第78話 宣伝から煽動へ

 本意ではなかったとはいえ、グロッソ洞窟を占拠してしまったニヤケ面の宰相。彼を取り巻く貴族衆は予想外の成果に、大いに溜飲を下げた。そして精神の慫慂も感じていた。彼らは貴族、しばらくやられてばかりの王国に仕えるとはいえ。この成功で彼らは、沈んだ魂を救い出すことに成功したのである。


「ギャンブルと同じ、というよりも、これはギャンブル。行けるところまで行こうではないか」

「復帰したとは言え、王はすっかり腑抜けてしまった。この戦いが上手くいけば、最も功績が高い人物が新しい王になればよい。何も、新しいのは魔王だけである必要はないのだから」

「そうだとも。新しい人物が定まるまで、せいぜい宰相閣下には頑張ってもらおうか」


 ニヤケ面の男は彼らの精神的指導者としてはあまりにも相応しくなかったが、それでも当座の頭領はこの破綻した怪人物しかいないのも事実。貴族たちは、引き続きニヤケ面の男の指揮下で戦うことを誓い合った。


「クソ貴族共め、麻呂を利用するだけ利用して、使い捨てる気だな」


 一歩間違えれば即破滅。真剣な判断が求められるこのような場合、ニヤケ面の男は全く知恵が働かず、酒を浴びるように飲むばかりだったが、なぜか全く酔えない。貴族達も自分たちがノリで選んだボスが全く頼りにならないと知っていたから、彼等自身必死に知恵を絞るようになる。結果いくつかの進言がなされ、曰く、


「宰相殿、我々は数が少ない。とにかく戦闘を勝ち抜くには数を揃えなければ。なんとか他国の手を借りることはできないだろうか」


と相談されると、彼らの裏の意図はともかく、俄然知恵が回る。他力本願こそが、ニヤケ面の本領が発揮される舞台であったためか。リザードカジノのバカラ台を執政室にしたニヤケ面の男は、ここで人間諸国に向かって手紙を書き送りまくる。曰く、


「アルディラ王国宰相である麻呂は近年勢力拡大著しい魔王の住まう洞窟を占拠した。ついては、この占拠維持のために、至急援軍を派遣されたし」


 ここに久々の登場は手紙を受け取った釣り目の僧侶。早速、都市エローエからやってきた。貴族衆もこれには力づけられたが、


「この度の貴国の戦果、同じ人類として誠に誇らしく思う。我が国も微力ながらお力添えをする」

「令名高い貴国の支援、麻呂も嬉しく思う。ところで、統領閣下にご足労は頂けないのだろうか」

「私が都市の代表としてここにおります」

「……」


 都市エローエの統領たる東洋人は配下の兵たちに、明日をも知れぬニヤケ面政権への協力を一切禁じたため、釣り目の僧侶の到着は非公式なものであった。これで、東洋人と魔王の間の秘密協定は守られた。それでも、東洋人は配下の幹部のうち、鎌使いを釣り目の護衛役としてアンテナは残している。釣り目の僧侶は戦闘に秀でているとは言えないため、この鎌使いの戦士がこの隊の実質的な指揮をとることになる。


 ニヤケ面の男と釣り目の僧侶の出会いはある種の化学反応を起こした。それは、ひたすら他力本願を願っている男にとっては、救いにはなった。釣り目の僧侶はなんにでも口を挟むのが大好きだったからである。そしてその考えは、しばしば向こう見ずですらあった。彼はニヤケ面から他国への援軍を求める役割を奪い取ると、以下のようにニュアンスを変えてそれを送る。


「これは聖戦である。人間社会の一員であらんとするものは、急ぎグロッソ洞窟に結集すべし。反するものは、裏切り者との誹りを覚悟せねばならないであろう」


 人間世界の危機にあって、この脅迫が効果を表したのである。洞窟に流れ込む援軍の数は雪崩式に増えて行った。その間にも、ニヤケ面を操る聖なる腹話術師は権力を固め続ける。洞窟の征服地を徹底的に調べ上げ、怪物衆が保持していた物資や食料を全てまきあげたのである。そして、新道区に籠っていた魔女だが、今回ばかりは分が悪かった。開発が進むたびに、新道区に進入できる通路が増え、中には洞窟の支配者たる魔王ですら把握していないモグリの通路もあって、思うような防衛が出来ない。次々に追い詰められていった。遂に老いた魔女が残すはリモスが最後に掘った坑道のみ、そこに手元に残った全がいこつ兵を結集させた。


「まずい、まずいぞ。今回ばかりはまずい。色黒伝道師の奴、一体なにをしているのか!」


 老嬢は洞窟の東半分は、魔王の指示通り色黒伝道師に委ねていたのだが、彼が不在であることを知らない魔女は、怒りを募らせるばかりであった。と、そこにモグラマッチョが穴を掘って救出に来た。


「媼よ、陛下とラは既に洞窟付近まで来ている。ここは一緒に脱出して、合流を急ごう。人間の数はどんどん増え続けている。ここで抵抗しても、先はない」

「そうじゃな、救援助かるわい」


 モグラの穴に足を掛けた時、魔女はふと洞窟を見る。リモスが金を掘り当てたときから、老嬢と洞窟の関係は始まっている。リモスがいて、猿がいて、魔少女がいて、そして確定的魔王の地位に最も近いトカゲ軍人がいる。そう思うと、この洞窟は魔女にとっても生の晩年を飾る誇りそのものであった。物言わぬがいこつたちが、魔女の方を向く。次の指示を待ち望んでいるのだ。モグラのたくましい筋肉に手を置いた魔女は悟って曰く、


「なあ、魔王を名乗った事もあるあんたなら判るか。トカゲ軍人殿は、圧倒的魔王になれるだろうか」

「何を言っている。なれるに決まっているさ」

「そうか、であるならやはり、この洞窟を捨てて逃げることなどできない。他を支配する魔王となる者は、数多くの犠牲によって足場を固めていくだろう。ついに、あたしの番が来たようだ。新たなる魔王の世のために、あたしはここで踏ん張り続けなければならないと思う。彼のために死ぬ部下の一体もいなくて、どうして彼が真の魔王になれようか」

「馬鹿なことを。いいかね、陛下はもう、近くまで来ているのだ。合流して力を結集することこそ、忠誠心の真義に適う。ここで死んで、誰が媼を気に留めるのか。意義を認める輩はいない。ただ、ラを泣かせるだけだ。陛下の右腕を務めていても、まだ子供だ。媼はあの子の親代わりなのだろう」

「そうさのう。確かにあんたの言うとおりだ。では、生き残ることを考えて、この場に残るとしよう。このグロッソ洞窟はかつて一度も、その全てを人間どもに明け渡したことがない。モストリアでさえ、勇者黒髪の前に征服されたのに、この洞窟はただの一度も完全に征服されたことがないのだ。どこかで誰かが踏ん張って、救援が来るのを待っている」

「そうとも、それは常に、媼であった。媼こそ、我ら怪物衆の誇りだとも」

「であれば、そう簡単に持ち場を離れるわけにはいかない。前に人間の難民どもが押し寄せて来た時、トカゲの閣下はあんたが掘り進んだ穴から侵入してその後の皆殺しを演出した。今回も、そのための事前準備を図るべきだ。あんたは、こちらからいつでもどこへでも反撃できる体制を整えていてもらいたい。人間どもにバレないよう、騒ぎを起こす事はこちらで対応する」

「判った。ラを泣かせないようにな、嫗の健闘を魔の神々に祈る」


 モグラマッチョが去った後、闘いながら、がいこつ兵たちに、砕かれ動かなくなった骨の回収を命じた媼は、それを用いて壁を作り始めた。頭部であれば頭部のみで、大腿骨であればそれのみで、という形で壁を作り、洞窟の天井に届く頃に、全てのがいこつ兵を壁の背後に下がらせた。これを訝しげに眺める攻め手は、


「怪物ども、何のつもりだろう」


と攻撃を止めた。それを見た魔女が全力をがいこつ壁の操作に集中させ始めると、人間達はそのおぞましさに驚愕した。しゃれこうべが笑うようにカタカタ動き、手足の骨壁はリズムをとってタップし始める。その音は人間達の耳に、歌のように聞こえた。曰く、


♪骨折りて朽ち果つ夜を指折りて濫吹の輩ただかくのごとし

♫自家執心骨端没落し候達せられざるは鳴る者の果て也

♩明日あると盲輩のあだ懸想永遠の脚折如何せん


 言葉が古典めかしい短歌調べなのは魔女の趣味であろう。動き語り共鳴する骨の壁に人間達はすっかり怯えてしまい、といって目を離すこともできず、魔女の新たな発想による陽動は実に上手く行った。この隙に、モグラマッチョはいつでも魔王を迎え入れてもよいだけの、地下通路網を構築することに成功していた。


 ただ良い事ばかりではない。魔女の精神と強く結びついたがいこつ壁は、次の文句も発してしまったのである。


♫世出である勇者は倒れ色うつろい乱れ黒髪刀面に映え


 この歌の意味を、何人かの人間達は完璧に理解したのである。これが、怪物世界から人間世界へ最初に伝えられた、勇者黒髪の死の宣告であった。その意味を心した人々の幾人かは、戦場を去っていずこかへ去った。彼らはどこへ?祖国へ戻り喧伝するのである。黒髪の死の事実が漏洩する事で、どのような影響があるのか、思いを致し得る者輩はまだいない。



 今回も魔女が善戦し、モグラマッチョが反撃の体制を整えつつあった時、魔王と魔少女が急ぎ帰着した。魔王曰く、


「留守を突かれるのは二度目だ。裏切りもまた」

 怪訝な顔をした魔少女を見て魔王曰く、


「リモスを入れると、さ」

「しかし陛下、裏切りが明白なニヤケ面とは異なり、リモスが裏切ったとはまだ決まってはおりません」


 リモスを庇う魔少女の熱意に魔王が答えようとした時、モグラマッチョが地下よりやって来た。曰く、


「この穴は、洞窟のあらゆる箇所につながっています。現在、洞窟を占拠した敵主力は、新道区奥の金鉱前で、媼と対峙していますが、戦況は極めて不利です。なお、敵首脳はカジノに本営を定めています」

「報告ご苦労、人間たちは入り口正面に強固な陣営を築いているから、正攻法はあり得ない。一方の魔女の戦線は持ちそうかね」

「嫗は奇策を用いていますので、しばらくは。しかし、敵の引き留めに成功いている分、破られれば殺されるかもしれません。それに、色黒伝道師が行方不明なので、嫗は一人で戦線を支えなければなりません」


 だからこそ速く救援に、とはモグラマッチョは言わない。魔王ならばそうすると確信していたからである。だが、魔王は思案をすることもなく、彼の予想とは異なる方針を立てた。


「前回、我輩らは奇策を用いて敵を撃退した。故に、同じ作戦を取ることはできない。繰り返せないからこその奇策だからだ。そして今、魔女が敵を引きつけてくれている。これは我輩の意図を汲んでの事に違いない。彼女の献身を無駄にすることはできない」


 魔王はそう言って、魔少女の目を見つめた。少女の瞳には、うっすらと涙が張られているように、魔王には見えた。


「ですが閣下」

「魔女の考えは、敵を洞窟奥に引きつけている今が好機、という事だろう。人間の勢力は今も増しているようだが、我らが怪物衆はそうではない。そこで、この洞窟入り口を、一時的に崩して、出入口を封鎖する。これが奇策その弐。前回の穴からの強襲が壱だ。覚えておくように」


 魔女を見捨てた気持ちになっているモグラマッチョの怪物が大いに不服そうにしているが、魔王は変わらず続ける。


「魔女の献身のおかげで、敵の封じ込めができそうだ。これは好機である。如何に敵が洞窟入り口付近に数多くの宿営を築いていても関係あるまい。」


 全く動じていない魔王の言う事だ。戦いはそのように進むのだろう。魔王が魔女の救援にちっとも言及しない事に、モグラマッチョは不安だった。がこの後に至っては上司を信じるしかない。モグラマッチョは心のどこかで、魔女へ別れを告げて意を決して曰く、


「陛下、どこから帰還を果たしますか」

「アイテム交換所だ。理由は入り口に最も近いといこと。さあ、作戦開始だ」


 魔王が方針を決め解説している間、魔少女は一人、魔女の運命を思って養母の命が運命に委ねられた事に身を震わせていた。と同時に、自分たちの事業や名声に傷をつけた裏切り者、ニヤケ面への報復を目指してもいた。自身人間である魔少女だが、人間集団との直接対決を迫られることになったということだ。


「心に滾る感情は憎悪と復讐。私はもう完全に、あちら側ではない」



 同時期、前線近くの食糧倉庫で釣り目の僧侶は鎌使いの訪問を受けていた。この倉庫から番人である乾燥人間はすでに追い払われ、人間の手に帰しているが、予想外の事態が発生していた。急激な湿度の上昇による、食料の傷みの恐れである。乾燥人間の特殊体質によるなどとは夢にも思わない釣り目の僧侶は、


「怪物どもはどのような管理体制を敷いていたか、判るものはいないか」


 そう触れを出す始末。さらに現れるものなどいない。これでは全ての食糧が傷みきる前に、配布するしかなかった。こうして人間陣営からは、食糧面での不安が一つ発生し始めた。その結果、怪物に対しての略奪暴行が、八回目の洞窟侵攻時と同じく発生し始める。


 鎌使いの戦士は釣り目の僧侶に曰く、


「この戦いを始めたアルディラ王国の貴族衆の目的は名誉と金です。そして今、金を守っていると思われるがいこつ部隊との戦いにかかりきりで、戦い全体を見渡すゆとりに欠けます。それを、猊下に担っていただきたい。つまり、真の総司令官は猊下である、ということ」


 このおちょくりに自尊心をくすぐられた釣り目の僧侶は胸を張り曰く、


「続々と援軍が到着している。私は洞窟の外に出て、彼らを出迎えるとしよう。貴官には、洞窟内の残党の処理よりも、強敵が現れた時の緊急対応を願いたい」

「かしこまりました」


 鎌使いの戦士は、東洋人配下の中でも最ベテランの一人であるから、総司令官の能力をもつ者不在のこの戦線の行方を本当に心配していたのである。だからこそ、高位にあってそれでも比較的なマシな釣り目の僧侶に発破をかけたのであった。僧侶が鎌使いに強敵の出現を警戒させたのも、前回の洞窟攻めで大逆転を決められた反省に立脚していることは明らかだ。


 しかし、この度はこれは完全に裏目にでたといえよう。到着した援軍を出迎えるために釣り目の僧侶が洞窟外の陣営に出たタイミングが、魔王反撃のタイミングと完全に重なったためである。洞窟全体を強い揺れと轟音が支配した。誰もが右往左往するなか、洞窟内を駆け抜ける漆黒のマントの動きを、幾人かの人々は目撃していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る