第12話 暗殺で勝利し得ても…
インポスト氏が邪魔者鉄人形を抹殺し、巧みに振る舞ってからしばらく経つ。洞窟内はまるで何もなかったかのように日々が流れていた。しかし、微妙な変化は静かに進行していたのである。
リモスが事件のショックを受けたのか、猿や魔女にも会おうとはせず、家に引きこもってしまった。主として坑道作業者であるリモスが世を儚んで隠れたとて、グロッソ洞窟の日々は差しさわりなく進むはずであったが、都市占拠の一件で、リモスの名声はうなぎのぼりであったから、まず新道区に転入した怪物たちが不安に襲われる。
「最近、第一区、第二区に負けず劣らず、新道区も景気が悪いな」
「ゴールデン殿がお隠れになっちまったから、仕事が少ねえ。あてにして来たってのに」
「洞窟長にも困ったもんだぜ」
インポスト氏の鉄人形処断の件も、『洞窟に対する裏切り』と公表され、それを素直に信じるグロッソ洞窟住民ではないのだが、唯一公正な証言が可能なリモスが何も語らない以上、怪物たちはインポスト氏の権威を認めざるを得ない状況にあった。故に、氏がリモスに『委託する』と宣言した新道区にあっても、インポスト支持者が急速に増えつつあったのだ。さらに、鉄人形の管轄区は全てインポスト氏の旗下に収まることになったので、先に鉄人形が浸食していた新道区のエリアも、リモスの側には戻らなかった。権威を十分に示して久々に留飲を下げた洞窟長だが、ここに、本質的なところでは意欲や公共心に欠ける氏ではどうにも解決できない問題が起きてしまう。
鉄人形の人間農場は閉鎖されたが、農場の入り口は洞窟の別の出口でもあったから、岩を積み壁を崩して徹底的に道を塞いだインポスト氏。氏はこの農場で働いていた怪物たちへの新たな処遇を一切認めなかった。鉄人形暗殺時に協力無比な戦闘能力を示した氏に逆らう輩はいなかったが、だからこそこの集団が生きる糧を求めて、人間への略奪行を計画しだしたのはやむを得ざるところであったろう。数はおよそ三十体。人間、と聞くとドキドキし始めるインポスト氏は、権威を示して彼らの行動を阻止するべきであったのだが、氏はそれを怠り、彼らは事業開始の手始めとして洞窟付近を進む陸送隊を襲撃、不運にも腕の良い用心棒がいたため半数以上が討ち死にする敗北に加え、あろうことか人質として人間の子供をさらってきてしまう不祥事が発生した。
これに驚愕したインポスト氏だが、既に放置した彼ら旧鉄人形配下に何も言えず、こういう時に便利に動いてくれるリモスが引きこもっている以上、手をこまねいているだけであった。洞窟内に怪物たちの不穏な声がこだまする。
「人間がまた入ってきたぞ。しかし、数は多くない。何やら子供を返せ、と言っているが」
「はやく返してやれ、我々がそれで殺されてはたまらん」
「子供は、鉄人形の残党たちが連れているぜ。ありゃあ、ヤケになっているのかもな」
さらわれた子供を救出するため、その陸送隊が洞窟に侵入してきた。これでは何もかも、前回の鉄人形の不祥事と同じだが、今回はインポスト氏の不祥事になる。その意味では放置しても、リモスには実害は無いように見えたが、リモスの協力者を自任する猿の怪物が、この件の収拾に動き出す。無論、それがリモスにとって有益であると猿が判断したからだ。
「洞窟長は動かないか、よし、俺が行こう」
「人間たちは殺気立っている。そなたじゃ危険すぎる」
「男は度胸!まあ媼よ。あんたの出番じゃないことは間違いない。茶でも飲んでな」
インポスト氏とは異なり、この猿の怪物には熱意もやる気も十分であったが、泣き所として、リモス程でもないにせよ、強い戦闘能力を持った怪物ではないということがあった。猿らしく壁や木登りは得意だが、喧嘩は滅法弱い。猿はこの欠点を、度胸で補おうと試みる。すなわち交渉力だ。陸送隊はすでに放棄されたエローエ軍の前線基地跡まで侵入していたので、猿は急ぎ現場へ向かった。
損害を受けた上、怪物との交渉などもってのほか、というつもりでいたこの陸送隊は、人間の子供を返す、という条件を伝えてきた猿をとりあえず斬らなかった。だが、陸送隊には別の狙いがあった。当該地が都市エローエと抗争を繰り広げているグロッソ洞窟であることを知っていたため、ここに住まう怪物衆にはいくらかの蓄えがあるはずだ、と見込んだのだろう。猿に対し、彼らが被った損害の弁済まで求めてきた。随分即決のようだが、この時に、猿は腹を決める。金で弁済する事を回答し、しばらくして子供と金の塊を持って再度現れ、まず金を引き渡すそぶりを見せた。だがこれが猿の罠であり、金は大型の袋へ入れられてはいたが、一緒に例のがいこつ作業員たちが潜んでいたのだ。
陸送隊がこの仕掛けにおどろきとまどっている隙に、猿は自身をオトリとして子供を連れて洞窟奥へ逃げた。それも道中、金をわざと落として追跡の目印を残しながら。要するに、敵を罠に誘い込み、一挙に始末するつもりでいたのだ。陸送隊も、人間の習性として子供と目前にある金を見捨てる事ができず、洞窟の奥に進まざるを得ない。洞窟を進み温泉の湧出地に至ると、子供を背負った猿が既に用意していた板と竿を駆使して湧出地の対岸まで逃げ切った姿を見た。同時に、目の前には金が山と積まれていた。欲望に弱い人間がせっせと金の回収を行う間に、板や盾を持った怪物たちが大挙して現れ、陸送隊を包囲。そして、包囲の輪を徐々に縮めて行く。この時になって、人間たちは自分たちが罠にハメられ、このままでは熱湯溢れる源泉の中に一人残らず突き落とされる事を悟ったに違いない。果たして、彼らは全員そのようになった。腕の良い用心棒も死に物狂いで戦ったが、完全に防御態勢で盾を前面に押しくらまんじゅうされては、まともに戦いようが無かった。こうして陸送隊は全滅した。死体は魔女の処置により、全員がいこつ作業員として生まれ変わり、洞窟内の軽作業に従事する事になる。この見事なだまし討ち作戦は、発案者である猿の名声を一躍高める。
猿の理論では、金を要求してきた時点で、いかなる犠牲を払っても人間は始末するべきであったのだ。やり手の猿だが、人間に対する強烈な差別意識は、鉄人形や洞窟内の輩たちと大差はない。人間の報復も予想されたが、仮に危機が迫った場合は、都市にいる翼軍人を呼ぶという手段もあった。様々な条件を比較検討しながら、猿はこの作戦を立案、実行したのだ。
猿は都市占拠戦の時、リモスの徳に触れて感銘を受けていたが、彼自身には金を掘り出す能力も無かったため、自分がボスになろうとは考えなかった。それでいて、猿はトカゲ軍人帰還後のリザードカジノの運営を任せられてもいたから、事業に用いる事の出来る金はあったのだ。そこで今回の勝利をバネに、猿自身の考える施策をリモスの名の下に行うと決める。まず、陸送隊の侵入を招いた怪物たちを囲い込んだ。以後勝手な行動をやめ、これに違反したら死を持って償う、という誓約を連中から取った上で、名誉を回復してやったのである。また、リモスが引きこもっている以上、その下にいた採掘の輩も暇を持て余していたため、「新道区警備隊」を結成し、インポスト派への監視を行わせる。猿、旧知の魔女に曰く、
「これでもう戦いが発生するような事はないと思う。俺がこんなことを命じるのは、第二第三の鉄人形の出現を防ぐためだ」
次いで手がけたものは、リモスが休業する事で起きた金融不安である。六度目の攻防の前、リモスはトカゲ軍人の勧めに従って、多少懐の温かい怪物たちに強制債権を買わせていたが、債務者の引きこもりによって、債権が紙くずになることを恐れた怪物たちが、リモスの家を包囲したのである。つまり、債権を今すぐ金に換えろ、ということだ。こんなことはリモスでなければどう処理するのが適当かわからない。そこで猿は自身も債権を持っている、という嘘をもって、一芝居打つ。
「この債権が、次の春には倍になる。俺はこれが実に楽しみでならないが、これを今、金に換える間抜けがいるらしいな。それなら俺が間抜けどもの債権を全て買ってやる。さあよこしやがれ」
この演技だけで切り抜けたのだから、この猿の度胸も中々の物であったと言えよう。債権者たちは後の戻りに期待を繋ぎ、引き上げていった。
治安維持に金融対策と忙しくてどうにもならなくなった猿は、全てが管理しきれなくなる前にリザードカジノの管理を別の誰かに委ねようと考える。これに、魔女が自分の甥をどうしても、と薦めてきた。その甥とは四度目の攻防で何の役にも立たなかったあの輩だ。魔女の甥と会い、こいつは必ず金をちょろまかすと判断した猿は、
「奴が何かトラブルを起こしたら、あんたに落とし前をつけてもらいますがよろしいかね。媼、俺はあんたとはうまくやっていきたいが、カジノの金は洞窟の金だからなあ」
と確約を取った。この件は、魔女の甥がクズである事とは別に、甥の落ち着き先を見つけてやれたという喜びを魔女に与える事となり、猿と魔女が以後も、良い連携を示す事にもつながった。
ここまで中々優れたマネジメント力を発揮してきた猿は、一つ、行き場のなくなった人間の子供の事を思い出す。陸送隊が全滅した時にこの子の親も死んでいたため、猿は洞窟においてやる事とする。それもこの少女の使い道を思いついてのことだ。すなわち、リモスの家で下女として働かせ、引きこもり精神の慰みとさせること。猿は、自宅では専らベッドに包まり現実を拒否しているリモスの元へ彼女を置き、後の面倒を魔女に委ねた。
グロッソ洞窟の治安はリモスの代理人として、猿が台頭する事で安定に向かった。インポスト氏は、鉄人形を処断した後の好機をみすみす見逃したことになる。この怪物には、政治的な野心はともかく、実業を手に活動する事を卑しき物と見なす点があり、それが常に怠惰となって現れていた。
「高位にあれば無闇に働いたりはせず日々を愛でて過ごさねばな。労働?そのようなことは凡夫どもに任せておればよいのだ」
ある意味で社会的成功者に似つかわしいこの生活スタイルは、状況が許す限りであれば本人にとっても無害ではあった。猿は上手にその状況の間を縫って、地位を得たと言えるだろう。故に、インポスト氏は颯爽と現れた猿に対して、良い感情を持つはずもなかった。
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