第36話 遠征軍、ついに崩壊し勇者は…

 交易都市から未来都市へ帰還した勇者黒髪が見たものは、ここまで彼に付き従っていた兵団の全滅した姿であった。勇者から当座の軍事力は失われたと見做さなければならない。そんな彼を、モストリアの怪物達は冷やかすのだ。


「勇者なんだろう、自分一人でも戦え!」


 先にもあったように、勇者にも援軍が無いわけでは無かった。河向こうの王国では、騎士隊の戦死と怪物の流出は勇者黒髪の責任である、という論説が支配的であったため、勇者の妻である王国の庶王女はこれを許さず反論を繰り重ねるが、生まれが庶子であるその身では王国内で支持を得る事が出来なかった。そこで勇者を支援する部隊を自ら編成して送り出すと決めていたのである。身の回りの品や召使を、一人を除いて全員に暇を与える事で資金を作り、王国内で義勇兵を募ってそれを派遣する。なかなかの行動力であるがとても王女の振る舞いではなかったため、彼女の立場も一層悪化したのだが、それを顧みずに部隊編成をやり遂げたその意志力には大変なものがあった。庶流の出である彼女は、勇者黒髪の成功に自身の将来も賭けたわけだ。この隊を率いるのは庶王女の同腹の兄で、彼もまた庶王子である。


 援軍が来る、という知らせは勇者に喜びをもたらすものであった。だがそのすぐあと、彼を打ちのめす凶報が届けられた。すなわち、本国エローエにおける暴動と勇者党の壊滅についてだ。これにより、彼は安全かつ信頼が置ける最大の後背地を失ってしまった事になる。


 勇者黒髪はついに追い詰められた。今や自前の兵は無く、本国エローエからの支援も期待できない。未来都市をとりあえず治めている英雄隊とは歩調も合わず、補給基地である交易都市すら安全が保障できていない。今や片時も勇者の傍らから離れないヴィクトリアでも万事休す、という表情を浮かべるだけであった。この間にも、勇者黒髪による魔王追撃戦と、人間世界的にはまさしく英雄である英雄隊の英雄的な統治、すなわち怪物からすれば大変苛烈極まる厳しい圧政によって、数多くの怪物達が土地を捨てて他国へ逃れていた。これを止めなければ、人間世界へ取り返しのつかない損害を与えてしまうだろう。



 この期に及んで、と言うべきか、勇者黒髪は決断したのである。怪物たちを怪物世界から溢れさせないため、断固たる処置を行うと。そのためには、この遠征の主目的であった魔王討伐も断念するつもりでいた。


 彼はまず、敵対勢力である魔人たちの統率を行っていた魔王の神官に会い、新秩序構築のための協力を求めた。勇者は言った。


「怪物にも、彼らが怪物らしく生きる事の出来る余地を残そうと考えている。もちろん、人間を襲わない、食わないといった大前提の下に、であるが」


 ここ数か月に及ぶ英雄隊の強烈な勝利者意識に未来を見いだせないでいた神官はこれを受け入れる。すでに都市の離れに、神官を長とした集落が形成され始めていた。神官はほっとした表情で喜んで曰く、


「ようやく人間達と交渉ができた」


 勇者もすぐに魔王追撃を断念したわけではない。今や勇者黒髪、ヴィクトリア、従者、馬丁のパーティになってしまったが、その人数でも探索は続けるのだ。怪物達も神官が治める地区でだけは、勇者黒髪に襲われる事も無くなった。


 だが英雄隊はその場所を怪しんでやってくる。この時の英雄隊はまだ千体近い人数を維持していたようだが、彼らは黒髪が常に配慮しつつもその維持に困難を来していた補給の伝手がまるで無かったため、全てを現地調達した。それは略奪と殺戮を意味する。ナス、ピーマン、キュウリ、リンゴ、トマトと言った草本・樹木植物に由来する怪物たちをその都度捕らえて調理し、食卓に並べていた。無論、食肉になりそうな怪物も無事では済まない。


「勇者なんかについてきたせいで、このクソみたいな土地に縛り付けられている」

「酒も穀物も少ない。怪物の肉を喰らって生きていけとでも言うのか」

「馬と牛の怪物ならイケる。だがこの畜生ども、我々を見ては逃げる一方だ、たまらんなあ」


 英雄隊の隊員たちも長逗留に不平不満を募らせており、そんな気分を浄化するのは戦勝しかない。目下、最大の目標である魔王が行方不明である以上、その祭祀たる神官は大きな得物であった。だが、彼らが出撃しても、勇者黒髪が立ちふさがり、口八丁で彼らを丸め込んで帰らせてしまう。このような事が続き、神官の地区は安全面で怪物達からの信頼を得た。


 その後、勇者黒髪は魔人たちに勇者の優越を認めた上での、神官を頂点とした自治生活を認めた。当初、魔王への忠誠心篤い魔人たちはこれに従わなかったが、代わりに怪物たちによる住宅商店などの自治組織が形成され始めた。神官の手配で、それらの名義は全て魔人達になっていたため、英雄隊もすぐには気が付かなかったほどだ。


 神官の地区が棲みやすいと知れると、多くの怪物達もそちらへ流れていく。こうなると英雄隊の目をごまかす事は出来なくなった。彼らは遂に、厳重に勇者へ抗議を申し入れる事になる。それはあまりにも敵意が明白な内容であった。


「人間の身でありながら、怪物を保護するのか。この輩を守って一体何をするつもりなのか。怪物の絶滅こそ、我らの目的である」


 勇者はこれに答えて曰く、


「怪物たちをまとめて管理する事で、人間世界への流出による被害を食い止める事が出来る。本国からの情報によると、これが今求められていることだと思う。そも、怪物を絶滅させることは、不可能である」


 これは正論であったが、端から勇者へ競争心を抱き、さらにタカ派の集団である彼らはこの意見に取り合わなかった。


「毎日、目につく怪物を皆殺しにすればそれで片が付く」


 だが、それだけの持続的な軍事力や資金・物資力を、既に勇者も英雄隊も備えておらず、皆殺し案は現実的ではなかった。この点について留意を求めた黒髪の下への英雄隊からの返事は、


「二日後に、神官の地区を攻撃する。皆殺しが不可能かはその時に判断されるがよろしい。よければ貴君も軍事行動に参加をされたし」


 怪物流出を食い止めるには他に手が無いと思い至っていた勇者は、説得は不可能と思い知った。実力で対処すると決断する。直前になるまで誰にも明かさなかったが、英雄隊の攻撃がほぼ確実になると、神官及び魔人たちと、作戦会議を開いた。勇者が人間と刃を交える第一戦目である。


 黒髪が立てた作戦はシンプルなもので神官の地区に侵入した英雄隊を数で勝る怪物衆で包囲し、降伏させるというものだ。殺戮を目指した作戦ではない為、不満を持った魔人たち曰く、


「同じ人間相手だから手を抜いているんじゃないか」


 と勇者に疑惑の目を向けるも、勇者は笑って返す。


「今回の作戦は地区の安全を確保するためのもの。敵はこちらを皆殺しにするつもりだが、こちらが敵を皆殺しにするには適した時と場所が必要だ。今回はどちらも足りていない」


 これまでの戦績から見ても、勇者黒髪の部隊を率いる能力は、戦術面では特別な才能に恵まれているとはとてもいえない出来だが、経験を積むことで理解を深めていたのは間違いないし、この時は読みが当たった。怪物に対する勝利続きで調査や警戒を怠った英雄隊は勇者率いる怪物隊に包囲され、改めて勇者の傘下に入るか、武装解除の上で未来都市から退去するかを選ぶことになる。だが、交易都市攻略時の遠征軍の不祥事や、魔王の宮殿を陥落させた自負が、英雄隊に勇者への協力を拒ませた。彼らは武装解除及び直ちに帰国することを受け入れたが、この時は黒髪も含めて人間たちの考えは極めて浅かった。


 英雄隊はまずは最前線の国を目指して移動を開始したが、英雄隊に恨みを持つ怪物たちが、武装していない人間たちを次々に襲い、結果道中で英雄隊のメンバーは全滅した。文字通り一人も生き残れなかったのであるが、事実はどのような方法でも伝わるものだ。この時は、さすがに勇者についていけなくなった従者と馬丁がパーティから離脱して、英雄隊の全滅と勇者の動向が不明瞭であることを交易都市に伝えたのだ。そして事態は歪められ、人間世界へ広く知れ渡ってしまう。



 魔王の都への遠征軍は、遂に勇者とヴィクトリアの二体が残った。勇者にとっては英雄隊から、陣営に参加する人員が皆無であったことは大いなる衝撃であった。どこで道を誤ってしまったのか。


 妖精女も、ヴィクトリアと名乗るのを止めてここで離脱しても良かったのだが、長く苦労と寝所を共にしてきたこともあり、情が湧いたのだろう。彼女は勇者に強く進言する。


「もはや遠征不調は明らか。魔王の命を奪えなかった事が致命的で、人員もなく、唯一人員を補充できたかもしれない英雄隊も全滅。河向こうの王国の援軍が向かって来ているというけれど、王国の正規軍でもないからその実力には期待が持てない。人間世界で勇者黒髪の名は敗北と同義語になりつつあります」


 黒髪といえば、天を仰ぐばかり。


「全ては僕の実力が足りなかった、配慮が至らなかったせいだろう。全てはこのまま終わってしまうのか」

「いいえ、まだ唯一、貴方様個人の命と実力を活かせる道があります。もう、感づいていることだとは思います」

「いや、わからない。もうなにも考えたくない気分だ」

「では申し上げますと、目下のところ支配者不在のこの未来都市を、貴方様が直接統治するのです。これに成功すれば、人間世界への怪物流出は食い止める事ができ、貴方様の展望にも光る物見えるかもしれません。」

「だが勇者たる者が、怪物達の上に立てるはずがない……人間たちはそのような不祥事は許さないだろう。きっと、人間による討伐の対象になる」


 それでもヴィクトリアは目に力を込めて、語り掛ける。


「この地には、魔人という怪物世界に同調した人間達が存在します。誰かが彼らを導かなければ、いずれ魔人たちは人間世界に害を為すでしょう。怪物たちも同様ですが、彼らの上に立って、共存する手段を与えてやれば、人々の見る目もまた変わってくるはずです」

「しかし、これまで人間世界と怪物世界は決して交わらなかった。何百年とだから、これからもきっとそうだろう。これはすなわちどちらかが滅び去るまで終わらない、種を賭けた戦いなのだと思う」

「それを、貴方様が勇気をもって変えるのです。まだ、人間達は勝者である理由を完全には失ってはいません。ここに勇者黒髪があり、魔王は相変わらず行方知れず。目立った敵はトカゲ軍人のみです。神官と魔人たちを味方につけて、新しい時代を切り拓くのです」

「失敗すれば人間たちは僕を裏切り者と見做すだろう。敗北後の無関心よりも、死を待ち望まれるようになる。これはつらい。こういう時は、焦って行動した方が負けだ、とも思う。都市エローエに帰還して、捲土重来を期する方が理にかなっていないかな。」


 煮え切らない勇者に対し妖精女、声を張り上げて曰く、


「貴方様は裏切り者なのですか。裏切り者なのか、違うでしょう!」


 黒髪は、うーん、この女実はキチガイじゃないのか、と思わないでもなかったが、全ての望みを捨てるにはまだ早い、と思い直すには至ったのだ。こうしてこの時期の妖精女の意図がどこにあるかは別として、勇者黒髪は相変わらずグロッソ洞窟から遠ざかるのである。


 勇者黒髪にとっての幸いは、やはり魔人たちは人間であり意思疎通が有効であるという事と、怪物側にいて唯一交渉に前向きな神官が、今回の防衛戦の勝利と英雄隊の追放及び全滅に感謝を示して、協力を惜しまなくなってくれている事だった。勇者黒髪に対して常に丁寧な姿勢を崩さない神官は何かの折に触れ常に語るのだ。


「怪物たちはむき出しの力の前にしか屈する事はありません。それも持続的な。今最も得点を稼いでいるのは誰か。それは貴君を置いて他にない」


 この言葉に不吉な予感を覚えながらも、勇者黒髪は魔人たちの信頼を勝ち得てその協力の下、未来都市の運営に当たらざるを得ない。全てを投げ出して逃げ出そうにも、ヴィクトリアの強い説得がそうさせないのだ。猿が企画したアイデアは、勇者黒髪をモストリアの人にするという、頂に至った。そして、踏ん張り努力した成果によって、怪物たちの流出が減るのを目の当たりにすると、黒髪の心にも勇者たる所以の精神が戻ってくる。誰でも事業の成果が見えると胸はずむ物だ。だがこれを妨害するトカゲ軍人は相変わらず残っており、しっぽをつかませないゲリラ戦術を盛んに展開しているのである。


 そうこうしているうちに、河向こうの王国で頑張る妻、庶王女編成の援軍が到着した。出迎えた黒髪の喜びといったらなかった。大して親しくもない義兄弟の下へ走り寄り、その手を握って振り絞るほどだ。そして、勇者はトカゲ軍人に対する大攻勢を決める。この怪物さえ駆逐できれば、人間世界を脅かす怪物の流出を、とりあえずは止める事ができるはずであったから。

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