第100話 黄昏の人間世界

 最前線の国の使者がリモスらと不戦を確認しあったすぐ後、この国は領域リザーディアへ自発的に参加した。だがそれは一つの衝動的殺人への免責を求めたことに端を発していた。最前線の国の使者を引見した魔王は厳しい表情を崩さなかった。魔王を前に人間が頭を垂らし片膝をつく。同席していた神官独りごちて曰く、


「惨めなものだ。怪物と人間の関係をこれ以上正確に現すものはない……勇者黒髪が仮に生きていれば、このような事にはならなかっただろうに」



 リモスらに扇動された怪物衆が未來都市を攻略せんとした時、その勢いを見て大勢を悟ったのは留守番組の女王であった。妖精女からは極端な冷遇とまではいかなくとも厚遇を受けるなど夢であったが、その境遇に同情したヘルメット魔人が黒装束の魔人を側近としてつけていた。ヘルメット魔人と同じような境遇を過ごしてきた黒装束魔人は、魔物の群れを前にした女王へ、早々にに提案をした。


「これではとても堪えきれません。なんせ数が多すぎる。ひとまず、最前線の国に避難しましょう。貴女はあの勇者黒髪の正妻であった方、きっと手厚く保護してくれるに違いないのですからね」


 夫の残した遺産から去る事に抵抗はあったが、攻めよせる怪物衆の指導者である猿が亡き夫と良好な関係にあった事を知っていれば、残留したに違いない。が、女王は知らなかった。ここからも、人間世界と怪物世界の融和が夢と終わってしまったことが分かる。勇者黒髪が消え、情緒や感情を行き交わす事はなくなっていた。少なくとも、それを為すには、強力なリーダーが不可欠で、勇者黒髪亡き後にその立場を引きついた妖精女はやはり勇者の事業を全て引き継げてはいなかったという事の、これは何よりの証明ではないだろうか。妖精女は勇者と猿の友誼を知っていたのだから、尚更だ。


 だから、身のこなし優れた黒装束魔人率いる小隊に守られながら最前線の国に避難した女王が、その後悲劇に襲われた事については、全て妖精女に責任がある。意識の有無はともかく、妖精女のために女王は悲惨な最期を迎えたのだから、この面での復讐は成ったのかもしれない。全てを伝え知った猿はうんざりした表情で曰く、


「とどのつまり、妖精女は勇者の正妻を死んでも憎んでいたということなのか。ああクソ胸糞悪い、もう聞きたくねえよ、そんな話」


 最前線の国に避難した女王一行はとりあえず歓迎はされたのだが、その夜の晩餐の席で、女王を除く全員が、直ちに殺された。その実力を認められていた黒装束の魔人も、寝首を掻かれてはどうしようもなかった。


 死体に囲まれ一人になってしまった女王へ、暗殺者たちは寝巻きから女王の正装に着替えることを強制する。男たちの前で着替えを強制された屈辱に加え側近の生首を前に怯えきった彼女へ、猿と対面したあの使者は冷たく言い放った。


「未來都市の市長は、我らが代表を馬に踏み殺させるという酷いやり方で殺した。だから我々は、貴女へ復讐をしなければならない」


 この発言が、勇者黒髪が怪禍から人々を救い上げた結末である。猿や魔王で無くとも、不愉快になり当然である。


 この後に係る詳細な描写は不要だろう。ともかく、同じ人間たちから壮絶な凌辱と、怪物すら目を背けたくなる程の拷問など虐待され続けた女王は、自害することも許されず、彼女が所有していた河向こうの王国伝来の伝説の剣によって胸を突かれた後、まるで無価値なものの如く首を刎ねられた。女王殺害に歓声をあげたこの国の人々は、遺体をバラバラに切り離し、一部を除いて河に投げ捨てた。生首と手は、人間世界の流儀に従って、最前線の国と領域リザーディアの関係を構築する材料に供された。使者は魔王に恭順の証として、提出したからである。


 独眼マッチョのコロニーで使者を引見した魔王は相変わらず鼻が利く。その席に神官のみを残して魔少女を下がらせて、証を受領した。人間世界の醜悪極まる一面から、愛娘を遠ざけたかったからだが、一それでも言言わずにはおれなかった魔王は、使者を語気鋭く叱責した。


「この悪鬼どもめ」


 しかし、使者も負けてはいない。


「実を申せば勇者の残党ばらは、我が父の仇なのです。父は惨めにも妖精女が駆る馬の蹄によって殺されました。故にこれは仇討ちなのですよ、陛下。人間世界の流儀では、仇討ちは正しい行為。怪物世界でもそうだろうと承知しておりましたが」


 魔王は不敵に微笑んで言った。


「判っているとも。お前は正しい。だがそれでも言ってやる。貴様らは悪鬼だ。哀れな未亡人に手をかけたことを生涯恥じるがいい」


 魔王と使者の会話は人口怪口に膾炙され、子供でも知る話となった。かなり後日の事だが、犯罪的復讐に手を染めた行為を誰もが忘れなかったためか、最前線の国に居づらくなった人々が徐々に他国へ流出し、北の未來都市、南の交易都市に吸収されて、この世から消えた。


 このように、人間世界には全く良い芽が出なかった。妖精女に破壊された交易都市は、指導層である都市エローエ市民が消滅した事により、独力での復興など夢となり、魔王の公的支援があってようやく住民が集まり始める有様。それも、勇者の残党が消えた空白地帯に勢力を広げた蛮族の略奪行為に怯えながらである。


 その蛮族とて、未来にあふれているわけではない。才能ある者たちは、もはや平然と魔王の陣営に馳せ参じた。その一人である色黒伝道師は、裏切りの罪を許され、異形や神官などから大いに顰蹙を買ったが、彼は堂々と魔王へ向かってその意を伝えた。


「私の役目はこの世の神秘の解明に尽力すること。真理への道筋に、たまたま未來都市があっただけです。それに収穫もありました。私を生かしておけば、陛下はそれを活用できますよ」


 とことん身勝手な厚顔に魔王は苦笑するしかない。そして魔王はこの手の居直りに甘かった。


「お前のように破綻した人間は結構多いものだ。我輩ら怪物の方がよっぽど真面目だよ。で、収穫とはなにかね」


 色黒伝道師は胸を張って曰く、


「この世の摂理の外からこの世に到達した者を、私は知っています。追跡もしています。その者を良く良く観察し研究すれば、別の世界へと至る道が拓けるかもしれません」

「ふーん」


 とことん現実的な魔王には余り興味がない話ではあったが、こんな事を口にする者も色黒伝道師しか居ないのだ。ため息をついて曰く、


「よかろう、再出仕を認める。そして次は裏切る前に、一度でいいから連絡をするように……あと、蛮族平原をなんとかしてこい」

「かしこまりにございます」

妖術的な構えをとった色黒伝道師は元気よく了解し、任地へと飛んでいった。以後、蛮族平原は、出身者であるはずの色黒伝道師によってとことん痛めつけられるようになる。


 手勢の提供を魔王から支持された旧帝国領を統括する異形は、復帰が許された裏切り者に、嫌味の一つを飛ばす。


「よくもまあ、自分がかつて属していた集団を攻められるよ。頭ん中、どうなってるのだ?」


 色黒伝道師は、胸を張って堂々と曰く、


「誰もが愛国心を持つ、と思うのは間違いです。生まれ育った故国がどうしようもないクズ国家であれば、それを攻めるのになんの躊躇もいりません。お借りした手勢は大切に使いますよ」


 呆れた異形だが、あることを思い出し質問する。


「黒髪の仲間だったがいこつたちはどうした?」

「大丈夫、無論、追跡していますとも。陛下のご命令があれば、直ぐに回収するつもりです」

「彼らに旅をさせてやるつもりか。存外に優しいではないかね」

「こんな私ですが上下関係の基本は仁徳だと心得ます。まあ骨休めするといいんです。また後日、私のために役立ってくれるのなら」



 釣り目の僧侶によって扇動された民衆の出発点であった山を越えた先の帝国も、残党政府が魔王に降伏し慈悲にすがった事によって、正式に消滅した。旧帝国領は複数の区画に分割され、どちらかというと腕利きな怪物衆によって任されるようになった。その統率を、異形が取る。この栄達に喜んだ異形も、意気揚々として独眼マッチョのコロニーを支配の中心地として整備していく。魔王は、対妖精女の戦いで死を賭して功績をあげ、遂に斃れた独眼マッチョの本名をとって、町の名をシクロクロスと名付けて、その霊を慰めた。


「これは陛下良い仕事ですね。感情の機微に敏感でなければ、魔王など務まるものではないのでしょうな。お優しいことだ」


 色黒伝道師は、見送る異形にそう言って、蛮族平原へ出立した。


 色黒伝道師が看破したように、魔王のこのような行為は、怪物達から実に評判が良かった。魔王に従って、戦って、行政を行い、人事を行い、物資の調達を行い、ある日遂に死ねばそれでおわりではない。何がしかの記念碑的な行為について、魔王は配慮を忘れなかった。また、魔王の統治に協力した人間にも、同じ厚遇を与えた。



 もはや道徳の面でも、魔王率いる怪物衆に叶わないのではないか。人間世界の沈鬱は、魔王の徳目に起因する人間自身の徹底した自信喪失にあった。怪物衆の間で筋を通す生き方が流行するのとは対照的に、人間たちの間では自己を卑下する事が流行りだす。


「シクロクロスか……収まりが良い名称だな。部下の墓標を兼ねているんだそうだが」

「人間の諸侯は、誰も何処にも黒髪の都市なんて名付けなかったな」

「ああ、それにしても黒髪が生きていればこんなことにはならなかったかもしれないな」


 さらに人間達にとっては深刻であった事に、領域リザーディアの急速な治安秩序向上がある。稀に怪物による殺人が発生するが、人間による殺人と大差無い数だ。もはや、人間が怪物を撃たねばならない実際的な理由は消えつつあった。


 他あり得たのは、怪物に優越された事による種族的な怨恨によるが、この種のテロリズムは魔王単体にとっては全く無益であった。魔王に比類しえる人間の戦士は払底していた。だが命知らずによる故意的な事故は、散発的に発生はしていた。


 魔少女は得意の知恵を働かせる。歌が得意な愛嬌のある怪物を暗殺騒動に関連した都市に送り込み、人間の子供たちを組織させ、歌を歌わせたのだ。則ち、闇討暗殺は無益、刃はどうせ届かない、現実の果実は夢想の栄光よりも尊く儚い、命を大事に、というような歌詞で歌唱の怪物の力というよりも、守るべき子供たちの歌により、戦意を喪失していまったと言えるだろう。人間世界がこの有様では、魔王の布告決闘など参加予定者は減少の一途をたどり、うやむやにならざるえない。腕に覚えのある戦士たちも、明日を生きるため転職を余儀なくされた。そして食料需要は天井知らずであったため、彼らの転身も、時宜を得て首尾よく進む。またこの現象を後押ししないではおれない、魔少女であった。


 彼女は、武器をしまった旧戦士層による帰農を、低利子の融資斡旋により強力に支援するのである。旧戦士たちは密かに噂する。


「ついに、怪物の指図で田畑を耕す時代がやってきたか」

「だが、利率は我らに極めて有利だ。これだけの資金があれば、それなりに大きな農場を造ることもできる。貧乏小作人ではないぞ。これはきっと、楽しい」


 戦士としての矜持を喪失していた彼らは、魔少女による帰農支援金融に殺到する。受け取った金で農場が成功した時、戦士たちは本当に消えるのである。農場経営と怪物退治を両立させていた生前のハゲの戦士は、それを個性もしくは趣味でやっていたのだろう。そんな酔狂な人物は、なかなか現れないものだ。


 治安の回復、衝突の減少、戦士層の引退が人間社会へ及ぼす影響は多々ある。新規戦士層の大量消失、戦士の質の低下、戦士に関連する武器防具の産業の衰退、極めつけは武事のフィールドから人間が去った後を、怪物衆が埋めていった事象だ。今や広大な領域リザーディア、陸送隊は常に護衛の兵を求めるが、人間が怪物の護衛兵に依頼をし始めるのである。穏健都市からシクロクロスまで食料を運ぶ陸送隊が、初めてこの事業を担ったが、噂はたちまちの内に人間世界を席巻した。諦念とともに。


「ああ、嫌な時代に生まれてしまった。とはいえ、勇者と呼ばれた黒髪が消えてからまだそれほど時は経っていないのに」

「魔王も良く許すね、こういう非常識な事を」

「栄光もなく生きていくのか。せめてなにか娯楽が欲しい……」


 人間たちのこんな声に、今や元気いっぱいの怪物たちはすかさずヤジを打ち込む。


「でも平和だぜ。お前さんたち平和が一番なんじゃあなかったのか。人間どもが何よりも大切だと口を極めていっていた平和。良かったじゃないか」

「そうだぞ、人間同士の戦争が過去のものとなりつつあるんだ。人間たちが君臨するのでは、こうはいかんだろ」

「娯楽が欲しいって?グロッソ洞窟のカジノにでも行けよ。派手に散財するのは楽しいぜ」


 怪物にこう言われ、顔を見合わせた人間たちは、素直な事にカジノへ遊びに行く。そして、財産をスったとしても、怪物と仲良くなって帰路に着くのである。大失敗の後も魔王の善意によってカジノで日々を過ごす、ニヤケ面の遊び人の如く。人間世界にとっての夜の到来を、強い彩りの夕闇がそう遠からず告げていた。



 黄昏の人間世界を背に二人の人間が屹立している。一人は徹底有能な独裁者として、もう一人は悩める境界に立つ事すら拒否した鋼の心臓の持ち主として、物語を収束へと導いてくれる。

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