第7話 勝利後の不安

 グロッソ洞窟は、今回の戦いで約二百人に及ぶ人間を殺害し、その死体を食料とする事に成功した。様々な状況が組み合わさった結果とはいえ、これは怪物衆の世界でも一大センセーションを巻き起こす。さらに魔王派遣の軍人による成果だというから、魔王の都モストリアもその権威を高め、大いに沸き、敵対する人類に対する勝利の宣伝に努めた。


 グロッソ洞窟がこのような栄誉に浴したことはかつて無いことだ。洞窟開闢以来初めての快挙であったから、しばらくの間、洞窟内部ではお祭り騒ぎとなった。魔王の都まで届いたという事であれば、インポスト氏も知らんふりはできず、心中の嫌悪を隠して、トカゲ軍人の勝利を祝福した。インポスト氏の不安は、自分に変わり洞窟の正当統治者が現れ自信を蔑ろにすることである。とはいえ、彼の本心は魔王の都へ帰りたいのである。この複雑な心理が、この鬼の怪物を悩乱させているのだ。


 その後、魔王の都から使者が来訪。驚いた氏が遠方からの客を歓待する暇もなく、その使者は書類を置いてすぐに帰還していったが、魔王の宮廷からお褒めの言葉が下賜された慶事により、氏には満足のいく結果が招来したと言えるだろう。


 だが、 大勝利は思わぬ副作用をもたらすものだ。まず、大いに名声を高めたトカゲ軍人はこの功績によってさらに高い地位に就くため魔王の都に召還され、グロッソ洞窟を離れる事になったのだ。僅か半年足らずの任務だったが、見事本懐を遂げたトカゲ軍人は大喜びである。しかし、リモスや他の怪物たちは慌てた。今回の勝利は軍事的にはほとんど、トカゲ軍人一人の功績であった事をよく知っていた。どの人間たちよりも強いこの軍人が居なくなったら、洞窟の防衛はどうなってしまうのか。だがトカゲ軍人は上機嫌に曰く、


「また腕の良い輩が我輩の代わりに送られてくるだろうさ。なにせ魔王の都では世評の中心に、このグロッソ洞窟はあるというのだぜ」


 そう言って、使者が持ってきた魔王の勅令を手に、トカゲ軍人は後任が来る前、送別会の準備をする暇もなく、さっさと都へ去ってしまった。喜色満面のトカゲを引き留めることなど、誰にもできなかった。またこの時、トカゲ軍人の情婦となっていた妖精女がリモスに曰く、


「モストリアの人事は常に遅いから、速く手を打たないと取り残されてしまう。だから、後任が来るのを待つことはない、のだって」


 そう言って、彼女はトカゲ軍人について都へ上っていった。一穴主義のリモスにとっては、これは相当の打撃で、鉄人形が面白おかしく言い触らした話では、洞窟を去りゆく妖精女の姿が見えなくなるまで、洞窟の入り口で彼は男らしくも立ち尽くしていたというが、その心中は不安と後悔に満たされていたのは間違いない。


「自分は何のために働くのか、再考する時が来た。最愛の女を我が家に招き入れる事ができなくなった以上、運命により自分に与えられた職を死守するしかない。すなわち、金の採掘である」

「そうとも、お前にはそれがある。それで十分じゃないか」

「そうだ、ボクには金鉱がある」


 これは全てリモスの哀しい一人芝居である。不気味極まる一体二役の独白を偶然耳にした森の魔女は、さすがに心配になって、ちょくちょく様子を見に来るようになる。口の悪い鉄人形などは、遠慮がない。


「娼婦が去って老婆が来るとは、悲惨なり」



 一か月が過ぎる。後任の軍教官はいつまで経っても来なかった。トカゲ軍人が残していった部隊は、自然とインポスト氏の指揮下に収まったが、彼らの詰め所が洞窟の入口付近から洞窟長の邸宅付近へと変わったから、怪物たちの不安感は一層増すばかりであった。また、人間軍の攻撃があるやもしれぬがその時、一体誰が洞窟を守ってくれるのだろうか。


「魔王の都では、洞窟にそれなりに高位のインポスト氏がいるから多少のブランクを気にしていなかったのかもしれない」

「そう考えると、後任人事はさらに遅れる可能性だってある」

「いっそ洞窟を逃げ出そうか」


 洞窟の住民たちが不安に陥る中、インポスト氏は混乱収拾の手立てを一切とならなかったが、これは不穏の跳ね返りを許す事にもなる。一番過激な行動を取るようになるのは、意外にも精神不安状態にある粘液体リモスとなった。


 この時期のリモスは、上に述べた諸々の不安から情緒に乱れを生じ、イマイチ仕事に精を出す事が出来ず、気合を入れなおしたものの、金鉱の生産量も順調とは言えなかった。せめてもの救いは、洞窟の人事事情に明るくない新参者たちが、陽気に洞窟転入を続けている事くらいであったろう。


 長く不安に晒されたリモスは遂に過激な考えに至る。すなわち、洞窟に籠って身を守ることができないのであれば、こちらから人間たちの住まいを直撃するしかない、と。それを聞いた魔女は仰天するが、ふとその有効性について考えてもみた。


「思考の順番としては妥当なのかも」


 だが、城壁に囲まれた人間の都市は、洞窟よりも断然守りが堅い。都市を落とすには包囲戦を戦わねばならないが、グロッソ洞窟の力では全く不可能であった。では、包囲戦を経たずして都市を掌中に収める方法はあるのか。そもそも他の怪物衆の賛同を得られるのか。


 リモスは先の戦いで唯一捕虜にした人間、開錠魔術師「とんがり」のリクルートを試みる。彼なりにこの人物の事を調べてみると、自称魔法使いで、とんがり帽子とヤギのような長いあごひげが特徴のこの男は、都市エローエに流れてくるまでは、強盗、誘拐、強奪の罪で人間世界各所にて指名手配されている人物だという。かねてより懇意な仲にあった釣り目の僧侶の手配で、都市に居る事もできたという際者であった。であれば、とんがりは彼自身の属する人間世界を憎悪しているはず、とリモスは考えたのだ。リモスは怪物にせよ人間にせよ、個人と社会の繋がりに深い関心を持っていたためか、この手の洞察力に長けていた。


 捕虜とんがりは、そうリモスに問われ、それを一部肯定した。さらに宝箱開錠の秘密を問われると、それを簡単にリモスに打ち明けた。すなわち、魔法で開けているというのは真っ赤な嘘、デモンストレーションで、粘土で作った鍵を押し込んでテクニックで開けているのだ、所要時間は最短で十五分もあれば十分、ミーは魔法なんて使えないし使ったこともないが、簡単にマネできるテクでもないから魔法のように見える事もあるかもしれないね、とのこと。リモスはさらに問う。その技術で都市の城門等も開ける事はできるのか、と。姿勢を正したとんがりはリモスを見据えて曰く、可と回答した。


 その上で、リモスは提案をしたのである。あなたに都市エローエをやる、と。その為には洞窟の怪物衆は力を尽くすし、自分自身、資金援助を欠かさない、とも。これに対し、この犯罪者は二つ返事で了承したというから、その不道徳ぶりは筋金入りだった。人間世界を裏切る代償としてとんがりが求めてきたのは唯一金、それも都市運営に必要である継続的な資金援助であったというから正真正銘の現実主義者であった。故に、自分自身に確固たる自信を持てないリモスにとってはむしろ御しやすい相手でもあっただろう。


 この日から、リモスととんがりは一体と一人きりで話し込む事が増えた。ほぼ毎日、話し合い、作戦立案を行っていた。


 リモスは先の戦闘で勝利を得たこの好機を活かし、攻勢に出てそれにも勝利してみせる、と考えた。人間の都市へ、洞窟を出て攻め込むのである。だが攻め込んでどうするのか。都市を占領統治するのか、ただ略奪焼き討ちを行うのか。


 リモスの考えでは前者であった。なぜなら、彼の究極の目標はグロッソ洞窟の安全、それだけであったのだから、都市を支配する人間が、洞窟に対して攻め入る考えを持たなければそれが良いのであった。なにせ、いくらなんでも怪物による統治を受け入れるほど、都市も人間も弱体ではあるまいと思えたからだが、となれば、洞窟と利害関係を共にする人間に統治をさせる、可能性のある道はこれしかなかった。


 先の戦いを扇動した戦士ハゲは、都市の人間たちの集会、つまり議会へ働きかけて、軍隊を送り込んできたが、トカゲ軍人がいなくなった今、このような事を二度と許さない為にも、洞窟を攻めない独裁者に都市を治めてもらわねばならない。リモスの作戦はその地位を、とんがりにくれてやろう、というものだ。洞窟内の怪物衆はリモスのこの考えに対して正気の沙汰ではない、との反応を返す輩が多かったが、これまでリモスと付き合いのあった怪物たちには天才的だと称賛する輩もおり、それは鉄人形や旧トカゲ軍人配下の怪物らに多かった。


 グロッソ洞窟はそもそもが辺境にある極めて重要でない拠点でしかない。魔王の人事も滞りがちで、此度勝利を得たものの、その名声効果が最大規模に現れるのはまだ先になるだろう。勝利の余韻が残るこの時期、洞窟側は都市の兵を二百体討ったとはいえ、兵数では絶対的に劣るため、正面決戦は不可能だ。となると奇襲しかない。洞窟側も、動かせるのは少数の限られた兵だから、必然的にそうなるが、それで実践可能な現実的作戦となると奇襲による占拠しかないのである。


 さっそく、リモスは兵力動員についてインポスト氏を説得する。しかし、この作戦は、鬼の行政官に嘲りを受ける結果のみとなり失敗した。


「凡夫凡夫!なんという危険な事を考えるのか。そのような自殺行為、やりたければお前だけでやればよい。他の怪物衆を巻き込むなかれ」


 説得の方法がまずかったのだ、という輩もいたが、自らに並び立つ権勢の持ち主の出現を徹底して嫌っているから氏は許可を出さないのだ、という声もあった。リモスの考えでは後者の方であったが。


 いずれにせよ、勝利後の好機を逃すわけにはいかない、と決心を固めていたリモスは賭けに出る。盟友鉄人形の肩に乗り、通りゆく怪物たちを前に熱意を込めて演説をぶった。


「先の激戦を生き残った怪物諸君、今、都市の人間たちは極めて弱体化している。それは念願の防衛に成功した勝利によってである。かのトカゲの閣下はおびただしい数の人間を我らの食料としてくれたが、閣下が不在の今、我らは人間からの反撃に対抗する手腕を一切持たない事は周知のとおりだ。しかし諸君、悔しくないか!好機、人間にとって生じている圧倒的なこの隙を突かずして!情けなくないのか、たかが人間に数で押し込まれ、血に沈み倒された同胞に対して。我らは強力な怪物である。思い出そう!我らは強大な怪物衆である!それが貧弱な人間に対し、土をつけたままでよいのか。よいはずがない!諸君が見ての通り私はこの通り弱く惨めな一粘液体でしかない。だが、何の幸いか、軍資金にだけは不足しない!私は贅沢にも権力にも関心が無い。私の関心は、この洞窟の安全と、怪物衆の失われた名誉が取り戻される事だけである!我らの先祖はいつの頃か不明なほど昔にこの洞窟を造った。いつの間にか住み着いた人間どもに、それを荒らされてよいはずがない。集団ではともかく、彼らは弱き人間、欲深く罪深き存在だ。せいぜいしつけてやろうではないか!真に優れし我ら怪物衆の力によって!」


 高所、それは鉄人形の肩に立ち、声を張り上げるリモスの熱弁で怪物たちが集まってくる。リモスは良い声をしているとはお世辞にも言えないが、声が良く反射する鉄人形の口を拡声器代わりに使用する。ギャラリーもだんだん熱を帯びてきた頃合いをみて、リモスは粘液を両手のように広げて絶叫する。


「インポスト氏は、復讐を望む輩による攻撃をご許可された!私は征く!都市には骨までしゃぶれるだろう人間たちと財宝が転がっているのだ!今、彼らが弱体化している今、あれらは全て攻め込む我らの物だ!」


 リモスの熱気は彼の水面を沸騰させた。その熱気に押されて、鉄人形が、私も行くだろう!と叫ぶ。前回の戦いの功労者である彼の叫びがさらなる呼び声となり、演説を聞いていた怪物たちはみな、もろ手を挙げて都市に攻め込む事に同意した。物陰からこのありさまを見ていたインポスト氏はがっかりし、今は少なくなった同調者に零した。


「あれが自分で自分の演説に酔う危険な性格をしているとはつゆ知らなんだ。これは、都市への攻撃は行われてしまう。私の地位保全ためには、願わくば、人間どもに頑張って貰おう」

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