第87話 訣別

 魔王の金庫開錠が期待外れに終わり誰もが落胆した二日後、リモスや色黒伝道師と食事をとっていた猿は、妖精女に呼ばれて執務室へ向かった。


 装いも髪の色も、日々生前の黒髪にどこまでも近づいていく妖精女の顔に、落胆の色は無いか猿は探って見ていた。視線に気がついた妖精女曰く、


「どうしたの?」

「まだ落ち込んでいるんじゃないかと思ってね」


 妖精女は軽く笑い曰く、


「資金面での問題を解決できなかったのは確かに痛いわね。でも、まだやりようはあるかも知れない」

「あまり悠長な事も言っておれんだろう。魔王の領域リザーディアは拡大の速度を増している。すでに山を越えた先の帝国領も半ばは影響下にあるらしい。もしもこのまま交易都市まで奪われれば、未来都市は補給もままならなくなる」

「最近、領域リザーディアが海に面した都市の反乱を鎮圧したという情報があります。例えば海に出る、という選択肢もあるでしょう」

「どうだろう、海に強い奴らなんか、未来都市にはいないだろう。手遅れになる前に、無理を押してでも帝国領に侵攻したほうが現実的かもな」

「手遅れにならない内にやっておきたいこと……今日はその話で来てもらったのです」

「話を聞こう」

「ところでリモスはどうしてますか」


 この時、猿は不吉な予感を感じたが、正直に語るべきだ、との直感もまた働いていた。


「食事中だ」

「そう……では言うわね。私が貴方にお願いしたいことは、金庫の開錠が済んだ事もあるから、リモスには未来都市を離れてもらいたい、という事です」

「なんだって」

「私はこれからも多忙な日々が続くでしょう。それが軽減されることはない。勇者黒髪の仇を討つ、という目標の他、領域リザーディアの拡大を食い止めねばならない使命がある……私に過去の追憶を重ねて見ざるを得ないリモスにはこの都市を去ったもらったほうが良いのです」

「バカなことを!あいつを使ってやればいいだろう。この地で金の捜索を命じれば、結果が出るかも知れない」

「それに、彼は魔王やラとも繋がりが深い。グロッソ洞窟に居づらくなってこちらに来たということですが、同じようにいつ心変わりするかわかりません。彼の心は一定ではありませんから」

「一定の心臓を持っているやつなんぞいるかよ。お前こそ。そうか、わかったぞ。お前こそがリモスを通して昔の日々を思い出すのだろう。あの穏やかな洞窟の日々だ。お前はリモスの金と家にたかり、魔女にたかり、俺が運営していたカジノで借財を重ねていた。本心ではあの頃に帰りたいのだろう」


 妖精女は黙っている。だが、顔色は真っ白になっている。それに気がついた猿だが、口撃を控えることができない。リモスを蔑ろにする行為を、許せないためだ。それも、妖精女は少なからずリモスから利益を得てきているくせに。猿の頭脳の情緒の部分がフル回転する。


「今の自分に耐えられないか。お前は黒髪の復讐を誓ったのだろう。それを反故にする事は、黒髪への敬意と愛情を反故にする事だ。だが未来都市の現実は厳しく、魔王の勢力拡大は厳然たる事実だ。そして魔王に敗れる事は、かつての自分に戻ってしまう事になるとでも考えているのではないか。リモスの情婦であり、トカゲ軍人の情婦であったあの頃に。でもそれがなぜいけねえんだ、いいじゃねえか」


 耐えきれなくなったのか、妖精女激発して曰く


「よくもそのような事を!」


 叫び声を聞いて、二体ともハッとした。しかし、幾分かでも冷静になれたのは猿の方だけだ。心穏やかを装いつつも烈火の怒りが燃え上がっている妖精女は、恨みの篭った目を猿に向ける。


「シッミアーノ、忘れたの?私は貴方によって勇者黒髪へ仕掛けられた毒だったはずよ。毒は分量如何では薬になるし、その逆もまた然り。勇者に対して薬になる事を願ってしまった事は、リモスに対して毒として働く事を否定しない事と同じくらい確かな事よ」

「これまでリモスがどれだけお前に尽くしてきたか、思い出してみろ。そんな奴を虐待するくらいなら、黒髪の事など忘れちまえ。魔王のこともついでに忘れればいい。生きていくには不足はねえだろ」


 しかし、妖精女は首を振る。猿は女のその仕草から痛ましさしか感じることができなかった。


「あの人はリモスとも、魔王とも違うの。私の心情について貴方の理解まで求めないけれど、彼は違ったの。完全な子供であるリモスに、完璧な紳士である魔王。でも黒髪は少年であると同時に成熟していて、理想は誰もよりも高く、でも不安な心を隠せない危なげな時もあって、彼自身重圧に耐えかねた時は私の存在を何よりも求めてくれた。あの才能の塊のような個性に求められる事は、幸福だったわ。偉大なる勇者黒髪は、私に大きな敬意と愛を捧げてくれた人なのよ。私にとって、かけがえの無い存在。彼の死を伝え聞いた時、自殺することを第一に考えた。でも、私は死ななかった。別の圧倒的な感情が私を支配したから……」


 女の恐るべき告白を聞かねばならない猿は、逃げ出したくてどうしようもなくなった。嫌な汗が止まらない。


「生き残った私がただちに彼の後を追わなかった理由は、仇である魔王を殺すという絶対的な望みがあるためよ。そしてほんの僅かでもそれを妨害するものは、誰であろうと許す事はできない」


 正真正銘の現実主義者である猿は、呆れ顔で妖精女の常軌を逸した目を見つめる。


「だからリモスを追放するのか。あいつに、お前の邪魔をするつもりが全くなくても」

「私は彼の事をよく理解している、昔の男だからね。勇者黒髪の分身であるこの未来都市にいて、彼は幸せにはなれないわ。私が彼を幸せにしたいと、もう二度と、絶対に望まない以上」

「さっきも言っただろう、お前が尊重してやるだけでリモスは大丈夫なんだ、それだけでいい!」


 これほど容易な事。しかし、妖精女は悲痛な声を搾り出して曰く、


「出来ない」

「何故?」

「もう怪物衆のための娼婦だったあの頃とは違う。私は勇者黒髪のために復讐を遂げねばならない。常に情緒が安定しないリモスに構っている余裕はない」

「お前は黒髪の行いをなぞっているのだろう。勇者黒髪であれば、リモスを見捨てたりはしないはずだ!」

「そうでしょうね。しかし、私はもう理解している。どれだけ姿形を彼に擬えても、勇者黒髪の黒髪になりきることはできはしない。私の姿のまま、彼の影をなぞることしかできない。勇者の寛容そのままに、無理を重ねてお互いに傷つけあって……きっとそのうち、私のリモスへの配慮は破綻します。それならば……どうせ先が見えているのなら、無駄な労力はかけたくない、かけられない!」


 意を決した妖精女は顔を上げる。決心に燃え盛る瞳は、眩い輝きを増していた。


「シッミアーノ!勧告します、リモスから離れ、未来都市の幹部として活動なさい。あなたは有能だからきっと、勇者黒髪の遺志に叶うはずです」


 そして猿は峻厳たる運命が立ちふさがった時であっても、常のシッミアーノであった。


「俺の望みはリモスを成功と栄光に押し上げる事だ。それがなければ従えねえ、絶対に!」


 猿が啖呵を切った時、飛翔するように動いた妖精女はすでに隠し用意してあった弩を猿の頭部目掛けて放った。戦闘能力は低くても高い敏捷さを持つ猿は、辛うじてそれを交わす。妖精女も猿も、互いに驚愕した視線をぶつけ合った。視線が衝突した瞬間、猿は執務室から飛び出し、全力で逃走を開始した。


「なんてこった!イカレやがったな、このアマ!」


 妖精女の言葉を聞き、目の深奥を覗き込んでしまった猿は、身震いが治らない。


 矢を放ち震える手を抑えながら一呼吸置いた妖精女は無念そうに目を瞑ると執務室を飛び出て、命令を発した。


「謀反です!直ちにリモス一行を捕えなさい!特に、シッミアーノは逃してはなりません、捕らえることが困難であれば、殺しなさい」


 殺せ、という勇者に不似合いな命令に、流石にたじろぐ側近衆。だが、命令を知ったヘルメット魔人が弾かれたように動きはじめると、みなそれに付き随う。


 姿形通り壁や天井の移動に長けた猿はリモスを探す。猿の身に異常が起こった事を察知した鷲の怪物は、いつでも仲間を救出可能な建物の陰に待機した。


 食堂で色黒伝道師と食事をとっているリモスを最初に発見したのは猿である。食糧を蹴散らしながら飛び込んだ猿は叫んだ。


「リモス、逃げるぞ!あの女にとって、すでにお前は用済みの存在だった!このままではお前は全てを失う!」


 それまでの笑顔が引き攣ったリモスに、とどめの一言を叩きつける猿。


「あいつはお前を利用しただけだ。金庫が開いた以上、お前に用は無いどころか、未来都市から追放だという!追放で済むと思うか、害される前に逃げるぞ!」


 リモスを引っ掴んだ猿は、色黒伝道師と目があった。伝道師曰く、


「ここでお別れかな」

「ああ、お前さんは用済みではないからな。あの女も変わっちまった」

「すべからく、世の諸々はその繰り返しだ。何かを得ても失っても均衡は揺らぐのさ。遅いか早いかを問うのも無意味というもの……私をここに招いてくれたお前たちに幸運あれ」


 多数の魔人衆がドアを開けて飛び込んできた。猿はリモスを掴んだまま、窓から飛び降りた。二体が地面に激突する前に、弧を描いて飛翔してきた鷲の怪物が素晴らしいタイミングで二体を背に回収した。


「よくやってくれた、このまま未來都市を脱出する!」

「旦那!」


 一息つく間も無く、凄まじい速度でジャベリンが猿の脇をすり抜けていった。背筋が冷たくなる威力で、すでに左腕がない猿でなければ無事ではすまなかっただろう。振り向き目を凝らし、猿は舌打ちする。


「ヘルメット野郎が追撃してきているぜ……」


 同じ鳥の系統の怪物の背に乗ったヘルメット魔人は、投擲武器を全力で投げ飛ばしてきた。再度、放たれたジャベリンの刃が、鷲の尾をかすめた。


「旦那、あれが当たったらどうなるかね」

「当たりどころが良くても死ぬさ。さあ逃げろ逃げろ!未來都市の上空から離れるんだ」


 鷲の怪物は急降下や急上昇を繰り返して追跡を振り切ろうとするが、追撃するコンドルの怪物は速度で優っていた。


「あれは勇者黒髪が生前使っていたらしいコンドルの怪物と同じ種類だ。兄弟かな」

「旦那、ダメだ。これでは追いつかれる!」


 刹那、目を瞑り心を落ち着かせ、自分の特質を決断力にあると考えている猿は、リモスを鷲の体に縛り付けると、言った。


「お前は金鉱があればどこでも生きていける。新しい金鉱を探すか、古巣に帰るか、決断しろ!あの女は言った、お前のことはよくわかっていると。その上でのこの仕打ちを許せるか!リモスよ、哀れなリモスのために、やり返すんだ!」


 猿はそう叫ぶと鷲の怪物の背から飛び跳ね、接近してきたヘルメット魔人に飛びかかっていった。一体分の体重が移動したため、鷲の怪物は速度を上げ、コンドルの怪物は速度を落とした。猿に首を絞められながらも、ヘルメット魔人は平然と口を開いた。


「彼女はお前だけは逃すな、殺せと言っていたが、なんとなくその意味が分かった」

「そいつは光栄だ。話し合いの余地はないか」

「あんたに手をかけなきゃならんのは悲しい事だ」


 ヘルメット魔人が振るったジャベリンの切っ先が、猿の残った片腕に鋭く突き刺さり、そのまま腕を切断した。



 リモスと鷲は背後から猿の悲鳴を聞き、


「旦那は両腕を失くしたようだぞ」

「シッミアーノはボクを逃すために盾になってくれたのか」


と淡々とした様子。これが怪物のメンタルと言えないこともない。しかし、次の展開は、リモス特有のメンタルと言える。


「今のうちに逃げよう」


 思わず聞き返す鷲。


「なんだって。旦那を見捨てて逃げるなんて!」

「しかし彼は彼の意志でああしたのだ。逃げ切らなければ無駄死にだ」

「まだ生きてるじゃねえか。この野郎、助けるなってことか」

「ボクの良心が痛まないとでも思っているのか?」

「黙れ!このままの逃走は絶対に却下だ」


 激怒した鷲は、旋回してコンドルの怪物へ向かっていく。荷が軽い分、ここでの動きは鷲が優った。猿の腕を切断した後、降伏を囁いていたヘルメット魔人は、鷲による猿救出を許してしまう。鷲の嘴が猿の脚に掛かると、そのまま全速力で飛行する。


「良いチームワークだぜ。生かしたまま逃すな、との御達しだからな。追跡続行だ」


 喋ることなく飛行し続ける鷲の背の上で、リモスは猿の治療を行う。痙攣を起こしながら猿曰く、


「なんで戻ってきた……ヘルメットは追跡してきているぞ」

「知らないよ、こいつが君を見捨てられないってさ」

「両腕を失くしてしまった畜生……なんとか止血してくれよリモス」

「満足に処置できる道具なんてなにもない。ああ、なんでこうなってしまったんだ。さっきまで食堂で食事をしていたのに」


 リモスは腕を伸ばして猿の傷口を塞ぐしかない。


 火事場の馬鹿力で飛び続ける鷲を、コンドルは離されることなくピッタリと付けていた。それを一人何者よりも冷静に観察するのはヘルメット魔人だ。


「このまま飛び続けるぞ。鷲の体力が尽きたその時、撃墜する」


 猿は出血で目が霞む中、自分たちを追い続ける鈍色のヘルメットを睨み、頭脳をフル回転させていた。


「逃げきれないか……何かないか、何か」


 混濁する意識の中で、猿は自問する。


「一度目は洞窟のためにインポスト氏と敵対して腕を落とされ、二度目はリモスのため妖精女と事を構えて腕を落とされて。自分以外の輩のために、馬鹿な事をしたと言われるに違いない。しかし妖精女はどうするのだろう。勇者黒髪の道をなぞらんとするために、勇者黒髪なら絶対にしない事に手を染めた。あれももう終わりなのか。だが、あれを勇者黒髪の下へ送り込んだのは俺自身だ。自分自身が蒔いた種の為に死ぬのなら、致し方ないのかもしれない。リモスはこのままどこへいく。逃げ切らなければならないが、仮に逃げ切ったとして魔王はリモスを受け入れてくれるだろうか。魔王は受け入れるだろう。しかし、リモスが魔王を受け入れないに違いない。情婦を奪われ、洞窟での尊敬を奪われ、本能的な忌避のため、魔王の近くから逃げてきたに違いないのだから。魔王の側近となっているラならなんとかできるか、あるいは嫗なら、なにかできるか。できないに違いない。グロッソ洞窟からは逃げ出して、未来都市からは追放され、行く場所のないリモスはどうなるのだろうか。俺が死んだらそれこそ、誰も奴を守らない。いや、この考えだって不遜というものか。結局自分の力で生きて行くしかないのだ。この仕打ちをバネに、奮起を……期待するしか……ない」


 猿が意識を失ったと気づいたリモスは、より力を込めて止血を行う。だが、血が流され皮膚は白くなり体温が失われて行く猿の体に、力は戻ってこない。


「シッミアーノの意識が戻らない!」


 リモスは鷲にそう叫んだ。だが、鷲だって逃げるのに必死で、言葉を返す余裕などないのだ。


「意識が戻らない!」


 叫び続けるリモスを乗せたまま鷲は飛翔する。そしてヘルメット魔人は追跡の手を緩めはしない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る