第30話 仮の国への選択肢

 その頃、最前線の王国では勇者の遠征軍が大いなる苦しみの中にあった。魔王の都に攻め入る為には断崖の山々を越えて進軍しなければならないが、山より吹き荒れる突風に邪魔されて大軍では進軍できない。先に侵入したという部隊は少数であったらしいからそれができたのだ、と最前線の王国より指摘され、黒髪も止む無く小部隊毎の侵入策に切り替えたが、これがいけなかった。魔王直属の部隊から個別に攻撃を受け、不慣れな土地で壊滅的な被害を受けてしまう。勇者の編成しはるばる遠征してきた軍は、この時に壊滅したと考えてよい。


 各部隊と連絡が取れなくなった勇者は戦地にて悩乱の中にあった。このまま前進すれば魔王の都にはたどり着けるだろうが、極めて少ない兵で戦う事を強いられる。命を長らえるためには引き返すべきだが、それをした場合、遠征失敗の責任を負うだろう彼の政治生命は終わらざるを得ない。


「名誉と可能性に満ちた会戦も無く、かかる事態にまでなるとは思わなかった」


 この時も勇者の側で彼を力づけていた妖精女は、


「部隊同士の戦いに敗れても、城内に忍び込み魔王を暗殺する、という選択肢があるではありませんか」


と、彼が都市エローエに戻ってこないための応援を継続し、これが良かったのか勇者黒髪は、残存兵力を結集して魔王の都侵入のための作戦を立案する事となる。しかし、勇者も含めて兵士らの士気の落ち込みは目を覆わんばかりであったが。


 ただ、同じ頃、魔王の都では大変な騒動が発生していた。情報収集が困難な敵地では、勇者黒髪も知りようが無かったのだが、交易都市で勇者と袂を分かった正義と元気にあふれた部隊が、魔王の都への侵入に成功しており、それこそ英雄的な活躍を繰り広げていたからだ。魔王の近衛たちは、敵の侵入を前に責任逃れの論争を始めてしまい、その防衛体制が円滑には機能しなかった事も幸いしたのだろう。人間たちは城門を突破し、謁見の間で近衛らによる侃侃諤諤の激論が交わされている場に乱入した。屈強を誇る魔王直参の怪物達も、数百体にも及ぶ武装し訓練された人間達を相手に混乱を収拾できず、しかも広い空間は防衛にも極めて向いていなかったため、都落ちを決断、それを実行した。あっという間に怪物の幹部たちが去り、魔王の姿も見えない。怪物兵らも武器を捨て降参する始末。とりあえず、英雄的な活躍を示したこの部隊は勝鬨を上げた。魔王の都の塔と言う塔に兵らの出身地の旗を掲げ、怪物達の多くを捕虜にした。魔王を筆頭とする首脳陣を逃がした事など、この都を制圧した満足で、重要視されなかったのだ。そして、この部隊は人間と怪物が交差するこの世界で、実に興味深い事を行うのである。


 魔王の都は優れて整備された都市である。高地に位置し、すり鉢状の窪みの中心にある高台にひと際高い城壁に囲まれた宮殿が鎮座する。今回は人間達、彼らの呼び名に従い「英雄隊」がここを突破できたのは、防衛側の意識が弛緩していた事と隙を運よく突いた事による。魔王の近衛たちは城内に絢爛を極めた邸宅を備えていたから、この城壁の外に棲むのは自然その高級官僚や高位の軍人たちである。地形は窪みの最低部であり、怪物の性質を示してか、低い場所ほど高い地位の怪物が棲む。彼らは怪物世界の中でも特権階級に位置する。英雄隊がこの一帯を突破できたのも、ただ単にその制圧を無視してひたすら魔王の宮殿を目指して突撃していったからに過ぎない。この辺りの怪物達は魔王とその内閣の都脱出に呆然としている。この窪みの外、つまり坂を形成する部分に一般の怪物達の居住区が置かれ、いくらかの商店なども並ぶ。魔王の宮殿には堅固な城壁があるものの、魔王の都そのものには城壁が無い。魔王の名望を慕って怪物たちが寄り集まってできた都市であるためか、この怪物たちを保護する道義的義務は、魔王には無かったためだ。彼らはこの都市内部で自然発生的にパーティを構成し、人間の国々を襲撃するべく旅立つのである。そしてその戦果が目覚ましければ、魔王の宮殿に参内する事が叶うかもしれぬ、怪物達が心中に持つこの希望が、この都市を形作っていた。人間達から略奪する最多の物品はやはり人である。元々この高地に棲んでいた人間に加え、戦利品としてさらってきた捕虜を都市で働かせるのである。この都市には土木、建設、医療、製造様々な産業が存在し、その道の第一人者ともなれば、魔王の近衛からお呼びがかかるのである。それぞれの産業の最下層には、人間達が奴隷として労働に従事していた。


 このような怪物主位の身分社会で奴隷に陽の当たる可能性はあったのか。それがあったのである。魔王にも父母先祖がおり、宮中の祭祀が存在する以上、神官階層がいるのだが、特に有能で忠誠心に不足しないと認められた奴隷人間については、彼らが宮中に買い上げる習わしがあった。最下層の奴隷身分から、魔の王家の召使になるのだ。この手の人間達は、元々身分低く、仮に人間社会に復帰してもうだつが上がらない可能性が高いせいか、魔王とその神々に忠誠を尽くす傾向が強かった。魔王の宮殿を占拠した英雄隊に剣を向けたのはこの元奴隷、生粋の人間達に「魔人」と蔑称された者たちである。彼らは人間世界へ復帰せよ、と述べる英雄隊に対して曰く、


「この一戦は、我らが主君へのご恩返しである。宮中を不当に乱す外敵を殺し、その死体を押し出すべし」


と強硬に拒否した。


 この事例からも、人間たちから「魔王」や「魔人」なり「魔」と呼ばれる存在は、自分自身を「魔」とは決して思ってはいなかったのだ。彼らには彼らなりの大義に基づいた生活様式があり、それは魔王の文明に組み込まれた人間達にとっては多くの場合、必ずしも「魔」ではなかったのだ。人間と怪物のはざまに立った魔人たちの身の処し方は、人間と怪物の争いが生存を賭けた種の競争であるとともに、異なる文明の争いでもある事を示唆している。


 ともかくも、この最初の反撃に、英雄隊は思いのほか手こずった。怪物たちに目をかけられた魔人たちはやはり腕が良く、訓練された兵士である英雄隊に匹敵する熟練度であったことが挙げられる。また、怪物社会で信用を取り戻すために、彼らが死に物狂いで挑んできたことも一つ。そして最も英雄隊の障害となったのは、高山病である。高地での戦いに慣れていない英雄隊の兵士たちに、この病で倒れてしまう者が続出し始めた。謁見の間での戦いは熾烈を極めたが、この戦いの勝負を決めたのは、ついに事態を知り現地に駆けつけた勇者黒髪が、残存する隊を率いて城内に突撃したためである。


 魔王の戦火脱出及び英雄隊と魔人衆の戦いについて情報を仕入れてきたのは妖精女である。勇者に対しては人間として、怪物に対しては怪物として振る舞う彼女はこの地で巧みに情報を集めていた。事情を知り勇者黒髪へ曰く、


「これは僥倖です。何があったか仔細は不明ながら、既に魔王とその近衛は宮中を脱し、かつてのあなたの同僚である一隊が制圧をした模様です。それに怪物に使役されている人間たちが異を唱え戦が始まっています。調停者として乗り出せば、その名誉は赫々たるものになるでしょう」


 勇者黒髪も、


「この期に至ってはあらゆる感情は捨て、大義の為に突撃するほかないか」


とその進言に従い、混乱を極める魔王の都へ突入した。


 宮殿前で、攻め寄せる勇者の下へ魔王の神官が面会にやって来た。魔人たちを指揮して英雄隊を襲わせている怪物だ。戦いの最中だが、どうしても勇者と会談したいという事で、単身非武装で現れたこの怪物に対して、勇者黒髪は礼儀を尽くす事にする。


 神官曰く、


「怪物も人間と大差なく、大いなる油断によって身を亡ぼす事があり、今の状況はその好例です。そしてそんな事態は誰にでも平等に降りかかり得るもの。勇者黒髪よ、貴君の前には二つの道が指し示されている。一つは、このまま危機の中にある英雄隊を救い、人間世界のチャンピオンとして凱歌を挙げる道、もう一つは、我らと妥協に至り世界から革命の火を消し去る事です。あなたに問う。魔王の都亡き後、怪物世界に対して優位に立った人間世界はどうなるのか。これまで怪物に対して備えられていた軍備は、同じ人間たちに向けられることになるでしょう。剣を持つ者は、攻守どちらに身を置こうとも他者にそれを向ける事が存在理由なのですから。そして、彼らが勇者である貴君に剣を向けないという保証はない。魔王が存在する事のみが、勇者が存在する事を許容させるのです。また、別の未来も考えられます。魔王が倒れれば、各地に伏しその権威に服していた怪物達が割拠する事でしょう。勇者黒髪よ、貴君は河向こうの王国周辺の怪物達を討伐して名を挙げ勇者となったが、その他の地域の怪物たちは未だ健在です。怪物たちはむき出しの力の前にのみ敬意を払うのです。魔王の都を焼き払ったとて、あなたの冒険は終わらない。そればかりか活動を激化させた怪物達について、人間達より苦情を受けるようになり、責任を取る事を求められるのではありませんか。これまで何百年何千年と怪物と人間は争い、数多くの魔王と勇者が角逐を繰り広げた事に思いをいたしてほしい。ここで魔王を殺しても、また新たな魔王が世界のどこかで覇を唱えるだけに過ぎないのだということを」


 神官の丁寧な説諭に対して勇者が答える事を、妖精女は遮って曰く、


「勇者様、勇者黒髪様。このような意見は信頼には値しません。怪物は古くから存在する人間世界の敵です。人間が耕す畑を荒らし、商隊を襲ってこれを殺し、街を攻め人々を不安に陥れてきました。そしてこの神官の後ろで英雄隊に刃を向ける人間たちをご覧ください。彼らは人間世界にあるべき者たちです。が、誰の策謀か、同じ人間に刃を向けている。それも自分たちを暗黒から救い出してくれる正義に対して。このような悪趣味を許しておくことは勇者の名にも、人道の道にももとるということを、この魔王の使い魔に思い知らせねばならないでしょう。都市エローエが旗振りとなったこの遠征は、この地を人間の下に返すために戦わねばならないのです」


 勇者黒髪率いる軍をなるべく長期間に渡りこの地に残すという使命を忘れない妖精女はそれこそ熱を込めて勇者にあるべき道を伝えた。この時、神官は勇者に侍る女が人間でない事に気が付いた。何故勇者が怪物女の進言に従っているのか、を指摘しようとした神官を、妖精女は目で射る事でそれを止めて見せた。そして思案し続ける勇者に止めの言葉を放つ。


「怪物が満ちるこの地には人間もおります。祖国への帰還を望まぬ人間たちは、この地で新たな国を建設するでしょうがそれには指揮を執るリーダーが欠かせません。勇者様か、勇者様が信じた者がそれを行うほか、彼らの進む道は明るい物にはならないでしょう。彼らを導くのは、あなた様の使命ではありませんか」


 勇者黒髪にとって、助言してくれるこの女性の言葉は神のお告げにも等しいものがあった。よって、彼女がそう言うのであれば、敵の意見を容れる必要もなかった。姿勢を正した黒髪は神官に対して曰く、


「私は勇者である、という資格で魔王の地に来ている。その役割は、おどろきとまどっている人々に道を指し示す事であって憎悪を避ける事ではない。あなたは礼儀正しく二つの道を提示してくれたが、あなたが望む結果を得るためには、私にこの国を譲渡する旨を提案するべきだった」


 二の句を告ごうとする神官を無視して、勇者と妖精女は先に進んだ。一体取り残された神官だが、独り言ちて曰く、


「勇者黒髪はその名に相応しい困難な道を選んだ。それはすなわち我々にとっては容易な事になるかもしれない」


 前後から挟まれれば魔人隊も敗退するしかない。戦線を離脱してきた魔人らを収容しつつ、この神官は魔王の宮殿から撤退した。



 勇者黒髪の参戦により救われた英雄隊の面々だが、


「最後の最後に現れただけで、全ての功績を主張させるわけにはいかない」


と敵愾心を露わにしてきた。勇者黒髪は神官に宣言した通り、困難な道を歩む、と決める。曰く、


「魔王は取り逃がしたが、魔王の都を討ち、最前線の王国を救うという目標は達成した」


と宣言し、遠征の成功と遠征軍の一時解散を発表した。その上で、諸将はそれぞれの意志に従って行動を決定する事を勧めたのである。黒髪は魔王とその近衛の追撃を目標として、志願兵を募り始めた。


 この遠征軍は離脱や戦死などが原因で、最大人数時の八分の一程に減少していたが、勇者が率いる兵の多くは、休息と遠征の成果を満喫する事を求めていたため、勇者の手元には百名の兵士も残らなかった。そして、英雄隊は防衛体制の強化を訴え、魔王の都を「未来都市」と改名し、勇者から離れたり最前線の王国から加入したりして増加したその勢力およそ二千人をもって統治を開始するとした。この時期英雄隊の面々が恐れていたことは、勇者黒髪によって功績を横取りされる事ただそれだけであったから、彼らにしては満足するべき結果に収まったのだ。そして人間が怪物の都市を統治するとなった以上、当面の物資の補給は隣接する最前線の王国に依存せざるを得ず、最前線の王国はエローエ市民が占拠した交易都市にそれを依存していたから、必然的に勇者黒髪の重要さは薄れていた。それでも黒髪が諸国に残した自身のネットワークは、魔王を追撃する、という一事によってかろうじて存在意義が保たれていたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る