最終話 万象流転せず

 ある日、グロッソ洞窟の魔王の下へ、出奔した色黒伝道師から手紙が届いた。それを読んだ魔王は興味深い感想を持って魔少女へ曰く、


「奴は未来を見てきたらしいぞ、本当かな」

「未来ですって?」

「ああ。こうある……余は彷徨える勇者一行の終わり無き旅に寄添い一同が見るを共にするなり……全く酷い文章だな。読み難ったらない。続けようか……骨は生から死への証。動は生の証。相反は現世を極めし生と死の境を越えせしむるに能わずんば、万象を相進するに遁るるところなし……と。そなたも読んでみるかね」

「はい。ありがとうございます陛下……万象に従いし一行に寄添いしは余が知る限りを言語道断なり。然れども余が闌けたる所では、魔王の洞窟はなはだ盛んなり。怪物衆よく頭を増し、ために魔の掌にて温室の花となりし人間世界尽く衰微する。則ち安定の象徴なり……良い事が書いてあるようですね」


 どちらかというと勤労を厭わない魔王だが、事実、かつてよりも仕事に精励している。先の傷心を多忙が癒してくれたからであるし、魔王にとって愛しき魔少女がそれを勧めたからでもある。敗北の後、魔王は魔少女の励ましにより、意欲を取り戻すことができた。そして魔王は自身の栄華の全てを愛娘に献げて惜しむところは全くない、と確信していた。


「読み進めます……もはや勇者黒髪が如き偉大なる挑戦去りし御代、英雄都市のような奇跡合力も追憶となりし人類が事象、甚だ退屈なり……退屈ですって。やはり、この人物は陛下の為にはならない性格でしたね。ここまで至るのに……」

「そう、苦労を理解できんのさ。ずっと仮寓の客のつもりだったのならそうだろうさ。我輩の他者を見る目も大した事が無い」


 相変わらず怪物衆は魔王個体の徳に縋り、その間に人間は勇者を待望し続ける。魔王にとっては危険な現象だが、色黒伝道師の指摘を待つまでもなく。魔王による安定した善政の中にある人間世界からは、もはや勇者黒髪のような伝説の人物は現れないだろう。だが、墓場の上の平和であろうと、人間たちの頭上から戦雲は遠ざかったのは、何を隠そう魔王の実力によるのだ。


「まあ、奴なりに祝福してくれている、という事なんだろう。有り難く受けておこう」

「しかし持って回した、気取った文章ですね、その上に散文的だからとても読み難い」

「同感だな。筆者の精神を良く表しているな」


 彼の裏切りを軽蔑する場を、幸運にも文面に得た一人と一体は顔を見合わせくすくす笑いあう。全ては過去のことなのだ。引き続き、魔少女は読み上げる。


「領域リザーディアの栄華は止まる事知らず。翻り万物流転するが如く。しかれども、万象はそれに能わず。遍く必然は鏡合わせの体。余は其を追い求む故なり……どういう意味でしょうね」

「そう、この箇所が気になるのだ。ただのゴマスリにも思えん。これが事実であったとして、万象はそれに能わず、とは如何なる事かな」

「……天上から現世を見下ろす何かが陛下を見ている、という意味ですか」

「ふーん、まあ神々の話であるならば、我輩らには関係なさそうだがな。他の解釈はできるかね」

「万物とはこの世に形あるもの全て、でしょう。万象とは、この世に起こり得る全てのことどもだとすれば……」

「それは運命の事、これから起こる事なのだろう。つまり、それは定まっており不変である。自分はそれを見にいきます、と」

「……」

「……」

「くだらんよな」

「不変であるならば、そもそも見に行く価値があるのでしょうが、神々の技でも不変ではありえない、と私は思います。陛下のご苦労もそこにあるわけですから」

「つまり、そなたは見る価値無し、と」

「彼は価値ありと認めたようですが。彼は間違いなく誇大妄想家だったようで」

「ははは……うん?おやおやラよ。気がつかなかったが、裏にも何か書いてあるよ」

「あ、本当。……秘術の限りを尽くしても、落ちた肉は骨には還らない。なら考え方を変えよう。向きを変えるのだ。摂理が歪んで転生するのか、転生すらも決まっていた事なのか。そもそも転生してきているのなら、ここで死んだとして元の事象へ帰るのだろうか。彼の辿った運命こそが、最も興味深いものだ。後に続くにはどうするべきか。道は一つではないか……あら、このページ、糊が乾いて膠のようになってます」

「それは血だな」

「え」

「……自害したのかな、現世を越えるために」

「まさかそんな……」

「いや、あれはわからんぞ、やりかねん」

「……」

「興味深いかね」

「……まあ、少しは。色黒伝道師が書いている彼、とは誰の事でしょうね」

「さしずめ、あの彷徨える四人の内の誰かだろうが。我輩は勇者黒髪以外はさほど知らんのだ」

「転生か……死んで生まれ変わった、という言葉ですね」

「ふふ……そなたは転生したいかね?」

「今はまさか、申し上げましょう。理由がありません」

「そうか、よかった。今のそなたは幸福なのだな」

「はい、陛下」

「我輩の望みは叶ったというわけだ。嬉しく思うよ。あ、無論、我輩も転生など御免だよ」


「翻り万物流転するが如く。しかれども、万象はそれに能わず。遍く必然は鏡合わせの体……」

「それはちょっと良い文だな。あ奴のものではあるまい」

「未来を見る事はできても、過去を辿る事はできなかった、という事でしょうか。確かに未来を言い当てるより、過去について正確に語る方が、実は困難なのかもしれません。例えばそう、世界の起源とか」

「この世の終わりについて絶叫する基地外は人間世界に数多い。確かに世界の起源は古過ぎて、圧倒的に謎だな。それは神々が世界を創ったとしても、何者が神どもを産んだのか、ということだ。だがね、我輩にもあの時に戻れたら、と思うこともある」

「陛下」

「本当だよ。そう、あの時に今一度戻れたら我輩は……」

「陛……下……」

「うん?心配そうな顔だな。確かに例の戦いの場に戻れたら、と思わないでもないのだが、それではないのだよ。あの東洋人のことだ」

「その後、彼の行方を伝える者は誰もおりません……去る前に、彼は領域リザーディアへモストリア平定と陛下襲撃の予見という二つの大きな贈り物をしてくれた、と私も思います」

「我輩も、出奔された今でもあれには感謝している。それ故に、惜しいと思うのだ。つまりだね、そなたの婿とりもやり直しになってしまった、ということさ。そなたには本当に悪いことをしてしまった」


 驚いた後、しばし頬が紅くなった魔少女は、魔王の親心に感謝しつつ、瞳を閉じ笑った。


「ええ、本当に」


 魔少女の小さな頭が魔王の肩に寄り、腕を軽く握った。父親の気分を味わっている魔王に魔少女は曰く、


「でも陛下。陛下は彼に逃げられた事自体が残念なのではありませんか?」

「ああ……まあ、そなたには隠しても無駄だと思うから言うが、我輩はあの男を非常に気に入っていたのだよ。なかなかの傑物だったから……おお痛い痛い」


 むん、と魔王の腕を強く握りしめる魔少女に、魔王は続ける。


「腕が立つし切れ者だったし、性格もまずまずだった。それに女で苦労しているから、お前にも優しく振舞ってくれるだろうと思ったわけさ」

「何にせよ、まだまだ先の事です」

「そうかね?それならそういう事にしておこうか……ああ、もう一つあったよ」

「……?」

「いや、そなたには言うべきではないかな」


 しばし無言が続いたが、瞳の奥へ潜るように見つめてくる魔少女に、魔王は白状する。


「そんなことは無い。我輩はそなたには隠し事はしないのだ。心の中に迷いとともにあるのだが、リモス個体の事だ。もう少し、あの輩に対して敬意を示せば、あれも洞窟を出る事はなかったかも」

「……そんなことありませんわ。彼には彼にも御し得ない性格上の問題、というより欠点がありました。だからこの後に及んでは、リモスはリモスで上手くやっていくでしょう。陛下がお気に病まれる事はないのです」


 ゆっくりとそう話し、魔王の治療が始まったばかりの右手に優しく触れた魔少女だが、去り際に彼女が目撃してしまったリモスと猿の事情を魔王には伝えていなかった。その場にいた鎌使いにも他言無用を約していた。歪んだ精神の持ち主でも、魔少女にとってはそれなりに優しい兄であったから、彼女は今でもリモスの二重の裏切りについて納得できていない。無論、リモスが無性であるなど、想像の及ぶところでは無い。それ故に沸き起こる嫌悪感だが、


「時が全てを押し流してくれるはず」


と思い直していた。



「もう、こんな時刻か。色黒伝道師のあやしいてがみの話で昼が過ぎてしまったな。まあ、未来か、他の現世かは知らぬが、奴の幸福を祈願してやるか」

「私は思います。仮に未来を覗き、未来に至ったとしても、生きるものはその性に従うしかありません。また未来に至ったとて、そこはすでに現在。その時点で、過去となった現在を窺い知ったとて、過去が現在であった証などないのですから」

「そなたは運命を否定しないが、それが我輩らに及ぼせる力は皆無、と言うわけか。そうかもしれんな。では、奴のこの手紙はハッタリかしらん」

「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。しかし、確かな事が一つ」

「それは?」

「この魔王の領域を治める陛下に大切な事は、果てしなく遠い未来の事よりも明日の金の採掘量の方だ、という真理です」


 魔少女、魔王の腕に寄りかかって曰く。


「なるほど、あの色黒めが我が王国から去った理由はこれだな。実務から真理には届かぬと。蛮族平原を平定し、義理は尽くしたのだと。だからあの時に、がいこつ勇者らを止めもしなかったのだと。ふん。ところで、金はまだ出てくるのかね?」


 微笑んだ魔少女は溌剌に曰く、


「さて、どうでしょう。未来の事は運命に尋ねてみないことには知り得ませんわ」

「全くその通りだな。さて、仕事に戻るか。異形からの報告書が大量に届いてる頃だろう

。あの報告魔は書類を読みまくる側の苦労を知らん……今度、シクロクロスに戦没輩共の墓参りいに行く予定があったな。遠く離れて寂しいのかもしれん。奴のためにも時間を割いてやるか」

「はい陛下、賛成ですわ」



 魔王と魔少女は建設現場に戻った。昼食の後、すでに頭巾の怪物達がせっせと木槌を振るい始めていた。図面通りに工程が為されているか、口うるさく検査を行う魔女の声聞こえる。グロッソ洞窟の入口付近に堅固な城塞が出来る日はそう遠く無いだろう。ふと魔少女は小走りに駆けて、可愛らしく魔王へ振り返り、感謝と愛情を込めて言った。


「陛下。グロッソ洞窟の都市計画は、私にお任せください。かつてないほどに実務的かつ効率的であると同時に荘重な洞窟都市を実現してご覧にいれます。陛下の御為に!」


 魔少女の花にも勝る笑顔を前に、魔王は幸福だった。


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