全く参加する気概を持たなかったリモスは、遂に積極的な行動を検討する。


 これだけ大規模な人間の攻撃があれば、外出中のトカゲ軍人たちの耳にも入るだろう。もう近づいているのかもしれない。それならば、人間の群れに満ちてしまった洞窟内部の情報を少しでもトカゲ軍人に伝えて、現状打開の一助となるのだ、と。


 危機感が成長を加速させる、とは人間世界の言葉であるが、リモスは生まれて初めて自分以外の他者のために危険な行動をに打って出るのだ。それをさせた勇気の中には女への愛以外のもの全てが含まれていた。

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