第21話 共に勇断す

 猿は無事帰還した妖精女からその報告を受け、カジノの借金帳消し、別邸、十分な金を報酬として与えると、彼女は大喜びでリモスの家に帰っていった。妖精女の貞操と引き換えに、勇者黒髪の真意を見事に掴んだ猿は、これを交渉材料とすると決める。と言っても、勇者たる者が怪物と肉体関係を持ったことを咎めるのではなく、魔王の都へ遠征する大望について机上に乗せ、洞窟の安全について交渉するのだ。繰り返すが、戦う者がその野望を持つことは至って自然である。しかし、他国にもその名が聞こえ「勇者」として奉られている人物がそうである場合、事は一大事になる可能性を持っている。当然、黒髪もその事情を心得ているだろう。猿はこの辺りの心理を協議の材料にする。なお、妖精女が黒髪と一夜を過ごしたことは、猿、魔女、妖精女の三体しか知らない事である。無論、勇者だけでなく、リモスにも知られない方がいいに決まっているのだ。リモスは妖精女の帰宅に素直に喜び、他の三体はその無邪気さに胸を些か痛めたのであった。


 黒髪が言った再来の日がやって来た。念のため、猿は余計なことを言いそうな妖精女を言葉巧みにカジノへ追いやっておいた。余分な情報を与えないために、今回も対面するのは猿だけである。既にリモスがせっせと精錬した金が山と積まれている。眩くも輝く山に満足した黒髪は、前回よりも物腰柔らかく対応してきた。猿は頭の中に浮かんだ多くの選択肢を吟味し、決して間違えないよう慎重に臨む。


「どうやら私が伝えた条件を快くではないとは思うが、承知してくれたようでなによりだ」


 猿はあえて不機嫌な表情を作り言い放つ。


「この金の山はとんがりに提供していた分量と同じものである。洞窟を戦争から守るため止むを得ない事として、受け入れる事とする。提供の頻度は月毎だったが、これも変えるつもりはない」

「金の提供については、これで良い。後は降伏の標しについてだが、何を用意したか、教えてほしい」

「この鍵を用意した。洞窟における重要施設の鍵で、これは人間同士の争いが起きた場合、敗者が勝者に城門の鍵を引き渡すという人間の風習に倣っての事だ。我々には無い風習だが、象徴及び実質的意味としても不足は無いと判断した」

「重要施設と言うが、どこの鍵だね」

「ゴールデン氏の邸宅の鍵だ。これをお前に渡して以降、氏は枕を高くして眠る事などできなくなる、というわけだが、信頼を得るためこれも差し出す」

「鍵など変えてしまえばそれまでではないか……しかし、説得力を持ち得る代替品を怪物どもが用意できるとも思えないから、今はこれを受領する。金は馬車で運搬するから、出口まで運んでおくように」


 猿、話を切り出す。


「この金は、魔王の都を攻めるための軍資金かね」


 勇者黒髪の動きが止まり、彼は猿の目をじっと見据えた。辺りには誰もいない。二体だけの、短く静かな時間が流れ、それは言うなれば瞳を通して心の深奥を探り合う瞬間であった。


 そして確信を得た猿は、無言でいる黒髪へもう一押しする。


「都市の兵隊がその他の地域へ征くとなれば、洞窟にとって都合の悪い話ではない。なぜなら、その間、洞窟は平穏を保っていられるからだ。我々の至上命題は、洞窟の安全であるから、都市における執政者の意図が明らかであれば、こちらとしても配慮をする事は可能だ。いや、ここに至っては明白に明言しよう。お前が大遠征を実施しグロッソ洞窟から離れるのなら、洞窟の安全を条件にさらに金の提供を行う事ができる」


 黒髪はしばらく黙っていたが、口を開いた。


「私は有力な怪物を討伐する事で名声を得た。これをさらに高めるには、確かに魔王討伐は必須となる。討伐をするには軍旅を起こさねばならず、そのための資金はいくらあっても足りないだろう。お前の提案は有益に思う。だがお前たちは、魔王を裏切る事になる。そんな事が可能か?」


 猿は自嘲して曰く、


「このような辺境の地に、魔王や近衛は然したる関心を持たない。その為、我々は自衛をせねばならない。魔王が人間たちと全面戦争に入れば、辺境の防衛はさらに放棄されるだろう」


 勇者は猿のこの意見を突く。強力なトカゲ男や翼男は魔王の近衛ではないのか。であれば、魔王は洞窟を見捨てていないということになる、と。が、猿はしらばっくれた。


「人間も旅をするが、怪物も旅をする。彼らは我らが運よくスカウトしたのだが、常に優秀な逸材に恵まれるとは限らないし、彼らも時を経て他国に去る事もある」


 勇者曰く、


「では、お前もいつかこの洞窟を去る事があるのかね」


 猿は同意して曰く、


「勇者との交渉にしくじれば、逃げ出すしかない。そして、このような交渉を担える怪物がいるか、と振り返ってみれば、心もとないのも事実だ。世話になったこの洞窟を去るのは心苦しいが、事次第によってはそれもやむを得ないという事だ」


と笑った。


 黒髪はどうやら猿のこのセリフが気に入ったようで、猿の提案を受ける事を了承した。書面も何もなく、口頭のみで交わされたこの約束が守られるかは二人にも確信はなかったが、勇者には当面の資金、猿には勇者からの安全という利を恵んだのである。一見、勇者は何も失わずにこの成果を得たようにも見えるが、猿は黒髪の懐へ近づく名分を得たのだ。この事を黒髪はそれほど懸念せずに、都市エローエへ引き上げていった。猿は早速、リモスと魔女を集め協議を行う。


 とりあえずグロッソ洞窟の安全は守られた、と猿は言うが表情は明るくない。だが、勇者黒髪の要求が際限なくエスカレートする事を想定して、金の採掘ベースを上げる必要がある、と猿は二人に懸念事項を伝える。がいこつ作業員が増えればそれも可能だが都合の良い人間の死体が無い。なにやら思いついた魔女が手を打つと辺りが明るくなった。


「殺されたとんがり一派はまとめて埋葬されたという。この連中の墓を暴いて新鮮な人骨を集める事が出来れば、がいこつ作業員として業務に就かせることは可能だ」


 それは名案、とリモスも猿も喜ぶが、エローエ市街地の墓地まで姿を隠して行くのは危険が想定された。


「一気に全ての骨を拾う必要はない。少しずつ、墓を暴いて骨を回収すれば徐々に作業員を増やしていけるだろう」


 この役目は犬の怪物と数体のがいこつ作業員に指示が出され、魔女曰く、墓場にいても一向に差し支えない面子を揃えたという。リモスの金鉱における作業効率は上昇を見込む事が出来た。


 懸念事項二。勇者黒髪へのリモス一党の降伏については、洞窟長インポストは承知している件であるが、新道区の住民達にそれが知られては都合が悪かった。そこで、猿は噂を流させたい、と。


「この洞窟で名の知られていたとんがりが人間達に殺されたことは隠しようがない。だから、あの黒髪はそのとんがりに代わる我らの協力者だ、という噂をくちびるお化けに流させようと思う。この噂は真実ではないが、まるっきり嘘ではない。その路線で、黒髪とは話を進めたのだ」


 魔女は細い目をして猿に曰く、


「随分と頭が回るもんだ。悪くは無いが、勇者が攻めてきた場合、我々は言い訳を用意しなければならないし、下手をすればリンチにあうかもしれない」

「その対策も考えた。まだ明かせないが、黒髪との間に太いパイプを作る事ができれば、回避できる問題だと俺は考える」


 猿が考える太いパイプとは、無論資金援助であるが、勇者の魔王の都遠征を支援する、とはリモスや魔女に対しても口が裂けても言えない事であった。


 最後の懸念事項は、戦死した翼軍人の件についてである。幸い、翼軍人はグロッソ洞窟で生活していた期間が極めて短かったため、翼軍人について洞窟の怪物衆の話題に上ることは少なかった。この件で不安を感じた住民達からの突き上げは皆無であったが、彼の派遣元であった魔王の都の動向が気にかかるところではあった。その死に対して責任を問うてくる事があるかもしれない。インポスト氏はリモス一党の擁護のためには決して動かないと確信を持つ三体だが、後任の必要性は痛感しているところであるため、責任追及の動きがあった場合はその時に対応する、という事に決まった。なにせ、魔王の都へのコネクションを急に持つなど、夢でしかなかったのだから。


 だが、魔王の都はインポスト氏からの報告を受けて、責任追及とは行かなくとも、ド辺境の地で何が起きているのかを調査する必要性ぐらいは持ったらしい。動きは予想より速く、黒髪との協議から一月も経過しない内に、後任の怪物とともに監察人がやってきた。

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