第54話 嵐の夜の二人

 都市エローエに嵐が来た。夜になっても強い風雨が続く。市内のとある家の主は、ふと玄関口が気になり様子を見に立った。いつも通り、と思った時、


「募兵官殿」

と声が聞こえた。今の時間、屋敷には誰もいないはずであった。振り返った東洋人は声のした客間へ向かう。


「あなたは勇者……黒髪殿。エローエに戻られたのか」

「怪物は、人間のように隊列を組んで進軍する事は苦手ですが、身体能力に任せた奇襲強襲はお手の物です。今日は相談に参ったのですよ、募兵官殿」


 椅子にはどこから侵入したのか、黒髪が座っていた。しばし呆然としていた東洋人に対して、黒髪は、


「お話があるのです、それもあなたに、どうしても」


と強調した。東洋人は周囲に気配を飛ばし、暗殺の気配が無いか確認する。一見、黒髪は武器を携えずに侵入してきたようだったので、彼も返答をする。


「勇者の称号の件、私も聞き及んでいます。お気の毒でしたね」


 黒髪はにっこり笑って曰く、


「まあ、あれは役職ではありませんからね。私を勇者だと思ってくれる人が一人でもいれば、それでよいのです」

「例えば、奥方様とか」


 帝国での戦いの後、未來都市に戻っていたとばかり思っていた黒髪が現れた事は驚きであった。だが、一体何のためか、東洋人には想像もつかない。自身が黒髪と最後に会ったのは一年以上前の、魔王の都への遠征開始前であるから、現実に思考が追いつくのに、少々時間がかかっでいた。東洋人が黒髪の妻について言及したことで、いきなり本題となった。


「募兵官殿、本日相談に参ったのは、隣国である河向こうの王国で発生した政変に関する事です。話を続けてもよろしいでしょうか」


 紳士的な態度を崩さない黒髪を見て、少々落ち着きを取り戻した東洋人は、どうぞ、と返した。若い二人、それも同年代の青年たちが、片や説得力を込め、片や湧き上がる防御の衝動を抑えながら、話し始める。


「御存じの通り、この内戦は私にとって、妻と舅の争いです。どちらにも与するつもりはありませんが、我が舅である追放された王が都市エローエを頼って逃げてきたという事は、その内に反撃の軍を起こすだろうことは確実でしょう。ですが、私としては内乱をこの辺で断ちたいのです」

「そのお気持ちはわかりますが、王はご自身で兵を集めると私は聞いています。であれば、都市の兵は参加しないものと思いますが」


 つまり、俺に何を言っても効果は無いぞ、という意味だ。しかし黒髪は続ける。


「都市の軍がどのような動向を取る計画なのかは私も知りえません。もはや議会に情報源となる人がいないこともありますが。だから私が募兵官殿に相談したいことは、内乱を止めるためにも今後私が行動に迫られた時、募兵官殿には争いから遠ざかっていただきたいのです」


 しばしの沈黙が流れた。両名共に静かに話し合っているが、傍から見れば深刻な話をしているように見えただろう。実際そうだった。東洋人、遅れて言葉を返す。


「私は都市によって雇われている身に過ぎません。命令が下れば、動かないわけには参りません。黒髪殿のご期待に沿うことは難しいでしょう」


 また沈黙がやってくる。嵐がドアや窓を打つ音だけが響く。


「それでは」


 黒髪が口を開いた。


「募兵官殿は国を挟んだ親子の対立を見過ごすおつもりですか。この内乱に関われば都市も無事では済まないでしょう。微妙な均衡が、必ずや一方へ傾くはず。エローエ市民は誰も得をしない戦いです」

「言いにくいのだが、黒髪殿の代理人が、王側に立って存分のお働きなのです。数多くの議員たちも、彼に従っている。それは氏が強い経済力を備え、議員を日々助けているからだ。市民が誰も得をしない、というわけでもないのです」

「彼から、あなたへ誘いはなかったのですか」


 彼とは、デブの商人である。黒髪もかつての代理人がすでに自分を見捨てている事を知っている。


「無ければおかしい。誰もがあなたの実力を知っているし、味方に引き入れたいと願っているのだから。私は山を越えた先の帝国の秩序を取り戻すための戦いを行っていた間、ある著名なエローエ市民と戦う困難に遭遇したが、彼はあなた子飼の手勢を率いていたと聞いている。無論、恐らくあなたの部下が配慮してくれたのだろう、戦いの場には姿を現さなかったようであるが。それに、今は袂を分かってしまっているが、この都市の小さな聖禄を得ているあの人物が先般グロッソ洞窟を攻めた時も、あなたの配下が加わっていたという。この都市でなんらかの野望を持つ者は誰であれ、あなたに相談せねば何も出来ないということなのだ」


 黒髪のシニカルな物言いに、東洋人は沈黙する。


「王を操ったつもりでいるあの男はいずれ、直接か、あるいは都市の寺院を介してかあなたへの接触を望むはず。私の願いは、その時あなたが、あの不幸な家族の争いに介入をしない、ということだけです。どうか、お願いしたい。家族の問題は家族間で片が付けられるべきなのです。部外者があれこれ口を挟めば、混乱がますばかり。そうでしょう」


 東洋人は黒髪の話をしっかりと聞いている。それでいて無言のまま、何かを考えているようであった。彼の様子が気になった黒髪は、さらに続ける。


「これはかつて、とんがり政権を打倒するときに法衣を纏ったあの野心家が取ったやり方でもあります。彼は河向こうの王国からの私の到着を待たずに、市庁舎を攻めた。無論、そのおかげであなたも今日の日があるのでしょうが。しかし、私は彼もあなたも非難しない。都市エローエの独立にとってはそれが良かったのです。だから、河向こうの王国のためにも、放っておいてあげてもらいたいのです」


 黒髪が言い終わると、誰かが扉を叩いた。


「夜分に失礼します、募兵官閣下。巡回報告ですが、市内に異常はありません。嵐は続く様子ですので、巡回強化のまま、改めてまた参ります」


 報告が発せられている間、黒髪は東洋人の目をじっと射る。東洋人もその視線を意識しながら、やや間をおいて扉越しに曰く、


「マスケラーノ・デ・フェッロ巡回兵、夜間勤務御苦労。こんな嵐の夜ではやる気もおきんだろうが、しっかり異常が無いか確認してくれ」


 足音が遠ざかっていく。聞こえなくなってから、東洋人は黒髪へ体全体を向けて話し始めた。


「あなたの要望は全て理解しました。ですが、今すぐに回答ができる類のものでもない」

「傭兵という生き方は信頼が第一だと伺っています。ぜひともこの場で、あなたからの回答を得たいのです。きっと、あなたとその部下たちは、約束を違えないでしょうから」

「ほう、あなたは私たち傭兵を信頼しているのですか」


 この会談ではじめて、東洋人が語威を強めた。


「我々傭兵は、先の統領とんがり氏によって都市エローエに招き入れられた。彼が怪物と繋がっていたとはいえ、我々が雇用主を裏切って攻めた事実は変わりないのです。傭兵は金と状況次第。裏切りを屁とも思わない、と噂されるものです。が、真実を捉えていると言えませんか」

「募兵官殿」

「黒髪殿、私があなたなら、言質などとっても傭兵相手では全くの無意味だと考えるでしょう。別の手段をとる。傭兵に効果的なのはなんといっても金です。傭兵である私が言うのだから、間違いない」

「つまり金次第で快諾してくれる、ということですか」


 東洋人、斜に構えて曰く、


「それが我々異民族の生き方です。我らはこの都市で市民権を持たない。いざという時に力を発揮するのは信頼ではなく金です。金、金、金。黒髪殿、あなたがいくら用意できるかによって、私の回答も決まるというもの……」

「いや、それは違う」


 東洋人の雄弁に、黒髪が割って入った。


「資金には不足していなかったとんがり政権を、あなたたちは捨てた。市民からの信頼が欲しかったからではありませんか。あなたが金だけで動く相手なら、この場に用意してもってきていますよ。見ての通り、私は寸鉄どころか金貨すら帯びてはおりません」

「買い被りですよ」


 手をひらひらさせる勇者から目をそらして、東洋人曰く、


「だが、今のあなたには十分な経済力はないということですか。この都市にだって勇者の称号を失ったあなたに金を貸す酔狂な者もいないに違いない。ということは、だ」


 東洋人は立ち上がって黒髪を見下ろした。


「回答はできない、ということです。せっかくのご足労だが、お引き取り願おう」


 厳しい言葉が部屋に沈黙を生み出し、響き渡る。東洋人の体に幾分かの殺気が混じり始めた。変化した空気を感じ取った黒髪だが引かなかった。さらに一歩踏み出す。このような時に、戦いでも弁論でも臆せず前に出るのが、良くも悪くも黒髪という人物であった。


「エローエ市挙げて内乱に加わる、と言うようなことになるならば。もしもそうなってしまうのなら、私はそれを未然に防ぐべく、行動を起こさなければならなくなります。勇者であった者の責任によって」


 黒髪の弁論にもう用は無い東洋人は返事をしない。だが言葉は耳には入るのだ。


「その行動とは、未來都市から部隊を引き連れて攻め寄せる事ではありません。内乱の元凶である先の王に狙いを定める、と言う事になります」


 勇者と呼ばれていた人物とは思えぬ発言に、さすがの東洋人も振り返る。


「そのようなこと、できるはずもない。この都市の治安を預かる私が、絶対に許さない」

「私だって危険な事は出来るだけ避けたいのだ。そして最も避けたい事象は、内乱に他国が容喙すること。あなたの言葉を借りれば、河向こうの王国の内乱に首を突っ込む行為は、絶対に許せないのだ」

「それはなぜ。あなたはエローエの出身であるはずだ。人間世界に仇なすあなたの名誉は、エローエを通してしか回復できないのではないか。魔王の都への遠征は、この都市から始めたのではなかったか。河向こうの王国など、通過点に過ぎなかったはずだ」


 強い口調で反論する東洋人に、黒髪は静かに語るが、嵐に揺れる空気と風雨の音を切るように言葉を発する。


「祖国と隔たっているあなたにはわからないのだろうか。私が勇者として認められたのは、河向こうの王国の民によってなのだ。王国は勇者としての私の第二の祖国だ。彼らを混乱の只中に放置する事は、私の郷愁が許さないのだ。さらにもう一つ、母国であるエローエが、王国と相争うような事態は、誇りが許さない。正義よりも野心でそれを為そうとするものは、私が必ず退治する」


 東洋人も負けてはいない。


「勇者の名声と栄光とは国家間で区切られるものなのだろうか。国家や民族を超越して、世界を平和に導くのが勇者に期待された役割ではないのか。少なくとも、そのように語り継がれ期待されるものだろう。河向こうの王国に限って言えば、庶王女にはあの国の統治はできない。貴族たちとは敵対している。後ろ盾も無い。恐らく理念も持たないだろう。そうであればこそ、この地域に調和をもたらすために、エローエ市民は王を改めて擁立するのではないか」

「募兵官殿。今の見解は、エローエ市の見目麗しい女たちを悉く虜にしたあなたらしくもない。あなたに良くしてくれた愛人たちは、みな理念や思想をもたないとでも。王国の姫は、魔王の都で苦戦する私に対して、唯一、援軍を組織し派遣してくれたお人だ。王国は彼女に任せておけば心配はない。民には愛されているし、王や貴族らのようなしがらみも持たないのだから」


 この時、狙った女は悉くモノにしてきた名うてのプレイヤーたる東洋人は、初めて河向こうの王国の庶王女を、個人として意識したらしい。女達からの貢ぎ物には事欠かないこの男でも、軍隊の贈り物だけは未だ手にしたことは無かったからだ。目の前に黒髪が居る事を一瞬忘れ、女たちとの思い出に心を馳せていた東洋人だが、


「話を逸らしたな。今私は、勇者の影響力の性質について話していたのに。結局、あなたは実質、王国の領内だけでの限定勇者であったというわけだ。魔王の都への遠征は失敗したのだから」


 この批判には黒髪も沈痛な面持ちになる。


「失敗ではない。目的通り魔王の都を人間にも解放し、最前線の国は脅威から解放されている。もちろん、全てが順調に進んだわけでもないが」

「いずれにせよ、人間世界に怪物の流出という不幸を招き入れたのは黒髪殿あなただ。私は勇者の称号剥奪は、この大きな不幸の発生源となったことで当然だと考えているよ。あなたは次、母国エローエまで不幸にするつもりか」


 東洋人がこれまでで最も強く、そう指摘したその時、また扉が叩かれた。館の主である東洋人の許可が発せられる間もなく、男たちが入室してくる。みな、武装しており、速やかに出口を固めた。そして鉄仮面の男が、東洋人に剣を渡した。


「黒髪殿、あなたを逮捕する。罪状は、人間世界への反逆だ」


 そう言われた黒髪だが微笑んで曰く、


「人間が怪物のために社会を裏切るなんて、起こり得ない事だ。それにそんな罪、都市の法律に、果たして記載があるのかな」


 鉄仮面の戦士が一歩進み出る。巨大な大剣を背負っているのをみて、黒髪は舌打ちをして曰く、


「合図は、さっきの巡回だな。マスケラーノ・デ・フェッロ氏とは、巡回兵の名ではなく、この巨体の鉄仮面の事か」


 鉄仮面は大剣を構えて勇者に通告する。


「もう逃げられませんぞ。この館の包囲は完了しています。嵐の音で、兵たちの動きが判らなかったでしょう。天候を利用し単身乗り込んできた行動はさすが、勇者のものだと思いますが、軽薄でしたな」


 その後ろで防具を身に着けながら東洋人は黒髪に降伏を勧める。


「抵抗は無益だ。下の階にも、玄関口にも、その窓を飛び降りた下にも、すでに兵が待機している。ただの兵ではない。彼らはエローエ領内にも流入してきた怪物達を、巧みに『処理』できる腕前だ」


 だが、黒髪はじりじりと、窓際まで下がる。


「黒髪殿、あなたが先ほど語った我らが金だけでは動かないだろう、という予測。それは当たっている。我々移民の傭兵は金だけではだめで、名誉も欲するのだ。そしてこの二つが持続する事も」


 追い詰められたはずなのに、黒髪は笑顔を絶やさない。そして言う。


「募兵官殿、あなたは欲深いな。金を得るには名誉が必要で、名誉を得るには金が必要、という、世界の一角に棲む以上、持続させるには無理をするしかない。言っておくが、デブの商人や釣り目の僧侶への協力では、それは望めないよ」


 僅かにイラついた東洋人は言い返す。


「知っているとも。だからこそ、我らには河向こうの王国から追放されてきた王を大切に扱う理由があるのだ」

「それであれば募兵官殿」


 黒髪はこれまでになく明るい表情をした。取り囲む兵たちも、黒髪の華のある表情に、心楽しくなるのを感じた。


「王ではなく、姫を大切に扱うべきだ。権力闘争は当事者になればギャンブルではなくなる。王の側は人材がいないから実力不足だが、姫には私が付いている。なんといっても彼女は私の妻なのだ」

「もういい、捕らえよ」


 さすがに喋りすぎたと感じた東洋人が号令を下した刹那、兵たちは館を揺るがすような突風が窓を突き破るのを感じた。ガラス混じりの風雨が飛散する。


「これは―突風ではない。押さえろ、逃げられるぞ!」


 東洋人自慢の傭兵たちは咄嗟の判断で剣を突き投げた。が、刺さった場所に、黒髪はすでにいなくなっていた。


「外から逃げたか、追跡!」


 鉄仮面が外に待機していた兵たちに大声で命令を下すが、同じタイミングで雷鳴が轟いたため、号令はかき消されてしまった。雨に打たれてびしょ濡れになった鉄仮面は、溜息をつくと、濡れて鎧に張り付いた羽を抓んだ。


「獣や鳥の羽……黒髪は怪物を使ってここから脱出したのか、なんという勇者だ」


 そこに伝令が急報を持って飛び込んできた。


「緊急事態です!迎賓館が襲われ、王が誘拐されました!」

「いつのことか」

「十数分前のこと!警護兵数名が負傷、死者はおりません!」


 余りの事に、鉄仮面が東洋人の顔を見る。都市エローエの治安を預かる東洋人の眼前で、重大な要人が誘拐されてしまったのである。いくら嵐が吹き荒れている夜であったとはいえ、不測の事態に備えて警護も増強していたとはいえ、東洋人の部隊にとって信頼失墜の危機であった。


「黒髪の奴、なにが良い回答が無ければ誘拐するかもだ。そもそも誘拐するつもりでやってきおったのだ!大隊長!」


 鋭い掛け声に、鉄仮面が直立する。


「全部隊を叩き起こして市内を回らせろ。侵入者は少なくとも二手に分かれている。黒髪と誘拐部隊だ。飛翔する怪物を使って逃げた黒髪は最悪逃がしてもかまわんが、奪われた王だけは命に賭けても取り戻せ!河向こうの王国に向かうのだろう。一番足の速い部隊で北西の街道を急行して道を塞ぐのだ!」



 東洋人の館の窓ガラスを蹴破ったのは滑空してきたコンドルの怪物であり、この大型の鳥は体に掴まった黒髪を担いだまま、強い跳躍力によって屋根から屋根を移動し危地を脱した。そしてその後、黒髪は東洋人の判断をも欺いた。王の誘拐部隊を指揮したヘルメット魔人と合流し、固まって都市の脱出を試みたのである。


 だが、予測不能な事は無数に散らばっているもの。黒髪が王や東洋人の動向を確認していたように、誘拐部隊の動きを監視していた一団がいたのだ。都市脱出に動き出した黒髪らを、この集団が取り囲んだ。嵐は未だやまず、夜が明けるのもまだ先であった。

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