第29話 洞窟長、モストリア召還

 その怪物はしっぽと羽を唸らせ、顔に乗った小さな目と歪んだ牙が醜悪さに拍車をかけていた。短躯な形から発せられる大声に誰もが辟易する、そのような怪物であった。怪物としての武力はさほどの物ではない。だが、魔王の近衛からのお墨付きを持って、山を越えた先の帝国から突如グロッソ洞窟にやってきた。曰く、


「私は山を越えた地からモストリアの宮廷の指示によりここグロッソ洞窟へやって来た者だ。任務は、グロッソ洞窟に関する噂について調査し、モストリアの宮廷に報告する事、またはその指示によって必要な処置を取る事だ」


 聞き煩わしいガラガラ声で、洞窟の入り口でそう叫んだ査問官の前に、仰天したインポスト氏が飛んでやって来た。その時から、査問官による洞窟長への取り調べが始まった。


 それは厳しい内容であった。


「監察官は洞窟を離れたのち再びこの地方へ戻ってきて、勇者黒髪に殺害された。その事について、一体卿はいかなる行動を取ったのか。または取るべき行動を怠ったのか」

「そもそも監察官は洞窟の求めによりやってきた翼軍人の死について調査をするために派遣されたのだ。監察官が死んだことによりその報告は未達のままだが、洞窟長からの報告がそもそも存在しない。これは怠慢ではないか」

「勇者黒髪の遠征軍は、この地方から出陣している。人間に対する攻撃が十分ではなかったのではないか」

「洞窟の秩序を維持するに、様々な混乱が生じている、という話はモストリアにも届いている。事実なら監督不行き届きと言わざるを得ないが、実際はどうなのか」

「モストリアは事務手続きの中で賂が発生する事については不問にしている。ただそれは、上位者に対して礼を失していない場合にのみである。トカゲ軍人、翼軍人の招聘に際して卿が使用した賂はすべて把握している。その出所を示せ」

「人間に対する近年の卿自身の戦績を述べよ。これにはモストリアの宮廷から送られた諸軍人の活動は含まれない」


 査問官は、洞窟長を畳みかけるように次々と矢を飛ばしていく。このグレムリンは洞窟に対する下調べはある程度行っていたと見做すべきだろう。黒衣の監察官の死だけでなく、洞窟の統治、人間への積極性、彼自身の帳簿についてまで指摘が入った。そしてこれに澱みなく答える事が出来る程、インポスト氏は冷静ではいられなかった。なぜなら、このような事態に至ったのも、リモス一党、特に猿の仕業である、と洞窟長は鬼の直感で確信していたからである。そしてこれは事実であった。


 リモス一党の政治工作と言えば、潤沢な金を用いた買収、優先工作などが主たる内容だが、今回は猿がモストリアへどうやったのか、投書を行ったのだ。それによると、


「グロッソ洞窟の長インポスト氏には、過日、人間の集落で死んだ監察官の死に責任を負う事実が隠されている」


という内容であった。


 怪物の世界は、裏切り行為には厳しく当たるのが風習である。流言であれ、このような文書が出回ってしまった以上、本人の不徳もあると考えられ、魔王の近衛衆は査問を行う事を決めたのであった。とはいえ、勇者の遠征軍が付近にいる以上、近衛の怪物が出るわけにもいかない。そこで、このグレムリンに白羽の矢が立ったのだ。モストリアから依頼が入るくらいだから、この輩もまた、魔王との繋がりは浅からぬものがあったのだ。何のため、それは出世の為である。グレムリンが棲むのは、山を越えた先の地で、そこには人間の帝国があった。この地で、グレムリンは奸計を多用して、人間達の精神を十分に痛めつけていたので、実積は大きかったのだが、その醜い容姿が災いしてか、モストリアに出仕する事ができないでいた。故に、魔王の都に上がるために、どんな業務でも行う覚悟が出来ていたのだ。


 インポスト氏の半泣き弁解を悉く退けながらも、査問官は、この洞窟に置いてインポスト氏は最高権力を握り得ていない事に気が付いた。リモス一党には不幸なことに、そのやる気満々の査問官に、モグラとコウモリの怪物が近づいたのである。すぐに猿がインポスト邸に呼び出された。


 入ってきた猿を見るや、インポスト氏は指摘された案件の責任を全て猿に押し付けるという行為に出る。事態の急変に猿もおどろきとまどうばかりだが、査問官は冷静にそれを押さえて、一件一件糸を解き解すように、両者に確認を取っていく。モストリアへの政治工作費用の出所はリモス一党だ、と指摘したインポスト氏の言を、猿は即座に肯定して見せたが、インポスト氏がモストリアへ上申する賄賂の額はあずかり知らぬ、と述べた瞬間、グレムリンは猿の耳に魔力を飛ばした。すると、猿の右耳が石のように固まり、次の瞬間、落ちて割れた。悲鳴を上げた猿に対し、査問官曰く、


「上下関係を弁えぬ発言は看過しない。次は命はないものと思え」


と凄みのある発言を飛ばした。


 猿は、下手をすれば殺されるかもしれない、と覚悟を決め、無作法を詫び、全てを語り始める。ただ、リモスについては金を掘り当てるのみ、魔女についても諸作業を監督するのみ、として、政治的アイデアの全てについて自分の発案だと強弁した。この行為は、猿のその他二人への好意によるものである。


 査問官は時間をかけなかった。彼はすぐに判決を出す。曰く、洞窟長インポスト氏は、人間世界に対して消極的である態度、モストリアへ上申する際に賄賂を多く取りすぎた事、洞窟内の秩序維持に失敗している事、勇者黒髪の台頭を許した事、監察官の死に責任を負う事の五点で有罪とされた。この場合、モストリアに出頭し、魔王の御前で弁明する事が求められた。この判決を、インポスト氏は呆然と聞くしかなかった。


 対する片耳猿は、上申の際にインポスト氏に丸投げしてモストリアへの礼を欠いた事、についてのみ罪ありとされたが、微罪故に処分は無し、とされた。猿が驚いたのは、翼軍人の死に対する責任は誰も負うものではない、とされたことであった。それだけ述べると査問官はゴブリン軍人を呼び、彼に曰く、


「今この場を持って、インポスト氏は洞窟長の地位を解任され、モストリアに召還されることになった。よってグロッソ洞窟には洞窟長が不在になる為、現状、この洞窟で最高高位者である卿がその後任になるべし」


 仕事が好きでないゴブリン軍人は驚いたが、魔王の官吏に逆らう訳にもいかない。不平を見せずに承知して見せた。洞窟長任命状を手渡されたゴブリン軍人は、浮かない顔の猿に言葉をかけようとしたが、査問官はそれすら遮り、


「シッミアーノ(猿の本名)もインポスト氏に関する流言の承認として、モストリアに出頭する」


と語ってその場から二人を引き連れて洞窟を出ていった。電光石火の事務処理であり、リモスも魔女も、ゴブリン軍人も何も出来ないままであった。


 怒りに震えるインポスト氏は、道中査問官の目を盗んで、猿を襲う。


「凡夫、死すべし」


 怪物としての実力には雲泥の差がある。攻撃を避ける事は出来ていても、いずれ限界が来る。かつて鉄人形を屠った強力な突きが猿の肩に直撃し、その左腕が千切れ飛んだ。異常事態に気が付いた査問官が止めに入らなければ猿は死んでいただろうが、攻撃を受けると同時に彼は崖から身を投げる事で、生死を分ける修羅場からの脱出に成功した。査問官の任務は、とりもなおさず証人殺害の罪状が加算されたインポスト氏をモストリアへ出頭させることゆえ、猿の行方は差し当たり不問とすることにした。


 重傷を負った猿は、転げ落ちていった先の地で何とか生き延びる手立てを考える。だが今後の事を考えると、自身は死んだことになっていたほうが都合が良いし、さらに周辺の怪物達にグロッソ洞窟の令名が轟いているとは思えなかったので、自力で傷を治して洞窟へ帰る事を考えた。重体に陥りながらも、猿は山深い地で温泉を発見する。硫化水素の香り豊かな白濁としたその湯は、重傷を負った猿が傷の手当てをするのに大いに役立った。とりあえず彼が命ながらえることができたのは、この幸運の為であった。



 グロッソ洞窟では、インポスト氏が猿を殺害しようとする場面までを追っていたコウモリによって、


「インポスト氏はもう戻ってこないだろう。猿も氏の手に掛かり死んだ!」


と宣言が出されてしまった。洞窟内が騒然となった。厳しい猿は憎まれてもいたが、強い指導力を発揮する猿を好む輩共もまた存在したからである。新たに洞窟長となったゴブリン軍人だが、


「業務など七面倒だ」


と自分の下に補佐を置いた。それがコウモリとモグラの怪物であったから、ゴブリン軍人のやる気のなさが良く分かる。前の猿に対するコウモリとモグラの陰謀をリモス一党に伝えたのはゴブリン軍人だ、と知らない両怪物は、この抜擢を大喜びで受け、まるで支配者のように振る舞い始めた。


 哀れなのはインポスト氏を失った第一区の怪物衆で、支配者のいなくなったこのエリアをコウモリとモグラで好きなようにし始めたのだ。また彼らはリモスに対して、大量の金の供出を命じる。リモスは広大な新道区の他に、勇者黒髪、ゴブリン軍人、コウモリとモグラをも養う羽目になり、さすがに今のペースでは金がまるで足りない、という状態に陥ってしまう。この困難に対して、リモスはいつもの悪い癖が出現する。すなわち、引きこもりであった。途方にくれたのは魔女で、猿もリモスもいない以上、全ての業務が老いた体に圧し掛かってくるのだ。彼女も老骨に鞭打ってなんとか頑張ろうとしたが、その一週間後、過労で倒れてしまった。あれ程各方面で輝いていたリモス一党の能動性は、こうして完全に停止した。

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